第1話 約束の日は前途多難 3 ―愛の不安は何なのか―
3
"彼"は三人掛けのベンチの真ん中で足を組んで座っていた。傍らには購買で買ったのだろう、パンと紙パックの牛乳が一つ。いつもの"彼"だ。これが"彼"のいつものスタイル。
その姿を見て、愛は思った。『いつもと何も変わらない』と。
思うと共に、愛は自分が持つ弁当箱も見下ろす。そして、また思う。
― 私もだ……私もいつもと一緒。いつもと変わらない一日を過ごしてる。学校に来て、授業を受けて、お昼休みにはお母さんの作った弁当を食べようとしてる。お腹だって空いている。いつもと一緒、昨日と変わらない……
愛は制服のポケットからスマホを取り出した。画面を見ても着信やメールの通知はない。
― こっちも一緒……いつもと一緒……忘れちゃったの? 覚えてるのは私達だけなの?約束したじゃん、あの日に"今日"だって……
「連絡ぐらい寄越しなさいよ。バカヤロ……」
愛は心の声をいつの間にか口にしていた。それから、左手につけた腕時計を睨む。
「こっちだって、うんともすんともいわないし……このままじゃ、ただの"明日"になっちゃうよ! あ、でもその方が良いのか……」
「何一人でブツブツ唱えてるんだ?」
「え?!」
愛が顔を上げると、目の前にはいつの間にか"彼"がいた。
"彼"は愛に微笑んだ。
優しくて、慈愛に満ち溢れていそうな微笑み。
そんな微笑みを湛えながら、"彼"は愛が一語一句聞き逃さぬ様に、ゆっくりとした口調でこう言った。
「気持ち悪いぞ」
「うぇっ!!」
愛は思わぬ一言に、一歩後ろに退いた。
"彼"はそんな愛を見ると慈愛溢れた笑顔を一瞬で消し去り、また笑った。
この世に本当に天使と悪魔が存在するのであれば、それは"彼"の事を言うのではなかろうか、最前の慈愛に溢れた天使の笑顔はもうそこにはない、"彼"の顔に浮かぶのは左の口角だけを上げたニヒルな笑顔――"彼"は一瞬にして天使から悪魔へと変わった。
「一人で呟いてどうした? 気でも変になったか……桃井?」
"彼"は愛に辛辣な言葉を投げた。
いや、"彼"自身は辛辣とは思っていない、愛を馬鹿にするつもりもない。
ほんの少しの冗談だ、だが愛の心には"彼"の言葉が突き刺さった。
「ちょっと……!! ヒ、ヒドイよ!!」
そんな"彼"の名は、
「勇気くん!!」
『青木勇気』――瑠璃が愛との関係を疑っているその男だ。
長い手足にすらりと伸びた長身、モデルの様な端正な顔、美少年とは正に彼の事を謂うのだろう。
いや、その大人びた顔つきはもう既に少年というよりも青年の域に達している。
長身も相まって、制服を着ていなければ誰も高校生とは思わないだろう。
「気でもってどういう意味!」
愛がそう言い返すと、青木勇気はいつものベンチのいつもの定位置に戻り、長い足を組んだ。
「だってそうだろ? 桃井、キミは今日何回俺に質問を送ってきた? そんなに心配か?」
浮かべたのは天使の笑顔。
言い方も優しい。
「だって、だってさぁ……」
愛は勇気の移り変わる雰囲気に慣れている。特に驚きはしない。
「何をそんなに心配する事がある?」
「心配……というか」
愛はその言葉に納得いかない様子を勇気に表した。が、愛自身が分かっていた。その言葉が一番的確な事を。
「心配、ではないと?」
「う、うん」
愛は嘘が下手だ。
嘘だとしても自信を持って返事をすれば良いものを、そわそわと明後日の方向を向いて返事をしてしまった。それも、物凄く小さな声で。
そんな愛を見て、勇気が「ふっ……」と笑う。
「なんで笑うのよ!」
「では……桃井、今日キミが俺に送ってきたメールを読み上げようか?」
「え?!」
愛の反応に一目もやらず、勇気はメールを読み上げ始めた。
「『ねぇ、勇気くん本当に今日だよね? 間違いないよね?』
『ねぇ、勇気くん私達みんな揃うよね? 大丈夫だよね?』
『ねぇ、勇気くん連絡は来た?』……はぁ」
勇気はため息を吐くと足を組み直し、
「まだあるぞ……」
ニヤリと笑う。
「ちょ……ちょっと! もう良いよ!! 分かったから、止めてっ!!」
これ以上続けられては困ると、愛は必死に止めた。その時のテンションや気持ちで送っているモノを、時間差で、しかも読み上げられるなんて恥ずかしくて仕方がない。
「はぁ……」
勇気は両手を天に向かって広げた。
「ねぇ勇気くん、ねぇ勇気くん……って、俺だって困るぞ」
「そ……そっか、ごめん」
「いや、謝らなくても良いんだよ」
愛が謝ると、勇気は首を横に振った。
