第1話 少年とタマゴ 2 ―桃井愛の不安は何故なのか?―

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 輝ヶ丘かがやきがおか


 それは日本のどこかにある、どこにでもある普通の町。

 いや普通とは少し違うか、ほんの少し特別なのは今から数十年前の開発よって、住宅、交通、興行施設を兼ね備えられた俗に言うニュータウンという事だけ。


 都心より少し離れてはいるが、交通の便もよく「住みたい町ランキング」というものにも毎年選ばれる場所でもある。

 町を見守るように、緑が繁り、自然も豊かな町。


 そして、この町には創立二十年を迎えるマンモス校「輝ヶ丘高等学校」がある。

 元々は町に住む子供たちを入学させるのが狙いの高校であったが、三年前に校長が変わり教育にも力を入れ始め、まだ進学校とは言いがたいが、国立大にも毎年現役で合格する生徒を数名ほど出せるようになっていた。


 ここに通う一人の女子生徒がいた。


『桃井愛』


 それが、彼女の名前だ。

 少し小柄な彼女は、本来であれば大きな瞳の美しい顔をしているのだが、今は浮かない表情。

 少し下を向いて歩いている。


 俯き加減で歩いてはいるが、その足取りは急いでいて、重くなく、速かった。

 前髪を少し残して後ろで一本に結んだ髪がゆさゆさと揺れている。


 彼女は校門をくぐると、足早に自分のクラスの教室へと入った。


 二年A組。

 それが彼女のクラスだ。

 教室に入ると、友人が声をかけてきた。

「おはよう!」友人がそう言うと。

「おはよう……」彼女も挨拶を返した。

 その挨拶は微笑みながらではあったが、元気はない。


 自分の席に着くと、彼女は考え深げに窓の外を見た。

 窓の外には雲一つない青空が広がる。

 その青空を見て、普通の人ならば晴れ晴れとした気持ちになるだろう。

 だが彼女はそうじゃない。

 何かを怖がる様な、心配する様な、そんな表情で空を見ている。


 暫くすると愛のクラスの担任教諭が教室に入ってきた。

 今日も一日の始まりを告げるチャイムが鳴り。

 今日もHRが始まった。

 一日の始まり、学生にとっての日常。

 いつもと同じ、日常。


 だが、愛はHRが始まってからも気分もそぞろで全く集中していなかった。

 担任の話も耳には入らない。

 ただ眉間に皺を寄せ、空を見る。

 そして時折、黒板の横に掛かったカレンダーを見て今日の日付を確認する。

 そしてそのまま視線を斜め上に動かし、黒板の上にかけられた時計を見て、時間を確かめる。

 それだけでも不思議な行動だろう、けれどそれだけじゃない。

 愛は黒板の上の時計で時間を確認した筈なのにもかかわらず、自分の左腕につけた文字盤の大きな腕時計に目を落とす。

 そして何か思い詰める様な顔をして、再び空を見上げる。

 その繰り返し、繰り返し……


 愛は一人呟いた


「いつもと同じ、いつもと何も変わらない……本当に"今日"なの? 本当に……」


 そしてまた日付を確認しようとカレンダーに視線を移した時、


「おい、桃井!……桃井!!」


 担任のその声に、ハッとして愛は我にかえった。


「あ……すみません。先生……何でしょう?」


 愛は視線をチラチラと動かしながら椅子から立ち上がった。


「何でしょう?……じゃないだろ! どうした? 寝不足か? 桃井にしては珍しいじゃないか」


「あ……いえ、何でもありません。大丈夫です」


愛は笑って誤魔化した。


 彼女自身、成績自体も上から数えた方が早いくらいで、普段であれば授業態度も良好なのだが、

今日は『それどころではない』という感じであった。

 担任はそんな愛に気が付いたのか、少し意地悪そうな笑みを浮かべると愛に向かって言った。


「そうか、なら今日が何の日か言ってみろ!」


「え……"今日"……ですか!! それは……」


 愛は虚を衝かれた顔をして立ち竦んだ。

 担任が発した『今日』というワードが彼女の心を揺らしたのだ。


― どうして……なんで先生が知ってるの? 今日は……今日……は……


 愛は担任の問いに答えられなかった。何も。


 その時間はほんの一瞬であったが、愛にとってはとてもとても長い時間に思えた。


 ねっとりとした汗が額に吹き出て、手のひらも汗で濡れる……


「どうしたの……愛? 大丈夫? ボーっとして? 今日は、輝ヶ丘大防災訓練の日でしょ……」


 それは、愛の隣の席の生徒。

 立ち竦んだままの愛に気付いて、先生に聞こえぬよう小さな声で教えてくれたのだ。


 愛はその声を聞くと

「あ……」

 っと息をもらした。


 教えてくれた友人に苦笑いを浮かべると、口パクで「ありがとう」と伝え、担任に


「すみません! 今日は大防災訓練の日です!」


 と大きな声で答えた。

 愛のその挙動にクラス中がドッと沸いた。


 愛はホッと胸を撫で下ろす思いだった。


― 先生が知っているはず無いよね……今日が約束の日だって事を……私たちだけの約束……果たさなければならない約束を……

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