第3話 裏世界へ 10 ―絶望すれば良い―

 10


「私からすれば坊や達の方が可愛くないよぉ。醜くて、醜くて、見ていられないよ」


 魔女は優に言い返した。


「醜いぃ? そんなの何処にいるの? みんな、それなりの顔をしているけど? 目ぇ悪いんじゃないの?」


「フフフ……醜いのは顔じゃないよ。心の中さ」


「心の中?」


「そうだよ……坊や達は皆、十五歳だろ? 私はねぇ、坊や達の年齢が一番醜いと思っているんだ。子供でも大人でもない中途半端な年齢だからねぇ」


「何それ?」


「坊やたち十五歳は、子供特有の無邪気さに伴う残虐性を持ちながらも、大人の様に暴力で命を支配出来る力も持ち始めている……一番残酷になれる年齢さ」


「だからぁ、なんだよそれ!! 勝手に決めんなよ!! あ……成る程、だから僕達はみんな中三なのか。だからアンタは、僕達を苦しめようとしているんだね! アンタが嫌いな年齢だから!!」


 優は『納得した!』と、手のひらをポンッと叩いた。


 しかし、魔女は首を横に振った……いや、魔女は姿を見せずに声だけで優達に話し掛けているのだから、本当に振ったかどうかは分からない。だが、次の魔女の言葉を聞いた優はそう思った。


「いやぁ好きだよ……」


「え……?」


『そうだよ。その通りだよ』……そう言われるとばかり思っていた優は想定外の返答に驚いた――いや、『魔女に反論ばかりしていた優も流石に背筋がゾクリとした。』とする方が正しい。優の額にはタラリと冷や汗が流れたのだから。


「一番残酷になれる坊や達の年齢がさ……」


「え……」


 しかもこの時、嗄れた老婆の筈だった魔女の声が、何故か妙に艶かしい声に聞こえて、優は全身に鳥肌を立てた。


 でも、それは錯覚だったのだろうか……


「フフフ……」


 魔女が笑うと、その声は元の嗄れた声に戻っていたのだから。


「生き物なんて醜ければ醜いほど良いのさ……殺したければ殺す、奪いたければ、奪う。そう生きていけば良いのさ。だけど……坊や達はそうはなれてはいないねぇ。いや、坊や達だけじゃない。表世界にいる十五歳の殆どがそうだ。素質はあるのに、目覚めていない。それも仕方がない事だけどさぁ……だって、大人に近付けば近付く程、理性が目覚めちまう。下らない理性にね……縛られていくんだよ、人間は」


「縛られる? 理性に? 何言っているんだよ……理性があるから人間なんじゃないか!」


 優は魔女にゾクリとした自分を無視して反論を続けた。

 優は思っているんだ。


 ― 魔女の言い分に僕が負けちゃいけない。裏世界にいる英雄は僕ただ一人なんだ……そんな僕が、たとえ口喧嘩でも《王に選ばれし民》に負ける訳にはいかないんだ!


 ……と。だから反論を続ける。


 しかし、


「縛られていても楽しくないよ……」


「ちょっ!」


 魔女の方は『坊やの反論なんて耳に入らない』とでも言う様に話を続けた。


「人の話を聞いてるの? 無視しないでよ!!」


 ……と、優は言うが、魔女は聞きはしない。


「坊や達はもっと心を開いて、自分の"欲望"……"怒り"……"憎しみ"に素直になって生きなさい。そうすれば、坊や達の人生はもっと楽しくなる……でも、それが簡単には出来ないのも私は知っているよ。理性が邪魔をするのだからねぇ。だったら……心を破壊すれば良い。そうすれば理性なんて下らないものを捨てられる……じゃあ、心を破壊するにはどうしたら良いか知ってるかい? それは……絶望をすれば良いんだよ」


「絶望……」


 魔女の言葉を反復する様に呟いたのは優じゃない。

 小山だ――彼は本郷に着いてもドアノブは手に入らないと知ってからずっと、言葉を失い、左手を噛む自傷行為を続けていた。


「小山くん……」


 そんな小山の変化に優は今やっと気が付いた。

 これまで、魔女との言い合いに"或る意味で"夢中になっていた優は、小山の変化に全く気が付いていなかったのだ


 その夢中は『英雄として魔女に負ける訳にはいかない』という考えのもとに生まれたものだから、優が小山の変化に気が付かなかったのも仕方がないとも言えるが、魔女と言い合いをしている間の友達の反応に全く気を向けられていなかった事も事実だ。


