第1話 約束の日は前途多難 6 ―突然ッ!―

 6


「いやぁ! 眩しぃっすね~」


 空に燃える太陽がルームミラーに反射して少年の目をくらませた。

 結局男は少年があげたアンパンを食べる事はなかった。

 あれから暫くして、少年たちの乗る車は大きな国道へと入った。この道を抜ければ目的地の輝ヶ丘に着く。


「へへ……そろそろっすね!」


 少年はまだチカチカする目を擦りながら男に向かって言った。


「そうだな……」


 男は少年に空返事で答えると、30分程前に自販機で買ったボトルコーヒーの最後の一口を口に含んだ。


「あのさ……ちょっと、悪いけど、寄り道してもいいかな? すぐそこなんだ、そんなに時間はかからないからさ」


「えぇ、別に構わないですけど」


 男の突然の頼みに少年がケロっとした様子で答えると、男は車を脇道へと進めた。


 ―――――


 脇道へ入っていくと、男は一言も話さなくなった。歯軋りをしているのかゴリゴリという鈍い音が少年の耳に届く。

 少年がチラリと見ると、ハンドルを握った手は指先だけが紅く染まり、手首を見ればぼっこりと筋が浮かんでいて、男が強い力でハンドルを握っている事が分かる。


 黙っているのは少年も同じだ。少年は静かに前を見据えているだけ。明るい笑顔の似合う彼は今はここにはいない。その目付きは鋭く尖っている。

 少年の左手は赤いダウンジャケットのポケットの上に添えられていて、ポケットに入れた『ダンボールジョーカー』の人形をポンポンとリズムよく叩いている。


 車外は薄暗い、それは快晴の空を木々が隠してしまったから。

 男が進んだ脇道は舗装のされていない砂利道で、車が進む度に木が周りを囲み始め、快晴の空を隠してしまった。

 車一台通るのがやっとのその道は人気ひとけも無く、不気味な雰囲気が漂い始めている。


 だが、少年はその不気味さにも動じない。

 ただ冷静に車外の様子を眺めているだけ、まるで『予定通り』とでも言うように。


 この時、ゴソゴソと少年が抱くリュックが動いた。少しだけ開けていたリュックの口を少年は見下ろす。すると、タマゴが少年の顔を見詰めていた。


『大丈夫なのか?』


 タマゴが声を出さずに動かしたクチバシからはそう読み取れた。

 少年はそんなタマゴに向かってコクリと頷く。それから、二本あるファスナー内の一本を手に取った。

 現在ファスナーは指が四本程入るくらいには離れていて二本共が天辺近くにある。

 少年とタマゴはその少し開いた隙間からコンタクトを取っていたのだが、少年は運転席とは反対の左側の一本をゆっくりと左下部まで引き下ろした。


「おい……何やってんだ」


 車が揺れた。


 少年が一瞬視線を前方へと移すと、フロントガラスの向こうは木々の群れが薄くなり、更に左斜め向こうには何やら拓けた場所が見えた。


「おい……」


 男が車を止めてもう一度声をかける。


「いえ、はは……別に何も」


 少年が作り笑いを浮かべながら男に振り向くと、



 突然――



「うっ………!!!」


 ――男の拳が少年の顔面を打った。


 突然の暴力は、痛みよりも驚きの方が大きかった。だが、少年の決して低くはない鼻に熱い感覚が込み上がってくる。そして、着古したジーンズの上にタラリと血が落ちた。

 少年は殴られた衝撃と、吹き出た血を抑えようする反射的な行動で右手で顔を押さえながら頭を下げた。


 すると、その首筋に冷たいものが当たった。


 刃物だ……


「動くな……動いたら、分かるな?」


 男の問い掛けは少年に答えなど求めていない。


 ゴソッ……再び少年のリュックが動く。

 タマゴが少年の危険を察知したのだ。しかし、少年は開いたリュックの口を左手で握り閉じてしまった。


「まだだ……まだ動くな」


 少年はリュックに向かって囁いた。


「なにぃ?」


 その言葉が自分に向かって発せられたと思ったのだろう、男は更に強く少年の首に刃物を押し当てる。


「やめましょうよ……」


「はぁあ?」


 男の顔が醜く歪んだ。


「俺……抵抗しませんから、だから……そのナイフ仕舞って下さい」


 囁く様に言った少年を男が醜い顔で笑う。


「あぁ? お前、何言ってんだよ? お前が俺に命令出来る立場だと思ってんのか?」


 男はナイフで少年の首筋を二度叩いた。


「どっちが上か分かってんだよな!!」


 男は少年に怒鳴った。怒鳴りながら、ナイフの柄を持った手で少年の右のこめかみを打った。


「うっ……」


 漏らしたくも無い声が漏れ、鈍くて響く痛みが流したくもない涙を流させた――殴られた衝撃で、押さえていた右手は外れて血だらけの顔が露になる。


「ハハッ!!」


 一発目の殴打で出血した鼻血が少年の下半分の顔を真っ赤に濡らし、口の周りは吐血した様に赤く染まっている。そんな少年を男が馬鹿にした様に笑った。

 そして少し離れた少年の顔を髪を掴んで引き戻すと再び首筋にナイフを当てる。


「おい……どうなんだよ?」


「分かってますよ……分かってます……」


 喋ると少年の口に血が流れ込んでくる。

 少年は伏せていた顔を男へ向けた。


「だから、本当に……」


 少年は、願いを最後まで言葉にせず 『ナイフを持つ手を離してくれ……』と男へ視線を合わし、眼差しで訴えた。


「言うこと聞くんで……お願いします……」


 消え入るような少年の声。


 男は生唾を飲み込む。

 男は一瞬考える素振りを見せ、舌打ちをすると、少年の首筋にナイフを置いたまま少年のリュックを無理矢理奪った。


「とりあえず、このリュックは渡してもらう……」


 少年は男に向かって頷いた。


 男が雑に持ったリュックは開け口の前方をダラリと垂らし、その中からタマゴの顔が見える。


 タマゴに援護を求めれば助かるかもしれない。

 しかし、少年はしない。タマゴと目が合うと左の瞼を一回閉じただけ。するとタマゴは、少年を助けるどころか怒りの表情を消し、"人形"へと戻ってしまった。


「なんだよコレ、意外と重いな…」


 男はリュックの中を見た。すると、男はまた馬鹿にする様に笑った。


「おいおい、大事そうに抱えてるから何か良い物でも入ってるかと思ったら、ただの玩具かよ……ガキくせぇ」


 目線を下げたまま吐き捨てる様に言った男の顔を少年は睨んでいた。

 少年の瞳には怯えなど無い、そこにあるのは精悍さそのもの……少年はダウンジャケットの上から『ダンボールジョーカー』の人形を強く握った。

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