第1話 約束の日は前途多難 5 ―少年の気付き―

 5


「正義の味方?」


 男は「はあっ?」と口を大きく開いた。


「おいおい、お前本当に大丈夫か? 俺さ、警察嫌いだからさ関わるの嫌なんだよね、頼むよ」


「え……あ……そ、そうなんですね! 警察怖いですもんねぇ!」


 少年の焦りは終わらない。まだまだ目的地までは遠い。もし『ここで降りてくれ』と言われたら堪ったものではない。


「いえ、でも、本当に大丈夫です! 俺、本当に家出じゃないですから! なんだったら母ちゃんに電話かけます? 確認取ってもらっても良いですけど!」


 と少年がスマホを取り出そうとすると、男は手を払った。


「いや、それは良いや。後でで……本当に家出じゃないんだな? そうじゃなければ問題はない。すまんな、疑って」


「後で? はぁ……いえ、こちらこそお騒がせしてごめんなさい」


『後で……』とはどういう意味だろうか?少年は疑問に思ったが、それ以上に思ったことがある。

 それは、タマゴへの怒りだ。


 ― このやろぉ……"コイツ"が頭突きなんかすっから、お兄さんに不審がられたじゃねぇか!勘弁してくれよな!


 だが、その頭突きのお陰で男からの"約束"に関しての質問は止まった事は確かだ――信号は青色に変わり、男の車は再び発進する。


「で、さっき急に叫んだりしてさ、どうしたの?」


「あっ……へへ! いやいや、何でもないっすよ! おでこ掻いたら爪でガリッてやっちゃって……あぁ~血ぃ出なくて良かったぁ~!」


 少年は赤くなったおでこを指差しながら、下手な芝居でそう言った。


 ―――――


 勇気はパンを一口噛り、快晴の空を見上げた。そこには真っ赤に燃える太陽がある。勇気には、その太陽が親友の顔に見えて仕方がなかった。


 ― 桃井はあぁ言うが、お前はどう思う? 俺達は今もまだ友と言い合える関係なのか? もう何年も会ってないな……不思議だよ、ムカつく程に遊んだ筈なのに今のお前がどんな顔をしているのか俺には分からない


 ― もし……もしだ、もし……"今日"、俺達が失敗をしたとしたら……お前はどうする? もしも明日が絶望の未来ならお前は


 ― いや、無粋な質問だな……分かってるよ。お前は、きっと戦う道を選ぶんだろう? そういう奴だよな、お前は。諦め知らずというか……あの頃と変わらないお前なら、その選択をする筈だよな……


 ― 俺は……もし明日が、俺達が望む明日じゃなかったら、俺は……いや、お前となら、どんな事でもやってのけられる……そんな気がするよ


 ―――――


 暫くすると男はタバコに火をつけた。


 静かな車内に煙を吐き出す音と、車が揺れる音だけが響く。

 男に誤解を受けてから、少年のニカッとした笑顔も大人しくなり、車内の空気は重い。男との会話も止まってしまっている。


 そんな中、少年は首を動かさずに目線だけを車内に滑らせていた。

 

 ― う~ん……お兄さんと何か話さないとなぁ。このまんまじゃ逆に失礼だよな。変なヤツだって思われちまったし……何を話したら良いんだろ? 何か話題に出来る事はないかなぁ?


 一度静かになってしまうと、軽妙に続いていた会話も嘘みたいに、少年は話し掛けるタイミングも、話題も、何もが分からなくなってしまっていた。相手は親しい友人でもない、初対面の男だ。それは仕方がない。

 それでも少年は諦める事なく、まだまだ話題探しを続けた。


 ― う~ん……車ん中には何も無いなぁ。飲みかけのペットボトルに、タバコが一つ……他には何も無い。ラジオでもかけてくれたら何か話題が作れそうなんだけど……つか、このトラックってお兄さんの私物なのかな? さっき俺の車って言ってたもんなぁ。プライベート用なんて事は無いよな、やっぱり仕事用? 運送業なら昼間でも仕事終わりって事も有り得るかもだし、やっぱりそういう事だよな? 仕事中だったら俺なんか乗せてる暇ねぇもんな……それにしても、簡素な車内だな。俺の勝手なイメージだけど、トラックの運転手の車ん中って、もっと仕事道具とか私物とかでゴチャってるイメージだったなぁ。キレイ過ぎる程キレイつーか本当に何にも無いや………ん?


 少年は眉をしかめた。

 そして、男の足元を指差す。


「あれ? それって『ダンボールジョーカー』の人形じゃないっすか?」


「ん?」


 男も眉をしかめる――アクセルを踏む男の足元にソレはあった。ソレは1、2cmくらいの小さな人形。

 茶色くてクルクルとした髪と、白い肌に真っ赤な鼻、そして銀色のつり上がったサングラスの様な目。おそらくデフォルメされているのだろう、頭と体はほぼ同じくらいの大きさで、アニメのキャラクターだろう、大人の持ち物というより子供っぽい雰囲気がある。

 人形のポーズも強面の男のイメージには似合わないダブルピースをしている。


 男はソレを見付けると呟く。


「なんだこれは……」


 少年はその声を聞き逃さなかった。


「ん? お兄さんのじゃないんですか?」


「ん……あ……あぁ……もしかしらこの間乗せた女の物かも知れないな」


 男がそう答えると、少年は 「え?」と首を傾げた。


「ん? なんだよ?」


「あっ……いやいや、てっきりお兄さんのお子さんの物かと思ったから」


「……俺の子供?」


「はい、これって『仮面バイカーシリーズ』の最新作のヤツなんすよ。『仮面バイカーダンボールジョーカー』。男の子向けのヒーロー番組です。まぁ、最近は女の人でもハマる人いますもんね! イケメン多いし! 俺の妹も大好きなんすよ、『ダンボールジョーカー』! へへっ!」


 少年が笑顔でそう返すと男は、


「はぁ……そうか……だが、俺には子供はいない」


 無表情でそう言った。


「そうだったんすね! すんません!」


 少年は平謝りをすると、人形をよく見る為に背中を丸めてダッシュボードの下を覗き込んだ――頭をポリポリと掻きながら。


「なんだ? そんなに興味があるのか?」


 屈み込む少年の後頭部を見詰める男は、迷惑そうに眉間に深い皺を刻んだ。この時、少年たちの乗る車は赤信号にさしかかった。男は車を停止させる。

 すると、少年は「へへっ! ちょっと良いですか?」と人形に向かって手を伸ばした。


「お……おい! 勝手な事するなよ!」


 男は戸惑う。だが少年は、


「へへ! すいません、すいません! ちょっと気になっちゃったもんで!」


 とまた平謝り。


「気になる? 何でだよ?」


 男の眉間に、更に深くて濃い皺が刻まれた。

 だが、少年は男の顔を見ようともしない。ただ熱心に、ひっくり返した人形の足の裏を見ている。


「おい!」


 男がもう一度声をかけると、


「あ、やっぱり!」


 少年は人形から目を離して、ニカッとした笑顔を男に向けた。


「は? 何がやっぱりなんだ!」


 男の声は段々と荒ぶってきている。


「へへっ! これ、やっぱりコンビニくじのヤツですよ! ここに書いてある!」


 少年は男に人形の足の裏を見せた。


「は?」


「ほら、よくやってるじゃないですか! 700円くらいで買えるヤツ!」


「あ……あぁ……だからなんだよ?」


「いや、だからって何でも無いんですけどね! もしかしぇ~って思って!」


「はぁあ?」


 男は大きく顔を歪めた。

 しかし、今回も少年はそれを見ていない。

 見ているのは、人形の頭の天辺に付いた丸い金具。


「やっぱりなぁ~! これ、元々キーホルダーですよ! 本当はココにチェーンが付いてた筈――」


 少年は人形に付いた金具を人差し指で叩いた。


「――でも壊れちゃったんだな。もったいねぇ。人気あるんすよ、コレ! 去年の今頃かなぁ?妹に散々買わされて、一回700円じゃないっすか! めっちゃ金飛んじゃって! へへへっ!」


 と笑いながら、少年はやっと男の顔を見た。


「あれ……?」


 男はポカーンとした顔で少年を見ていた。

 既に怒りを通り越して呆れたのだろう。


「あ……すみません。なんか俺、一人で暴走してましたね、すんません」


 少年は苦笑いを浮かべた。


「いや……別に良いけどさ、ソレ、そんなに好きなのか?」


 男は人形を指差した。


「あぁ、俺じゃなくて妹がっす!」


 少年がそう答えると、


「そうか……じゃあやるよ」


 男は貧乏揺すりの様にハンドルを指先で叩きながら言った。


「え……でも、これって彼女さんのですよね?」


「は? 彼女?」


「はい。だって、さっきお兄さん『女の』だって」


「あ、あぁ……そうだったな。でも彼女じゃない。どうせ捨てるさ。いらないよ。やるよ」


 男の返事は素っ気ない。少年から顔も反らして見ていない。


「いやいや、でも……」


 少年は戸惑った。そうは言われても元々は誰かの物、そう簡単に貰う事は出来ない。が、少年はすぐにニカッと笑った。


「へへ! 分かりました! 俺が貰います! で、その女性ひとに俺が返します!」


「はぁ?」


 少年の思わぬ一言に、男はまた口をポカンと開けることになった。


「何言ってんだ? そんな事出来る訳ないだろ!」


「へへっ! いや、会えると思うんですよ! お兄さんと出会ったんですから!」


 少年は最後にもう一度「へへっ!」と笑った。


「そうかよ……そうだな。俺も会えると思うよ」


 男は呆れ返ったのか、冷たくそう言うと車を発進させた。


「あ、そだ。もいっこ良いですか?」


「なんだよ……」


「この車ってお兄さんの私物ですか?」


「あぁ……そうだけど」


「そっかぁ。仕事用ですよね? 今日もずっと乗ってるんですか?」


「そうだよ……昨日の夜中からずっとな」


「そうなんですねぇ、あっ! じゃあ、お腹空いてますよね! 乗せてもらったお礼です!」


 少年はリュックからアンパンを取り出して、ダッシュボードの上に置いた――男の横顔を鋭く睨みながら。

 

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