9-42 緑竜大戦 (4)


『――さ。みんな陣に入ったかい?』


 声こそほとんど聞こえないが、木人たちは竜モードに戻ったネロに、頷いたり手を挙げたりした。

 中にはぴょんぴょん跳ねている子供や獣人の木人もいるが、みんな子供のように素直というか無邪気だ。


 魔法陣が緑色に光り始める。彼らを元いた集落に送り返すための魔法陣だ。

 何人かが俺に向けて手を振ってくる。アレクサンドラ似の女木人も俺に向けてにこやかに手を振っていた。


 手を振り返しているとほどなくしてみんなは消えていった。

 別れの寂寥感がいくらか襲ってくる。


 まったく予期せぬ出会いだったが、本物のアレクサンドラに会いたい想いが募らせられた不思議な出会いだった。

 そのくらい彼女はアレクサンドラと瓜二つだった。豊かな表情に、本物のアレクサンドラの微笑みを想起させることは何の抵抗もなかった。


 もっとももちろん、手に触れるたびに到来する硬い木の感触と“ない脈”は、彼女が違う生き物であるとしみじみと理解させられてもいたけれども。


「アレクサンドラ似の子は集落に戻ってもそのまま?」


 そんな感じだろうとは察していたが、アルヴィルたちはフーリアハットの森の各集落で暮らしていて、今回突然呼び寄せたらしい。


『そうだね。戻してないし。でも彼らは木精霊の一種でね。容姿を一切気にしないんだ。彼ら自ら容姿を変えることもある。動物になれるのもいるね。彼らにとっては少し高等な術になるけど』


 完全中身重視か。精霊らしいというか。

 動物は見なかったが、確かに彼らの見た目や種族はバラバラだった。化けられるのなら気にするのは外見ではなく中身だよな。


 それにしても広間には俺とネロだけになったのだが、すっかり静かになってしまった。


 強めの風が吹き、梢がうら寂しく広間に響いた。周囲の木々は当初の緑緑しかった広間が嘘のように、鮮やかな紅葉の風景をまざまざと見せつけている。


 ここにはもう1時間くらいいると思うが、空はまだ青かった。鳥の群れが旋回していた。……あの鳥たちずっといないか?

 まあネロもいることだし、動物の興味も引くだろう。俺の動物に好かれる体質もある。あとで森の動物たちや精霊たちが押し寄せても何の驚きもない。


『……さて。満足したし。ダイ。戦いの続きをしようか』


 やっぱりやるのか。


 ネロの声音は一転して八竜然として落ち着き払っていた。宴の時はあんなにみんなとはしゃぎまわっていたというのに。


「もう少し余韻に浸らせてほしいもんだね」


 俺がついインのように両手を腰にやってそう軽口を言うと、ネロは『楽しんでくれてなにより』と再び魔法陣を出現させた。今度はなんだ?


『今度は私も参戦するよ。先に言っておくけど、召喚はこれで最後だ。召喚もそれなりに魔力を食うからね』


 今度はネロ参戦か。本番だな。


 ここにきてからずっと合間合間でネロ本体の攻撃方法が何なのか考えているが、あまり明快な答えには辿りついていない。

 ブレスはあるだろうし、森の主っぽいので、エントたちがしてきた植物を用いた攻撃はしてくるだろうとは推測はしている。


 ただこれだけだとなんか弱いんだよな。

 召喚ができるのでその辺がメインだと言われたら一応納得はできそうなんだが、ネロの言動を見ているとあまり主力技には思えない。ゲーム界隈では召喚士というもの、とくに敵側の召喚士は、本体の攻撃能力はそこまで強くなかったりするものだが。コルネリウスもそれなりにやるようだったが、精霊の力を借りるのが一番強力だったようだった……。


