第3話 裏世界へ 20 ―鬼ごっこはかくれんぼ―
20
― お願い……頼む、見付からないでくれ……
剛は目を瞑り、祈っていた。
彼が今居るのは、大通りに立ち並ぶビルとビルの隙間に存在する"小路"に設置されたダストボックスの中だ。
小路を作る雑居ビルの物だろう、ダストボックスは、身長160cm台の剛なら容易に入れる程の大きさをしていた。
その中で、剛は手を合わせ祈り続ける。
― 頼む、頼む、頼む!!
……と。
数分前、剛は《魔女の子供》に見付かった。
場所は、さっきガキカイドウが駆け抜けていった大通り――剛が、ダストボックスの所有者と推測される雑居ビルの中の捜索を終えて、ビルから出てくると、子供は居た。
子供が居た場所は、道路を挟んだ対面にあるビルの前。
剛と子供はすぐにお互いの存在に気付いた。
「ハイホーー!!!」
そして、子供は威嚇の意なのか、剛に向かって吠えると走り出した。
「ヤバい……」
剛はゴクリと生唾を飲み込むと、逃げる場所を探した。剛が立つ大通りは、右を見ても、左を見ても、ビルや店が十数mに渡って並んでいて、隠れる場所の無い、見晴らしが良い場所だった。
鬼ごっこの追われる立場としては、逃げ切るには難易度の高い場所だった。
「どうしよう……」
剛は焦った。だが、焦った瞬間に思い出した。
「あっ……あそこがある!」
剛はこの大通りに立つビルを一件一件捜索していたのだが、隣のビルの捜索が終わって、さっき出てきたビルの捜索に入る前、二つのビルの間に人一人が通れるくらいの小路を見付けていたんだ。その事を剛は思い出した。
「行こう……あそこに!!」
見付けた時に、その小路の向こうの景色も見えていた。ビルを挟んだ反対側の通りを目にしていた。
― この大通りを逃げるより、小路に入って反対側の通りに出た方が、一瞬子供の視界から逃れられる分、逃げ切れる可能性は高くなる筈だ!!
剛は急いで小路に入った。
だが、入った瞬間に思った。
― それじゃあ、向こうの通りに出たらどうしようか? 右に行くか? 左に行くか? どこかに隠れられる場所があれば良いんだけど……あぁ、本郷に土地勘が無いから分からないよ……
街灯も当たらない小路の暗闇のせいだろうか。小路に入った途端に剛の不安は膨らんだ。
だが、
「痛っ!!」
小路を走る剛の右手が何かにぶつかった。
「何だ……? あっ!!」
そして、剛は見付けた。
「これは……このビルの物か?」
剛が右手をぶつけた物はダストボックスだった。
「この大きさなら、俺でも入れるぞ……」
見付けた直後に剛の頭に閃いた。
『この中に隠れるべきでは……?』と。
迷っている時間は無かった。『閃きは間違いでは?』と考えている時間も無かった。
すぐに子供が小路に入ってきてしまうだろうから……
「やるか……」
剛は横長の蓋を開いた。
裏世界には、連れ込まれた剛達と、《魔女の子供》以外の存在はいない筈。それなのに、ダストボックスの中には、ご丁寧に生ゴミ・可燃ゴミ・不燃ゴミがごちゃ混ぜに入ったゴミ袋が大量に用意されていた。
でも、ゴミ袋の上に横になれば、体の小さな剛なら入れるスペースはある。
「……」
意を決して剛はダストボックスに入った。
そして、彼は祈った。
― 頼む! 頼む! 頼む! 行ってくれ! この小路を駆け抜けてくれ……
……と。何度も。ダストボックスの中で。剛は祈った。
ドタドタドタドタ……
子供の走る音が近付いてくる。
― 頼む! 頼む! 頼む!
ドタドタドタドタ……
足音でしか判断が出来ないが、子供はダストボックスのすぐ近くまで来た。
― 頼むッ! 頼むッ! 頼むッ!
