第7話 バイバイね…… 34 ―歯を食いしばれ!―

 34


「………」


 芸術家がアイシンから離れると、萌音は無言でアイシンの腕に手を伸ばし、彼女を起き上がらせた。

 真田萌音は、地面を這い回る隙だらけの芸術家に追撃をしようとはしなかったのだ。何故なら、萌音が用のある人物は芸術家ではないから。


 用があるのは、アイシンの方だ。


「先……輩……」


「………」


 アイシンが起き上がると、萌音はしゃがみ込み、アイシンの顔を正面から見詰めた。その姿はホムラギツネのものから、真田萌音自身の姿へと変わる。


「先輩……人間の姿に……」


「歯……食いしばれ」


「………え?」


 そして、人間の姿に戻った萌音は大きく手を振り上げて、


 ピシャリ………


 アイシンの頬を強く叩いた。


「しっかりしろ、桃井愛!!!!!」


 それから、萌音はあらん限りの声でアイシンを怒鳴った。これは、怒りよりも愛情の強い怒鳴りである。

 この事は、怒鳴られるアイシンだけでなく、セイギ、ユウシャ、ボッズーにも伝わるものだった。


「何を……何をメソメソ泣いてるんだよ!!」


 萌音はアイシンの肩を掴み、彼女の体を強く揺さぶった。


「桃ちゃんは何? 英雄じゃないの? それなのに何をメソメソと……人類を救うのが英雄の役目だろうが!!」


「だって……」


 アイシンが反論しようとしても、萌音は遮る。


「だってじゃないだろ!! 言い訳するくらいだったらしっかりやれ!!! 私が言ったか? 私が、輝ヶ丘の皆を犠牲にして、それでも生きたいって!! そんな事、言ったかよ!!」


 萌音は自分の胸を強く、二回、三回と叩いた。


「言ってないだろ!! 桃井愛、強くなれ!! 英雄になった覚悟を持て!! 私は、私の命で皆の命が救えるなら、いつでも命を掛けてやるよ!! だって、輝ヶ丘は私の宝物なんだもん!!」


「でも……」


「でもじゃない! 良い? 桃ちゃん……これから桃ちゃんは何度も辛い戦いをしなくちゃいけないかも知れないんだよ!! その度に泣くの?泣くなよ!! 泣いてたって何にもならないんだから!!」


 萌音は自分の胸を叩いた手で、今度はアイシンの胸を叩く……


「桃ちゃんの愛で、皆の命を守るんだよ!! 泣かずに胸張って、力強くさ!!」


 いつしかその言葉も、言い方も、叱責から励ましへと変わる。萌音は伝えたいのだ。"最期に"自分の想いを……


「だって強いんだから桃ちゃんは! 桃ちゃんの愛は最強だよ!! 私が保証する!! 桃ちゃんは誰にも負けないよ!! だから、世界を守ってよ!! …………ね?」


 そして、萌音は願いを掛ける様に、アイシンを強く抱き締めた。


「桃ちゃんなら出来る! 桃ちゃんなら出来るからさ!!」


「先輩……」


「ほら、泣くなって! 仮面つけてても分かるんだからそんなの! 泣くな! 泣くな! 世界を救え! 桃井愛! ……いや、ガキアイシン!!」


 萌音はアイシンの背中に回した手で、アイシンの背中をドンッ! ドンッ! と叩いた。それは、気合いを入れる様でもあり、涙を流すアイシンを慰める様でもあった。


「ふふっ!」


 そして、萌音は大きな笑顔を浮かべると再び立ち上がる。スカートに付いた小さな土を払いながら。


「まっ……その姿を近くで見る事が出来ないのは、ちょっと残念だけど。でも、良いや。天国で……いや、地獄でか? ははっ! どっちでも良いや! どっちかで見守ってるからさ!!」