 召喚陣から現れたのは深淵、黒翼、ケンタウロスのおなじみの3人だった。そういえば眷属が出てきていないことに気付く。


「眷属は出さないんだね」

『我々にもお互い不可侵の約定があってね。私闘に眷属を使うことは禁じているんだ。たとえこの森であっても落ち葉集めはごめんだよ』


 だからイン戦でもジル戦でも眷属を見なかったのか。

 インの時は飛竜ワイバーンたちと戦ったものだけど、……あれは私闘というより飛竜による領域侵入者撃退って感じではあったな。


 しかしどうでもいいけど、よく聞こえる耳だな。俺はとくに声量を大きくしていない。俺とネロは10倍以上の身長差があるというのに。

 ガンダムのパイロットに呼びかける時はコクピット内のスクリーンで出てたもんだけど。外部カメラの集音機能かなにかによって。


「落ち葉集めって罰だよな」

『そうさ。罰には色々とあるけどどれも苦痛以外の何物でもなくてね。人型の姿になってスキルも魔法もなしに延々と作業するんだぜ?? 炭鉱夫や敗北した都市の墓掘りがいつまでも土を掘り続けるようにね。やってられないよ』


 ネロは首を軽く振りながらそうこぼした。表情の変化は分からないが、本当に嫌そうな声だ。

 仕事っていうのは多かれ少なかれそういうものだと思いもするが、ルーチンワークをはじめとしてわざわざ八竜のネロがやる仕事ではないのは間違いない。権威性も何もあったものじゃない。


『さあ、もう話は終わりだ。始めよう――』


 ネロが嫌な思い出を振り払うようにそう宣言した時、彼の元にいる3人が構えたのは分かったのだが、――突然彼らの前方の地面から轟音が響きだした。

 横並びに何本も木が現れたかと思うと、みるみるうちに体積を増やし、成長を遂げていく。


 え……え??


