第3話 裏世界へ 8 ―到着、しかし―

 8


「翌日になって、俺達は本郷に向かって出発しました」


「どうだった? 魔女が邪魔してきたりしなかった?」


 愛が問い掛けると、


「はい、それは大丈夫でした」


 剛少年はコクリと頷いた。


「そっか、良かった。アイツ等って人を嘲笑うのが趣味みたいな奴等だから……」


 愛は……今まで自分が見てきたピエロや芸術家の姿を思い出しているのだろう。彼女は眉をしかめて唇を噛んだ。


「そうですね。俺達も『本郷に行くまでの間に魔女の邪魔が入ったらヤバイよね』……って警戒はしていたんです。俺達みんな、裏世界に連れ込まれて魔女の嘲笑を受けていましたから、でも、出発してみるとそんな心配は全然必要なくて。その道中は、裏世界に連れ込まれているのにどちらかと言うと楽しい時間でした……」


 剛少年は『楽しい時間』と口にすると、小さな笑顔を浮かべた。


「みんなと友達になれた時間でした……」


「友達か」


「そうです」


『友達』という言葉が出ると、正義はニカッとした笑顔を浮かべた。その笑顔に釣られてか、剛少年の笑顔も大きな笑顔に変わった。


「さっきも話しましたが、俺達の肉体が活動出来るのは午前二時から二時半までの三十分だけです。その三十分の間、俺達は必死になって自転車を漕ぎまくり本郷を目指しました。それから、三十分が過ぎて魂だけの状態になると、今度は色んな話をして過ごしました」


「色んな話? どんな話ぃ?」


 夢が訊ねると、剛少年は浮かべた笑顔を夢に向けてこう言った。


「それは部活や友達の話、マンガやゲームの話とかそんな感じです。勿論、たまには『明日行く道には坂道があるから結構きつめになるぞ』という感じの作戦会議っぽい内容もありましたが、大体がそんな感じでした」


「へへっ! 雑談ってやつだな!」


 正義が言うと


「はい!」


 剛少年は大きく頷いた。


「………毎日、毎日、話は尽きませんでした。優くんの事は皆さんの方がよく知っていると思いますけど、他の皆も全員良いヤツでした。全員面白いのばっかりなんです!」


 そう言って剛少年は裏世界で出会った少年少女たちの事を語り出した。


「金城くんはノリが良いって言うんですかね。優くんがマイペースに変な事を言うと、すぐにツッコミを入れて笑いにしてくれました。藤原さんは大阪出身なんですけど、普段はおしとやかって言うのか大人しい子なんですが、小さな声で『なんでやねん』とか『おかしいやろそれ』とかずっと言ってて、俺はそれがめっちゃツボでおかしくって! 小山おやまくんは体が大きいのにずっと弄られ役で、旭川さんが天然だから小山おやまくんの事をずっと「コヤマくん」って呼んでたんですけど、それをずっと弄られてて、でも旭川さんは間違いにずっと気付かなくって! 畠山くんはサッカーをやってるからサッカー選手の地味ぃな物真似が得意で、それがまたおかしくって!」


「ふっ……皆、面白い奴等なんだな」


 これまで見せた事のない大きな笑顔で裏世界で出会った友達の事を語る剛少年に、勇気が天使の笑顔を向けた。


「はい! そうなんです! あ、そうだ。これを皆さんに伝えてませんでしたね。あの、裏世界って、基本魂だけの状態だし、いつまでも慣れないものだったんですけど、俺達にとって一つだけ良い事があってですね」


「良いことボズか?」


「はい」


 ボッズーが聞くと剛少年は素早く答えた。


「それはですね。一日経つと疲れが消えてしまうんです。勿論、肉体で活動している三十分の間は疲れはするんですけど、魂だけの状態になればそれは無くなって、次の日には何も感じないんです。それは空腹も眠気もそうでした。だから、俺達は魂だけの状態になると、いっぱい喋って、いつまでもいつまでも楽しい時間を楽しめました。時には誰かが『本当に自分達は表世界に帰れるのかな? 明日、もしも魔女が邪魔をしてきたらどうしよう?』……みたいに、不安になったりもしたんですけど、その時は優くんが『もしも魔女が邪魔をしてきたら、僕が皆を守るから大丈夫だよ!』って元気付けてくれたし、それからその優くんの発言を、金城くんが『お前に何が出来んだよ!』って笑ってツッコミを入れてくれて、また皆が笑顔になるんです……ずっと、ずっと、その繰り返しでした。楽しかった……」


