第2話 狐目の怪しい男 14 ―もう一人の来店者―

 14



 愛が山下を出て数時間後、再び山下には今回の事件に関係する人物が訪れる事になる。


 時刻は18時、山下の閉店時間の一時間前だった。


 ―――――


「よしっ! 出来た!!」


 窓から見える景色はもう暗く染まってしまった、そんな時刻。時計の針はそろそろ17時30分を指そうとしている、そんな時刻、自室の机の前で胡座をかいていた真田萌音は、喜びの声と共にノートパソコンをパタンっと閉じた。


「私またやっちゃったよ! いい文章過ぎる!!」


 そんな彼女の口から出るのは自画自賛の言葉。


「さてさて……丁度良い時間だな。そろそろ行くか」


 そして、彼女は一服を取る事もなく立ち上がると、壁に掛けられたコートを手に取って早速と家を出た。

 向かうは山下。萌音は『夕方になったら山下に行こう』とパソコンを立ち上げた昼過ぎにはもう決めていたんだ。


「ついでに、夕飯にもんじゃでも食べるかな!」


 萌音は大きな独り言を口にすると、山下に向かって歩き出した。今日の夕飯は既に母親が用意してくれている。だが、萌音はどうしても山下に行きたかった。その目的はお婆ちゃん。萌音はお婆ちゃんと話がしたかったんだ。

 その足取りはとても軽い。イヤホンから流れるお気に入りの音楽に乗って、跳ねる様に………萌音は自分の未来が輝けるものだと信じて疑わないのだろう。


「カヨちゃんお疲れ!」


 風見の家を出て約30分後、萌音は山下に到着した。まだまだ寒い二月の夕刻に30分も歩くのは少々キツいもの。でも、萌音は失くし物の多い人物。特に自転車の鍵をよく失くす。だから風見から30分もかけて輝ヶ丘に来るなんて萌音にとっては慣れっこな行動。造作もない事だった。


「あらあら、萌音ちゃん、いらっしゃい。こんな時間に珍しいじゃないか」


 店の奥の帳場に座るお婆ちゃんは、萌音の来店に少し驚いた顔をしたが、その顔はすぐに笑顔へと変わった。布袋さまに似た大きな笑顔に。


「ふふっ! 一仕事終えたらカヨちゃんの顔が見たくなっちゃってさ」


「そうかい、そうかい。それは記者のお仕事? それともアルバイトの方かい?」


「まぁ、記者の方かな。ねぇ、カヨちゃん。こんな時間だけどもんじゃいける? 私、お腹空いちゃって」


 この問いにお婆ちゃんは椅子から立ち上がりながら答えた。


「うん、勿論だよ。何もんじゃにするんだい?」


「どうしよっかなぁ? お腹空いてるから何でも良いんだけどなぁ」


「何でも作るよ。そっちに座ってゆっくり考えたら良いよ」


 お婆ちゃんは小上がりを指差した。


「うん。そうする」


 そう答えた萌音はコートを脱いで小上がりに向かいかけた……が、


「あ……ごめんカヨちゃん、その前に入口閉めて良い? 歩いてきたからまだ全然だけど、そのうち冷えそう」


 出入口の開けっ放しの引き戸が気になった。


 この問いにもお婆ちゃんは快く答える。


「いいよ、いいよ。今日は多分萌音ちゃんが最後のお客さんだからねぇ」


「ありがと」


 山下の出入口の引戸は子供達が入りやすいようにいつも開けっ放しにされている。それは夏でも冬でも変わらず。雨や雪の日以外は。その戸を萌音はガラガラっと閉じた。


「ごめんね、カヨちゃん。本当はもうこの時間はゆっくりしたい時間だったでしょ?」


「ううん、いいよ、いいよ。お客さんは大歓迎だからねぇ」


 お婆ちゃんはさっき『今日は萌音ちゃんが最後のお客さん』と言ったが、確かに店内には萌音以外の客は一人も居ない。でも、これはいつもの事。

 時刻はもう18時になっている。山下のメインの客となる小学生達の門限は大体が17時。だから17時を過ぎれば徐々に客足は減っていき、18時前後になれば中学生や萌音のような高校生がチョロチョロっとは来るが、店は完全に閑散とするのが毎日のお決まりなのだ。そんな状況にお婆ちゃんも慣れっこで、19時までの一時間はいつもは湯呑みを片手に『後は閉店時間を待つだけ』といった感じなんだ。


