第1話 少年とタマゴ 10 ―ダンボールジョーカー―

10


 暫くすると男はタバコに火をつけた。


 静かな車内に男が煙を吐き出す音と、車がゴトゴトと揺れる音だけが響く。


 男に誤解を受けてから、少年のキラキラとした瞳もニカッとした笑顔も少し大人しくなってしまっていた。

 車内の空気が気まずくなった訳ではないが、なんだか重たく感じる。

 少年と男の会話も止まってしまった。


 そんな中、少年は唇を少しすぼめた変な顔で、首を動かさず目線だけをキョロキョロと車内に滑らせていた。

 

― う~ん…お兄さんと何か話さないとなぁ~このまんまじゃ逆に失礼だよな……変なヤツだって思われちまったし……話し掛けたいんだけど、何を話し掛けたら良いんだろ? 何か話題に出来る事無いかなぁ?


 一度静かになってしまうと、軽妙に続いていた会話も嘘みたいに少年は話し掛けるタイミングも、話題も、どうすれば良いのか分からなくなってしまっていた。

 親しい友人でも、顔馴染みの知人でもない、初対面の男だ。それは仕方がない。


 それでも少年は諦める事なく、まだまだ話題探しを続けた。


― う~ん……車ん中には何も無いなぁ。飲みかけのペットボトルに、タバコが一つ……他にはなんにも無い。ラジオでもかけてくれたら何か話す話題作れそうなんだけど……つか、このトラックってお兄さんの私物なのかな? プライベート用なんて事は無いだろうけど、やっぱり仕事用? 運送業なら午前中でも仕事終わりって事も有り得るかもだし、やっぱりそういう事かな? 仕事中だったら俺なんか乗せてる暇ねぇもんな……それにしても、簡素な車内だな……俺の勝手なイメージだけど、トラックの運転手の人の車ん中って、もっと仕事道具とか私物とかでごちゃごちゃしてるイメージだったなぁ。キレイ過ぎる程キレイ……つーか本当に何にも無いや………ん?


 少年は何かを見つけたのか、眉をしかめた。


「あれ? それって『ダンボールジョーカー』の人形じゃないっすか?」


 少年は男の足元を指差した。


 アクセルを踏む男の足元にソレはあった。


 ソレは4、5cmくらいの小さな人形。

 茶色くてクルクルした髪と白い肌に真っ赤な鼻、そして銀色のつり上がったサングラスみたいな目。

 多分デフォルメされているんだろう、頭と体はほぼ同じくらいの大きさだ。アニメのキャラクターだろうか、大人の持ち物というよりちょっと子供っぽい感じ。人形のポーズも強面の男のイメージには似合わないダブルピースをしていた。


「え……?」

 男は足元を見ると

「なんだこれは……」

 と呟いた。


 少年はその声を聞き逃さなかった。


「ん? お兄さんのじゃないんですか?」


「ん……あ……あぁ……もしかしらこの間乗せた女の物かも知れないな」


 男がそう答えると、少年は 「え?」と何故か首を傾げた。


「ん? なんだよ?」


「あっ……いやいや、てっきりお兄さんのお子さんの物かと思ったから」


「え……俺の子供?」


「はい、これって『仮面バイカーシリーズ』の最新作のヤツなんすよ。『仮面バイカーダンボールジョーカー』。男の子向けのヒーロー番組です。ま、最近は女の人でもハマる人いますもんね! イケメン多いし! 俺の妹も大好きなんすよ、『ダンボールジョーカー』! へへっ!」


