第6話 剥がれた化けの皮 18 ―愛の涙は枯れる事なく流れ続ける―
18
「何で先輩は《王に選ばれし民》の仲間になんかなっちゃったの?」
愛の口から本音が漏れた。そして、同時に愛の歩みは止まる。
「ん? 桃ちゃん、何よ急に?」
ホムラギツネの歩みも止まった。背後からで顔は見えないが、その口調からはどうやら笑っているみたいだ。
「どうして……どうして私は、先輩をホムラギツネだなんて呼んでるの? 何で先輩をバケモノだって認めてるの?」
愛はホムラギツネと戦いながら『先輩はバケモノになったんだ。私が大好きだった先輩はもういないんだ』と自分自身に言い聞かせていた。でも、人間の感情は思考では変えられない事の方が多い。長年慕っていた先輩を敵と思うには、萌音と過ごした時間は長過ぎた……
『泣いてはいけない。今は涙を流してはいけない……』と思っていても、愛の瞳からはポロポロと涙が流れてきてしまう。
愛の心は限界だった。愛は、英雄に選ばれた者として目の前で起きる出来事に必死に対処してきた。『輝ヶ丘の人々を守る為に、お婆ちゃんを守る為に、私は戦わなければいけない……』と、認めたくない事実を認めて、必死に戦っていた。愛は戦う覚悟を決めていたのだから即座に動けた。しかし、今は次にどう動けば良いのかが分からなかった。どう動けば良いのかが分かれば、体がまず動き、考える事を止められる。しかし、今は次にどう動けば良いのかが分からない。思考し続ける愛の中で、確かに固めた筈の覚悟の合間を縫って、迷いが今、表面に出てきてしまったのだ。
でも、これが愛の本音。
人間、桃井愛の本当の気持ちなんだ。
愛は本当は認めたくはないのだ。真田萌音がバケモノになったなんて。真田萌音が大好きだから。真田萌音を愛しているから。
「やっぱり……嘘だなんて思えないよ。先輩はやっぱり先輩だもん。ねぇ、先輩。お願いだからバケモノなんて辞めて、元の先輩に戻ってよ……私、聞いてます、バケモノは悪に心を乗っ取られ、破壊を好み、命を弄ぶ、邪悪な思考を持つ者だ……って。でも、それは《王に選ばれし民》が洗脳するとか、心を操るとか、そういうんじゃなくて、元々の悪人を《王に選ばれし民》がバケモノに選ぶから……らしいんです。でも、元々の悪人って何ですか? そんな人間いるんですか? 悪人になった人は善人……ううん、善人じゃなくても"普通"にはならない、戻らないんですか?」
愛の本音が決壊したダムの様に放出され始めた。
「何なの急に……萎えるなぁ」
「だって、やっぱり私は先輩とは戦いたくないもん。味方になってほしかったくらいなのに……ねぇ、何でこんなになっちゃったんですか? やっぱり………お父さんの事があったからですか?」
「へぇ、そんな事まで知ってるんだ。よく調べてるじゃん」
ホムラギツネの口調からは笑みが消えた。
「私、先輩が昔の先輩に戻れるなら何でもします。悪い心を持っちゃった人間が、もう普通には戻れないなんてそんな事絶対にないですから。特に先輩に限っては……絶対。だって、先輩は良い人だったもん。先輩が首を振っても意味ないよ。私はずっと先輩を見てきた。だから知ってるんです。今の先輩が何を言っても、私は先輩は良い人だったって言い続けますから……」
「私も知っているよ。萌音ちゃんは良い子だよ……」
お婆ちゃんだ。お婆ちゃんは、萌音の背中に手を伸ばすと、優しくゆっくりとその背中を擦り始めた。
「私は詳しくは何も知らないけど、私も愛ちゃんに同意だよ。はじめから悪い人間なんかいない。何か、心が傷つく出来事に萌音ちゃんは触れてしまったんだね? 苦しんでいたんだね? そうなんだろ? ……ごめんね、何も気付いてあげられなくて」
「何だよ二人共……急にさぁ。萎えるって……やめてよ」
「やめません……私、先輩とは分かり合いたい。あぁ……この石が先輩を元に戻す石だったら良かったのに。先輩の心に悪があるなら、私はそれを取り除きたい。それが出来るなら私、祈ります。先輩を助けたい、先輩を愛してるって気持ちで」
愛の頭の中で、真田萌音との想い出が幾つも幾つも駆け巡った。
馬鹿話をして笑い合った日々、美味しいものを食べて喜び合った日々、時には叱られたりもして『先輩のバカヤロー!』と思った日もある、逆に萌音の優しさが心に染みて涙を流した日も……
その一つ一つは他人からすれば平凡なもので、特別とは思えない日々だろう。でも、愛にとっては特別なんだ。
特に、敵同士として睨み合う現在では、二人で過ごした日々は更に掛け替えのない想い出になっていく………愛は取り戻したいのだ。萌音と笑い合える日々を、喜び合える日々を……
「そっか……桃ちゃんは本当に良い子だね。バケモノになっちゃった私でも愛してくれるんだ」
愛の気持ちが伝わったのか、萌音の口調が穏やかなものに変わった。
