4-21 幕間:鎧切りとマズル家の剣 (2)


 メイホー村にやってきた小さな英雄一行が去って数時間。


 日が落ちかけ、七竜星の三つが空に見え始めてきた頃、ヘイアンが食堂のテーブルの上を片付けていると、くたびれたグレーのマントを羽織った旅人風の男が宿に入ってきた。


 男の眼差しは研がれた剣先のように厳しい。頬には古い切り傷があり、瞳は赤みを帯びていた。あまりメイホー村の客らしくない男ではある。


 男の腰には少し目立つ剣が下げられていた。握りには植物の枝を模した見事な装飾的な意匠が巻かれ、鍔には二本のねじれた角があった。

 一品だ。狭い界隈でだが、男を譲り主であるファブリツィウス家の名とともに畏怖と尊敬の対象として世間に知らしめている一品でもある。


「お、帰ってきたか、ウィルミッド。仕事はどうだった?」


 ウィルミッドとヘイアンから親しげに呼ばれた男は一房の垂れた黒い前髪の下で片眉を上げ、ヘイアンに視線をやったが、小さく息をついて、その厳しい表情を崩して不満げなものにした。


「苦労の割にはってとこだな。どこも情報を求めてるが、既にどこを歩き回っても情報規制されてる。情報屋に頼むのは遅すぎる。そろそろアマリアとオルフェで本格的な小競り合いの一つや二つ始まるだろうな」


 ヘイアンはウィルミッドの報告に、こりゃあ、場合によっては金櫛荘行きは様子見になるかもな、と思う。


「そうか。まあ、仕方ないな。……で、今日は水か? 酒か?」


 ウィルミッドは酒の棚を一瞥しただけで、席にはつかず、「いや、少し外に出よう」と提案した。


「外?」


 ヘイアンはウィルミッドが一杯やらないのを不審に思った。ウィルミッドがわざわざメイホーに来る日というのは、仕事が落ち着いて暇な時だからだ。外に行きたいということは、周囲にあまり聞かれたくない話というのは理解したが……。


 外でわざわざ話をするようなそんな秘密めいたやり取りは、田舎のしがない宿の亭主には不用だ。仮に周囲に聞かれたくないとしても、来る時間を選び、カウンター席ででもぼそぼそ声を潜めれば済む話だ。ヘイアンとウィルミッドもまた、今までもそうしてきた。

 もし、油断のならない者が傍にいれば、そんなやり取りすらもなく、下手をすれば既に宿から追い出されているか、勝負の1つでもけしかけられたりしているかもしれない。


 もっともここは七竜の銀竜が唯一守護している村だとして、血生臭い話とは無縁の緊張感の欠片もない土地だ。そもそもヘイアンはもう気軽に剣を片手に彼について国を渡り歩けるような身分でもない。


「まあ、いいが。少し待ってろ」

「ああ」


 ヘイアンはダイチたちの部屋を掃除していた二階のステラのところに行って、外に出てくるからしばらく宿を任せる旨を伝えた。


「いいぞ。……で。どこに行くんだ?」

「すぐそこでいい。人のいないところだけどな」


 ウィルミッドはじっとヘイアンを見つめてきた。剣の代わりに鍬を持ち、お人好しの多いメイホーの村人には震えあがるか肝の冷えるかする眼差しだったろうが、ヘイアンには慣れた眼差しだ。ステラとニーアにももう通じないが。

 しかし、そこまで不穏な空気ではないが、冗談を言ってくる雰囲気でもなければこちらから言える雰囲気でもないのをヘイアンは感じ取った。


(いったい何が出てくるのやら)


 ヘイアンが宿を始めてから、ウィルミッドは情報屋になった。やりたくて情報屋になったわけではなかった。相棒がいなくなり、後釜の相棒も特にいなかったため情報屋になったのだという。


