第6話 剥がれた化けの皮 11 ―剥がれた化けの皮―

 11


「や………やめて」


 萌音の右手が愛の首をギリギリ……と絞める。


「なん……で……先輩……や………めて」


 愛は萌音の手を剥がそうと必死に抵抗するが、萌音の力は強い。英雄としての力を未だ持たぬ愛では、抵抗は出来ても対抗は出来ない。萌音の手を剥がそうとする愛の両手は、小蝿を振り払う様な萌音の簡単な動作であしらわれてしまう。


「馬鹿だね……桃ちゃんは本当に馬鹿」


「……うっ……うぅ………」


 愛は強く首を絞められて声が出せない。愛は聞きたかった。『私がバケモノなんだから』この萌音の言葉は本当なのか……聞きたかった。


 しかし、この萌音の力の強さこそが萌音の言葉が嘘ではない事を物語っている………が、愛は認めたくはなかった。愛もボッズーから聞いているから。『バケモノとは、悪に心を乗っ取られ、破壊を好み、命を弄ぶ、邪悪な思考を持つ者だ……』と。だから、認めたくはない。尊敬する真田萌音がそんな人間になってしまったと愛は認めたくはないのだ。


「せん……ぱ………何故」


「ん? 何ぃ? 何か聞きたい事があるのかな? でも、今更聞いて何の意味があるの? 英雄のクセして、私の正体にずっと気付かなかった馬鹿なのに……」


 愛の気持ちを知らぬ萌音は、残酷にも更に強い力で愛の首を絞めながら、ズルズル……と愛を山下の店内へと引きずり込む。


「本当に呆れるよね……アンタの馬鹿さ加減にはさぁ」


 そして、愛を店内へ引き入れた萌音は、そのままの力で愛をコンクリートの床に向かって思いっ切り叩き付けた。


「う……うぅ……」


 床に倒れた愛は痛みに悶える声を漏らす。萌音の手はやっと首から離れた。呼吸が出来る。………呼吸は出来るが、コンクリートの床に叩き付けられたのだから体の痛みは酷い。更にそこに、


「何が『うぅ……』だ、可愛い子ぶるなよな!!」


「………うぅッ!!」


 萌音の蹴りが腹に刺さった。


「………うぅ……そんな、先輩……」


 愛は認めたくはなかった。真田萌音がバケモノになってしまったなんて。


 しかし、萌音の平常心とは思えない悪霊に憑かれた様な邪悪な表情と、平常心ではあり得ない非情な暴力………これは、


「先輩は………先輩はぁ!!」


 認めるしかなかった………


「何でッ! 何でバケモノなんかになったんですか!!」


 認めたくない愛でも、認めざるを得なかった。それ程、現在の真田萌音は愛が知っている"先輩"ではなかった。

 バケモノでしかあり得ない、バケモノにしかやり得ない行動を、萌音は取っているのだから。


「どうして……どうしてしまったんですか先輩!! こんな事、先輩のする事じゃない!!」


 愛は涙する。怒りと、萌音への尊敬の念が……いや、萌音への"愛"が入り交じった涙を。


「うるさいな。お前が私の何を知っているの?」


 だが、萌音はそんな愛の涙を見ても暴力を止めなかった。萌音は、愛の泣き顔を踏み潰そうと足を振り上げる……


「知ってますよ! だって、私は先輩が大好きなんだから!」


 しかし、振り下ろされた萌音の足を愛は止めた。


 さっきまでの愛ならば、萌音の攻撃を止める事は出来なかっただろう。けれど、今の愛ならば出来る。萌音を"愛する心"が愛に力を与えてくれているから。


 そして、愛は萌音の足をガッシリと掴みながら、叫んだ。


「私はずっと先輩を見てきました! 私が知っている先輩は、こんな事をする人じゃないんです!! 元の先輩に戻って下さい!!」


 叫びながら、萌音の足を持ったまま愛は立ち上がる。


「……なッ!!」


 立ち上がる愛とは反対に、バランスを崩した萌音は背中からコンクリートの床に倒れた。


「お願いです! 王に選ばれし民なんか辞めて下さい!!」


 萌音が倒れると愛は萌音の体に乗り掛かり、大粒の涙を流しながら、すがり付く様にして更に叫ぶ。


「元に戻って下さい! 元の先輩に戻って下さい!!」


 自分の額を萌音の体に押し当てて叫ぶ愛の姿は、まるで神に祈るかのよう。必死な叫びは喉を潰し、その声は徐々に枯れていく。



 でも……



 今の萌音には、愛の叫びも響かない。


「黙れクソガキッ!!」


 萌音は自分の為に涙を流す愛をゴミを見る様な目で睨むと、愛の結われた後ろ髪を掴み、無理矢理顔を上げさせ、その顔を強く引っ叩いた。


「抵抗しやがって!! どこまで私を邪魔すれば気が済むんだ!!」


 やはり、バケモノである萌音の力は強い。愛の顔を叩いた萌音は怯んだ愛を横に倒し、今度は自分が愛に乗り掛かる。


 今の萌音には分からないのだ。何故愛が涙を流すのか、何故愛が『元に戻ってくれ』と叫ぶのか、その理由を理解出来ない。常人ならばいちいち理由を説明しなくても理解出来る事を、狂人となってしまった今の萌音では理解出来ないのだ。


「英雄だからか! 英雄だから私の邪魔をするのか!!」


「違う!! 私は先輩が大好きだから!!」


「黙れ!! お前もババアも"愛"だとか、"好き"だとか同じ様な事ばかり言いやがって!! だったら私の言う通りになれ!!」


「ババ……あっ!! お婆ちゃんは?! お婆ちゃんは何処に居るの! まさか、先輩!! お婆ちゃんを!! ………うッ!!」


 愛は萌音の制服の襟を掴み、『お婆ちゃんはどうしたんだ?』と問い掛けようとした。しかし、全てを言い終える前に、再び萌音の平手が愛の顔を叩いた。


「ババアが心配か? だったら私の言う通りにしろ!!」


「言うとお……」


「そうだ! 私の言いなりになれ!!」


 愛はまた最後まで喋らせてもらえなかった。言葉の途中で萌音が愛の胸倉を掴み、愛の頭を激しく揺らしたからだ。


「元々のターゲットはお前だった! それを元に戻すだけだ! お前がスイッチを押す人間となれ!! 英雄であるお前が輝ヶ丘を燃やす張本人になるんだよ!!!」


 萌音は牙を剥く様な恐ろしい表情でそう叫ぶと、愛の胸倉から手を離し、今度は愛の腕を掴んだ。


「来いッ!!」


 そして立ち上がり、愛を連れて歩き出す。店の奥へと、愛を連れて。

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