「ごめんね、カヨちゃん。ありがとね」


「いいよ、いいよ。大歓迎って言ってるだろう。それよりもんじゃを決めちゃいな」


「あ、そっか。そうだよね。う~ん……どうしよっかなぁ? じゃあ、ベビーマシマシのベビベビもんじゃが良いかな。カヨちゃん、ベビーマシマシもんじゃで」


 萌音はお婆ちゃんにそう伝えると小上がりに向かった。


「はいはい。じゃあベビーマシマシもんじゃね」


「うん」


「はいはい」


 お婆ちゃんはニコニコと微笑みながら萌音に背を向けて帳場の向こうにある住居へと向かった。しかし『向かった』といっても遠くはない。だって、一階にある住居スペースは、帳場のすぐ後ろに掛かった暖簾をくぐると入れる、ほんの小さな空間だけだからだ。そこにあるのも、二階へと上がる急勾配の階段と、キッチン……というよりも『台所』といった方がしっくりと来る、昔ながらの小さな台所だけだ。その台所でお婆ちゃんはもんじゃのタネを作るのだが、山下自体がそんなに大きな店ではないから、小上がりに居る萌音と台所に居るお婆ちゃんは大きな声を出しあえば会話をする事も可能だ。


「そういえば、今日は愛ちゃんも昼間に来たんだよ」


「桃ちゃんが? いつ?」


「昼過ぎだったかねぇ。何だか悩んでいる感じだったよ。萌音ちゃん何か知ってるかい?」


 二人の会話の間にお婆ちゃんがキャベツを切るザッザッ……という音が混じる。


「いいや、何も知らないけど。悩んでる……そうなんだ。私が会った時は何も言ってなかったけどなぁ。あっ、そうそう私も昼に桃ちゃんと会ったんだよ。その後なのかな?ここに来たの」


「あら、会ってたのかい」


「うん。ちょっと用事があって。さっき一仕事終えたって言ったでしょ? それ関係で」


 調理の音を聞いていると更に食欲が湧いてきたのか、萌音は小上がりから立ち上がって帳場の方へと歩き出した。


「ねぇ、カヨちゃん。今日は麦茶いいや。コーラ飲みたい。瓶のヤツ一本ね」


 山下ではもんじゃを頼むと麦茶がサービスされる。でも、今日の萌音の気分はコーラだ。萌音は帳場の裏に回ると、冷蔵庫を勝手に開けてコーラを一本取り出した。


「栓は自分でやるからいいよ」


 そして、栓抜きも。萌音は山下に10年以上も通う常連客だ。栓抜きの場所なんて聞かなくても知っている。


「コップもいいや。こっちのが旨いし」


 萌音はラッパ飲みのスタイルでコーラを飲み出した。

 そう……『瓶のコーラの方がペットボトルよりも美味しい』と『瓶のコーラはコップに入れるより直接飲む方が美味しい』と、愛に教えたのは真田萌音なんだ。


「ちょっと萌音ちゃん、立ち飲みは行儀が悪いよ。座って飲みなさい」


 台所から背後をチラッと見たお婆ちゃんは暖簾の向こうに見える萌音の姿を見て注意をした。

 萌音はコーラを取り出した冷蔵庫に寄り掛かりながら、天井を見詰めてコーラを飲んでいた。飲み口の少し下を、親指、人差し指、中指の三本の指で摘まむ様に持つ姿は、他人に見られたら『気怠そう』と捉えられてしまうかもしれない。


「えぇ~私、カヨちゃんがもんじゃ作ってるところ見るの好きなのに」


「いいから。行儀悪いんだから」


「はいはい……」


 萌音はそれこそ本当に気怠そうに『仕方ないな……』という表情で小上がりに戻っていった。


「萌音ちゃん、もしかしてあんまり寝てないんじゃないかい? 昨日、あんな事があったばかりだし、睡眠がちゃんと取れてないんだろ?」


「え? 何それ急に? ちゃんと寝てるよ」


 小上がりに上がった萌音は胡座をかきながらそう言った。


「そうかい? 何だか疲れている感じに見えるけどねぇ。さっきは言わなかったけど目の下に隈が出来ちゃってるよ。目付きも眠そうじゃないかい? 折角の美人さんが、それじゃ台無しじゃないか。もし気持ちが落ち着かなくて眠れないなら、寝る前に白湯を……いや、ホットミルクでも良いね、飲んだら少しは気持ちがホッとして眠りに入りやすくなるから試してみな」


「もう……何それ。大丈夫だよ」

 萌音はお婆ちゃんが自分に優しくしてくれている事は分かっていた。でも、現在の萌音にとってそれは余計なお節介に思えるものだった。

「私の気持ちは全然落ち着いてるし、心配しないでよ。ちゃんと睡眠は取ってるから。目付きも隈もただ今日がノーメイクなだけだから」


「本当かい?」


 お婆ちゃんは暖簾をくぐって店内に出てきた。手にはもんじゃのタネが入った器を持っている。タネが出来たんだ。


「本当も、本当。大丈夫です、全然。全然どころか、私戦おうとしてんだから」


「戦う? 何とだい?」


 お婆ちゃんは器を両手に持って小上がりに上がってきた。


「そんなの《王に選ばれし民》とに決まってるじゃん」


『当たり前の事を聞かないで』まるでそう言うかの様に、萌音はお婆ちゃんに向かって鼻を鳴らす様に言った。

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