 とある古い貴族の悪徳当主が殺された。コルヴァンで暮らしている元近衛勇将パラディンのウルギスと手合わせをして勝利した。フルル・バジラの山で荒らしまわっていた巨大怪鳥が退治された。フーリアハットのファブリツィウス家が名剣モノケロスを情報屋に渡した。……


 ヘイアンはそんな派手な噂をまき散らす情報屋なんかいない、少なくとも俺だったらそんな情報屋なんかに仕事は頼まないと冗談交じりに言ったものだ。

 もっとも、派手な噂をまき散らしていたのはかつて彼とよく組んでいたヘイアンも同じだったので、ウィルミッドからは「お前が言えることか」と、鼻で笑われてしまったのだが。


 二人は狼の森が見える村の隅までやってきた。


「ここでいい。……ヘイアン」


 ウィルミッドは立ち止まってくるりと振り返ると、マントの中から剣を鞘ごと投げて寄こした。慌てて受け取るヘイアン。


 なんてことない剣だった。さすがにメイホーで売ってる農夫用の安物などではないが、警備兵やケプラの騎士団連中が使うような、大した意匠もなければ魔法効果の類もない、丈夫なことだけが取り柄の鉄製の剣。


「あ? こりゃ何の真似だ?」


 ヘイアンが問いただすや否や、ウィルミッドは7歩ほどの距離を一瞬で詰め、ヘイアンに斬りつけてきた。

 ヘイアンは咄嗟に、反射的に、剣を鞘から滑らせた――


「くっ……!」


 たちまち鈍い音が鳴った。ヘイアンはもらった剣を鞘から“半分ほど出して”やっとこさウィルミッドの瞬足の襲撃に応じた。

 懐かしい、渾身の力と力で押しあう鍔迫り合いバインドの感触だ。だが、そんなことを悠長に気にする余裕は今のヘイアンにはない。今のヘイアンは剣士ではない。


 ヘイアンは両手でウィルミッドの剣戟を防御しているが、ウィルミッドは片手だ。ヘイアンは力の限り鞘と持ち手に力を込めているが、投げて寄こした鉄剣と同じ鉄剣を使っているウィルミッドには歯を食いしばっている様子は微塵もない。

 ウィルミッドの指に、指輪がはめられているのが見えた。ヘイアンはその指輪の持ち主に思い当たるところがある。


 ウィルミッドは左手をヘイアンの顔にかざした。

 赤く光り始める手、現れる魔法陣、そして繰り出される、顔を焼く速攻の《火炎連弾フレイムバレット》――


 だが、魔法陣は出ず、手からは小さな火が一つ灯るだけだった。《灯りトーチ》だ。

 ヘイアンは自分の顔が焼かれないこと――もうかつてのような物騒な“お遊び”をウィルミッドがしてこないことは分かってはいたが、内心でほっとした。


「俺の考えではお前の剣はもう半分鞘に入ったままだった。それか、ほとんど出せずに鞘で防御すると踏んでた」


 《灯り》は自分たちを照らすだけだったが、ウィルミッドのヘイアンを剣で押す力は一向に弱まる気配がない。

 魔法で身体強化をしている現場は見ていない。なら、ウィルミッドは始めからこうする予定だったということになる。

 

「俺もそうじゃねえかと思う……」

「ほう」


 ウィルミッドが意外だと言わんばかりの余裕の表情をこぼした。


 ウィルミッドが顔を近づけてくる。ヘイアンは精いっぱいの力を剣に込めながら、お遊びの一環によって自分がこさえてしまった傷跡を持つかつての相棒の顔に、老けたなとそう思った。


「何があった? 言ってみろ」

「別に……大したことじゃない」

「構わん。俺はお前の話はなんでも聞いてきた。今でも興味深いよ。“鎧切りのヘイアン”……“妖剣フラガラハのヘイアン”の話は。嫁から怒られる話でも、娘の成長話でも、無口な料理番の話でも何でもな」


 今となっては、ウィルミッド以外では、ベルマー辺境伯と市長くらいしか呼ばない昔の通り名を呼ばれながら、ヘイアンはここ数日の田舎村で起きたにしては珍妙すぎる出来事の数々と同じく珍奇な来客たちの顔を思い浮かべた。


「どうも近頃は……客が嘘ばかりついてるらしくてな。……合わせるのが大変だった」


 ウィルミッドは一瞬首を傾げたかのように見えた。そのうちにウィルミッドはみるみるうちに破顔した。そうしてウィルミッドよりも腕の太いヘイアンが全くどうにもできなかった剣の力も弱まった。


「ははは! そうだろうな。お前は立派な宿の亭主だ。役者じゃないし、法螺吹きの宣伝屋でもない」


 ヘイアンはウィルミッドが陽気になり剣をしまうのを見て、ふうと疲れた息を吐いた。ヘイアンも剣を収めた。


「……ったく。俺のなまくら加減を見たいならもう少し冗談めかしてくれ。力抜けねえし……さすがに肝が冷えた」

「そういう割には今際の言葉を吐くようには見えなかったがな」

「それは……仕方ねえだろ」

「まあな。仕方ねえ。“傭兵なんぞどこで死んでようが不思議じゃない”」


 ウィルミッドはそう言って、嫌味っぽい笑みをこぼした。ヘイアンがかつてウィルミッドをはじめ、周囲によくこぼしていた言葉だ。

 ヘイアンはまた一つ息を吐いた。既にそんなことは知っていたが、ニーアとステラの悲しむ顔が浮かび、あまり快い言葉じゃなかったからだ。


「それで嘘つきの客はどういう客だったんだ?」

「そりゃあ……」


 ヘイアンは言い淀んだ。七星のことだし、さすがに情報屋相手にほいほいと言える内容ではなかったからだ。確証もない。


「俺はな、今アマリアについている」


 そんなヘイアンの心境を知ってか知らずか、ウィルミッドは《灯り》の火を消した後、自分の現状をあっさりと告げた。ついているとは言ったが、ウィルミッドはかつてのヘイアンと同じく今も昔もどこの国にも所属しない主義だ。


「たいていの依頼がオルフェの隙を探る内容だったんだが、なかにはタリーズの刃とかいう賊とサージ・アルハイム男爵を洗うという内容もあってな」

「知らない名前だな。……いや、アルハイムは来たことがあったな」

「まあ、どっちもそこまで知られていない。アルハイムは王族周辺では知られていたようだがな。……アルハイム男爵はタリーズの刃を使って七星を一つ亡き者にしようとしたらしい。タリーズの刃は壊滅したようだが、作戦は成功したようでな」


 ヘイアンは全てではないが納得した。


「昼に出ていった赤髪のダークエルフは槍闘士スティンガーのジョーラ・ガンメルタだろう?」


 ウィルミッドは昼に既に帰還していたようだ。ヘイアンは頷いた。


「確証は?」

「ない。だが、嘘は一番下手だったな。どこかで勢いで名乗っててもおかしくないほどにはな」


 ウィルミッドはふっと鼻を鳴らしたあと、考え込む様子を見せ、何度か頷いた。


「近くにいた金髪の剣士は副官のハリィだな。俺やかつてのお前ほどの手練れだ。七星の右腕としては一番かもしれん」

「そうなのか?」

「お前ほどは連中と打ち合ってないから知らんがな。まあ、噂や経歴や武闘大会の試合を見て、俺がそう判断しているだけだ」


 ヘイアンはハリィの毅然とした眼差しとたいそう品のある振る舞いを思い出した。

 洗練された所作と言葉遣いで一発でいいとこの騎士だとバレそうなハリィは、ルートナデルの護衛騎士はもちろん様々な騎士と付き合いのあったヘイアンにとってはジョーラと同レベルの大根役者だったが、悪事を働けないようなところと、青臭そうな部分には好感は持てた。

 さながらジョーラの小姓のようだったが、強い責任感もあった。仮に自分たち七星の部隊のせいで、ダイチたちや村に何かしらの被害を被ることがあれば、まっさきに手を打ち、犠牲心を露わにするのはきっと彼だったろう。


