第5話 化け狐を追って 7 ―柏木は変化すると決意した―

 7


「待て卑怯者ッ!!!」


「待てと言われて待つ奴が何処にいる!!」


 ユウシャに『卑怯者』と呼ばれた柏木は走りながら後ろを振り向いて、自分の後方に建つ民家の屋根に向かって唾を吐いた。


「お前は卑怯者かつ汚い奴だな……最悪だ、しかし、その距離ではかかりはしない!」


 そうだ、現在ユウシャは民家の屋根の上に居る。居るとしても止まってはいない。ユウシャは走っているのだ。民家の屋根の上を走って、それから屋根を跳んで次の屋根へ、それは全て柏木を追い掛ける為だ。柏木を追い掛ける為に、走って跳んで、走って跳んで……だ。


「柏木ッ! 待てって言ったら待てよコノヤロー!!」


 それはセイギもそうだ。彼もまた民家の屋根から屋根へ、走っては跳んで、走っては跳んでを繰り返している。


 ………柏木がセイギとユウシャの挟み撃ちを回避して、更にボッズーの追撃も回避して、それから現在5分が経っている。

 やはり神が柏木に味方しているなんて事はなかった。

 確かにセイギとユウシャは一度は柏木を見失った。だがしかし、英雄は超人だ。そして、セイギもユウシャも馬鹿ではない。何かを見失ってしまったのならば、高い所から探せば良いと知っている。"考える"という間すらもなく、柏木を見失ったと自覚した二人は、まるで脊髄反射の素早さでその場から見える一番高い高い建物の上へとジャンプした。

 すると、簡単に見付かってしまうのが柏木という男だ。


 それから現在。


 住宅街の狭い道路を走る柏木と、セイギとユウシャとの距離は残り5m程に迫った。


「ユウシャ、行くぞ!!」


「おうッ!!」


 二人は跳んだ。でも、今目指すのは目の前の民家の屋根じゃない。柏木が走る道路だ。


 ドンッ!


 ドンッ!


 跳んだ二人は勢い良く地面に着地した。


「ひぇっ!!!」


 そして柏木は驚く。だって再びの挟み撃ち。

 セイギとユウシャは『お前はこうしろ』『お前はあぁしろ』なんてやり取りもしないで、柏木を挟む形で地面に降り立ったのだ。それも偶然じゃなく、二人は狙ってやった。二人は親友。二人は英雄。一難去ってまた一難をブッ飛ばす為に気持ちを一つにしているから、いちいち相手に確認をしなくてもお互いの考えを理解出来るのだ。


「もう逃がしはしないぞ柏木ッ!!」


 ユウシャは柏木の前方に降り立った。セイギは後方だ。前方のユウシャは地面に降り立つとすぐに柏木を捕まえる為に手を伸ばした。それは殴りかかるかの如く勢い。第三者から見れば只の右フックにしか見えない。


 しかし、


「それでも逃げるッ!!」


 これを避けられるのも又、柏木という男だ。

 柏木は元塾講師。塾講師をしていたぐらいなのだから、彼は学生時代は勉学に励んだ男だったのだろう。だが、それは間違った道だったのかもしれない。柏木はユウシャの"殴りかかるかの如く"の捕縛の手を避けられるくらいの並外れた動体視力と瞬発力を持っていたのだから。その動体視力と瞬発力を活かしてスポーツに励んでいた方が、柏木は己の才能を開花させられていたかもしれない。


 更にスポーツには運も大事だ。その運も柏木は持っていた。何故なら、ユウシャとセイギに挟み撃ちを受けたその場所のすぐ横、すぐ左には、民家と民家の間の狭い狭い小さな小さな小路があったからだ。

 しかも柏木は並外れた動体視力と瞬発力を持っているのだから、ユウシャの捕縛の手を避けた瞬間にその小路を見付け出す事が出来、その小路に向かって走り出す事が出来たんだ。


「あっ! ちきしょう! 待てッ!!」


 この柏木の行動に素早く反応したのはセイギ。

 セイギは柏木が走り出すとすぐに追い掛けた。だが、柏木を挟み撃ちにした車一台がやっと通れるくらいの道路よりも、狭い小路は人一人がやっと通れるくらいの道であったし、足元にはボーボーに繁った雑草があった。かなり走り難い道、なんとまぁ走り難い道だ。常人よりも足の速い英雄でも、走り難くい道ならば速く走る事は困難だ。柏木の行動に素早く反応出来ても、セイギが柏木を捕まえる事は容易じゃなかった。


 しかも相手は運の良い柏木。セイギがなんとか手を思い切り伸ばせば柏木を捕まえられるところまで追い付いた時、柏木はまた新たな活路を見出だしていた。

 それは文字通りの"活路"で、今度は柏木の右側、またまた狭い狭い小さな小さな小路がそこにはあった。その道に柏木は、野球のピッチャーが一塁に牽制球を投げる時の様な突然の動きで素早く曲がった。


