第7話 バイバイね…… 2 ―先輩との想い出は数えきれない程にある―

 2


「私……私……とんでもない馬鹿だ……」


「愛ちゃん……」


 嗚咽まじりに涙を流す愛を、お婆ちゃんは強く抱き締める。


 涙は悲しみを表す物。


 愛の涙は止まらない。流れ続ける。


「先輩とは、もう分かり合えないのに………それなのに……夢見て……このままじゃ、私のせいで輝ヶ丘が燃えちゃう」


 愛は涙でグシャグシャになった顔を何度も何度も拭うが、大粒の涙が止めどなく流れてくる。


「馬鹿だよ……馬鹿過ぎる……」


 愛はそんな自分に腹が立っていた。

 涙を流す自分に、無力な自分に。


「私は何も出来ない……先輩を止める事も、輝ヶ丘を救う事も……泣いてる場合じゃないって分かってるのに………」


 愛は自分自身を殴る様に、また涙を拭った。


「私、バケモノに会ったら、絶対にブッ飛ばしてやるって思ってた。みんなに悪い事をする奴を絶対に許せないって思ってた……でも、先輩がバケモノだって知ったら、出来なかった。一度は先輩にも怒れたのに、倒してやろうって思えたのに……でも、結局は出来なかった。先輩を……守りたいって思っちゃった。でも、そのせいで輝ヶ丘が………馬鹿だ……本当に私は馬鹿だ……」


「馬鹿な事あるかい……」


 自責の言葉を吐く愛に、お婆ちゃんは首を振る。


「愛ちゃんは、萌音ちゃんを元のあの子に戻したいと思っただけじゃないかい。それのどこが馬鹿なんだい……」


「だって……」


「良いかい……悪いのは《王に選ばれし民》だよ。愛ちゃんじゃない。愛ちゃんは、萌音ちゃんに"愛"を伝えただけ」


「愛……?」


「そうだよ。愛ちゃんは、萌音ちゃんと話している時に、萌音ちゃんを愛していると思っていたんじゃないのかい?」


「そう………だけど」


 愛は頷く。しかし、愛は思う。『だけど、だったら何で?』と。


「だろ? さっき愛ちゃんは言ったね。一度は萌音ちゃんに怒ったって? だけど、守りたいと思ってしまったんだろ?」


「うん……」


「それは"愛"だよ。"愛"以外にないよ。それは馬鹿な事じゃないんだ」


「だけど……」


「何だい?」


「だったら、何で私は……」


 愛はここから先の言葉を口にはしなかった。何故なら、『だったら、何で私は英雄になれないの?』と続くから。


 しかし、愛が口にしなくても、お婆ちゃんは分かっていた。


「何で英雄になれないのか……だろう?」


「え……」


 愛は驚いた。『何故、お婆ちゃんがその事を知っているの?』と。


 すると、その顔を見て察したのだろう。お婆ちゃんはこう言った。


「ふふ……私、倒れている間に夢を見たんだよ」


「夢?」


「そうさ。夢だよ。愛ちゃんが英雄になって戦っている夢だ。そして、目を覚ましてみたら本当に愛ちゃんは戦っていた。驚いたよ……驚いている間に、ごめんね、酷い目にあったね」


 お婆ちゃんは愛を抱き締める手を少し離して、愛の首筋に手を当てると、首を絞められた痕の残る場所を優しく擦った。


「愛ちゃんの戦う姿は英雄そのものだったよ。だから、私の中では愛ちゃんはもう英雄だ。でも、他の英雄さん達とは違って戦う姿にはなれないみたいだね?」


「………」


 愛はこの質問にどう答えたら良いのか分からなかった。自分が英雄に選ばれた者だという事は秘密にしなければならない事だから。


 でも、お婆ちゃんはすぐに察した。

 お婆ちゃんは人の心の動きに敏感だからだろう。今、自分が答え難い質問をしてしまったとすぐに気付いたんだ。


「ふふ……そうかい。分かった。愛ちゃんが英雄なのは秘密なんだね? そうなんだろう? じゃあ、ここから先は私の独り言だ。私の独り言を聞いてくれ」


 お婆ちゃんは、今度は愛の顔に手を添えて、愛の涙を拭った。


「前に愛ちゃんは、私に『愛を持つにはどうしたら良いか?』……そんな様な事を聞いたね? もしかして、"愛を持つ"……この事が、愛ちゃんが戦う姿になる為の鍵なんじゃないのかい? ………あっ、良いよ。答えなくて。これは私の独り言だ」


 お婆ちゃんは愛の涙を拭った手で、今度は愛の頭を撫でた。優しく、ゆっくりと。我が子を可愛がる様に。


「あの時、私は『愛ちゃんはもう"愛"を持っている子だよ』って答えたね。でも、これじゃあ愛ちゃんが求めている答えには足りなかった……すまないね」


 お婆ちゃんは愛に向かって頭を下げた。


「ううん……」


 これに、潤んだ瞳の愛は首を横に振る。


 愛は、お婆ちゃんの言葉を噛み締める様に聞いていた。そんな愛の瞳には、ほんの少し希望の光が戻ってきている。


「ふふ……」


 お婆ちゃんはその光を見て安心したのか、小さく微笑む。そして、話を続けた。


「愛ちゃんは、"愛"を持っている子だ。それは確かだよ。でも、さっき愛ちゃんは『みんなに悪い事をする奴を絶対許さないって思ってた』と言っていたね。もしかして愛ちゃんは、ずっと心の中に"怒り"を持っていたんじゃないのかい?」