 ウィルミッドが腰を下ろしたので、ヘイアンも腰を下ろした。


「ジョーラ・ガンメルタはタリーズの刃のアトラク毒で死ぬ予定だったようだ」

「アトラク毒って言やあ……遅行性の猛毒じゃねえか。死ぬやつだろ?」

「ああ。治療方法もすぐに治療しなければないに等しい。ジョーラ・ガンメルタももう死ぬのを待つばかりだったようだ。酒場に入り浸り、旧友たちにも挨拶まわりしていたようだったからな。……だが、生きている。毒のまわる期日も過ぎた。あのぴんぴんしてる様子だと治療したんだろう。いったい誰が治療したのか」


 ヘイアンはまさかな、と思ったが、態度に出ないように努めた。


 突然の来訪。素性不明。強者。ダークエルフの姉妹の噛み跡を消したこと。ジョーラ・ガンメルタを連れてきたこと。ジョーラの部隊と妙に親しいこと。彼らからの厚遇……。


 状況はそうだとしか言っていないが、何も確証はない。


「どう思う?」

「何がだ?」


 ウィルミッドはヘイアンの“とぼけ”に口の端を上げた。


「あの黒髪の坊やと銀髪の少女は何者だ?」

「俺が知りたいくらいだよ」


 ウィルミッドが見てきたが、ヘイアンは肩をすくめただけに留めた。実際、特に調べたわけではないからだが、話をしている限りでは彼らの素性は一向に分からなかった。


「……そうか」

「まあ、一つ言えるのは、」


 ヘイアンは言葉を続けることにした。


 色々と世話になった子たちなので別に黙っててもよかったんだが、事情があるにせよ、何も教えてくれなかったことに対して、思うところはなくはなかった。

 口を閉じていたことへの怒りなのか、旅に出れる若さか何かへの嫉妬なのか、かつての相棒にただ話したくなっただけなのか。

 ヘイアンにはどのような感情がどのように作用して今現在、言葉を続けさせようとしているのか、判断はつかない。


「あの二人のおかげで俺は鞘から剣を半分も出せたってことにはなる」


 ウィルミッドはその評価を聞くと、ほう、と興味深い様子を示した。


「何かやったのか?」

「いいや。狼狩りをしてたくらいだな」


 ヘイアンはもう、当初二人に萎縮したことはすっかり歳のせいだと結論付けていた。彼ら、特にダイチの戦いに向かない性格や言動は、自分にプレッシャーをかけたことと何ら結びつかなかったからだ。


「なんだそれ。狼ってここの弱いやつか」

「ああ」


 ウィルミッドはちらりと狼の森を見た。弱いとは言っても、群れでこられたらそれなりに手間なんだが、とすっかり村人の一員になっているヘイアンは思う。


「なんでもダークエルフの姉妹を鍛えるためだとよ」

「ほお……。で、狼狩りがお前の勘が戻ったことと何が繋がるんだ?」

「それ自体は関係ないぞ。……まあ、強者がこぞってすっとぼけてるもんだから、さすがの俺も尻を叩かれた気分になっただけだ。こんな奴らがごろごろしてたんじゃ、ステラもニーアも守れたもんじゃないってな」


 ウィルミッドは、なるほどな、他には? と狼の森を依然として眺めながら訊ねる。


「他か? ……そうだな、ジョーラ・ガンメルタがダークエルフの姉妹や村の警備の連中に稽古をつけてたくらいだな」


 ウィルミッドが振り向いた。


「そりゃあ酔狂だな……。連れのダークエルフはともかく、警備兵もとはな。ここじゃ腕をあげたところで腐る日を待つだけだ。少年と少女が頼んだのか?」

「そうじゃないか?」

「誰かに指示……辺境伯辺りからなにか頼みでも受けてたのか」

「さあなあ。分からんよ。言ったが、俺も二人の素性についてはさっぱりだったからな。……だが、伯爵の線はない気はするな。辺境伯は確かに信心深いが、メイホーの警備兵を精強にするほどかという疑問が残る。第一それなら伯爵の兵がきてるだろ」

