第5話 化け狐を追って 4 ―柏木の一人称―

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 やっと終わった……


 こんなに長時間働いたのは始めてだ。


 芸術家からは『輝ヶ丘が閉鎖された後も普段通りの生活をしろ』と言われていたが、私は私自身を嫌な人間ではないと自負している、"普段通りの生活"なんて無理だ。罪悪感を紛らわす為に仕事をしなければならなかった。

 明日は休みを取っている。しかし、これだけ働けば、明日は眠っている内に一日が過ぎるだろう……


 それにしても、少し無茶なスケジュールを立ててしまったな。疲れた……ん? 少し? いや……大分だな。

 しかし、大分無茶なスケジュールでも、流石私だ。疲れていようが、完璧な接客、完璧な商品の提供を怠る事なく出来た。途中、完璧過ぎてニヤけてきてしまった事はお客様に申し訳なく思う。


 はぁ……それにしても、腹が減っているな。そこのコンビニに寄ろうか。流石に三個目の牛丼はキツイ、野菜が欲しい。

 疲れもあるからサラダチキンも購入しよう。


 ん? チッ……そうだった。月曜日のこの時間帯だとあの気に入らない店員がいる日だった。おい、お前……客が入ってきたなら『いらっしゃいませ』だろう。ブスッとした表情でレジに立っていれば良いと思っているのか? せめて品出しくらいしたらどうだ?


 はぁ……ここのコンビニの店長はいったい誰だ。部下の教育がなってないぞ。空腹がむかっ腹を立てて痛くなるくらいだ……

 腹が立つ。サッサとこんな店出よう。


 さて、サラダは何にしようか。シビ辛ドレッシングのロメインレタスのサラダか……うん、これが良いな。これにしよう。サラダチキンは……ハーブが良いな。これが一番旨い。


 そうだ。仕事中、『終わったら酒が飲みたいな』と思っていたな。どうしようか? 今はそんな欲よりも、睡眠欲の方が勝っているな……今はただ眠たい。止めておくか……帰宅したらすぐに飯を食い、すぐに寝よう。明日は休み。酒を飲むなら明日……いや、明後日だな。

 明後日になれば、ここ最近私を煩わせていた悩みも無くなるのだから。

 明後日には心の解放が訪れる。

 その日の酒の方が上手い。祝杯だ。そうしよう……そうしよう。


 因みに、明後日の予定はなんだっけ?またバイトか……まぁ仕方がない。それでも良い。


 チッ……レジが大分並んでいるな。あの馬鹿店員、サッサとヘルプを呼べよ。商品をノロノロと打っている暇があったらヘルプを呼べ。他の店員も何をやっているんだ。もう一つのレジを開けろ。本当に馬鹿共のあつまりだなこのコンビニは……はぁ……まぁ良い。この馬鹿共に苛つくという事は、この馬鹿共と同じ土俵に立ってしまっている事の現れ。もっと心の広い人間にならねばな。


 あ、私の番か。やっとだ。え? 『暖めますか?』だと? 何を暖めるのだ? 私が持っているのはサラダとサラダチキンだぞ? では、チキンの方か? 馬鹿だな本当に……可愛そうな奴だ。このチキンはそのまま食べる物だ。そんな知識も無しに今まで生きてきたのか? この馬鹿……見てくれ高校生くらいか。高校生は一番嫌いな年代だ。腹が立つ……だが、『いいえ』ただそれだけ答えておこう。


 私は私自身を嫌な人間ではないと自負している。私は人を許せる人間だ。

 さぁ、夕飯は調達した。後は帰るだけ。


 嗚呼……しかし、足元がふらつくな。何処かで仮眠を取る時間を設けておけば良かった。

 眠い……眠過ぎる。


 おっと……躓きそうになってしまった。危ないな。気を付けて歩かなければ。


 しかし、大通りはまだ良い。明かりが強いから足元が良く見える。でも、ここからはそうはいかないな。

 何故、大通りから本郷五丁目に入るには、このガード下を通らねばならないのだ。

 このガード下、本当に嫌いだ。暗くて、ジメジメしていて、更に人通りも少ないからお化けが出てきそうだ。しかも、トンネルの様に長い……嫌いだ。今日の私では、こんな暗い場所では転んでしまうかもしれない。


 嫌だな……せめて一緒に通ってくれる人が居れば……馬場さんに電話をして迎えに来てもらおうか?


 ふっ……そんな訳にいくか。眠過ぎて思考がおかしくなっているな。


 さて、行かなければ。


 ……ん? 向こう側に人が立っている。シルエットしか見えないが、男だな。背が高い。頼もしい。嗚呼……良かった。こっちに向かって歩いてきている。あの人が向こうから来てくれるなら暗くて長いガード下でも一人じゃない。頼もしいな。


 さぁ、それならば行こうか。

 ここを抜けて、サッサと家に帰って、夕飯を食べ、寝よう。他には何もしたくない。疲れたぞ、私は。


「アンタ……柏木って男で間違いないよな?」


 え……? 何だ? 向こう側から歩いてきた男が急に話し掛けてきたぞ……そして、何故、私の名前を知っているのだ?


「今、輝ヶ丘で起きてる事件にアンタ関係してるよな?」


 もう一つ声がした。少年の声だ。その声は私の背後から……


 嗚呼、なんて事だ、驚いた……


 振り向いた私の目の前には、驚くべき事に、赤い英雄が、立っていた。

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