第6話 剥がれた化けの皮 6 ―目は口ほどに物を言う―

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「もう少しで24時間切るからね……終わりにするんだよ」


 そう言った私に、彼女は『どういう事?』と問い掛けた。

 でも、私は知っている。彼女は私の言葉の意味を分かっている事を……

 だから私は問い掛けた。


「何でこんな事をするの?」


 ……と。


 しかし、答えてはくれなかった。


 でも、私は分かっていた。今の彼女が素直に自分の罪を認める訳がない事を。


 でも、私は賭けたかった。私が昔から見てきた彼女は、素直で良い子だったから。


 でも、駄目だった。彼女は暗く鋭い目付きで私を睨むだけ。


 …………いつからだっただろうか? 溌剌としていた彼女の瞳が、愛情に満ち溢れていた筈の彼女の瞳が……暗く、鋭く変わってしまったのは?

 何故、もっと早くに彼女の変化に私は気が付かなかったのだろう。


 いや、


 私は気付いていた。けれど、別の意味に捉えてしまっていた。『学校に、受験に、記者のお仕事に、忙しい日々を送る彼女は疲れているのだろう。まともに寝てはいないのだろう……』と、彼女の生活環境のせいだと思ってしまっていた。


 いや、


 思っていたのではなく、"思い込もうとしていた"のかもしれない……良い子だった彼女が変わってしまったと認めたくはなかったから。

 だから何度も問い掛けた。『ちゃんと寝てるのかい?』と。

 だけど昨夜、寝不足や疲れてなどではないと分かってしまった。


 昨夜、彼女は『私のヒーローになって』……そう言って制服のジャケットのポケットから、まるで宝石の様に輝く青い石を取り出した。


『これは赤い石の存在を消す事の出来る石なんだ。でもね、この石には愛情が必要なの。「誰かを守りたい、誰かを愛してる」そんな気持ちを込めながら石に祈らないといけないんだ。だから、カヨちゃんは私の為に祈って。私を守りたい、私を愛してるって思いながら……ね?お願い?』


 そして、彼女は私に青い石を渡した。


 私は悩んだ。彼女の言葉を一度は信じようとした。でも、信じられなかった。私は彼女の瞳の奥に"悪"を感じてしまっていたから。


「目は口ほどに物を言う」と昔から言うが、私は長年の経験からこのことわざが嘘ではないと学んでいた。

 数十年も店を経営していると、様々な子供たちが店に来た。その出会いの中には、悪さをしてしまう子供もいた。その子供たちには共通するものがあった。それは、その子の目をジッと見れば分かるもの。

 瞳の奥に、暗く重たい泥の様な闇が見えるのだ。これを私は"悪"と呼んでいる。


 見えると言っても本当に見える訳ではないし、"感じる"と言う方が正しいから、他人からすれば私の思い込み、勘違いとする人もいるだろう。

 だが、この自論は正しいと私は譲らない。これは私の長年の経験から学んだ不抜の信念だから。


 私はこの信念を元に生きてきた。"悪"を持つ子供がいれば、その子が道を踏み外さぬように、時には私から声を掛け、相談を持ち掛けられれば愛を持って応える。そう生きてきた。


 私は思う。『人に生まれ持っての悪人はいない』と。『与えられるべき愛情を与えてもらえなかったり、心が傷つく出来事に触れてしまう……そんな経験が人の心に"悪"を持たせるのだ』と。


 だから、愛が足りない子、傷付いた経験のある子には、出来る限りの愛情を贈れば、その子の"悪"は消える。愛もまた愛を受けた人の心にしか生まれないから。

 私の店に来る子供は皆、私は自分の子供と思って接してきた。その子供たちには不幸になってほしくない、道を踏み外してほしくない………だから今、目の前の彼女が道を踏み外す最後の一歩手前なら、強引にでも引き戻さなければならない。愛を贈らなければならない。


 いや、


『贈らなければならない』ではない。私は彼女に愛を贈りたいのだ。


「昨晩、アンタは私に嘘をついたね。『青い石は赤い石を消滅させる』これは嘘なんだろ? 私にはお見通しだよ。これが嘘なら、本当は何が起きるんだい? 逆かい? そうなんだろ? アンタの言う通りに私が石に祈れば、輝ヶ丘に悲劇が起きる……そうなんじゃないのかい? 何でこんな事をするんだい? 何かあったのなら、私に話しな。だからもう終わりにするんだよ。《王に選ばれし民》の手先なんてやってちゃいけない。でも、何かがあるんだよね? 良い子だったアンタがこんな事をするなんて何か理由があるんだろ? ねぇ、私に話してごらん。何でも相談に乗る。私は出来る限りの事をするから……ねぇ、答えて……」


 しかし、


 この二度目の問い掛けも、ただ首を振られるだけだった。


 でも、このままでは終われない。私は彼女の手を取った。言葉で伝わらないなら、体を使って愛を贈らなければ。


「お願い、やめて……私がついているから。ねぇ、前にこんな話しをしたの覚えてる? あれは私が風邪を引いて一人で寝込んでいた時だったね。あなたは店が何日も閉まってると弟くん達から聞いて、駆け付けてくれたんだよね。その時言ってくれたよね。『嗚呼、これじゃあ私の時間がもっと無くなるな。学校に勉強に仕事に、更にカヨちゃんの顔を見に私は山下に通い続けなきゃいけなくなった』……この言葉に対して、私は嬉しいと思いつつも『何で?』と聞いたね。そしたらあなたはこう言った。『だって、今回は風邪だったから良かったけど、もっと重たい病気だったらカヨちゃんはきっと孤独死するもん。だったら第一発見者が必要でしょ? だったらそれに私はなる』って。この言葉、他人が聞けば失礼な発言と取るかもしれない。でもね、私は分かっていたよ。これはあなたの愛情表現だって。この言葉通り、あなたは毎日、毎日、お店に来てくれたね。私の体調を心配してなんだろ?その愛がとっても嬉しかったよ。だから私も、あなたにあげたい。私の愛を」


『私の気持ちよ伝われ……』と願いながら、私は彼女の手をギュッと握った。


 でも、その手は振り払われてしまう。


 その瞬間、彼女の顔は変わった。瞳の奥にあった"悪"が顔全体に広がってしまったのだ。目は鋭く吊り上がり、表情はどんよりと暗い。まるで悪霊に憑かれた様な顔だ。


 この顔を見た時、私は自分自身の間違いに気が付いた。昔の彼女はもう遠い場所へ行ってしまった事に気が付いた。彼女を引き戻すには、私ではもう無理なんだと気が付いてしまった。

 笑顔の"仮面"は捨てられた。幼かった頃から知っている笑顔の似合う彼女はもう存在していなかった。

 私の目の前にいる彼女は、私達に隠していた裏の顔を露にして吐き捨てる様に言った……


「黙れ………ババア」

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