第3話 裏世界へ 11 ―なぞなぞと鬼ごっこ―
11
「そうだよ。それが坊や達が表世界へ帰れるたった一つの道だ」
「……」
魔女がそう言うと、剛は肩を落とした。
「いや、ちょっと待て!!」
その姿を見た優が、剛と魔女の会話に割って入る。
「おい、さっきアンタは僕達はコイツ等と鬼ごっこをするって言ったじゃないか! 宝探しなんて聞いてないよ!」
優は《魔女の子供》を指差して言った。
この問いに魔女はこう答える。
「勿論そうさ、坊や達には鬼ごっこをしてもらうよ。だけど私の子供達とやってもらう鬼ごっこは、坊や達が知っている鬼ごっことはちょっと違うんだ」
「ちょっと違う? 何だよそれ! 意味を教えろ!」
「フフフ、勿論教えるさ……いいかい? 坊や達はドアノブ探しをしながら、私の子供達と鬼ごっこをするんだよ」
「え……? 何それ?」
「フフフ……鬼役は私の子供達だ。坊や達は鬼役の私の子供達から逃げながら、この街に隠されたドアノブを見付け出すんだよ。でだ……ここも普通の鬼ごっこと違うところだ。鬼役と追い掛けられる役の役変わりは無しだ……鬼は鬼のまま、追い掛けられる方は追い掛けられるだけ……」
「何それ? それじゃあ無理ゲーじゃん!!」
「無理……? 眼鏡の坊や、何が無理何だい?」
「だって、鬼に追い掛けられながらドアノブを探すなんて難しすぎるでしょ!!」
「うん! せめてヒントは? こんな広い街の中を探すのにヒントも無しじゃ無理やて……」
今まで黙っていた藤原かなえが言った。
彼女は魔女と話すのが怖いのか、指先がワナワナと震えている。
「フフフフフ……勿論与えるさ。なぞなぞだけどねぇ」
「は? なぞなぞ? なぞなぞってまた一つゲームが増えてるじゃん……」
これは優。優は冷や汗をかいてズレ落ちてきていた眼鏡のフレームを丸めた拳で上げ直しながら、『聞き捨てならない』という様に魔女に聞き返した。
「フフ、そうだね、増えてるね、よく気が付いたねぇ。賢い子だ。安心しな。そんな賢い坊やなら、すぐに解ける位の簡単ななぞなぞだからねぇ。いいかい? 一回しか言わないよ……いくよ」
「えっ! ちょっと待って、メモを取らないと! メモ、メモ、何処だ!」
優は着ている学制服のポケットを探るが、メモもペンも持った覚えはないので出てくる訳がない。
「優くん……」
そんな優を助けてくれたのは旭川美香。彼女は持っていたバッグから二つを差し出してくれた。
「ありがとう!」
受け取った優は、地面に座ってメモ帳を開いてペンを構える。
「フフフ……準備は出来たかい? それじゃあ、よぉくお聞き……いくよ」
魔女は一拍置くと、こう言った。
「『ドアノブは走っていると見えないけど、走っていないと見える場所にある』……どうだい? 解けるかねぇ?」
「走っていると見えないけど、走っていないと見える場所……」
優は口に出しながらペンを走らせた。
「これを解けば、ドアノブは本当に手に入るんだな?」
「フフ、そうだよ……だけど、私の子供達が邪魔をするけどねぇ」
「分かってるよ……鬼ごっこだろ。で? 鬼に捕まったら? ペナルティは? どーせあるんでしょ? 無い方が良いけど……」
「流石、賢い子だねぇ。察しが良いよ……子供達、見せてあげな」
「ホハイ……」
魔女が命令すると、七人の《魔女の子供》は何やら鳴き声の様な返事してローブのポケットから拳大の大きさの物を取り出した。《魔女の子供》は腰にベルトを巻いていて、そこには謎の小袋がぶら下がっているが、今はそれには用は無いらしい。
「何だよそれ……」
メモ帳から顔を上げた優は《魔女の子供》を睨んで聞いた。
「壺さ……」
「壺?」
「そうだよ……」
確かに、《魔女の子供》がポケットから取り出した物は蓋のついた小さな壺だった。
「それが何? 何に使うの?」
「フフ、慌てるんじゃないよ。ちゃんと説明するさ。これはねぇ《絶望の壺》さ……」
「絶望の壺?」
「そうさ……この壺の中にはねぇ、私が表世界で長年集めた"人間の負の感情"が熟成されているんだ。怒り、悲しみ、憎しみ、恨み……色々なねぇ」
「へぇ……そう」
優は『へぇ』と軽く答えたが、その額にはまた冷や汗が流れていた。
「鬼に捕まるとね、坊や達はこの壺の中に封印されるのさ」
「封印……? そんな小さな壺の中に? 無理だろ……」
畠山が言い返した。
しかし、『無理だろ』と言いながらも、畠山は座り込んでいた体を起こし後退りを始めている。
この行動が、魔女に反論しながらも魔女の言葉を信じている事を表している。
「そこの坊やは愚かな子だねぇ……今更大きさなんてどうでも良いだろう? 言い掛かりをつけてきやがって、流石、十五歳だねぇ……坊やみたいな子を最初に壺に入れてあげたいねぇ」
「入れて……どうするんだよ?」
これを聞いたのは優だ。
「フフフ……さっき私は言ったろ? 『坊や達はもっと心を開いて、自分の"欲望"、"怒り"、"憎しみ"に素直になって生きなさい』……と。その生き方をプレゼントしてあげるのさ」
「何だそれ……意味分からない。気味の悪いコンサルみたいな事を言いやがって」
「それは私の台詞だよぉ。『コンサル』って何だい? 老人に横文字を使っても意味が分からないよ……もっと日本語を大事にしな」
「そっちこそ、『プレゼント』って横文字じゃんか」
「フフ、じゃあ『贈り物』だ。言い換えるよ……そうさ、坊や達に私は贈り物をあげるんだ。楽しい生き方が出来る人間になる為に、絶望という贈り物をねぇ」
「絶望……」
この言葉が出ると、地面に座り込んで体を丸めていた小山がビクリと動いた……
「この壺の中に入った人間は、私が熟成させた負の感情に包まれる。漬け物にされるんだ。負の感情の漬け物にねぇ……フフフ……これがまた美味しいんだよぉ。人間の漬け物は私の大好物だ………でも、坊や達は特別。食べはしないよ。だって、坊や達は私のお手製のバケモノになってもらうんだからねぇ」
「バケモノ!!」
優が叫んだ。優は《バケモノ》が何者かを知っている。正義から聞かされて知っている。だから、反射的に優は叫んだ。
「……」
他の少年少女達は魔女が言う《バケモノ》の意味を知らない。しかし、"悍ましい何か"だとは分かったのだろう。一人一人が恐怖に顔を歪ませた。
「この壺に入った人間は、負の感情の漬け物にされて、やがては絶望に陥る。体から、脳から、負の感情を入れられて、やがては心までが侵食されるのさ……そして、絶望しきった人間は良いバケモノになるんだ……ピエロや芸術家は、表世界の人間の中から"心の中が負の感情に満ちた人間"を探して、自分の手駒になるバケモノを作り出そうとしているけど、私はそんな博打みたいな事はしないよ。育てるのさ……自分自身の手で。バケモノになる人間をね……」
「嫌だ!! 嫌だ!!」
また……小山が叫んだ。
「また坊やかい……でも、そうかい……嫌かい。でもね、なってみれば幸せさ」
「嫌だ!!!」
「フフフ……そうかい。だけどねぇ、そんな風に嘆いている人間の方が壺に入った後、良く漬かるんだよぉ。悲しみを既に抱えてるって事だからねぇ……良く漬かった人間は人間だった頃の記憶すら忘れて、特上のバケモノになるんだ。他にも怒り、不安、そんなのを持っていたらそうだね。坊や達は気を付けた方が良い子ばかりなんじゃないのかい?」
魔女が煽った。
その時、
「ドアノブ!!」
優が叫んだ。
「ん? ドアノブ? ……ドアノブがどうかしたのかい?」
「………」
優は後の言葉を考えていなかった。ただ、優は魔女の話を止めたかっただけなのだ。
『僕達の不安を煽る話をして、魔女は既に僕達をバケモノにする手筈を整え始めているんだ』……と思ったから。
だから優は『ドアノブ!!』の後に続く言葉も考ず、兎に角叫んだのだ。
「なんだね……私が気持ち良く話しているのを止めないでくれよぉ」
「ドアノブ……」
「だからなんだね? ドアノブがどうした?」
「えっと……それは、えっと……あっ! ドアノブは、ドアノブは一個しかないのかな??」
咄嗟に捻り出した質問。
― あぶねっ! 捻り出したにしては良い質問だ!