「うぇっ! マジか!!」


 それは、セイギが伸ばした手が柏木の肩に触れる寸前で、がむしゃらに勢い良く伸ばしたセイギの手はくうを切ってしまう。

 がむしゃらに勢い良く手を伸ばしたのだからくうを切る勢いも凄く、セイギは躓きそうになる。


「………ッ!!」


 その隙に、柏木は新たな活路に完全に入ってしまった。

 しかし、柏木は余裕じゃない。ダーネを出現させてガード下にセイギとユウシャを置いてけぼりにした時の様に、ボッズーにシビ辛ドレッシングを浴びせた時の様に、柏木は笑顔を見せる事はなかった。ただただ必死、柏木は死にそうな顔で走っていた。


 ―――――


 ― ハァ……ハァ……ハァ……ダメだ。もう限界だ。足が回らなくなっている。頭も回らなくなっている。あんなに働かなければ良かった。ダーネを一辺に使わずとっておけば良かった……しかし、全ては後の祭り。今後悔しても遅い……どうする私? やるか? やるしかないのか? 嗚呼……クソォ、ガキセイギとかいう奴、転んだのではなかったのか! もうこちらに向かって走ってきているぞ。見たところ、もうこの先は一本道。逃げ場がない。さっきのアイツの足の速さなら私はまた追い付かれてしまう……やはりやるしかないのか? やるしか? しかし、やるにしても、もう少し、もう少し走ってからだ。この道はもう少しで終わる。この道を出れば再びの道路。道路に出た方が私も身動きが取り易い、戦い易い。もっと速く回れ私の足よ……頼む!!!


 ―――――


 柏木を必死に追い掛けるセイギ。だが、追い付けない。躓きかけたせいで柏木との距離が出来てしまったからだ。そして、何やらさっきよりも柏木の足が速くなっていた。まるで火事場の馬鹿力を発揮しているかの様に。


 ―――――


 ― ハッハッハッハッハッ!! 遂にやったぞ! 英雄に追い付かれずに道路に出れたぞ! ここからが私の本当の逆転劇の始まりだ! さぁ、後ろを振り返り英雄に向かって高らかに宣言してやろう! 私がキサマらを倒す男だと!!


 ―――――


 小路を抜け、再び車が一台通れるくらいの道路に飛び出した柏木はやっとニヤリと笑った。

 そして、セイギの方に振り返り柏木は叫んだ。


「本当はこの力を使いたくはない! 私は人間としての誇りを持っている男なのだから! しかしッ!!! キサマらが私を追い詰めるのならば仕方がない! 私の力をお見せしよう!」


 柏木はズボンのポケットから新たな小瓶を取り出した。それはダーネが入っていた小瓶とは違い、透明な液体が入った小瓶だ。

 その小瓶を持って、柏木は正面から走ってくるセイギに向かって指を差した。


「私は英雄の敵、そして人類の味方!!」


 柏木はイキって叫ぶ。



 しかし………



 柏木の背後、その場所には………


「なぁにを言ってんだボズ! さっきの恨みは忘れてないぞボッズー!!」


 ボッズーがいた。


「な……な……なにぃ! また鳥ッ!!」


 柏木は驚いた。


 そうだ。鳥だ。ボッズーだ。


 ボッズーは柏木からシビ辛ドレッシングの攻撃を受けてから約3分後、セイギの腕から離れ戦線に復帰していたのだ。

 そして、ボッズーはセイギとユウシャに言った。『さっきのやり直しだボッズー!』と。それは、『もし柏木が再びセイギとユウシャの手を逃れ、逃げ出しそうになった時、自分が最後の切り札になる』という意味だ。

 ボッズーはセイギとユウシャがガードで柏木を挟み撃ちにした時、ガードの上空で待機し、柏木が英雄二人の挟み撃ちを潜り抜けてしまった場合に備えていた。『その別行動をもう一度する』という意味だ。

 だからボッズーは地上から高さ30mの空高くまで飛び上がって、走るセイギとユウシャ、逃げる柏木を監視していたのだ。


 そして、今、ボッズーは来た。ビュビューンモードに変形してボッズーは来た。これはボッズーのリベンジマッチだ。

 そして、ボッズーは勝った。ビュビューンモードで上空から降りてきたボッズーはセイギに向かってイキる柏木の背中に強烈なタックルをくらわせたのだ。


「グワァッッッ!!! 鳥めぇッッッ!!!」


 柏木は痛みに悶える奇声を発しながら宙を舞った。柏木が宙を舞うと同時に、その手に握られていた小瓶も宙を舞う。柏木よりも当然小瓶の方が軽い。小瓶は柏木よりも高く高く飛んでいき、柏木が地面に落ちてから数秒後、地面に落ちた。その場所は仰向けになって倒れる柏木のほんの数cmだけ離れた頭の辺り。


 パリンッ………


 そして、




 ジュワ……




 地面に落ちた小瓶が割れた時、なにやら溶ける音がした………

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