第2話 狐目の怪しい男 16 ―萌音の心に残る恐怖―
16
「このコーラで最後かぁ……」
夜道を歩く萌音は一人呟いた。そんな彼女の手には本日何本目かのコーラがある。
「何でコーラってこんなに旨いんだろ?その中でもやっぱ山下のが一番だな。他のコーラには無い何かがあるんだよなぁ……」
まるでワインを味わうかの様に、萌音は瓶の飲み口を鼻に近付け、コーラの甘い匂いを嗅いだ。
「これで最後だと思うと一口一口が愛おしいな……」
そんな独り言をボソボソと呟きながら、萌音はコーラを一口飲み、コートのポケットに手を突っ込んでスマホを取り出した。
今、彼女が歩いている道は住宅街の狭くて暗い道。車は1台ずつしか通れないだろう。街灯は点々としかないから、辺りは薄暗い。だが、パッと見50mくらい先に腰の曲がったお年寄りが歩いているくらいで、他には誰もいない。
そんな道をスマホを見ながら萌音は歩いた。
歩きスマホをしていると、本人が思っているよりも視野は狭くなる。もし萌音がキチンと前を向いて歩いていたら、萌音は気付けただろう。数m先にある曲がり角からサラリーマン風の男性が現れた事に。そして、その男性が自分の方に向かって歩いて来ている事に…………この後、この人は萌音の近くを通って数分後、自宅に帰った後、妻に向かって言うのだ。『帰り道で女性に叫ばれてしまったよ。俺ってそんなに怪しいかな……?』と。
何故なのか。そう、萌音は叫んでしまったんだ。男性が自分のすぐ目の前にまで来た瞬間に大きな声をあげて。何故なら、彼女は勘違いをしてしまったからだ。
『ストーカー男が現れた!!』
……と。
……………
…………………。
「す……すみません」
大きな金切り声をあげてガードレールにしがみつく様に尻餅をついた萌音の姿を見て、謝る必要もないのに男性は謝った。
「い……いえ、こ、こちらこそ……すみません」
それは萌音もだ。萌音も叫んだ瞬間には気付いていた。男性がストーカー男ではない事に。だが、一度口から出てしまった叫びは、叫んだ者の意思とは関係なく間延びし響くもの。
それはまるで人間の心に生まれてしまった恐怖心と同じ。理性や羞恥心では簡単には消させてくれないのだ。人はただ待つしかないのだ。その叫びが虚空の中に消えてくれる事を。
そして、消えてくれなかったのは叫び声だけじゃなかった。それは萌音の四肢を襲った震え。その震えは叫び声が消えた後にも残り、頭を下げた男性が萌音の前から姿を消した後にも残り続けた。
「ハァ……ハァ……ハァ……何やってんの……馬鹿じゃん。私……」
萌音はガードレールに腰掛けて心を落ち着かせようと何度も何度も深呼吸を繰り返した。足元には割れた瓶の欠片とコンクリートの地面に池を作ったコーラが……
「折角、味わって飲もうと思ってたのに……」
萌音は残念そうに項垂れる。
萌音はコーラを落としてしまったんだ。男性に驚いた瞬間に、尻餅をついた瞬間に。
「まだ……まだ……あの男の事が怖いのか。馬鹿だな……私は。今の私には、あの男は敵にもならない男なのに……馬鹿……」
十数分後、萌音の震えはやっと治まり、彼女は歩き出した。
人間の心はガラス細工だ。彼女の心には残り続けていたんだ。あの日の恐怖が。男への恐怖が。男に襲われた夜の恐怖が。トラウマとなって残り続けていたんだ………
第三章、第2話「狐目の怪しい男」 完
―――――
第三章、第2話「狐目の怪しい男」を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
次回、第3話「閉じ込められた獲物たち」では輝ヶ丘に非常事態が起こります。その時、英雄たちはどう動くのか、未だ力を持たない愛は何をすべきなのか……ご期待ください!!!!!
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