第1話 血色の怪文書 8 ―真田萌音―
8
「確かに……これは酷いね」
愛は山下の小上がりで先輩に怪文書を見せた。『ただ上がらせてもらうんじゃお婆ちゃんに悪いから』と先輩は幾つか駄菓子を購入したが、愛が怪文書を見せるとその手は駄菓子に全く伸びなくなってしまった。
「それで? 抗議文は? 考えてきてくれたんでしょ?」
「はい!」
愛は昨日の内に怪文書への抗議文を考えていた。
「これなんですけど」
その文を保存したスマホのメモ画面を開くと、愛はそのまま真田先輩に手渡した。
「ありがと、ちょっと読ませてもらうね」
そう言うと先輩は愛の書いてきた抗議文に目を落とす。その表情は真剣だ。目線の動きを見ると、それはとてもゆっくり。愛が書いてきた文をじっくりと読んでくれているのが分かる。
「どうですかね……」
「う~ん……」
愛が書いてきた抗議文は『私は輝ヶ丘高校に通う高校生です。』と始まり、基本的に話し言葉を用いて手紙の様に書かれていた。その内容は次の通りだ。
『現在、輝ヶ丘内において輝ヶ丘に住む人達を侮辱する文章が出回っています。私はこの文章を書いた人物に強い怒りを覚えています。王に選ばれし民が現れてから約二週間、世界は経験した事の無い危機に陥ろうとしています。私は輝ヶ丘の一人の住民として、この文章を書いた人に問いたいです。世界が危機に陥ろうとしている中で、誰かが誰かを蔑み、命を軽んじる発言をする必要はありますか? 今は世界中の皆で手と手を取り合い、助け合い生きていく、そう変わっていくべき時ではありませんか? 『死ぬべき存在』という言葉がありますが、この世に死ぬべき人なんていないと私は思います。先にも述べましたが、私はあなたの発言に怒りを覚えます。しかし私はあなたの手も取りたい。あなたも考えを変えて、私の手を取って下さい。皆が笑顔でいられる未来を一緒に作っていきませんか』
「………どうですか? なんか、言いたい事があり過ぎて、書いてる内に段々纏まりの無い文章になってきて……実際何を言いたいのか分かりにくくなってしまったような……」
愛は自信無さ気だ。
でも、
「ううん、」
先輩は首を振った。
その先輩の顔は、愛に自信をつけさせる為か優しそうに笑っている。涼しげで一見冷たそうな印象もある先輩の瞳だが、ニコリと笑う時はとても愛嬌に溢れる。そして、その笑顔を見ると愛は安心するんだ。
「良いんじゃない? 変に纏まり過ぎてる文章より、こっちの方が気持ちが伝わると思うよ」
「そうですか?」
「うん。桃ちゃんの怒りも優しさも伝わる文章だと思う。これさぁスクショで良いから私に送ってくれない」
そう言って先輩は愛にスマホを返した。
「あ、はい。ちょっと待って下さいね」
愛は早速とスクショを撮って真田先輩へ送った。愛は先輩にお願いしていたんだ、『自分の書いた抗議文を先輩のSNSで拡散して欲しい』と。
「ありがと。それじゃあ、桃ちゃんの文章に私の補足と私の考えも添えさせてもらうね。あ、これの写真も一緒の方が良いよね」
先輩は自分のスマホを取り出すと、愛が渡した怪文書の写真を撮った。
「それと、これの写真を投稿しているアカウントも教えて。その人達の写真も出来れば使わせてもらいたいから、連絡取りたいんだ」
「あ、はい!」
そう言われた愛が
「じゃあどれにしますか?」
とSNSを開こうとすると、
ちょこん。
「ん?」
お婆ちゃんだ。いつの間にかお婆ちゃんが小上がりの前に立っているのに気が付いた。
さっきまで帳場に座ってラジオを聴いていた筈なのに。
「あっ………もしかしてお婆ちゃん、他にお客さん来ちゃった?」
愛は心配そうに聞いた。
愛は山下に入った時、お婆ちゃんに『小上がりで先輩と話がしたいんだ』とお店を使わせてもらう許可を取っていた。そして、それと同時に『他にお客さんが来て邪魔になったら言ってね』とも。
だから『他にお客さん来ちゃった?』と愛は聞いたのだ。しかし、山下が忙しくなるのは平日なら15時前後、土日なら13時過ぎから。今はまだ12時だから、まだまだ大丈夫な筈の時間だが……