「だがな……黄島からは、こっちに向かう手筈を整えていると連絡があった。そう俺は伝えただろ? 間違いなく彼女は"今日"この街に来る。緑川の方は桃井自身が連絡を取って、了解の旨のメールが返ってきたと、そう俺に話していたじゃないか。これで、俺達があの日にした約束は果たせる」
「うん……それはそう……それはそうだよ……」
「ならば何を気にしている?」
「何……って、ううん……」
愛は次の言葉が出てこなかった。これは嘘ではない、本当に出せなかった。
でも答えは分かっている、自分が一番分かっているのだ。けれど、心の中にある言葉を
「やはり"アイツ"の事だな……?」
「え……」
この言葉を聞くと愛はギクリとし、「やっぱりな」と勇気は笑った。
「だって……だって……一人だけまだ何も!」
「連絡が無い」
愛は頷いた。もう認めざるを得なかった。
その姿を見て、勇気がまた笑った。少し馬鹿にする感のある笑い声で。
「なんで笑うの?」
「そりゃ笑うさ!」
勇気はもう一度、声を出して笑った。
「桃井、君が"アイツ"の事を一番に理解している筈だろ? だったら何を心配する必要がある? 確かに"アイツ"は五年前に引っ越して、輝ヶ丘を離れた。しかし、"アイツ"は来る。そうだろ? ……必ず来る。"アイツ"はそういうヤツだ、今頃、輝ヶ丘に向かっているさ」
―――――
「ヘックションッ!!」
「ぶぇっ……汚いボッズー!」
「ぶるるる……あ~寒ッ!」
「はぁ……だから言っただろボッズー! 本当に大丈夫なのかってぇ」
「もぅ~そんな事言ったって仕方がないだろぉ?」
車の往来が激しい道路の脇道、赤いダウンジャケットの少年と謎のタマゴ型の生き物は困った顔で座り込んでいた。
時刻は愛と勇気が話し込んでいるとほぼ同時刻。
座り込む彼等の目の前には、颯爽と駆け出した筈の自転車が停まっている。
少年はその自転車を見ながら困った顔で頭をポリポリと掻く。
「はぁ……やっちまったなぁ」
「本当……やっちまったなボッズー」
「う~む……何でこんなになったかなぁ……」
少年は自転車のタイヤを触った。少し力を入れると、ぷにぷにと柔らかい。
「釘でも落ちてたのかな?」
少年は今まで自転車で走ってきた道を見返した。
「スピードの出しすぎじゃないかボッズー」
「スピードの出しすぎでパンクすんのか?」
「そういうことじゃなくて、スピードの出しすぎでちゃんと足元や前を確認してなかったんじゃないか! って意味だボッズー!」
「はぁ、なるほどなぁ」
少年はそう言うと真横に座るタマゴをチラリと見た。
「なんだボズぅ?」
「へへっ!」
少年はニカッと笑った。
そして、両手の親指と親指を横に並べて小さな翼を作って、タマゴに向かって
「パタパタパタっ……ダメ?」
"羽ばたく仕草"を見せた。
だが、タマゴの反応は素っ気ない。
「ダメだボズ」
「何でだよ?」
「『緊急事態以外は自分一人で頑張る!』って出発前に自分で言ってただろボッズー!」
「いやぁ、だから今がその緊急事態だろ?」
「違うボズ」
「なんでだよ?」
タマゴは、やれやれという顔をして、
「あぁ~あのとき昼寝をしなければ……」
「朝寝だよ! つか、居眠り運転ダメだろ?」
「あぁ~あのときラーメンなんて食べなければ……」
「腹が減っては
「あぁ~あのとき……」
「あ~もう分かった、分かった!」
歌う様に皮肉るタマゴを少年は手を振って止めた。
「分かったよ! 自分でなんとかするって!」
「なんとかするって、どうするんだボズぅ? だから寝てる時間なんかなかったんだボッズー! もっと余裕を持った行動をだなボッズー!」
「むむむ……でもさ、ゆ~っくり走ってても釘なんか落ちてたら分かんないと思うんだけどな!」
「屁理屈だボッズー! 失敗しても時間に余裕があったら焦らないだろボッズー!」
「どっちが屁理屈だよ~!」
「俺は屁理屈じゃないボズ! ここから歩いてどのくらいかかるか分かってるのかボッズー!」
「んな事言ったってさぁ―――ん?!」
この時、言い争いをする少年とタマゴの前に一台の小型トラックが止まった。
「ん?」
「なんだボッズー?」
少年とタマゴが自転車越しにそのトラックを見ると、色黒な一見強面な雰囲気の男が降りてきた。
「な……なんだろ?」
少年は首を傾げた。
男はゆっくりとした足取りで、少年に向かって歩いてきている。
不思議に思った少年とタマゴは顔を見合わせる。
「な……なんだ?」
「さぁ……分からんボッズー」
その男は自転車の目の前まで来ると立ち止まり、しゃがみこむ少年を自転車越しに見下ろした。そして――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます