第2話 狐目の怪しい男 4 ―ストーカー男が何をしたのか―
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「じゃあ、それで……」
『じゃあ、それで解決?』と正義は聞こうとした。だが……
「でも、今度は萌音ちゃんなんだよ……」
「え? 真田先輩??」
「そう……ストーカー男は今度は萌音ちゃんの周りをうろつき始めたんだよ。でもね、ストーカー男が萌音ちゃんを狙い始めた理由は一方的な恋心じゃない。もっと酷いもの。男の逆恨みだったんだよ」
お婆ちゃんはまたお茶を飲んだ。そのお茶は正義の手当てを終らせてすぐに入れたお茶。今の一口で湯呑みに入れた分は全部飲んでしまったのだろう。お婆ちゃんは湯呑みをもんじゃを作る時に使う鉄板の敷かれた机の上に置くと、机の端の辺りに置いていた急須を手に取って新たに湯呑みにお茶を注いだ。
「男は彩華ちゃんにメールや電話をするだけじゃなくて、やっぱり付け回してもいたんだろうね。だから分かったんだろうね。彩華ちゃんが萌音ちゃんに相談をしていた事を。男が言ったんだよ。『お前が彩華を誑かしたのか! お前が彩華に俺がストーカーだって吹き込んだんだろ! 俺は一度お前が遅刻した事を咎めた事があったよな! それを恨んでお前は俺を嵌めたんだろ! 一人だけ有名になって良い思いをして、許せない!』って……」
「え? ちょ……ちょっと待って、バッチャン、それってどういう経緯?」
正義は突然ストーカー男の台詞が入って驚いた。お婆ちゃんの話が急にスキップして別の章にいった感じがした。
「あっ……ごめんね。やっちゃったね。順を追って話すって言ったのに気持ちが入り過ぎて順番を飛ばしてしまったよ」
正義が感じた通り、お婆ちゃんは話をすっ飛ばしてしまったみたいだ。
「へへっ! やっぱそうか! で、それってどういう経緯なの? 男が怒鳴り込んできたの?」
正義がそう聞くと、お婆ちゃんは再び話を順番通りに戻した。
「いんや、怒鳴り込んできたと言うかね、あのね、警察が男に警告をして男が彩華ちゃんの前から姿を消してからどれくらい経った頃かな? ……そうだ。丁度萌音ちゃんが有名になり始めた頃だよ。毎日毎日忙しくしていた萌音ちゃんがね、ある日私の所に『最近毎日誰かに見られてる気がする』って相談に来たんだよ。私は最初、あの子に変なファンが付いたんじゃないかって心配したんだけど、萌音ちゃんは『違うと思う』って言うの。『彩華をストーカーしてた男をこの前見かけた。あの男だと思う』って言うんだよ。でもね、彩華ちゃんの時と違って、その時は証拠が無くてね。私達は暫く様子を見る事にしたんだよ。『何かがあればすぐに警察に連絡すれば良い』って思っていたからね。でも、それから何日くらい経ってからかなぁ? 一週間は経ってないよ。たった数日だね。塾の帰り道を一人歩いていた萌音ちゃんの前に、現れたんだよ。男が……」
「………マジか」
正義にもお茶は出されている、喉の乾きを感じた正義はお茶をゴクリと飲んだ。
「その時の男はね強盗が被るみたいなマスクを被っていたんだよ。頭から被って目だけが見えるマスク。分かるかな? それと、ナイフ……」
「ナイフ……!! マジかよ……」
正義は唇に湯呑みを当てたまま固まった。今は二口目を飲んでも何も味はしないだろう。話の展開が想像していたよりも深刻な内容になってきていたから。
「しかも運が悪い事にね、あの子いつもは自転車で通学しているのに、その時は自転車の鍵を失くして歩きだったんだよ。でも、不幸中の幸い。あの子はこの店に来ようとしている途中だったんだ。必死に走って、この店に逃げ込んだんだよ」
「………ここに」
固まっていた正義はゆっくりと湯呑みを机の上に置いた。
「うん……それでね正義ちゃん。逃げ込んだ萌音ちゃんを追い掛けて男がこの店に入った瞬間、男がさっきの言葉を叫んだの。『お前が彩華を誑かしたのか! お前が彩華に俺がストーカーだって吹き込んだんだろ! 俺は一度お前が遅刻した事を咎めた事があったよな! それを恨んでお前は俺を嵌めたんだろ! 一人だけ有名になって良い思いをして、許せない!』って……」
「なるほど、そういう事ね……で、その後は?」
正義は生唾をゴクリと飲み込み、机の下で拳を握った。
正義はまるでお婆ちゃんが話すその時のこの山下に自分も居る気持ちになっていた。『お婆ちゃんと真田先輩を守る為に自分だったらどう動くか……』そんな事を考えながら。
「私は萌音ちゃんが血相を変えてお店に入ってきた瞬間に萌音ちゃんをあっちの方に逃がしたの……」
お婆ちゃんは帳場の後ろにある二階の住居へ上がる為の階段の方向を指差した。
「……それから私は怒鳴ったよ。男に向かって『今すぐここを出ていけ! 警察を呼ぶぞ!』って。男は一瞬怯んだよ。でも、すぐに男は『うるさい!』って私に怒鳴りながら向かってきた。この時の私は必死だよ。『萌音ちゃんを守る為になら何でもする』って思っていたからね。これでも昔々は柔道をやっていたんだよ。だから今でも男の一人や二人投げ飛ばせると思っていたんだけど……ダメだった。歳を取るのは嫌だね。男を投げるどころか、男に向かう途中で躓いてしまって倒れてしまってね。危うく男に馬乗りになられそうになったんだ。もし、あの時男に馬乗りにされていたら刺されていたかも知れない……ゾッとするよ……」
ここでお婆ちゃんは黙った。顔はその時の恐怖を思い出しているのだろう。青ざめている。
「………」
正義はその後どうなったのか気になったが、お婆ちゃんが再び口を開く時を待った。その時のお婆ちゃんが感じた恐怖を正義は容易に想像出来た。だから『催促して話してもらうのは違う』……そう思ったんだ。
「本当に……怖かった。あの時は本当に……」
お婆ちゃんはか細い声でそう言って、お茶を啜る様に飲んだ。
「でもね……助けてくれたんだよ」
「……助けてくれた? 誰が?」
お婆ちゃんの声のボリュームに合わせる様に、正義の声もまた小さい。
「萌音ちゃんだよ……二階に逃げたと思ったあの子が私に乗り掛かろうと屈み込んだ男の顔を勢い良く蹴ったんだ。『お婆ちゃんに手を出すな』って言ってね……」
お婆ちゃんは湯呑みを両手で持って少し猫背気味な姿勢で湯呑みの中を見詰めている。だから正義からはその顔が完全には見えない。今、お婆ちゃんがどんな顔をしているか正義には分からない。
でも、正義は『お婆ちゃんが泣いている……』と思った。何故なら、お婆ちゃんは何度も何度も鼻を啜ったから。
「……萌音ちゃんに蹴られたら男のマスクが少し捲れてね。全部じゃないけど顔が見えて、頬っぺが真っ赤になっていたよ。そして、男はすぐにこの店から出ていった。反撃されるとは思っていなかったんだろうね。へっぴり腰になりながら萌音ちゃんに向かって『お前への恨み、一生忘れないからな。覚えておけ!』って捨て台詞を残してね……はぁ……それにしても嫌になっちゃうね。歳を取るのは」
正義は当たっていた。お婆ちゃんは小さな溜め息を吐きながら顔を上げると目頭を拭った。やっぱり泣いていたんだ。
「ふふ……」
でも、すぐにお婆ちゃんは笑った。
「正義ちゃん……あの時は本当に怖かったよ。でも、あの後すぐに萌音ちゃんと笑い合ったのよ」
「笑い合った? そんな怖い思いをしたのに?」
「そう……だって男が出ていった後、萌音ちゃんが言ったんだよ。『私、お婆ちゃんに助けを求めて山下に来たのに、気付いたらお婆ちゃん助けちゃってたよ!』って。ビックリした顔をしてね。だから二人で笑っちゃったの」
その時と同じ笑顔だろう、お婆ちゃんは大きな笑顔を見せて笑った。
