第1話 少年とタマゴ 3 ―束の間の楽園―

3


 キーンコーン……

 カーンコーン……


 チャイムが鳴った。一時間目の終了を知らせるチャイムだ。一時間目は担任の山田が受け持つ数学で、HRからスライドする形で始められた。だからチャイムが鳴って、愛もクラスメートたちも『やっと一息つける……』という感じだった。


 この二時間目までのほんの少しの準備時間。このたった数分の時間でさえも学生にとっては楽園だ。愛の友人も『今のうちに……』と愛の席へと近付いてきた。


「ねぇねぇ、愛、どうかしたの? 今日なんか変だよ?」


 まず最初に話し掛けてきたのは、さっき愛を助けてくれた隣の席の友人。


「え……そう? そう……かなぁ?」


 愛は首を傾げた。その口ぶりは明らかに白々しい。


「うん……元気無いっていうか」


「え?ウソ! そんな事無いよぉ!」


 またまた白々しい。

 どうやら愛は演技が下手、嘘をつくのが苦手らしい。それを自分でも分かったのか、愛の額には又ほんのりと汗が吹き出ていた。


 そして、その"嘘"を悟られないようにする為か愛は急に饒舌になった。


「あ……てかさ、果穂かほさっきはありがとね。本当助かった! 今日が大防災訓練の日だって全然忘れてたし、あっ……アレって何時からだっけ? けっこー時間掛かるから面倒臭いよねぇ~! あっでもね私、意外とシェルターの中入るの好きなんだ! なんか異空間……って感じで! へへ、それにさぁ~」


 ものすごい早口、友人の果穂が返答しようとしてもその隙はない。

 もうこれは会話ではない、愛一人で喋っている。身振り手振りも大袈裟だし、まるで友人の果穂にこれ以上喋らせない為に喋ってるみたいだ。


 いや『みたい』ではない。実際にそうなのだ。それは愛の親しい友人ならばすぐに分かった。『何かを誤魔化している』と。

 何故ならば、いつもは愛が聞き役になっている事の方が多いからだ。こんなに汗を垂らして早口で捲し立てる愛は周りから見ても明らかに変だった。


「なぁ~に隠してんのぉ?」


 今度は果穂とはまた別の友人だ。

 その子は、『異議あり!』とでも言うように愛の机をドンッ!と叩いた。


「うわっ……もう! びっくりしたぁ……瑠璃るりぃ! やめてよね!!」


 愛はこれまた大袈裟に驚く。


「やめるのはどっちですかぁ? 愛、絶対なんかあったでしょ? 隠すのやめな、話しな! 私たちが相談乗るからさ!」


「そうそうそう! 何かあったなら一人で悩んでないで相談して!」


 今度は果穂だ。『なんて良い友達を持ったんだろう!』普段の愛ならばそう思うだろう。だが今日の愛は違う、


― 手強い……なんて手強い相手なんだ


 愛はそう思っていた。

 そう思うと、より一層愛の額に汗が浮かぶ。


 だが、ここで一つ、愛の弁護をしておこう。愛は二人の事を迷惑に思っているかと言うと、そうではない。彼女自身の本心は『話したい』そう思っていた。自分の抱える悩みを親しい友人である果穂と瑠璃に『話したい……』と。だが、愛にはそう出来ない事情があった。


 だから今日の愛は


「大丈夫、なんでもないからさ……」


 と答える事しか出来なかった。


「本当にぃ? 絶対に嘘だよね……あ、分かった! 青木くんとケンカでもしたんでしょ! 何?もしかして青木くん浮気でもしたの?」


 突然、瑠璃の口から飛び出た『青木』という名前、その名前を聞くと愛の顔から笑顔が消えた。

そして、果穂も『またか……』という表情を浮かべた。


「ちょっ……瑠璃、前からずっと言ってるじゃん! 私と勇気くんはそんなんじゃなくて、ただの小学校からの幼馴染みだって!」


「嘘だね! だって、イノッチとかコバも、果穂だって小学校からおんなじでしょ? でも誰も青木くんの事、下の名前で呼ばないし、愛もコバ達の事、下の名前で呼ばないじゃん! 女の中じゃ愛だけだし、男の中じゃ青木くんだけじゃん!」


「ちょ……小林くん達とはそんなに仲良くしてた訳じゃないし!」


「ほら、やっぱ青木くんとは仲良しなんじゃん!」


 愛は困った。困った。困った。ゴシップネタの大好きな瑠璃に。彼女のゴシップ好きは、それは対象が友人であっても変わらない。

 愛が瑠璃と親しくなったのは同じクラスになった二年生になってからなのだが、初めて話したその日から『青木』との関係をどんなに否定しても、何度も否定しても、聞かれ続けている。

『本当に付き合ってるなら、瑠璃にはちゃんと言うから!』

 と愛が言っても、"瑠璃の中の正解"じゃない限りは認めてくれない。

 しかも話がゴシップネタになると瑠璃の口擊こうげきは激しい。

 追求された相手がどんな球を打ち返しても、口の達者な瑠璃は必ずもっと強い球で打ち返してくる。

 たとえその相手が愛でも瑠璃は手を緩めない。『瑠璃は間違っているこちらが正論だ』と確固たる意志があっても、段々彼女が言っている事の方が正しく思えてくる時すらある。

 この『青木』に関しての事が無ければ、明るくて元気で冗談も面白い、友人想いの良い子……なのだが。


 けれど、この『青木』との関係に関しては愛は答えを譲る事は出来なかった。


「勇気くんとは……本当にそんな関係じゃないから」


 ただ『青木』という名前を出された瞬間から、愛の表情は何やら変わった。笑顔が消えただけでなく、険しくなった……

 その理由を果穂に問い掛けてみたら、きっと彼女はこう答えるだろう。


『それは、愛と瑠璃が友達になってからのこの約一年間、嫌になるほど頻繁に青木くんとの関係を問われ続けているから……』


 そうだろう。それもそうなんだ。

 だが、実はそれだけではない。

 それだけではないのだ。


 そんな事とも露知らず、瑠璃はいつもの様に追求を続けた。

 気がつけば愛も「ぐぬぬ……」と黙ってしまっていた。


 そんな愛を助けたのは果穂だった。


「ほらほら瑠璃ぃ、愛の相談に乗るんじゃなかったの? 問い詰めてどうすんの!」


「えぇ~だって!」


「だってじゃなくて! つか、もうすぐ先生来るよ! 自分の席戻った方が良いんじゃない?」


「え……ウソ、もうそんな時間?」


「うん、ほらほら早く!!」


「あぁもう……愛、青木くんとの事は今度ちゃんと話してもらうからね!」


 いつもの捨て台詞。瑠璃は『青木』の話題になると毎回そう言う。

 そして次の日には忘れて、暫くしたらまたまた追求される……その繰り返しだ。

 瑠璃はいつもの言葉を言い残すと、足早に自分の席へと戻っていった。


 愛はチラリと果穂の顔を見た、彼女はニコッと微笑んでいた。

 小学校から一緒の果穂、彼女だけが愛と青木が友人関係であるという事を知ってくれている。他のクラスメートや友人は、瑠璃のように毎日遊ぶ仲でも『青木と愛は恋人同士だ』と決めてかかっている。

 だけどそれも仕方がないこと。

 何故なら、高校に入ってから『愛が青木と二人っきりで会っている』という目撃談がいくつもあるからだ。

 それには理由があるのだが、その理由を愛は誰にも話せない。話したくても、話せないのだ……


 愛は自分の席についた瑠璃の背中を見ながら、心の中で呟いた。


― 瑠璃、本当に勇気くんと私はただの友達だよ。でも果穂や小林くん達とはちょっと違う友達で……それに私は……勇気くんの事を考えてるんじゃないの……私は……私はね……今日の約束と……あか


「あかい……」


「えっ!!! あかい!!」


 愛は突然バネが飛び上がるみたいに立ち上がった。


「あか……あか……何?」


 愛は振り返ると、さっきの声の主、後ろの席のクラスメートに向かって言った。


「え? あか……? 赤ペン忘れちゃったなって思って……な、なんだよ?どうかした?」


「へ? あか……赤ペン……?」


「うん……赤ペン」


 愛の後ろに座る鈴木は筆箱を開いて見せた。


「あ……本当だ。あ、なら私の貸してあげる! へへ……」


 愛は自分の筆箱から赤ペンを鈴木に差し出した。誤魔化し笑いを浮かべながら。


 その光景を見ていた果穂は思った。


― やっぱり愛、なんかおかしい……

と。


 ブブ……その時、愛のスマホが震えた。


「あっ……」


 すると、さっきまでの慌てぶりはどこへやら、愛は素早い動きでスマホを取り出すと液晶画面を覗き込んだ。


 そこに映っていたのは、あの名前


『青木勇気』


 この名前を見ると、愛の顔は再び険しく変わった。


 そして、彼から送られてきたメッセージは


「桃井、準備は出来ているのか?」

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