 少年が笑顔でそう返すと男は、


「はぁ……そうか……だが、俺には子供はいない」


 無表情でそう言った。


「そうだったんすね! すんません!」


 少年はペコッと平謝り。

 それから、その人形をよく見たいのか少し背中を丸めてダッシュボードの下を覗き込んだ。

 頭をポリポリと掻きながら。


「なんだ? そんなに興味があるのか?」


 屈み込む少年の後頭部を見詰める男は迷惑そう。眉間にも深い皺が刻まれる。

 その時、丁度少年たちの乗る車は赤信号にさしかかった。男は車を停止させる。

 すると、少年は「へへ…ちょっと良いですか?」と言って人形に手を伸ばした。


「お……おい! 勝手な事するなよ!」


 男は戸惑う。だが少年は、


「へへ! すいません、すいません!」


とまた平謝り。


「ちょっと気になっちゃったもんで!」


「気になる? 何でだよ?」


 男の眉間に、さっきよりも濃くて深い皺が刻まれた。

 だが、少年は男の顔を見ようともしない。ただ熱心に、ひっくり返した人形の大きな足の足の裏を見ていた。


「おい!」


 男がもう一度声をかけると、


「あ、やっぱり!」


 少年は人形から目を離して、ニカッとした笑顔を男に向けた。


「は? 何がやっぱりなんだ!」


 男の声は段々と荒ぶってきていた。


「へへぇ!」


 少年は男とは正反対に調子の良い笑い声をあげると、男に人形の足の裏を見せた。


「これ、やっぱりコンビニくじのヤツですよ! ここに書いてある!」


「は?」


「ほら、よくやってるじゃないですか! 700円くらいで買えるヤツ!」


「あ……あぁ……だからなんだよ?」


「いや、だからって何でも無いんですけどね! もしかしぇ~って思って!」


「はぁあ?」


 男は大きく顔を歪めた。

 でも、今回も少年はそれを見ていない。

 見ているのは、人形の頭の天辺に付いた丸い金具。


「やっぱりなぁ~! これ、元々キーホルダーですよ! 本当はココにチェーンが付いてたはず……」


 少年は人形に付いた金具を人差し指でポンポンと叩いた


「……でも壊れちゃったんだな。もったいねぇ。人気あるんすよ、コレ! 去年の今頃かなぁ?妹に散々買わされて、一回700円じゃないっすか! めっちゃ金飛んじゃって! へへへっ!」


 と笑いながら、少年はやっと男の顔を見た。


「あれ……?」


 男はポカーンとした顔で少年を見ていた。

 もう怒りを通り越して呆れたのだろう。


「あ……すみません。なんか俺、一人で暴走してましたね……へへへっ」


 少年は苦笑いを浮かべた。


「いや……別に良いけどさ、そんなに好きなのかソレ?」


 男は人形を指差した。


「へへっ……妹がっす!」


 少年がそう答えると、


「そうか……じゃあやるよ」


 男は貧乏揺すりの様にハンドルをトントントンと叩きながら言った。


「え……でも、これって彼女さんのですよね?」


「は? 彼女?」


「はい。だって、さっきお兄さん『女の』……だって」


「え……あ、あぁ……そうだったな。でも彼女じゃない。どうせ捨てるさ。いらないよ。やるよ。」


 男の返事は素っ気ない。少年から顔も反らして。この人形の話、本当に興味が無いのだろう。


「いやいや、でも……」


 少年は戸惑った。男がそう言っても、元々は誰かの物、そう簡単に貰う事は出来ないだろう。


 だが、少年はすぐにニカッと笑った。


「……へへ! 分かりました! 俺が貰います! で、その女性ひとに俺が返します!」


「はぁ?」


 少年の思わぬ一言に、男はまた口をポカンと開けることになった。


「何言ってんだ? そんな事出来る訳ないだろ!」


「へへっ! いや、会えると思うんですよ! お兄さんと出会ったんですから!」

 少年は最後にもう一度「へへっ!」と笑った。


「そうかよ……そうだな。俺も出会えると思うよ」


 男は呆れ返ったのか、冷たくそう言うと少年から顔を反らし車を発進させた。


「あ、そだ。もいっこ良いですか?」


「なんだよ……」


「この車ってお兄さんの私物ですか?」


「あぁ……そうだけど」


「そっかぁ……仕事用ですよね?今日もずっと乗ってるんですか?」


「そうだよ……昨日の夜中からずっとな」


「そうなんですねぇ、あっ! じゃあ、お腹空いてますよね! 乗せてもらったお礼です!」


 少年はリュックからアンパンを取り出して、男の斜め向かいのダッシュボードの上に置いた。

 男の横顔を鋭い視線で見詰めながら。

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