「……そうだな。伯爵と繋がりがあるにしてはいい子ちゃんすぎる。シルシェン人か亜人の血が入ってるかはしらんが、……庶子で隠れて暮らしていたという方がまだそれらしい」


 ヘイアンは内心で同意した。


 ヘイアンもまた、ダイチたちのことは、隠されて育ったのだと見当をつけていた。でなければあのような――狼肉を食べたことがなく、フォークを器用に扱うような品の良い坊ちゃんにはならないだろう。

 もっとも、武術の教育と礼儀作用の教育をしていた辺り、日和見の家ではなかっただろう。案外フーリアハットのどこぞのエルフの家が匿ってたのかもしれないと、ヘイアンはダイチたちに出会って以降は考えを改めている。


 しばらくして、ウィルミッドは手を頭の後ろにやって、背中を地面に預けた。


「あーーー。そんな面白いことが起こるってんなら俺も剣を置くか、そろそろ。お前のように何食わぬ顔をしてれば隠れた大物が釣れるかもしれん」

「なんだあ、お前もついに引退か?」

「そうだなぁ……。貴族どもや商人たちのわがままを聞くのも飽きてきたしな。別に悔いもない。……子供もいいもんかもな」

「ほお……」


 ヘイアンはウィルミッドの右手を見ながら、


「じゃあ今度は俺の質問だ。その緑と赤の宝石がはめられた金の指輪は俺の記憶が確かなら、マズル家のもんだよな」


 と、訊ねた。


 アマリアの名家の一つ、マズル伯爵家は、かつてヘイアンとウィルミッドがよく仕事を受け、世話にもなった家だ。もちろん今ではウィルミッドだけだ。


「ああ」


 ウィルミッドは右手をあげて指輪をちらりと眺めた。

 その眼差しはやるせない感情を持て余していた。指輪にこの感情をどうにかしてくれと、訴えかけているようでもあった。


 ヘイアンは子供もいいもんかもな、などという非常に珍しい元相方の弱音めいた言葉の意味の断片を察した。ウィルミッドは今でもマズル家の子供や騎士たちの剣の世話をしている。

 ヘイアンがニーアの成長話に花を咲かせる時ほどではないが、ウィルミッドもまた、人の目があまりない時に限るが、マズル家の子供たちの成長を語る時は表情が緩む。


 騎士たちの話の時は、ウィルミッドはよく「まだまだだな」と言い、「何度教えても直らん」と愚痴をこぼしたこともある。ヘイアンは誰かに師事したことはないが、きっと師というものや先生というものは、こういうものなのだろうとよく思う。

 稀に来るケプラ騎士団の団長も「まだまだだ」とよくこぼすし、ナクルとか言う王都の教官も「私はいつも矢を無駄にするなと言っているんだが!」などとぷりぷりしている。


 ウィルミッドは右手を降ろし、再び頭に手をやった。


「ヴェロニカに近頃はずいぶん懐かれててな。……これを見て私を思い出してくださいって指にはめられちまった。剣が鈍るだけだ、こんなもんもらっても。売れるもんでもないしな」


 ヘイアンは指輪の送り主に納得した。


 マズル家の次女ヴェロニカ・カミラ・イル・マズルは、流れの傭兵だったヘイアンとウィルミッドに距離を置かない一人だった。

 まだロバにすら自分で乗れない年の頃だったとはいえ、ヴェロニカの冒険談を純真無垢のままにせがむ様子は、二人にとって新鮮に映ったものだった。


 無頼の傭兵というものはいつの世も貴族から嫌われるものだ。

 ヘイアンも傭兵時代には貴族から色々と言われたことがある。


 貴族から言わせれば、平民出で、教養がない、忠義がないのよく言われるものから始まり、金はあるのに無駄使いせず自領に金を落とさない、酒に酔わないのが不愉快、自分より強いのが癪に障る、目が鋭いのがむかつくとか、色々と理由はあるらしい。