優は心の中で自画自賛した。
「あぁ、その事かい」
この、優が捻り出した質問に魔女は『言い忘れていた』と言う様な声色を見せた。
そして、こう答えた。
「……ドアノブは全部で七個だよ」
「えっ! そんなに?!」
優は多いと捉えた。でも、旭川美香は違う。
「多くないよ……それって人数分じゃないの? 一個のドアノブで一人しか帰れないって事?」
この質問に魔女は「フフフ……」と笑ってこう答える。
「いんや……安心をし。そこまでは難しくはしていないよ。一個のドアノブで帰れる人間に制限は無い、一個で七人全員が帰れるよ……」
「あぁ……良かった」
……と、旭川は胸を撫で下ろす。だが、そこには魔女の思惑があった。
「フフ、あまりにも鬼ごっこを難しくするとねぇ、坊や達は抗う前に諦めちまうだろうからねぇ。早々に諦められると、坊や達の心の中に不安も怒りも悲しみも何も育たずに終わってしまうからねぇ……フフフ」
「そ……それじゃあ……」
次に質問をしようとしたのは剛だ。
剛は礼儀正しく手を上げて質問をした。
「制限時間は? 十日間とか、そういうのは?」
この質問にもまた、魔女は「いんや……」と答えた。
「いんや……それもないよ。無制限だ」
「そうか……良かった」
剛もまた旭川と同様に胸を撫で下ろした。
しかし、魔女は喋り続ける……
「だけど、もう一度言っておくけど、ドアノブを手に入れる以外に坊や達が表世界に戻る方法は無いからね………裏技は絶対に無いよ。ドアノブが無ければ、裏世界から出る事も、裏世界に入る事も出来ないのさ」
「出る事も、入る事も……」
優が呟いた。
「そうだよ。出るのも入るのも一つずつ。本来なら、裏世界と表世界は全く別の存在だからね。一日に一度、表世界で裏世界の出来事が覗ける時間があるが、裏世界にいる生命から距離が遠ければ視認は出来ないし、カメラやビデオにはうつらない。覗ける事は出来ても触れる事も出来ない。触れようとすれば世界同士が反発し合ってすぐに見えなくなってしまうんだ。表と裏は本当なら触れ合う事すらも出来ない関係なんだよ………坊や達が一日に三十分しか活動出来ないのもそうだね。表世界から来た坊や達の存在を裏世界が受け入れるのが、表と裏が一時だけ近くなる時間、午前二時から二時半までしかないからなんだよ……」
「成る程。一日に三十分って……そういう事だったのか」
「そうだよ。眼鏡の坊や、納得したかい? さぁ、長々と話している間に今日の三十分が終わりを迎えようとしているよ……勝負は明日からだね。坊や達が動けない間は、私の子供達も鍋に戻してあげるから、動けない坊や達を捕まえるなんて卑怯はしないよ。安心して休むなり、作戦会議をするなりしな……最後の晩餐をするでも、お喋りをするでも良いしね……フフフ………」
…………
………………。
これが最後の魔女の笑い声だった。
この笑い声が本郷に響くと同時に《魔女の子供》は小さな体を跳び上がらせ、頭上に浮かぶ《魔法の鍋》に戻っていった。
「クソ……言いたいだけ言って帰ってくって、ムカつくなぁ。ババアが!!!」
優は魔女の笑い声が消えた後も空を睨み続けた。拳を固く握りながら……
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