 天を貫くかのようにぐんぐん伸びた巨木たちはやがて成長を止めた。ピサの斜塔よろしく少し前のめりに生え、俺のいる場所はすっかり影になってしまった。

 天頂付近は枝葉で生い茂っていることもあり、ネロを見えなくするのはおろか、空をも覆いつくしてしまっている。


 でか……。コルネリウスの使った技だよな? 規模はまったく違うかもしれないが……。傾いてはいるが、もういよいよビルだな……。


 くわえて壁の向こうから膨大すぎる魔力の気配。間もなくネロがいると思しき場所から同心円状に――地面が“緑地化”された。

 言葉通りだ。土がむき出しで、草はちょこちょこ生えている程度だった広間が一瞬で緑豊かな草原になってしまった。


 かつてうんざりするほど見た草原だが、この神秘的な変化の過程――ファンタジー諸作品でもおなじみの壮大な神の御業に魅入らないわけもない。

 ジルは《魔素疎通マナオステム》も極めれば砂漠を森に変えるとか言ってたか……。


 魅入っていたが、光景の劇的な変貌こそあれ相手の動きがなかったこともあり、我に返る。今は手合わせ中だ。


 これはネロの仕業であり、“彼のフィールド”にするために行ったのだろうと推測する。

 あの無駄にでかい木の防壁にしてもそうだろう。あの壁の役目は……


 俺は牛突槍を2つ出した。右手には魔力装、左手には《氷結装具アイシーアーマー》の籠手と腕当てだ。ついでに胸当ても装備する。


 ――俺は思いっきり伸ばした魔力装で壁を薙いだ。

 ネロと飛翔能力のある黒翼は分からないが、深淵とケンタウロスは仕留められるかもしれないと思いながら。


 だが、斬撃は巨木の壁を1/3も斬らないうちに止まってしまった。力を加えてもてこでも動きそうになかった。


 ぐ……。硬すぎる! なんだよこれ。ネロ、かなり強化してるな……。


 とはいえ、あまり放置するのもよくない。壁の向こうでは補助魔法を掛け合っているだろうから。

 少し魔力装に集中して、『もっと鋭く』と念じる。なぜか死のトロンボーンが持っていたのと似ている分厚い包丁のような剣になったがまあいい。


 俺は改めて構えて、再び今度は渾身の力を込めて薙いだ。


「――ぐ……。……あああッッ!!!」


 残り1/3というところでより力を入れなければならず、思わず声が出てしまった。少し羞恥心に襲われる。

 だが甲斐あって木々はごりごりと切れていき、やがてすべて切れてくれた。


 巨大すぎる防風林がゆっくりと前方に倒れてくる。跳躍して壁の倒壊から巻き込まれないよう逃れた。

 さすが緑竜だが、俺が切るの苦労するってどんだけ硬いんだよ……。


 壁が完全に倒れきれないうちに3本の矢が到来してくる。黒翼だ。

 が、速すぎた。最後に見たのより倍は速い。空中にいて避けるのも無理だったので、《氷結装具》で竜帝の誇りをつくって防いだ――


 てっきり何事もなく防いでくれると思ったんだが、威力もだいぶ強められていたようで、俺は着弾の勢いのまま後ろに軽く押し飛ばされてしまった。


 まずいな……。ネロの補助魔法だろうが、効果がやばすぎる。


 緑化されたこの場所の影響もありそうだ。でなければ緑化する意味が見当たらない。

 カードゲームが多いだろうが、どのゲームでもフィールド系は地味に厄介だったものだ。自軍にフィールド効果を得るユニットが多いなら言うまでもない。


 地面に降り立ったところで下から気配があった。フェンリルは今回はいない。

 ――想像通り、植物で出来た巨大な手が噴出してくる。直前に《瞬歩》で跳躍し、魔力装で両断した。無事に切断。


 壁に比べてこちらは脆かったが、出現速度はずいぶん速かった。ネロだったかもしれない。

 それにしても諸々が以前にもまして速い。これは結構警戒していかないとまずいだろう――


 ネロの方を見ると、ネロはその場を動かずにいる一方で、地上には駆けている深淵、上空には弓を構えた黒翼がいた。

 黒翼の弓には既に装填済みの黄色い魔力で象られた矢もといエネルギー弾がある。


 ケンタウロスも後ろから向かってきていた。前方に杖を掲げて。杖の宝玉周辺が緑色に強く発光している。

 ――杖の前に緑色の魔法陣が出たのを確認するや否や、凄まじい速度の“なにか”が到来してきたので首を傾けて避けた。風魔法だろう。ケンタウロスもついに攻撃らしい。


 俺の方も牛突槍で黒翼を狙い撃つ。

 ――が、すんでのところで避けられてしまった。驚く。


 あれ? 牛突槍が外すなんてことあるのか。


 深淵が斬りつけてきたのでいったん後ろに避ける。深淵の攻撃もバフがかかっているようで速度が増し増しだ。

 ……速度が増す? なら回避力も上がるか。《風力場エアリアル》だとしたら移動速度も上がるしな。そもそも《風力場》以上の効果を持った魔法の可能性もある。


 考え事をさせてくれる暇もなく、深淵が追撃をかましてくる。

 連続で繰り出してきた斬撃を避けつつ集中して、回避するために“あえて宙返りした”最中、牛突槍の攻撃により態勢を崩しつつも早くも弓を構えていた黒翼に向けてもう1個の牛突槍を飛ばした。


 今度はしっかり当たり、黒翼を仕留めるのに成功する。

 不意打ちは入りやすいようだ。これまで愚直にしか攻撃してこなかったのもあるだろう。


 着地してすぐに深淵を視界に入れると、白銀の大剣の刀身が光っていた。来るか。

 しかし彼の剣スキルが到来する前に再び豪速の風の射撃。2つあった。


 1個目はさっきと同じでケンタウロスが放ったものだったが、もう1個はケンタウロスのものより倍以上の速度がある上に、魔力の密度も数倍あった。

 疑う余地もない。まだ助力程度のようだがネロだろう。


 1個目は難なくかわせた。だが、2個目は腹にきたのもあり、身を翻してしまった。深淵が着地の隙を見て剣を光らせながら攻撃に転じてくる――


 薙ぎ。切り上げ。反対から切り上げ。振り下ろしに、突き――

 連続斬り的なスキルらしい。線対称の図形が出来たであろう正確無比な高速斬撃だ。だが、斬撃は射撃よりも対応が楽だ。すべて回避と魔力装で受け流すのに成功する。


 2度も負けたし過信はしていなかっただろうが、深淵はたじろいだようだ。剣相手の戦いは手合わせ含めて散々してるからな。


 背後で、ネロの眼前に巨大な魔法陣が出来上がっているのに気付く。大技か?


 ケンタウロスが立ち止まり、深淵も引いた。やはり大きいのがくるようだが、何が来るのか俺に予想なんて出来ようもない。

 ひとまずこの機を逃すものかと牛突槍で引いた深淵を狙い撃った。深淵は大剣で防御の構えをとったが、あえなく剣ごと貫くのに成功した。倒れる深淵。よし。


『さすがだねえぇ! でもこれはどうだい?』


 ネロは踏ん張るように地面を踏み鳴らし、威嚇するように背を低くした。

 そして、竜の目を光らせた――


 その瞬間、俺の周囲で一陣の風が巻き起こった。つむじ風だ。

 風、それも“ネロの風”はまずいと思いつつ、とっさにその場を離れようとしたが、俺の足元からもホップする突風が巻き起こり、俺はみるみるうちに上空に打ち上げられてしまった。


 と、同時につむじ風もどんどん巨大になり、俺は何もできずに回転していったまま――「風の柱」に閉じ込められた。


 竜巻……くそ……目が回る……!


 砂が目に入ってきたこともあり、手で目を覆った。


 ――ふと見れば地面はもう遥かに下だった。一瞬でどれだけ上ったのか。


 暴風に抗いきれず浮力にいいようにされて焦る心境の最中、俺と同じように旋回してしまっている牛突槍が目に入る。『地面まで伸ばして切っ先を刺せ!』と念じた。

 如意棒よろしく指示通りに柄を伸ばし、やがて回転をピタリと止める牛突槍。なんとか手を伸ばして槍の持ち手をつかむ。ジェットコースターのようだった視界がようやく止まった。頭がくらくらする……。


 怪力のおかげで割と大丈夫そうなのだが、休みたい気分もあり、念じてちょうど足の高さの部分に突起――足置きをつくる。

 しばらく三半規管を落ち着かせるのに集中した。と言っても医学的知識はないので、下を向いて目をつぶっただけだ。


 やがて落ち着いてくる。


 見れば揺さぶられた刺さった場所は地面だが、もはや点になっている。高すぎるだろ……。

 もう1本の牛突槍がいまだに回転していたので同じように地面に刺して動きを止めておいた。


 周囲で風が凄まじい風きり音を鳴らしている。かろうじて攪拌かくはんされるのは防いだが……。

 草葉や土が舞っているのもあるが、竜巻自体もよほど分厚いようで、外の景色がかすんでいる。竜巻の中ってこうなのかという感動はさすがに起こらない。呼吸困難とかそういう心配がないのは安心だが。


 ――どうするべきかと思案していたが、悠長に考える暇はなさそうだった。


 なぜなら、みぞおちに不意に一撃をくらったからだ。

 さっき撃っていたような射撃系の風魔法だろうが、今回俺はこの攻撃に全く気付かなかった。


「――が、っ!……」


 軽くむせた。


 風の威力かよ……。風魔法は火力低いんじゃないのか。今度は肩にくらう。いてぇ……。

 どこから来るのか慌てて周囲に視線を寄せるが、あらゆる音が轟音でかき消されているせいか、“感知傍受仕様”の竜巻なのか分からないが、気配も魔力も感知は困難だった。


 また今度は背中に直撃。鎧を着ていたら多少違っただろうか? くそ……竜巻技が強いわけだ……。


 まずい。これはまずい……。


 焦りつつ俺は《氷結装具》で竜帝の誇りをつくり、くわえて俺の周囲を覆うように楕円の形に湾曲させた。

 半分ほどしか俺の体を覆わなかったので、反対側にも同様の形で《魔力弾マジックショット》を変形。 


 結果、俺の身を二枚貝のように2つの盾で覆うことになった。

 盾に風が当たり、ガンガンと強化ガラスめいた衝撃音が鳴る。うるさいがひとまず安心だ。


 さてどうするべきか……。

 盾の隙間から上を見上げる。先の空はかすんでいる。


 上からも出られそうだが……。


 じっと上を見ていると、ふと、竜巻の上部周囲に妙な魔力の塊があるのに気付く。

 ちょうど竜巻を出た先の周辺を囲むように点在している。集中すればなんとか感知できるようだ。


 上から出たら総攻撃をくらうパターンか? だとしたら最悪だな……。


 3戦目の木人たちの攻撃は2戦目の比ではなかった。それに今回はネロも参戦している。射撃もくらったらあの痛みだ。痛みはもう引いているが、何度もくらえば気絶する自信はある。だいたいくらいたいわけもない。

 あまりうかうかしているとしてやられるだろう。上に出るのは悪手っぽいし、相手の思うつぼになってはならない。


 1つ馬鹿げた案が浮かぶ。とはいえ、他にこれといった妙案もない。時間もさほどないだろう。放っておいたら何をされるか分かったものではない。


 俺は決心を固めて、魔力装に手を触れて集中した。


 ――この竜巻を斬るぞ……。


 俺ならできる。一瞬風速を弱めればいい――俺は魔力装に話しかけるように斬ることを宣言したあと、射撃の間隔が空いた隙を突いて二枚貝状にした魔力装を一瞬自分の体から遠ざけ、防御を解いた。


 そして、すぐに剣状に変化させた魔力装を思いっきり薙ぎ、竜巻の切断を試みた――


 <山の剣>の連中にやったのとは違って剣閃は光を帯び、必殺の一撃めいていたが、結果として竜巻の壁は割れ、切れ目ができた。斬った周囲では竜巻の密度も薄くなっている。

 風速を弱めてその隙に出るつもりだったが、切れ目はすぐにふさがる様子はなかった。切り口にはふさがるのを阻むように俺の魔力が“付着”していた。


 予想とは少し違うがよし。

 すぐに盾を自分の周囲に戻し、牛突槍を踏み台にして、切れ目に向けて猛スピードで突進する。


 ――結構な高さだろうとは分かっていたが……竜巻を出た直後に現れた眼下の光景に俺は身をすくませた。


 200メートル? いや、300はあるかもしれない高度だ。俺の初スカイタイビングは紐なしになったらしい。


「――ぁあッ……!」


 声が出そうになるのをぐっとこらえて、落下先に《魔力弾》で大きめの床をつくった。

 バンと両手両足で音を立てながらなんとか無事に着地する。俺は思わず息をついて胸をなで下ろした。


 心臓に悪すぎる……。

 だが、透明の床の下に広がる光景に再び身をすくませることになった。ひえぇ……。


>称号「空中闊歩」を獲得しました。


 バクバクと高鳴る心臓を落ち着けていると竜巻が弱まっていき、やがて消えた。如意棒のようになっていた2本の牛突槍を俺の元に戻す。


 下ではネロが俺のことをじっと見上げていた。


『どうだった? 竜巻の中は? なかなかスリリングだったろう?』


 という嬉々としたネロからの念話。


 ――全っ然スリリングじゃねーよ。死ぬかと思った……まだ頭が少しくらくらする……。


『ふうん? 君には丈夫な鱗もないしね』


 ――鱗あっても変わんないだろ……。


『飛翔魔法を購入したと聞いたけど使わないのかい?』


 え。……情報新しすぎないか?


