第2話 狐目の怪しい男 15 ―萌音とお婆ちゃんの約束―
15
「そんなの《王に選ばれし民》とに決まってるじゃん」
『当たり前の事を聞かないで』まるでそう言うかの様に、萌音はお婆ちゃんに向かって鼻を鳴らす様に言った。
「えぇ……」
しかし、反対にお婆ちゃんは表情を曇らせる。
「ダメだよそんな事……」
「え? なんで?」
「なんでじゃないよ。危険だよ。第一、萌音ちゃんは一度襲われているじゃないか。もっと危険な目にあったらどうするんだい……」
「だからだよ。危険な奴等がいるから、私は戦うの。私はそういう人間になりたいの。自分が叩き潰したいと思う程の相手がいて、その相手から逃げていたんじゃ、それは相手の思う壺になるだけでしょ? 私はそんなの嫌だよ」
「でも、相手は人間じゃないんだよ。危険だよ、頑固するよりも自分の命を……」
お婆ちゃんはまだ言葉の途中。『自分の命を大切にしないとダメだよ』そう言おうとしていた。しかし、その言葉を萌音は途中で遮った。
「もう……カヨちゃんも、桃ちゃんも心配性だなぁ、大丈夫だって。そんな心配……」
「いいや、大丈夫じゃないよ」
今度はお婆ちゃんが萌音の言葉を遮った。萌音は『そんな心配しなくても大丈夫だよ』と言おうとしていた。
「これはね、萌音ちゃんがもっと不安になると思って黙っていようと思っていた事だけど……萌音ちゃんね、私、今朝見たんだよ。萌音ちゃん知ってるだろ? 私が朝に駅前公園まで散歩に行くの。そこで見たんだよ、あのストーカー男を。あの男がまた輝ヶ丘に戻ってきているんだよ……」
お婆ちゃんは自分の身に危険が迫っている事を自覚してほしいと思い、萌音にこの事を伝えた。
だが……肝心の萌音はこの言葉を聞いても首を傾げてしまう。
「ストーカー? それって彩華に付きまとってた奴の事?だからどうしたの?」
「だからって……萌音ちゃんねぇ。あの男があなたに最後に何て言ったか覚えてないのかい?」
「覚えてるよ」
萌音は『当然!』といった表情で答えた。
「覚えてるけど、それがどうしたの? 私は今はそんなちんけなストーカーを相手にしてないよ? 私は王に選ばれし民と戦うって言ってるんだよ? ストーカーなんて全然関係なくない? それにソイツがまた私達の周りに現れたって、私は相手にしないし、無視するのが一番だし」
『ストーカーの話なんかどうでも良い』……萌音の強気な表情は完全にそう言っている。
「それにさ、彩華だって彼氏出来たんだよ。見てよこれ、めっちゃイケメンだし、めっちゃ体育会系って感じしない?」
萌音はスマホでインスタを開いてお婆ちゃんに友達とその彼氏の写真を見せた。
「この人、絶対頼りになるよ。何かあっても彩華は彼氏が守ってくれる筈。私は私で、端くれだけどジャーナリストとして、もしまたストーカーに狙われてもペンで戦えるから。お婆ちゃんは何も心配しなくても大丈夫。私達はあの頃の私達とは違ってんの。心配しないでよ」
そう言って萌音は右手の親指を立てた。そして、
「はぁ~~彩華さぁ、こっちが取材とか部活とかで忙しくしてる間に段々付き合い悪くなってきてるなぁって思ったら、いつの間にか彼氏作ってたんだよ。ムカつかない? 私にも分けろよぉ~~って! ははっ!」
萌音は『もうこの話は終わり!』とでも言うように話題を変え、お婆ちゃんがテーブルの上に置いた器を手に取った。
「あぁ~お腹空いた。ん……? あ、カヨちゃん。これ、鉄板の火点いてないよ。スイッチどこだっけ? あぁ、ここか……」
萌音はテーブルの側面に付いているスイッチに手を伸ばす……が、
「ダメだよ……」
お婆ちゃんはそう言った。
「え……なんで? それじゃもんじゃ食べれないじゃん」
「そうじゃないよ。さっきの話の続きだよ」
お婆ちゃんはまだ話を終わりにはしたくなかったんだ。
「私は、あのストーカー男はペンで戦えるような相手じゃないと思うけどね……」
「え? 何それ? なんで?」
「あの男は普通じゃないよ……」
「え? ちょっと……何? カヨちゃん、何か知ってるの?」
「………」
「え? ちょっと……なんで黙っちゃう?」
「どうしようかね……」
お婆ちゃんは迷っていた。その迷いは何か、それは『ストーカー男が怪文書をばら蒔いている張本人だという情報を萌音に伝えるべきかどうか』だ。
「……どうしようって何? 何か知ってるなら教えてよ」
何故、お婆ちゃんは迷うのか。それは、その情報を与えてしまえば萌音が事件に関わる事により乗り気になってしまうと思えたからだ。
「取材の役に立つかもしれないしさ、情報は多い方が助かんだよね。ねぇ、何か知ってるなら教えてよ」