 よくもまあこれだけ腹を立てられるものだと、ヘイアンはいつの日か、自分がいかに無頼の傭兵が嫌いか唾を大量に飛ばしながらがなり立ててきた小貴族の弁には感心したものだが、学と見識のあるウィルミッドは、無頼の傭兵と貴族は水と油のような関係だと冷ややかな笑みとともにヘイアンに教えてきた。


「俺たちがぱったり死んだ時に、奴らはようやく口を閉じる。戦死した者へがなり立てるのは貴族の品位を落とし、その行為は死者への冒涜であると奴らの魂には刷り込まれてるからな。もっとも、俺たちが死ぬか、奴らが没落でもしなければ、奴らの口が閉じることはない。ま、一生俺たちは仲直りできないというわけだ」


 マズル家もまた、そのような傭兵を嫌う家の一つだったが、マズル家は当時、辣腕のアマリアの王から目をつけられていた。近年のマズル家は古いだけで、王家に大した貢献をもたらしていないと専らの評判だった。マズル家は金を弾み、凄腕の傭兵二人――ヘイアンとウィルミッドを雇ってみることにした。


 もちろん別に、ウィルミッドとヘイアンはマズル家を助け、恩を売ろうと言う魂胆はなかった。ただ、金払いがよく、他の貴族ほど口やかましくなかったので、伯爵からの依頼を受け続けていた。

 誰も討伐できていなかった厄介な魔物を討伐したこともあれば、魔族の領地に分け入ったこともあり、戦地に送られて大将の首を落としてきたこともある。マズル家の躍進は二人によってもたらされ、再びアマリア王家の信頼を取り戻すことになった。


 すっかり気をよくしたマズル伯爵はやがて、二人に子供と騎士団に剣を教えるように依頼した。ヘイアンとウィルミッドは始めは嫌がったが、長男のレシェックや、騎士団の連中から喜ばれたので悪い気分ではなかった。


 そして次女のヴェロニカだ。


 彼女は最初から、誰にも先んじて、ヘイアンとウィルミッドに距離を置かない子供だったが、特にウィルミッドに熱心だった。ヘイアンは、どうやったら笑わせることができ、何をすれば喜ぶのか、真剣に相談を受けたこともある。

 使用人からは変わり者と揶揄され心配され、両親からは叱られ、将来を嘆かれても、幼いヴェロニカは全く聞く耳を持たなかった。ヴェロニカは頑固だった。わがままが通るのは次女だからというのもあっただろう。


 ウィルミッドはそんな彼女をよくあしらい、ヴェロニカはそんなウィルミッドによくむくれていた。それがヘイアンの記憶にある最後の二人の姿だが……。


「ヴェロニカはいくつになった?」

「24だ」

「24か。縁談はきてないのか?」

「断ってるんだとよ。最近知った」


 それはつまり。


「マズル氏はヴェロニカについてなんか言ってんのか?」

「何も。頑固なヴェロニカに根負けしてるってのもあるが、近頃はレシェックがいい当主の顔になってきてな。剣の腕も騎士どもと打ち合えるくらいにはなってる。安心してるよ」

「ほお、レシェ坊がついにか。……まあ、あまり名家のお嬢様を放っておかねえほうがいいかもな」

「ああ……何するかわかったもんじゃない。あいつの死に顔なんざ見たくねえよ」


 ウィルミッドは深刻そうなため息をついた。ヘイアンは元相棒のその珍しいため息を見て、なにか懐かしいものを見た気分に襲われた。


 ヘイアンは、10年以上前、自分たちの冒険の話に誰よりも目を輝かせていたじゃじゃ馬少女の可愛らしい顔を思い出しながら、昼に購入を考えていた高い服はいつかマズル家に行く用にしてもいいかもな、とぼんやり思った。

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