「後で聞いたらあの子、二階に逃げようとした時に『ダメダメ』って思ったって言うのよ。『お婆ちゃんも連れていかなきゃ』って、そして戻ってきたら私が男に襲われかけてて、気付いたら足が出てたって」
「そっか、真田先輩って勇気のある人なんだね」
「そうだよ。すごく優しい子だし、愛情もある子だよ。キラキラした目をしているんだ。あっ、正義ちゃんの目も同じ。優しい目。キラキラしている目だね」
「俺の目も? 俺の目ってキラキラしてるの?」
「してるよ。愛ちゃんも勇気ちゃんも一緒だね」
「えぇ! 愛は分かるけど勇気もかよ!」
「そうよ。四人ともとっても良い子の目をしているのよ」
「へへっ! 良い子か! バッチャン、あんまり褒めると俺照れちゃうぜ!!」
と正義は言うが、もうとっくに照れている。でも照れてはいるが、まだまだお婆ちゃんに聞くべき事があるのを正義は忘れてない。
「で、バッチャン? その後男はどうなったの? 警察には通報したんでしょ?」
「あぁ……それがねぇ」
この正義の質問にお婆ちゃんの顔は困り顔になった。
「この頃ね、萌音ちゃんは夢に向かって第一歩を踏み出したばかりの頃だったんだよ。今あの子パソコンで見れるニュースで記者をやっているんでしょ? その誘いが来たばかりの頃だったの。だからトラブルがある子だって思われるとその話が立ち消えになってしまうかもって思って、私の独断で通報するのは止めたんだよ。男も痛い目見たし、塾の講師をしていたくらいの男だから頭は悪くないだろう? これ以上悪さをすれば自分がどうなるか考えられると思ったんだ……でも、それは間違いだったみたいだね。まさか怪文書を書いていたのがあの男だなんて……」
お婆ちゃんは反省をするように肩を落とした。
「いや、バッチャンは間違ってないよ。その判断はバッチャンの優しさだもん。間違っているのはストーカー男だ! ヨシッ!」
正義は突然立ち上がった。
「ストーカー野郎は俺達が絶対にブッ倒す!! 任せてよ!!」
意気揚々の面構えの正義。だが、お婆ちゃんは
「ダメだよ、変な事には首を突っ込まないでって言っただろう?」
「あっ!」
正義はうっかり忘れていた。お婆ちゃんには『そんな事しないよ』と言っていた事を。正義はうっかり"普通の人間としての自分"じゃなくて、"英雄としての自分"で発言をしてしまったんだ。
「あぁ……えぇっと……」
正義は困って髪の毛をガシガシと掻いた。
「正義ちゃん……」
お婆ちゃんは子供同士の喧嘩を見守る時と同じ目をして正義の顔を見詰めた。
「わ……分かってるよ」
正義は昔からお婆ちゃんの"この目"に見詰められると弱いんだ。
「そ、そういう気持ちが湧いてきたってだけで本当にはやらないよ……変な事には首を突っ込まないって……へへへ……」
いや、正義は首を突っ込む。英雄として《王に選ばれし民》と戦わなければならないから。でも、お婆ちゃんの前ではそれは言えない。
「ね……ねぇ、バッチャン……コ、コーラある?」
言えないし、嘘で誤魔化し、更にコーラを買って誤魔化す。『そんな自分が嫌になる……』そんな風に思いながらも、正義は財布から二百円を取り出した。
………それから正義は、真田萌音が何故塾を辞めたのかをお婆ちゃんに聞いた。その理由を正義はお婆ちゃんの話を聞きながら予想していたのだが、それは予想通りのもの。
「ストーカー男は塾の場所を当然知っているだろ?塾に通い続ければ、もしまた男が変な事を考え出した時、また襲われてしまうかも知れない……『だからだよ』って萌音ちゃんは言っていたよ」
意外な理由ではなかった。
「でも、あの子は元々頭が良い子だからね。独学でも大学に合格出来たし、今思えば、あの頃は夢への第一歩を踏み出したばかりの時。塾に通うよりも好きな事に時間を使えて良かったんじゃないかな」
そうお婆ちゃんは語った。
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