「絶望……そんなの……したくないよ」


「小山くん……」


 優はガタガタと震える小山にハッとした。


「大丈夫? 小山くん……」


 そして、一旦魔女との言い合いを止め、小山に近付こうと歩き出した。


 他の少年少女たちはその姿を目だけで追い掛ける。金城は歯軋りをしながら、剛と旭川は不安そうな顔をしながら、畠山と藤原は俯いていた顔を上げて。


「嫌だ……嫌だ……」


「小山くん、落ち着いて。動揺し過ぎちゃダメだ。自分を見失わないで……」


 優は声を掛けるが、


「無理だ……もう俺は無理!!」


 もう遅かった。

 小山は両手を振り回しながら、駆け出してしまった。


「あっ!」


 飛び散った生暖かい鮮血が優の頬を伝う……


「無理だ、無理だ、無理だ、俺はもう帰りたい!! 帰りたいんだよ!!!」


 小山が駆け出した方向は、勿論魔女の子供が居る方向ではない。

 小山は《魔女の子供》にも優達にも背を向け、本郷から逃げ出そうとしたのだ……だが、


「うわっ!!」


 突然、小山は何かにぶつかったかの様に地面に尻をついた。


「フフフフフ……何だい? 何処に行こうとしているんだい?」


「何だよこれ……何で進めないんだよ!!!」


 小山は更に取り乱した様子で、まるで壁を叩くかの様に拳で空中をドンドン……と叩いた。


「フフフ……叩いても無駄だよ、坊や達はもう……本郷からは出れないようにしたから」


「何だよそれ!! 嫌だ!帰して!!」


「フフフフ……」


 慌てる小山を魔女は嬉しそうに笑った。


「どうしたの小山くん? いったい何が……って、えっ? 何だこれ?」


 小山に追い付いた優は小山の真似をして空中に触れてみた。すると、そこには何かがあった。何もない筈の場所なのに。


 それは、まるで……


「……壁か? 見えない壁か?」


「フフフ、そうだよ。坊や達が本郷から逃げ出さない為に私が作ったんだ」


「えっ? 僕達を閉じ込めたのか!」


「フフフ、そうだよ。だけど、本郷から出られようが出られまいが、坊や達には関係ないじゃないか。ドアノブが無ければ坊や達はこの裏世界からは出れないんだからねぇ」


 この言葉に、小山が空を見上げて嘆いた……


「嫌だ!! お願いだよ!! 帰してくれよ!!」


 その両手は祈るように握られている――だが、この姿も魔女は笑う。


「フフフ……そこの坊やは本当に分からない子だねぇ」


「煩い、煩い!! もう止めてくれよ!! 俺は帰りたいんだよ!! ドアノブをくれよ!!」


「フフフ……それじゃあ、そうしようかね? フフフ……いやぁ、やっぱりダメだね。だって、アンタを帰してあげたくても、今の私はドアノブを持っていないんだからねぇ……」


「え……持ってない? 何で?」


「フフフ……隠しちまったんだよ。この、本郷の街の中にねぇ」


「え……隠した? そんな、それじゃあ……えぇ……俺は帰れないの? 嫌だ!! 嫌だ!!!」


「煩い、黙れ小山!!」


 取り乱す小山を怒鳴り付けたのは金城だ。


「静かにしろよ!! お前だけが帰りたい訳じゃないぞ!! 俺だって……皆だってそうなんだ!! おい、ババア!! じゃあドアノブは何処にあるんだよ!!」


「フフフ……何処? それは坊や達が見付けるんだよ。ドアノブはこの街の何処かに隠したと言ったろ?」


「そんな……」


 囁くような小さな声で言ったのは剛だ。


「フフフ……嘆いたって後の祭りだね。隠しちまったんだから仕方がないだろう? ほら、欲しいなら探すんだよ……坊や達が」


「探す……?」


「そうだよ。それが坊や達が表世界へ帰れるたった一つの道だ」

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