第1話 約束の日は前途多難 2 ―桃井愛の秘密―

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 HRが始まっても愛の気分はそぞろで、全く集中していなかった。

 担任の話も耳に入らない。

 ただ眉間に皺を寄せた何かを思い詰める様な顔をして、空を見る。

 そしてまた、今日の日付を確認し、黒板の上の時計を見る。

 次は左腕につけた文字盤の大きな腕時計、それから再び空を見上げる。その繰り返し、繰り返し……


「いつもと同じ、いつもと何も変わらない……本当に"今日"なの? 本当に……」


 愛は一人呟き、再び日付を確認しようとカレンダーに視線を移した時、


「おい、桃井!……桃井!!」


 担任のその声にハッとして、愛は我に返った。


「あ……すみません。先生……何でしょう?」


 愛は視線をチラチラと動かしながら椅子から立ち上がった。


「何でしょう?……じゃないだろ! どうした? 寝不足か? 桃井にしては珍しいじゃないか」


「あ……いえ、何でもありません。大丈夫です」


 愛は笑って誤魔化した。


 愛の成績は上から数えた方が早いくらいで、普段であれば授業態度も良好だ。しかし、今日は『授業どころではない』という気持ちが強かった。


 担任はそんな愛に気が付いたのか、少し意地悪な笑みを浮かべると愛に質問をする。


「そうか、なら今日が何の日か言ってみろ!」


「え……"今日"……ですか!! それは……」


 愛は虚を衝かれた顔をして立ち竦んだ。

 担任が発した『今日』というワードが彼女の心を揺らしたのだ。

 カレンダーを再び見ると、日付は2月15日。


 ― どうして……なんで先生が知ってるの? 今日は……今日……は……


 愛は担任の質問に答えられない。

 ねっとりとした汗が額に吹き出て、手のひらも濡れる……


「どうしたの……愛? 今日は、でしょ……」


 それは、隣の席の生徒。

 立ち竦んだままの愛に気付いて、先生に聞こえぬよう小さな声で教えてくれたのだ。


 愛はその声を聞くと 「あ……」と息をもらし、教えてくれた友人に口パクで「ありがとう」と伝えると、担任に向かって大きな声で答えた。


「すみません! 今日は大防災訓練の日です!」


 愛のその挙動にクラス中がドッと沸いた。


 愛はホッと胸を撫で下ろす思いだった。


 ― 先生が知っているはず無いよね……今日が約束の日だって事を。知ってるわけないよね、私達だけの約束を、果たさなければならない約束を……


 ―――――


「ねぇ、愛、今日なんか変だよ?」


 HRが終わり、一時間目までの僅かな準備時間、友人が話し掛けてきた。

 それは、最前に愛を助けてくれた隣の席の友人。


「え……そう? そう、かなぁ?」


 問い掛けられた愛は白々しい口ぶりで首を傾げた。


「うん、元気無いっていうか」


「え?ウソ! そんな事無いよぉ!」


 愛は演技が下手、嘘をつくのが苦手だ。その事を自分でも知っているから、友人に嘘を悟られない為に愛は逆に饒舌になる。


「あ……てかさ、果穂かほさっきはありがとね。本当助かった! 今日が大防災訓練の日だって全然忘れてたし、あっ……アレって何時からだっけ? けっこー時間掛かるから面倒臭いよねぇ~! あっでもね私、意外とシェルターの中に入るの好きなんだ! なんか異空間って感じで! それにさぁ~」


 友人の果穂が返答しようとしてもその隙を与えず、身振り手振りも大袈裟に喋り続ける。

 しかし、普段は聞き役になりがちな愛が饒舌になる事自体が変で、友人には逆に不審に思われてしまう。


「なぁ~に隠してんのぉ?」


 今度は果穂とはまた別の友人が来た。

 その子は『異議あり!』とでもいう様に愛の机をドンッ!と叩いた。


「うわっ……びっくりしたぁ! 瑠璃るりぃ! やめてよね!!」


 愛は大袈裟に驚く。


「やめるのはどっちですかぁ? 愛、絶対なんかあったでしょ? 隠すのやめな、話しな! 私達が相談乗るからさ!」


「そうそう! 何かあったなら一人で悩んでないで相談して!」


 今度は果穂だ。『なんて良い友達を持ったのだろう!』普段の愛ならばそう思ったろう。だが今日の愛は違う、


 ― うぅ……果穂、瑠璃、ごめん。話せないの。だからもう追及してこないで……


 愛も話せるものなら話したかった。自分が抱える不安を親しい友達の二人に。だが、それが出来ない事情が彼女にはある。


「あ、分かった! 青木くんとケンカでもしたんでしょ! 何? もしかして青木くん浮気でもしたの?」


 突然、瑠璃の口から『青木』という名前が出た。その名前を聞くと愛の顔から笑顔が消える。そして、果穂も『またか……』という表情を浮かべた。


「ちょっ……瑠璃、前からずっと言ってるじゃん! 私と勇気くんはそんなんじゃなくて、ただの小学校からの幼馴染みだって!」


「嘘だね! だって、他にもコバも同じ小学校でしょ! 果穂だって小学校から同じじゃん? でも誰も青木くんの事を下の名前で呼ばないし、愛もコバの事、下の名前で呼ばないじゃん! 女の中じゃ愛だけだし、男の中じゃ青木くんだけじゃん!」