 ――確かに買ったけどまだ習得してないんだよ。


『おや。それは失礼したね。でも巻物は持っててもただの紙切れだよ。購入後すぐに習得だけでもしておいた方がいい。従者たちの分もね』


 ――ごもっともだよ……。


 攻撃が飛んでくるのを警戒しつつ、《魔力弾》の床をつくっては飛び降りて消し、つくっては消し、降りていく。高いので恐る恐るだ。

 途中から板を不透明の白い板に変化させたが、降りる時に毎回決死の想いだ。


>称号「高所恐怖症」を獲得しました。


 この高さなら誰だって怖いだろ……。


 この間、ネロやケンタウロスはなぜだか何もする様子もなくただ見上げていた。待ってくれるらしかった。

 まあ、俺の体たらくを見ていたら攻撃する気もなくすのも分かる。


 なんにせよ、降りたら続きだろう。正直助かるが、やれやれだ。


 降下ももう半分が過ぎた頃、いまさらながら防御魔法の存在を思い出した。

 腕に手をやり、魔法防御魔法の《結界バリアー》をかけた。……が、膜はすぐにパリンというガラスの割れるような小さな音とともに霧散した。抜け目ないが、ネロもバフ除去を持っているらしい。


『甘い甘い。知っているのかと思ったけど。私たち相手じゃ《保護プロテクト》っていう魔法がないと防御魔法は消されるよ。ジルはできないけどね』


 ジル以外はできるのか。防御系の頼みの綱は《氷結装具》か。


 しかしそろそろネロへの攻撃も考えなければならない。

 警戒はしつつ、習得魔法のウインドウを出現させる。


 俺の魔法はブーストされるといえど、《風刃ウインドカッター》や《岩槍ロックショット》は戦力になるとは思えない。第一ほとんど使ってない。

 めぼしいのは《氷の魔女の癇癪ヨツンズ・スパンク》に《凍久なる眠りジェリダ・ソムノ》か。できれば《凍久なる眠り》を使う羽目にはなって欲しくないが……。


 あとはインにしたような《掌打》か。火魔法は有用そうなんだけどな。撃ってはみるが、《火弾ファイアーボール》なんかじゃダメだろう。

 飛翔魔法はもちろん鞭系もあったし、ネロの言う通り購入した魔法を習得しておけばよかったという後悔がたちまち俺を襲う。


 攻撃方法を考えながらようやく地面に降り立つと――ネロは忽然と消えた。ケンタウロスもいない。どこいった?


 辺りを見回すが、変わらず広場と森しかないことにくわえて空がピンク色になっていることに気付く。……ピンク? いつの間に?


 何かが起こっているらしいが、まったく見当もつかない。

 天候を変えるのか? いや、変えるにしてもピンクはないだろ……。


 と、不安な心境のなか、周囲で再びつむじ風が起こった。先ほどと同じように風は俺の周囲にのみ発生し、土を軽く巻き上げている。

 さっきの竜巻の前例もある。俺は急いで離れようと今度は全力の《瞬歩》で移動しようとしたが、俺の意思とは裏腹に単に“駆け足”になっただけだった。


 足がもつれて転びそうになっていると、俺の周囲の地面から突然無数のツルが伸びてきた。ツルたちは上部で出会い、ねじられ絡み合い、檻のようになる。

 檻から出るべく魔力装で斬ろうとするが、手元には俺の腕しかなかった。《魔力弾》も消えていた。改めて念じたがどちらも出てこない。《氷結道具》も出ない。


 “消された”……? いつだ??


 焦った心境の中、周囲をうかがう。


 檻の中はそこまで広くはない。半径4,5メートルほどだ。出入り口の類はない。


 なにか感知しようと集中してみるが何1つ分からない。分かる気配もなかった。

 魔力装や《魔力弾》が出ない状況だ。魔力の使用を遮断するタイプの技かもしれない。ならスキルは?