「怒り……」


「そうだよ、怒りだ」


「………」


 愛は一瞬考える。そして、コクリと頷いた。


「かも……しれない。私、《王に選ばれし民》もバケモノも、みんなギタギタにしたいって思ってたから……」


「やっぱり、そうかい……」


 お婆ちゃんは納得した表情。それから、お婆ちゃんは一旦咳払いをすると、こんなアドバイスを愛に語り出した。


「そのせいかもねぇ……」


「そのせい?」


「うん……ねぇ、愛ちゃん。怒りってものはね、"愛"から生まれる事が多いって知ってるかい? それは、他人への"愛"だったり、自分への"愛"だったり、色々なんだけど。でも、それ自体は別に悪い事じゃないんだ。怒りは"愛"を伝える力にもなるからね。でも、上手に付き合わないと、怒りは時に、"愛"にとって毒にもなるんだよ」


「毒……?」


「そう……怒りは"愛"を伝える力にもなるかと思えば、上手に制御しないと"愛"を忘れさせて心の中を怒り一色にしちゃうんだよ。しかも、如何せん元々は"愛"から生まれた怒りだから、怒っている本人も心の中が怒り一色とは知らずに、"愛"を持って動いていると勘違いしてしまう。だから戦争はなくならないんだ。愛ちゃんもきっと、そうだったんじゃないかな? 始まりは"愛"を持って《王に選ばれし民》を『許せない』と言っていたのに、気付かない間に怒りだけを持って『許せない』と言っていたんじゃないかな?」


「怒りだけ……そうだったのかな?」


「萌音ちゃんに愛を伝えた時を思い出してみな。その時は怒りがあったかい?」


「どうだろ……」


 愛はまた一瞬考える。だが、今度は首を横に振った。


「ううん……あの時は無かったと思う」


「そうかい……」


 お婆ちゃんは『やっぱりね……』という様な顔をした。


 それから、お婆ちゃんは愛の腕を取る。

 それは左腕。腕時計が巻かれている腕だ。


「この腕時計、正義ちゃんや勇気ちゃんの腕にも巻かれていた物と同じだねぇ。私は愛ちゃんがどうやって戦う姿になるのかは分からないけど、もしかして、この腕時計に何かすれば戦う姿に成れるんじゃないのかい?」


「え……うそ……ははっ」


 愛はこの質問に驚いた。驚いたと同時に、思わず笑ってしまった。もうその瞳の中に絶望はない。愛はお婆ちゃんによって絶望の淵から救われたんだ。だから笑える。まだ満面の笑みではない小さな笑みだが、愛はまた笑顔を浮かべられるようになったんだ。


「……お婆ちゃん、鋭すぎるよ。スゴ過ぎ」


 この言葉に、お婆ちゃんも笑う。


「ふふ……正解だったかい?」


「うん……」


 愛は素直に頷く。『もう隠しても仕方がない』と思ったんだ。


「それなら、萌音ちゃんに愛を伝えた時にこの腕時計を使っていたら、愛ちゃんは英雄の戦う姿に成れた筈だよ」


 そして、お婆ちゃんは自信を込めた言い方で力強くこう言った。


「愛ちゃん……萌音ちゃんに愛を伝えた時みたいに、"愛"だけを持って、腕時計を使ってみな。輝ヶ丘と萌音ちゃんを救うのは愛ちゃんだよ。素敵な英雄さんに愛ちゃんは成るんだ」


「愛だけ……を?」


 お婆ちゃんの言葉を受けた愛は、腕時計を見る。その顔には少し、不安が浮かんでいる。


「今の私に出来るかな……また、"愛だけを"……って」


「出来るさ。その方法は愛ちゃん自身が知っている筈だよ。萌音ちゃんに愛を伝える事が出来たんだから。思い出してみな、どうやったのか」


「うん……」


 愛は一瞬考えた。


 しかし、答えはすぐに出る。そんなに昔の事じゃない。ついさっきの事だから。


「そうか……簡単だ。先輩の事を想えば良いのか」


 愛はそう呟くと、目を瞑った。

 瞼の裏には、思い出そうとしなくても思い浮かぶ。萌音との想い出が。楽しかった日々が。萌音の笑顔が。

 その想い出は自然とお婆ちゃんとの想い出にもなっていく。萌音と愛は数えきれない程の時間を山下で過ごしたから。お婆ちゃんと萌音と笑い合った日々が愛の瞼に浮かんでくる。

 無くしたくない日々、取り戻したい日々……それは、萌音やお婆ちゃんとの日々だけじゃない。正義や勇気やボッズー、果穂や瑠璃、友達との日々。父や母、家族との日々………愛が輝ヶ丘で過ごした十七年間の想い出が幾つも幾つも浮かんでくる。

 そして、愛は思った。『輝ヶ丘は私の宝物だ』と………


 …………………



 …………………………暫くして、愛は瞼を開いた。

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