 ここまで喋ると、剛少年は一拍の休憩を入れる様に水を一口飲んだ。


「そんな日々を過ごしながら俺達は、途中で休憩も挟みながら十日目の早々には本郷に着きました。『やった! 本郷に着いた!』……本郷に到着した瞬間、誰かが言いました。俺も口にはしませんでしたが、同じ気持ちでした。『これでドアノブが手に入る。元の世界に戻れる』って……思いました。でも、魔女がそんな甘い訳がありませんでした……」


 こう話している内に、剛少年の顔からは笑顔が消えた……いや、笑顔が消えたどころか、剛少年の顔は再び苦虫を噛み潰したような表情へと変わり、その声には悔しさが混じった。


 ペットボトルを握る手にも力が入ったのか、ベコベコ……と音が鳴る。


「本郷に着くと、再び魔女が現れました……姿は見せません。いつもの声だけです……アイツは言いました。『聖なる場所、本郷へようこそ』……と」


「聖なる場所……どういう意味だ?」


 正義が聞くと、剛少年は小さく首を振った。


「分かりません……ただ、そう聞こえました。そして、こう続けました」


 ―――――


「坊や達は賢いねぇ……よく十日間で本郷まで辿り着けたよ。偉いねぇ」


「賢い?別に簡単だったけど?」


 まるでスピーカーがあるかの様に魔女の声は空から聞こえた。


「歩いてじゃ間に合わない。車も使えない。電車も無い。それなら自転車。普通でしょ。全然賢くないし、偉くもないよ。それよりドアノブを渡してよ……」


 緑川優は空を睨み魔女への反論を行っていた。


「フフフ……」


「はぁ、また笑うのか。笑うって事はまた何か僕達に試練を与えるつもりなの? ねぇ、どうなの?」


「フフフ……」


「ねぇ、笑わないでよ。こっちは真剣に質問をしてるんだよ?」


「ね……ねぇ、優くん、あんまり挑発する様なことを言っちゃまずいよ。怒らせたらドアノブが貰えなくなるかもよ……」


「いや、コイツ等は怒る怒らない程度でドアノブを渡すか渡さないかを決める奴等じゃないよ」


 剛は優を止めようとするが、優は聞かない。


 優は魔女への反論を続ける。


「ねぇ、今すぐドアノブを渡してくれるのか、それとも僕達はまだやる事があるのか、サッサと教えてよ!」


「フフフ……坊やは鋭い子だねぇ。私は坊やみたいな子、好きだよ」


「はぁ……あんたに好かれても全然嬉しくない。"鋭い"ってことは、やっぱりまだ何かやらせたいんだ」


 優はため息を吐いて項垂れた。『やれやれ……』という様に左右に頭を振って。


 だが、他の六人はため息を吐く事すらも出来ない。


「やっとの思いで本郷に来たのに、まだドアノブは貰えないの? まだ何かやらなくちゃいけないの……」


 震える声でそう言ったのは旭川美香。


「もう良いよ……帰してくれよ」


 頭を抱え、車一つ通らない空虚な大道路のコンクリートに膝をついたのは畠山尊。


「おい! ババア……お前いい加減にしろよ!!」


 空に向かって怒鳴ったのは金城哲司だ。


「もう無理やて……頭おかしなる」


 ふらふらと頭を振って、藤原かなえはガードレールに腰を下ろした。


「……」


 小山翔は言葉も発さずに、痙攣かの様な右の瞼だけのまばたきを何度もして、左手の甲を強く噛んだ。


「……」


 剛も無言だ。剛は手のひらにジットリとした汗をかきながら、『次は何をやらされるんだ……』と優と魔女のやり取りを聞いている事しか出来なかった。


「次もまた何処かへ行けって言わないよね? アメリカとか? 違うか?」


 優は喋り続ける。『はぁ……』と項垂れても、すぐに顔を上げて、魔女の姿が見えなくても空を睨み続けた。


 そんな優に魔女はこう答えた。


「違うねぇ……本郷は"せいなる場所"と言っただろ? もう何処にも行かないで良い。この場所で良いんだよ……この場所で坊や達は"我が子"と鬼ごっこをしてもらうよ」


「鬼ごっこ? これまた幼稚な……って、それより『我が子』って何よ? 《王に選ばれし民》に子供がいるなんて聞いた事がないけど?」


「フフフ……」


「だかさぁ……笑わないでよ。僕は質問をしているんだ。答えてくれないと」


「フフフ……」


「だからぁ……」


 優は三度目の『笑うな』を言おうとした。しかし、その言葉を遮る様に空を睨む優の視界の隅に"何か"が映った。


「……ん? 何あれ? UFO?」


 目の隅に"何か"を捕えた優は、その"何か"に視線を移した。


 そして、気付く。


「いや……違うな。UFOじゃないね……何だあれ? まさか、空飛ぶ鍋?」


 それは優達が立つ道路の右斜め向こうにある、隣り合わせに建った二棟の高層ビルの間を通って現れた。


「フフフ……良く気が付いたねぇ。そうだよ、坊や。坊やは目が良いねぇ。アレは私の大事な大事な《魔法の鍋》さ……」


「目が良いって、眼鏡をかけている僕に言う事かな? ……つか、それより、"魔法の鍋"って何? かなりデカイけど。芋煮会でもやるつもり?」


 魔女が言う《魔法の鍋》は、空を滑る様に優達がいる道路に向かって飛んでくる。その大きさは優がUFOと見間違ったくらいに大きい。優達七人が容易に入れるくらいの大きさだ。

 そして、その側面には何故か大きな目が二つ書かれている。模様にしては不気味な黒目の小さな目が。


「まぁ、それは冗談だけど。まさかアレで僕達をヘンゼルとグレーテルみたいにしようとしているんじゃないよね? ……まぁ、ヘンゼルとグレーテルは最後は魔女が焼かれるんだけどさ」


「フフフ……坊やは冗談が上手じょうずだねぇ。大丈夫、私は坊や達をお鍋にして食っちまおうなんて考えてはいないよ」


「そのわりに……グツグツ、グツグツと煮立った音がしてるけど?」


《魔法の鍋》はすぐに優達のそばまで来た……近くに来ると、鍋からは白い湯気が出ているのが分かる。優の言葉通り、そこからは煮立った音がしている。


「でも、食っちまおうとはしていない」


 鍋は優達の5m程前方の空で停止した。


「坊や達が渋谷から本郷へ向かっている十日の間、私だって暇を持て余していた訳じゃあないんだよ」


「あぁ、『私はやる事がある』……僕にそう言ってたもんね。そうか! 本郷に到着した僕達を祝福する為に料理を作ってくれてたんだね……ってそんな訳ないか」


「フフフ……やっぱり坊やは冗談が上手だねぇ、そうだよ。坊や達を祝福なんて私はしない。さっき我が子と鬼ごっこをしてもらうと言っただろう? その……"我が子"を作っていたんだよ」


「鍋で? へぇ……変わった作り方だね」


「そう……変わっているよ。鍋でコトコト……じっくりと。色々な調味料を入れてねぇ。子供を作るのには時間がかかるんだよ。鍋でじっくり十日間も……」


「あぁ……なるほど。だから僕達に十日間もの時間をくれたのか。変だと思ったんだ。僕達を苛めるのが大好きそうなアンタが、ちょっと余裕のある十日って時間をくれたのが。僕達はただ時間稼ぎをさせられていただけなのか……」


 優は再び項垂れた。


「察しが良い坊やだこと……その通りだよ。でも良かったじゃないか、坊や達は友達になれたんだろう? 楽しそうにお喋りをしていたじゃないかい」


「えぇ、盗み聞きしてたの? やめてよ……プライバシーの侵害だ」


「フフフ……怒らない怒らない。ずっとじゃないよぉ。鍋を煮詰めている間に、たまにね。楽しそうにしている坊や達の姿を見るのは私も楽しかったよ」


「あぁ……もうムカつくなぁ!」


 再び空を睨んだ優は拳を握って叫んだ。だが、


「いい加減にしろ!!!」


 優の背後から、その声をかき消す程の怒鳴り声がした。

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