祈る剛の心臓の鼓動は、早鐘の様に高鳴る。
合わせた手にも、じっとりとした汗が滲む。
ドタドタドタドタ……
― あっ……
子供の足音はダストボックスの前を通り過ぎた……
そして、
ドタドタドタドタ……
その足音は遠のいていく……
「はぁ……」
作戦成功だ。
剛が恐る恐るダストボックスの蓋を開けると、小路には子供の姿は無かった。
―――――
子供が居なくなると、剛はダストボックスから出る為に動き出した。
「はぁ……はぁ……」
それは慎重に。息を殺して。
子供は小路を通り抜けていったが、まだ近くに居るかもしれない。物音を立てれば戻ってきてしまうかもしれない。
「はぁ……はぁ……」
小路の地面に足を下ろした時、剛の足は震えていた。
震えるのは足だけじゃない。指先も震えていた。
小刻みにじゃない、大きくだ。
恐怖と緊張と興奮が、剛の体を震えさせていた。
「はぁ……はぁ……」
震える足で剛は歩き出す。
向かうのはさっき子供と出会ってしまった大通り……
― 子供は、俺が小路の向こうに行ったと思った筈。元の通りに戻った方が安全な筈……大通りに戻ったら、ドアノブの捜索の続きをやろう……早くドアノブを見付けないと……もう……裏世界なんて嫌だ……早く、家に帰りたい………帰るために……ドアノブを絶対に見付けてやる……
剛は、恐怖ばかりの現在に絶望するよりも、恐怖を乗り越えた先に待っている、希望ある未来を信じて、一歩、一歩、歩いていった。
「はぁ……はぁ……」
「はぁ……はぁ……」
「はぁ……はぁ……ハッ!!」
けれど……大通りに一歩足を踏み出した直後、剛は再び足を戻した。
「……」
それから、素早く身を屈めてビルの陰から大通りを覗く……
「今の……金城くん……?」
覗いた先には金城が居た。しかし、金城だけが居るのなら、剛は隠れない。金城は仲間だから。隠れる理由はない。
ならば何故、剛はこんな行動を取るのか。
その理由は一つだ、
「やっぱり金城くんだ……金城くんが……金城くんが……どうしよう……」
「こっち来んな!! あっち行け!!」
「ハリホリハリホリ!!」
金城は一人じゃなかったからだ。金城の背後には、《魔女の子供》が居たからだ。
「金城くんが追い掛けられてる。さっきの子供か? いや……さっきのはこの小路の向こうに行った。また別のヤツか……?」
剛は『さっきのヤツか? それとも別のヤツか?』と自分自身に問い掛けるが、その答えはどうでも良かった。
それよりも、目の前の状況の方が重要だった。
剛が覗く先、距離にして20mは離れているだろうか。
その場所に金城は居た。
いや、金城は走っているから、ドンドン剛に近付いてきている。
金城と子供との距離は5m程、まだ子供が手を伸ばしても金城は捕まえられない。しかし、肉薄しているのは確か。
― どうしよう……どうしよう……どうしよう!!
剛は金城を助けてあげたかった。
でも、体が動かない。震える手足が、恐怖に支配され始めた心が、剛の自由を奪ってしまった。
「来るな!! 来るなってば!!」
「ハリホリハリホリ!!」
金城と子供は剛の目の前を駆けていった。
― どうしよう……どうしよう……どうしよう……
考えても、体が動かなければ仕方がない。
剛は見ている事しか出来ない……
「ふざけんなよ、お前ッ!! 来るなッ!!!」
「ハリホリ!!」
しかし、叫ぶ金城は、動けなくなった剛とは対照的に動いた。反撃に出たのだ。
走りながら金城は、手近にあった飲食店の立て看板を手に取ると、体を捻って後ろを振り向き、子供に向かって投げ付けたのだ。
「ハリッ!!」
ガンッ!! ……と看板は子供にぶつかった。
看板の大きさは1mに満たないくらいで、おそらくダメージは与えられていないだろう。
だが、突然の反撃に驚いたのか、子供の動きは一瞬止まった。
「………ッ!!」
その隙に金城はまた動いた。
それまで金城はただ真っ直ぐに大通りを駆けて逃げていた。それを斜めに変えた。ガードレールを飛び越え、道路を斜めに突っ切って駆けていったのだ。
「ハリーッ!!」
でも、子供の動きが止まったのは一瞬だけだ。すぐに子供は金城を追い掛ける。
「何だよ!! もっと痛がれよ!!」
金城と子供との距離はさっきよりも開いた。しかし、状況は同じ。逃げる者と追い掛ける者の関係は変わらない。
「クソッ!!」
金城は『環境を変えなければ逃げ切る事は出来ない』と考えたのか、それとも生き物としての本能で高い所に逃げたくなるのか、道路を突っ切って反対側へ渡ると、付近に立ち並ぶ建物の中で一番背の高いビルの中へと逃げ込んでいった。
「ハリホリハリホリ!!」
追い掛ける子供もまた、道路を突っ切って反対側に渡ると、金城が逃げ込んだビルへと入っていく。
「金城くん……」
この光景をただ見ている事しか出来なかった剛は頭を抱えた。
頭を抱え、瞳からは涙が流れた……剛は悔しかったのだ。恐怖し、怯えて、何も出来なかった自分が…………金城を追い掛けて《魔女の子供》がビルの中へと消えた事に、安堵している自分が。
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