 ………そう言い残すと、萌音は歩き出す。芸術家に向かって。



 ……………



 ……………………。



「あぁ~♪ あった♪ あった♪ ここにあった♪ こんな所にまで飛ばされていたなんて♪」


 どうやら芸術家は筆を見付けられたらしい。


「私がさっきまで座っていたベンチの足の裏に隠れていたなんて♪ なんとまぁ奇遇♪ よいしょ♪」


 ……と、芸術家は筆を取り立ち上がるが、この後再び落としそうになる。だって、


「やぁ、芸術家! 筆は見付かった? 良かったね!」


 立ち上がり、振り返ったすぐそこには、真田萌音が立っていたのだから。


「あっ♪」


 そして萌音は芸術家の首に右手を、筆を持つ手に左手を伸ばし、力を込めてガッ! っと掴んだ。


「芸術家! 今まで散々痛め付けてくれたね……この恨み、はらさでおくべきか! ってとこかな?」


「な……やめっ」


「やめないよ! アンタ、桃ちゃんに何回『やめろ』って言われた? それでもやめなかったよね? だから私もやめない!」


 萌音は芸術家を掴む力を更に強めた。


「ねぇ芸術家、アンタ覚えておいた方が良いよ。つか、後悔した方が良い。散々、桃ちゃんを侮辱した事! その行いはいつか自分に返ってくるから……」


「な……何の話だ」


 芸術家は萌音から逃れようと踠くが、萌音の力は強い。逃げられない。


「何の話って……ガキアイシンは強くなるって事! そして、いつかアンタをブッ倒すって事!! 後悔したってもう遅いよ芸術家!!」


「な……何をぉ」


「あぁ~煩い煩い!! さて、何処に行こうか! あっ、あそこが良いな! 私、結構学校に想い出あるし! 最期にするなら丁度良いや!」


 そう言って萌音は芸術家を強く引っ張り、瓦礫の山になってしまった校舎に向かって歩き始めた。



 ……………



 ……………………。



「ホムラ……いや、真田さん」


「あっ、鳥ちゃん!」


 萌音は校舎に向かう途中、ボッズーの横を通った。

 そのボッズーは、両手を地面について立ち上がろうとしている。


「あっ……大丈夫? 立てる?」


 萌音はフラフラとしているボッズーが心配で声をかけるが、ボッズーは


「う、うん。大丈夫ボズよ……」


 ……と言って一人で立ち上がってみせる。

 それから、ボッズーは萌音に向かってこう言った。


「真田さん、ありがとうボズ。アイシンを助けてくれて」


「ううん……」


 この言葉に萌音は首を振る。


「それは、こちらこそだよ。私が桃ちゃんに怪我させる前に駆けつけてくれてありがとうね!」


 萌音はニコッとボッズーに笑顔を送った。


「あの子はこれからも手のかかる子かも知れない。けど、諦めずにこれからもサポートしてあげてね! お願いね!!」


「う、うん」


 萌音はボッズーにそう言い残すと、再び歩き出す。


「あっ……待ってくれボズ! 何処に行くんだボズ?何をする気なんだボズ?」


「ふふっ、それはね……"倍返し"、かな?」



 ……………



 ……………………。



「真田先輩!!」


 萌音がボッズーと離れてから暫くすると、ユウシャが駆け寄ってきた。


「先輩、何をするつもりですか?」


 そう問い掛けるユウシャは、萌音の行く手を阻む様に彼女の前に立った。


「何って? それはこっちの台詞だよ。君こそ何をするつもり? こっちは芸術家を連れてるの、歩きにくいんだから、邪魔しないでそこを退いてくれる?」


「………」


 萌音は『退いて』と言うが、ユウシャは退こうとしない。


「もう……」


 そんなユウシャに萌音は溜め息を吐くと、少し右にズレて歩き出す。……と同時に、芸術家の首をグイっと捻り早足になる。


「先輩、待って下さい……血迷わないで下さい。さっきのセイギの提案を覚えていませんか?」


「提案? 何それ?」


 ユウシャは萌音を追い掛けてきた。でも、"真っ白な岩"に押し潰されていたせいだろう、足を引きずっていて歩く速度が遅い。ユウシャは萌音の後ろを歩くしかない。


「ですから……すぐにアイシンが輝ヶ丘を救いますから、その後に俺達はあなたに魔法の果物を与えて……」


「あぁ、もうちょっと耐えろってヤツ?」


「そうです! 人間の姿に戻った今のあなたなら、それが出来ますよね?」


 この言葉に萌音は素早く首を振る。


「無理無理、無理だよ。人間に戻れても無理なもんは無理。自分の体だもん、残された時間が後どれくらいなのか、私が一番分かってる!」


「そんな……」


「君だって、私を止めようとしているなら今の私が何をしようとしているのかが分かってるんでしょ? それだけ私の時間は残り僅かだって事だよ。もう付いてこないで……危ないよ」


 萌音はそう言うと、後ろを振り向きユウシャに笑顔を向けた。


「つか、君……青木くんだよね? 違ってたらゴメンだけど、そうだよね?」


「………は、はい」


 突然の質問だったからか、ユウシャは素直に頷いた。


「やっぱりそうか。君、桃ちゃんと密会してるって噂だったもんね。その理由は二人が英雄だったからなんだ。桃ちゃんとは色んな話をしてきたから付き合ってるってのは無いなぁとは思ってたんだけど、そういう事だったんだね! まっ、そんなのは良いとして、それじゃあ中高の先輩として、私にアドバイスさせてよ!」


「アドバイス……?」


「そう! あのさ、君、見た目に似合わず熱血なのは良いとして、戦い方がワンパターン過ぎるよ! あれじゃあ、私みたいな強いバケモノには勝てないなぁ!」


 ユウシャに顔を向けたまま喋る萌音の言い方は、からかう様ではあるが、その目は真剣だ。


「ワンパターン……ですか」


 その為、厳しい言葉を言われたユウシャはドキリとしたのか、立ち止まってしまう。


「うん……折角、手足が長いんだからさ、そっちも活かした方が良いんじゃないかな? 桃ちゃんなんか、パンチパンチで凄かったよ。青木くんはキックとかどう? 足も速いんだし、走り回ってバンバンっみたいなのも良いんじゃない? ははっ! なんてね……素人考えでした! それじゃあ、これからも桃ちゃんの事をヨロシク!!」


 萌音はそう言うと、更に早足になる……


「あっ……ま、待って下さい!!」


 それは意地悪なくらいの速さで、足を痛めたユウシャでは絶対に追い付けない速さだった……



 ……………



 ……………………。



「君……せっちゃんだよね?」


「えっ……」


 次に萌音の前に立ったのはセイギだった。


「だから、君、せっちゃんだよね? 赤井正義のせっちゃんであってるよね?」


 セイギが喋り出す前に萌音が問い掛けたのは、ずっと気になっていた事。



 ……………



 ……………………。

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