「勿論ですよ……私は先輩を愛してます。助けたいんです」
「そっか……」
萌音はふざける様に上げていた両手を下ろした。そして、その手の中に顔を埋める。まだホムラギツネのままの体が、小刻みに揺れ始める。
「先輩……」
背後からだからその顔は見えないが、愛は感じた。『先輩が泣いている』と。
愛が持つ《愛の心》が、バケモノとなってしまった真田萌音の《悪の心》を浄化したのだろうか。
「桃ちゃん……ありがとう。本当にありがとう。こんな私を愛してくれて。私、本当に嬉しいよ」
「いいえ……お礼なんて要りません。それより、先輩。変身を解いてもらっても良いですか?」
愛は自分の気持ちが萌音に伝わったと思った。だから、萌音の背中から石を持った手を離した。それから、萌音の正面に回ろうとお婆ちゃんをつれてゆっくりと歩き出す。
「愛ちゃん、良かったね。これで萌音ちゃんとまた仲良く出来るね」
お婆ちゃんも愛の気持ちが萌音に伝わったと思ったのだろう。嬉しそうに笑って、虚ろだった目にも少しだけ活力が戻ってきている。
「うん……本当に」
愛はお婆ちゃんの言葉にコクリと頷いた。それから、萌音の顔の方を見上げながら足を進める。
「ねぇ、先輩。私、まずはお婆ちゃんに治療を受けさせてあげたいんです。だから、輝ヶ丘を囲っている物を…………え?」
正面に回って萌音の顔を見た愛は固まった。
「…………」
お婆ちゃんもそうだ。
「フフフ………」
何故なら……萌音は泣いてなどいなかったからだ。泣くどころか、萌音は笑っていたのだ。それも唇をニヤリと歪めた不敵な笑みで。そして、言う。
「桃ちゃん、本当に、本当にありがとう。祈ってくれて」
「え……?」
「えっ……って。今、その石に祈ったじゃない?」
萌音は……いや、ホムラギツネは愛の右手に握られた青い石を指差した。
「いの……った?」
愛の心臓の鼓動は早くなる。心を満たしていた安堵感や幸福感は一瞬にして消えた。
「そんな……え? 嘘……そんなまさか」
愛はそのつもりはなかった。祈ったつもりじゃなかった。しかし、ホムラギツネは不敵に笑う。その笑みを見れば分かる。それは人間としての笑みじゃなく、バケモノとしての笑みだと。そして、この笑みを見て愛は理解する。『私は術中にはまってしまった……』と。そして、
「熱いっ!!」
突然、青い石が熱を持った。炎を直接手に持たされたのではないかと思える程の熱さに……愛はあまりの熱さに思わず石を落としてしまう。
その光景を見てホムラギツネは更に笑った。
「フフフ……そうだよ。熱いんだよ。熱い……熱いよ……私の体も熱くなる!! 力が……力が漲る!!! 輝ヶ丘は燃えるんだぁッ!!!!!」
「そんな……そんな……嘘だ……嘘だよ!!!」
愛がどんなに拒否したくても、現実は嘘には変えられない。
「ギィーーーェーーー!!!」
これから輝ヶ丘を燃やす炎を表現するかの様に、ホムラギツネの体の毛は逆立った。
そして、人間と完全に決別する萌音の心を表すかの様に、顔を隠していた仮面は真っ二つに割れて、地面に落ちた。
仮面が落ちた後のホムラギツネの顔には、人間だった頃の名残はない。目は細く鋭く吊り上がり、鼻は高く狐そのもの、口は裂けて口角が耳の近くにまで広がっていた。その口からは巨大な牙か何本も見える。
腕もそうだ。もう人間じゃない。人間の腕と同じ形だった筈なのに、そこには逆立つ毛が覆い尽くしていた………
「ギィーーーーェーーーー!!!!」
「お願い先輩! 嘘って言って!! ………あッ!!!」
泣き付く様に近付いた愛をホムラギツネは撥ね飛ばす。
細く吊り上がった瞳は血走り、大きな牙を持つ口は痙攣しているのかと見紛う程にガチガチと震えている。
「ウゥゥゥゥ………」
威嚇する獣の様な唸り声を発したかと思うと、ホムラギツネは両手を地面につけた………そして、それこそ獣だ。四足歩行で跳ねる様に走り出した。
「そんな……そんな……」
ホムラギツネは、山下の戸を壊し、町へと飛び出していく………この一連の動作に、人間的な知性は一切感じられない。
「嘘だ……嘘だよ……」
この光景を、愛は呆然と見ている事しかできなかった。
「どうして……どうして……」
呆然と座り込む愛にはもう立ち上がる力は残されていないのか。
「愛ちゃん……」
お婆ちゃんが抱き締めても、愛の涙は枯れる事なく流れ続ける…………
第三章、第6話「剥がれた化けの皮」 完
―――――
第三章、第6話「剥がれた化けの皮」を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
人間を捨ててしまった真田萌音……愛よ、泣いていては何も変わらない、立ち上がるんだ。
次回、第7話「バイバイね……」
お楽しみに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます