第6話 剥がれた化けの皮 13 ―戦え!愛!―

 13


「お婆ちゃん!!」


 愛は山下のお婆ちゃんの姿を見た瞬間に叫んだ。

 お婆ちゃんは無惨にも、力無くグッタリとした様子で畳の上に倒れていたからだ。その顔は顔面蒼白、目を浅く瞑り、一瞥しただけで意識がない事が分かる。


「先輩!! なんて酷い事を!!」


 愛は萌音を睨んだ。爆発寸前の怒りが沸々と滾り、愛の拳を握らせる。


「ん? また反抗するつもりか? ダメだよ、そんな事したら……」


 そう言って萌音は愛の腕から手を離し、愛の体を押した。


「………うッ!!」


 ……と、愛はお婆ちゃんの真横に倒れる。


「安心しろ。まだババアは殺してない。少し痛め付けて眠らせただけだよ……でも、本当はこんな事、私もしたくなかった。全部、桃ちゃんのせい。お前が英雄なんかやってるからだよ。さっき言っただろ? 私は協力者をそこのババアに変えたって。始めは上手くいってた……と、思うよ。幸いにして、私が用意したミスリードキャラの柏木って男の事もババアは知ってたからね。ババアが駅前公園に散歩に行く時間を見計らって柏木を登場させてみたら、すぐに私の事を心配してくれて……ふふ、あの頃は上手い事、協力者に誘導出来ていたと思う。でもまさか……私の嘘がバレちゃうとは………何でバレたかは全然分からないけど、バレちゃった。バレたら全部台無しだよ。だから計画は初期に戻る。ピンチはチャンスってヤツにしないと……」


「何言ってるんですか……意味分かんないです!」


「黙れ!!」


「………ッ!!」


 愛は萌音を睨みながら立ち上がろうとした。しかし、その体を萌音が蹴飛ばし、再び愛は倒れてしまう。


「ふふ……桃ちゃん本当弱いな。もしかしてだけど、アンタ英雄になったは良いけど、まだ何も出来ない感じ?変身は出来ないの? ふふ……まぁ、今の状況じゃあどちらにしろ出来なくなっちゃうんだけどさぁ。ねぇ、青い石に"愛"を注ぎ込むには、誰かを愛してる、誰かを助けたいと祈らなきゃいけないって言ったよね? 分かる? 理解出来る?今の状況を?」


 萌音はゆっくりと、畳の上に横たわるお婆ちゃんに近づいていった。


「理解出来てないなら、行動で示してあげる……助けなきゃなんだよ。桃ちゃんは、このババアをねッ!!」


 そして、再び激昂した萌音はお婆ちゃんの体を強く踏みつけた。


「やめて!!!」


 ……と、愛は萌音に飛び掛かろうとするも、


「邪魔すんな!!!」


 萌音の強い力で小蝿の様にあしらわれてしまう……


「さぁ、このババアを助けたかったら、この石に!! 祈れ!!」


 萌音は青い石を愛に向けた。


「ババアを助けたいと! ババアを愛していると!! 祈るんだ!!!」


 萌音が手のひらに乗せて愛に向けた青い石が、蛍光灯の光を受けてギラリと光る。


「ほら、どうした?! 祈るんだよ!! 早くしろッ!!!」


 萌音は威圧する……が、愛は動かない。


「………」


 愛は考えているのだ。お婆ちゃんを助けるには萌音の言う事を聞くべきかもしれない。しかし、萌音の言う事を聞いても、萌音がお婆ちゃんへの暴力を止めるかどうかは、相手がバケモノだ……分からない。

 しかも、"青い石に祈る"という行動が何を招くのか愛は聞いているのだ。『青い石はライター、赤い石は火薬』……青い石に祈れば青い石は力を得てしまう。力を得てしまえば、火薬に火をつける事になる。


 ― お婆ちゃんを助けるか……輝ヶ丘に火をつけるか、選べって事か


 愛は『どちらも選べない……どうすれば良いの?』と考えた…………だが、


 ― え……?あれ?違う………お婆ちゃんを助けても、町に火をつけちゃったら………



「そんなの意味ない!!!」



 萌音への怒り、萌音からの暴力、萌音からの強制的に与えられた情報が、愛の脳を混乱させ思考力を低下させていた。だが、愛は決して馬鹿じゃない。簡単で明白な事実にすぐに気が付いた。