萌音はまだ火の点いていないテーブルの上に乗り掛かり、お婆ちゃんに向かって前のめりになった。
「………はぁ」
この萌音の姿とさっきの言葉…………この二つでお婆ちゃんは決めた。
「………やっぱり黙っていようかね。うん、そうしようね」
「えぇ……何でよ? 言ってよ。何か逆に怖いんだけど」
「私は萌音ちゃんのヤル気に火を点けたくないんだよ……ほら、点けるよ」
そう言ってお婆ちゃんはテーブルのスイッチを入れた。
「この話は更に萌音ちゃんを乗り気にさせちゃうみたいだからね……何も言わなきゃ良かったよ」
「えぇ……ちょっと待ってよ。ズルいじゃんそれ」
「狡くないよ。それよりもんじゃを食べなさい。そして事件に関わるのをやめなさい」
「やめないよ。カヨちゃんが何を言っても私の考えは変わらないよ。私だってプライドがあるし、私には私の生き方があるから」
「本当に頑固な子だね……」
「頑固だよ。頑固じゃないとやってられないよ」
「そうかい……じゃあどうしたら良いかね」
「カヨちゃんこそ頑固だよね……」
二人はさっきまでの仲の良い雰囲気が嘘の様にテーブルを挟んで睨み合ってしまっていた。
「私は子供達が危険な目にあってほしくないだけだよ」
「その気持ちは嬉しいけどさ……」
「"けど"って何だい? 私は年長者としてあなたを止めたいのよ」
「はぁ……もうマジで頑固だなぁ、カヨちゃんは……」
ここで萌音は半分まで飲んで途中で手を止めてしまっていたコーラに再び手を伸ばした。そして、熱を冷ます様にその瓶を額に当てる。
「はぁ……じゃあ……じゃあ、分かったよ。もし、本当に危険な目にあいそうになったら、その時はどんなに良い記事が書けそうでも、その時はやめるよ。約束する」
「本当かい?」
萌音はそう言ったがお婆ちゃんの声にはまだ怒りが見える。
「うん……本当は嫌だけどね。でも、約束する。カヨちゃんの頑固さより私の頑固さの方がちょっと柔らかいみたいだ。カヨちゃんの優しさを無下にする程、私はまだ大人じゃないみたい」
「何だいその言い方は」
……と、まだ怒りが見える言い方だが、お婆ちゃんの表情は『やれやれ……』という感じ。でも、その『やれやれ……』の中にホッと安心の感情も混じっているのも見て取れる。
そして、そんなお婆ちゃんの表情を見た萌音の顔も緩んだ。
「ふふ……でも、カヨちゃんには分かっててほしいな」
「何をだい?」
「私が大丈夫って言える理由はカヨちゃんがいるからだって事だよ」
「私? 私が何かしたかい?」
「したって言うか、するって言うかさ」
「何だいそれ?」
「ふふ……もし、私がピンチになったら。その時はカヨちゃんが助けてくれる。そんな気がするんだ。ほら、それこそストーカーに襲われそうになった時みたいに!」
「えぇ……何言ってるんだい? あの時は結局私じゃなくて、私を萌音ちゃんが守ってくれたんじゃないか。私は何もしてないよ」
「ううん……したじゃん。ここに逃げ込んだ私を助けようとしてくれた。普通はあんな事しないよ。普通、逃げちゃうよ。だから、それだけで私の心は助かったの」
「そうかい。でも、次はそうはいかないよ。《王に選ばれし民》は流石の私も尻尾巻いて逃げちゃうよ」
そう言ってお婆ちゃんは朗らかに笑った。
そして、萌音も一緒に笑う。
「えぇ! 逃げないでよぉ~~! じゃあ、じゃあ、もしカヨちゃんに英雄みたいな力があったら?」
「そしたら勿論助けるさぁ」
「ほらぁ!」
「でも、無いだろ。無い話をしてもしょうがないよ」
「もしだよ! もし!」
「もしね。もしあったらね」
お婆ちゃんの言い方は子供をあやす感じ。萌音はもう18歳だ。春には大学生になる。でも、萌音が小学生に上がる前から知っているお婆ちゃんにとっては彼女はまだまだ子供なんだ。
「うんうん! あぁ~~そうなってほしいなぁ~! そしたら、私も完全に安心して取材が出来るし!」
「もう……そういう事じゃないだろう? 元から危険に飛び込まないのが一番なんだから」
「ははっ! 分かってますよ! でも、約束してね。"もし"が本当になったら」
「はいはい。分かりましたよ。約束します」
「ははっ! やったぁ~~!」
萌音はまるで無邪気な子供の様な大きな笑顔を見せるとコーラを一気に飲み干した。
「あぁ~もうお腹空いたよ、カヨちゃん! もんじゃ食べさせて!」
「はいはい。仕方ないね、今日は特別に私が焼いてあげるよ」
「え! マジで? やったぁ~~」
「ふふふ……」
嬉しそうに両手を上げた萌音の姿を微笑ましく思いながら、お婆ちゃんはもんじゃを焼き始めた。
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