「ふふっ」
でも、どうやら愛の心配は無用らしい。
お婆ちゃんは小さく微笑んで首を振った。
「そうじゃないよ」
そして、お婆ちゃんはちょこちょこと二歩ほど歩いて小上がりの端っこにちょこんと腰掛けた。
「二人が何を話してるのかな? と思ってねぇ。もしかして、また二人で何か調べてるのかい?」
そう言うお婆ちゃんの顔は、よく見れば興味津々そうな表情だ。
「あっ!」
『そういう事か!』と愛は思った。どうやらお婆ちゃんはラジオを聴きながら話し込む二人の姿を横目で見ている内に、二人が何を話しているのか気になったらしい。
でも『調べてる……とはちょっと違うかな?』と愛は一瞬返答を迷った。
「あぁ……えっとぉ」
すると、その隙に先輩が喋った。
「カヨちゃん、ちょっとこれ見て」
それはとても馴れ馴れしい感じで。
「ふふっ……なんだい?」
『カヨちゃん』と呼ばれたお婆ちゃんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
先輩は昔からお婆ちゃんを下の名前で呼ぶ。愛が先輩と知り合った頃にはもう既にそうだった。
因みにお婆ちゃんの名前は《
(『お婆ちゃん』の"ちゃん"は別、"お婆"と"ちゃん"はワンセットだから)
笑顔と同じなんだ。先輩はその美貌からクールな性格に見えてしまうが、実際は人の
しかし、先輩がプレゼントしたお婆ちゃんの笑顔はすぐに消えてしまった。それは、先輩が渡した怪文書を読んだ瞬間に。
「えぇ……何だいこれ? 酷い事が書いてあるね」
「でしょ? それさ、桃ちゃんが発見してくれたんだけど、今、町中にばら蒔かれてるらしいの。酷いよね……」
「こんな物がかい?」
「そう」
「うん……」
愛も一緒に頷いた。
「酷い事をする人もいたもんだねぇ……」
お婆ちゃんの顔はさっきまでの笑顔とは真逆に、ショックで暗く沈んでしまった。
「………」
その顔を見た愛は、自分のせいではないのに『申し訳ない』と思った。そして先輩の顔を見るとその顔は少し険しくなっている。少し怖いくらいに。
その理由が何か、愛なら分かる。
先輩の怖いくらいの険しい顔は、何か物事に真剣に取り込もうとする前の"いつもの癖"。
だから、この後に話す先輩の言葉は愛の予想通りのものだった。
「桃ちゃん、私もう行こうかな。さっさとこの文章を書いた人間に抗議したい。カヨちゃんのこんな悲しい顔見たら、居ても立ってもいられなくなった! さっき言ったアカウントの件は桃ちゃんがピックアップして五個くらいちょうだい」
そう言うと先輩はメモに使っていたペンやノートをカバンの中に仕舞い始めた。
「今すぐ家に帰って記事を書き始めれば、今日の夜までには投稿出来ると思うんだ。結構長くなるだろうし、とりあえずnoteに上げる。Twitterとインスタにリンク貼るから、桃ちゃんはそっちで拡散してくれる?」
「分かりました! 記事が出来たら教えて下さい。すぐに拡散するんで!」
「ありがと! それじゃあ、宜しくね。バイバイね!」
「あ、はいっ! バイバイです!」
そして、先輩は愛とお婆ちゃんに手を振ると足早に店から出ていった。
………が、
先輩がガラガラと戸を閉めたそのすぐ後、
「あっ!」
とお婆ちゃんは叫んだ。
「ん?」
『どうしたの?』と愛が聞こうとした時にはもう、お婆ちゃんは先輩が座っていた辺りに手を伸ばし、何かを拾い走り出した。
結構お婆ちゃんは素早く動く。齢80に近付いてもお婆ちゃんはまだまだ元気なんだ。
「萌音ちゃん! ほらほら、自転車の鍵!」
「あっ!」
お婆ちゃんの声に続いて、店の外から先輩の叫び声が聞こえた。
「ふふっ!」
その声を聞いて愛は思わず笑ってしまった。どうやら先輩は自転車の鍵を畳の上に落としてしまっていたらしい。しかも、それに気付かず帰ろうとしていた。いつもしっかり者で頼れる先輩だが、どこかオッチョコチョイな所がある。だからだ、先輩が皆から愛されるのは。
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