 だから愛は拳を握る。拳を握って立ち上がる。


「先輩の言う通りにしても、町が燃えたら結局意味ないじゃん!! 今更私を騙そうとしても無理ですよ!!!」


「おいッ! ババアを助けたくないのか!!!」


「脅したって無駄です! 私は悪には屈しないから!! 私だって英雄の一人なんだ!!」


 しかし、拳を握った愛は動かない。殴りかかるでもなく、言葉だけで対抗する。


「何が英雄だッ! このクソガキがッ!! 何も出来ないクセにッ!! だったら無理矢理にでもやらせてやるッ!!!」


 愛の言葉は、激昂する萌音に更に火をつけた。

 猛り狂う萌音は、お婆ちゃんの体を踏みつけていた足を蹴る様にして離すと、部屋の入口近くに立つ愛を狂暴な目で睨み付けながら、両手を振り上げ走り出した。萌音と愛との距離は2m程、萌音はすぐに愛の目前に迫る………


 しかし、


「………ッ!!!」


 萌音が躍りかかろうとした瞬間、愛はまるで闘牛士の様に体をヒラリと翻した。


 ガガガガ……ガゴンッ!!


 激しい勢いで萌音は襖に激突した。そして、その勢いで襖は鴨居から外れ、萌音と共に居間の外へと倒れてしまう。


「良し……」


 愛は呟く。愛はただ動かずにいた訳ではない。それに、"言葉だけで萌音に立ち向かおう"だなんて事も考えていない。愛は待っていたんだ。愛には考えがあったのだ。『挑発をすれば、必ず先輩は私に襲いかかってくる。さっきからの先輩の攻撃は、私をナメているのかかなりの大振りだ。落ち着いて挑めば、攻撃の瞬間に必ずどこかに隙を見付けられる! その隙を狙えば、変身出来ない私でも戦える!』……という考えが。


 愛の予想通り、両手を広げた大振りで襲いかかってきた萌音は、まんまとしてやられて居間の外に倒れた。

 大振りで生まれる隙どころではない大きな隙を萌音は見せてしまったのだ。


 この隙を愛は見逃さない。


「私はもう、先輩を止めないから!! お婆ちゃんに酷い事をして、町のみんなを殺そうとして、そんなの絶対許せないし!! 今更、全部嘘だって言っても信じないから!! 私はもう、私が知ってる先輩は全部嘘だったって思う事にする!! 目の前のアンタが、本当の先輩なんだって思う事にする!! だから私は、絶対にお前を倒す!!!」


 愛は自分自身を鼓舞する言葉を発しながら倒れた萌音に飛び掛かった。

 愛は思う。『やっぱりこの服で来て良かった』と。彼女が着ているのはグレーのスウェット。家を出る前に『今日は動きやすい格好が良いだろう。動きやすい格好にするべきだ』と考えて選んだ服だ。

 愛はまさか真田萌音と戦う事になるとは思っていなかった。だが、『先輩に《王に選ばれし民》の情報を提供している人物がいるなら、それはバケモノの可能性が高い』と考えていたから、『もしかしたらその人物と私は戦う事になるかも……』とは考えていた。家を出る前から愛は戦う覚悟を決めていたのだ。


「先輩の言う通りですよ! 私にはまだ英雄の力がない! 変身できない! でも、英雄の力がなくても出来る事はある!!」


 戦う覚悟が決まっている者と決まっていない者とでは、実際に戦いが始まってしまった後に取れる初動が違ってくる。さっきの萌音の攻撃を躱せたのも覚悟が決まっていたから。そして、次の行動を取れたのも覚悟が決まっていたからだ。