「ちょ……小林くんとはそんなに仲良くしてた訳じゃないし!」


「ほら、やっぱ青木くんとは仲良しなんじゃん!」


「でも、本当に付き合ってないし……」


 ゴシップネタが大好きな瑠璃はずっと勘違いをしていた。

 愛が瑠璃と親しくなったのは二年生になってからなのだが、初めて話したその日から『青木』との関係をどんなに否定しても納得してはくれない。

 しかも瑠璃は口が達者だ。早口で捲し立てられると段々言い返せなくなってしまうのがいつもの愛だ。この青木に関しての事が無ければ、明るく友達想いの良い子……なのだが。


「勇気くんとは……本当にそんな関係じゃないから」


「嘘つかないで良いのにぃ。羨ましいなぁ、あんなイケメン! 羨ましいけど、私応援してるんだからね!!」


 ただ『青木』の名前を出された瞬間から、愛の表情は変わった。笑顔が消えただけでなく、険しくなった――その理由を果穂に聞いてみたら、きっと彼女はこう答えるだろう。

『それは、愛と瑠璃が友達になってからのこの約一年間、嫌になるほど青木くんとの関係を問われ続けているから』……と。


 そうだろう。それもそうなのだ。

 だが、実はそれだけではない。

 それだけではないのだ。

 そうとも知らず、瑠璃はいつも通りに追求を続けた。気がつけば愛も「ぐぬぬ……」と黙ってしまっていた。

 そんな愛を助けたのは果穂だった。


「ほら瑠璃ぃ、愛の相談に乗るんじゃなかったの? 問い詰めてどうすんの!」


「えぇ~だって!」


「だってじゃなくて! つか、もうすぐ先生来るよ! 自分の席に戻った方が良いんじゃない?」


「え……ウソ、もうそんな時間?」


「うん、ほら早く!!」


「あぁもう……愛、青木くんとの事は今度ちゃんと話してもらうからね!」


 いつもの捨て台詞。瑠璃は『青木』の話題になると毎回そう言う。

 瑠璃はいつもの言葉を言い残すと、足早に自分の席へと戻っていった。


 愛はチラリと果穂の顔を見た、彼女はニコリと微笑んでいた。

 小学校から一緒の果穂、彼女だけが愛と青木が友人関係であると知ってくれている。他のクラスメートや友人は『青木と愛は恋人同士だ』と決めてかかっているが。

 けれど、それも仕方のない事でもある。

 何故なら、愛が青木と二人っきりで会っているという目撃談が幾つもあるからだ。

 それには理由があるのだが、その理由を愛は誰にも話せない。話したくても、話せないのだ。


 愛は自分の席についた瑠璃の背中を見詰めながら、心の中で呟いた。


 ― 瑠璃、本当に勇気くんと私はただの友達だよ。でも果穂や小林くん達とはちょっと違う友達で……それに私は、勇気くんの事を考えてるんじゃないの。私は……私はね……今日の約束と……あか


「あかい……」


「えっ!!! あかい!!」


 愛は突然、バネが跳ね上がるみたいに立ち上がった。


「あか……あか……何?」


 愛は振り返ると、さっきの声の主、後ろの席の鈴木に向かって聞いた。


「え? 『あか』? あぁ、赤ペン忘れちゃったなって思って……な、なんだよ? どうかした?」


「へ? あか……赤ペン……?」


「うん……赤ペン」


 鈴木は筆箱を開いて見せた。


「あ……本当だ。あ、なら私の貸してあげる!」


 愛は自分の筆箱から赤ペンを取り出した。誤魔化し笑いを浮かべながら。


 ブブ……その時、愛のスマホが震えた。


「あっ……」


 通知されていたのは、あの名前。


『青木勇気』


 この名前を見ると、愛の顔は再び険しく変わった。

 そして、彼から送られてきたメールは、


『桃井、準備は出来ているのか?』



 ―――――



 一時間目の授業中、愛は教師の目を盗み青木への返信を送った。


『準備? 腕時計の事? それならちゃんと持ってるよ』


 すると青木からの返信が即座に届く。


『そうか。なら問題ない。』


 愛は首を傾げ、またメールを送る。


『どうかした?』


 すると、またすぐに返事が届く。


『いや、どうやら桃井は今日は別の事で頭がいっぱいみたいだからな、肝心な物を忘れてないか? と心配になっただけだ』


『なにそれ』


『それとさっきのメールの件、何か進展があったら俺の方から返信するから、もう何度も聞いてくるな』


『あ、ごめん』


 これに対しては返信はこない。が、愛はもう一文付け足した。


『お昼休みちょっと話さない?』


 ―――――


 昼休みに入ると、愛は校庭へと向かった。

 "彼"はすぐに見付かった。

 校庭の一番奥に置かれたベンチ、いつも通りにそこに居た。

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