「だから、まずはアンタの計画をぶっ潰す!!!」


 愛は叫びながら青い石を握った萌音の右手に手を伸ばす。


「何を言ってる! ふざけるなぁ!!」


 しかし、萌音も愛の好き勝手にはさせないつもりだ。青い石を守ろうと右手を強く握り、背中に乗る愛を振り落とそうともがいた。


「うるさい! 黙れ!!!」


 しかし、愛は振り落とされぬ様に体重をかけて萌音の動きを封じる。萌音が手を強く握るなら、指をほどいて奪うのではなく、萌音の手を床に強く打ち付けて、痛みによって開かせようとした。


「開け!! 開け!! 開け!! 開け!!」


 愛は何度も何度も萌音の手を床に打ち付ける。


 本性を現した萌音から突然の豪雨の様に浴びせられた罵声や暴力は、愛の心の中にあった萌音への尊敬の念や、"愛"を失わせ、怒りだけを残した。


 その怒りの強さの分だけ、萌音の手を打ち付ける力も強くなる。



 だが………



 どんなに愛の力が強くなっても、やはり未だ英雄の力を持たない身だ。出せる力は人間の限界を超えられなかった。



 だが………



 相手は見た目は人間でも、バケモノだ。人間の限界を超えられる者だった。


「ウグァァァァアアアッッッ!!!」


 突然、野獣の雄叫びの様な声で萌音は叫んだ。その力は強まり、愛を背中に乗せたまま萌音は立ち上がった。


「ハッ!!」


 ……とした愛は、咄嗟に萌音の首に腕を回し、振り落とさられぬ為に頑張った。だが、


「痛ッッ!!」


 萌音の首に回した腕に強烈な痛みが走った。だから、愛は背中から床の上に落ちてしまう。木床は固くて痛い。腕に走った痛みと、背中に走った痛みが合わさって愛の視界は一瞬白む。

 そして、白みが無くなった時、最初に見えたものは


「………ッ!!」


 真っ赤な血を垂らす自分自身の腕だった。


「何これ……」


 腕に痛みが走ったのだから攻撃を受けたのは分かる。攻撃を受けたのだから血を垂らしているのも分かる。もし、傷口が刃物で切られた様なものだったならば、愛は『何これ……』とは言わなかったろう。

 しかし、そうじゃないから愛は『何これ……』と言ったのだ。では、愛の腕に残された傷口はどんな形だったのか。それは、"獣に噛み付かれたかの様な大きな歯形"だ………


「何これ……」


 愛はもう一度呟く。歯形なのだから、きっと萌音に噛み付かれたのだろう。しかし、"獣に噛み付かれたかの様な"なのだから、人間のものとは思えない。


「もう許さん……」


 ポタ……ポタ……


「………」


 愛の驚きは止められた。萌音の怒りに満ち溢れた声と、床に液体が落ちる音がしたからだ。


「………」


 愛は自分の腕から視線を移し、まずは音がした方を見た。

 すると、そこには真っ赤な血があった。

 ポタ……ポタ……と、小さな血が二滴。いや、ポタ……ポタ……は、まだ続く。三滴、四滴と落ちてくる。

 その出所を知ろうと、愛は視線を上げた。


「あっ……」



 ……………



 ………………………



 ………真田萌音のニッコリとした笑顔は歯並びの良い白い歯が見える快活で愛嬌のある笑顔だ。初対面の人間がこの笑顔を見たら、第一印象で感じやすい『大人っぽい』や『冷静そう』という印象は薄れるだろう。

 そして、萌音はよく笑う人物だから、彼女と親しくなると第一印象の二つの印象は消えていく。


 でも、もう萌音は快活で愛嬌のある笑顔を見せられないだろう。何故なら、歯並びの良かった彼女の歯は、鋭く尖った犬歯の生えた物に変わり。白く美しかったその色も、愛の血によって毒々しい赤に変わってしまったのだから………


「ねぇ……桃ちゃん」


 萌音の喋り方は、再び激昂から"無"へと変わった。その顔もまた"無"へと変わる。


「私さ、やっぱり自分一人で何とかするよ……」


 萌音は口元を濡らす血を拭った。


「だからもう、桃ちゃんに協力は頼まない……」


 そして、言う……


「私………決めた。桃ちゃんを殺すって」

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