 檻のツルは触れてみると硬かった。熟れていない果実のような、硬いがわずかな弾力もある何とも言えない感触。

 《掌打》をしてみる。が、やはり硬い果実のような鈍い衝撃があるだけで、檻はびくともしなかった。ツルは俺の手の形をほんのり残したのみで、低反発のようにへこんだ形はすぐに元に戻ってしまった。


 かった。……というか。


 自分の手を見た。握る。手を開く。再び握った。もう一度、今度は握りこぶしで思いっきりツルを殴ってみた。今度はだいぶ勢いをつけて。

 だが……無駄だった。指先に痛みが走るばかりだった。いつもなら思いっきり殴ると衝撃波くらい起きるはずなのだが、何もなかった。


 力が出ていない?

 だが、俺の体には至って変化はないし、気だるさやめまいなんかもとくにない。


 今度は檻を両手でこじ開けようとしてみる。案の定無駄で、檻はびくともしない。


 半身でもなくしたような不安感を覚えながら俺は《氷結装具》ともう一度念じた。

 だが、何も変化は起きなかった。《火弾》も《風刃》も、《灯りトーチ》ですら出ない。


 やはり封殺系の技なのか? ジョーラが<タリーズの刃>にされたような。

 ただ、ジョーラがやられたのは魔法の封殺だったはずだ。力が封じられたわけではない。もっとも、八竜ならそのくらいできても不思議ではない。不思議ではないが……。


 だとしたら厄介すぎるぞ……。今の俺は一般人もいいところだ。レベルも二桁あるのか……。


 でも、ネロの姿がないのが引っかかった。ケンタウロスも見当たらないのだ。異質すぎるピンク色の空もある。

 不可解すぎる状況は俺に不安しか与えない。いったいこれから俺は何をされるのか、俺の身に何が起こるのか。


 突然、檻になったツルがきしみ始めた。見れば、内側に無数のツボミが芽吹き、たいした間を置かずに咲いた。撮影した動画を早送りでもしているように。他の箇所でも同様の現象が起きていた。


 あらゆる力を失ったせいもあるだろう、恐怖感を抱きながら俺は周囲をうかがった。

 檻の上部にはいつの間にか、ダリアのような豪華な花もあれば、野花のような黄色い小さな可憐な花々があった。アネモネのような、見ていると怖くなる類のけばけばしい色合いの花もある。花の周りに魔素マナが漂っているものも多い。


 ツボミは次々と花開いていき、開花した花はかなりの数になった。もはや檻の上部だけではなくなっている。黄色だがスズランと似た花もあり、ヒガンバナと似た花もあるのに気付く。

 豪華絢爛と言うには花の種類が雑に多すぎる気がした。“ツルにサクラの花が咲いている”ことには、別ベクトルでこの場の異常さを改めて感じ取った。


 ネロはもちろんエントたちも植物を意のままに操るうえ、ここは転生前と「世界の地盤が違う」のだからこの現象は不思議ではない。不思議ではないが……。


 辺りに馥郁たる花の香りが漂ってくる。色んな香りが混ざっているようで濃く、正直不快な香りだった。<ペチュニアの泉>の香りがずっとマシなくらいに。

 よくよく嗅いでみれば甘い香りがある。柑橘系の酸っぱい香りもあるし、シトラスのような爽やかな香りもあった。ただ、生ごみのような悪臭もあった。悪臭はユリの花びら1枚に太いしべを1本つけたような紫の花が発していた。


 俺はふと思いつき、手で鼻を覆いながら檻から離れて後ずさった。


 もしやこの花の香りは毒か状態異常か?? でも俺にはミリュスベの腕輪が……改めて見ても俺の腕にはしっかりとミリュスベの腕輪はある。


 ――きゃはは! 新しいお友達。新しい“分かる人”。

 ――ふふふっ! 新しいお友達。偉大なる我らが統治者。


 ふと、楽し気な子供の声がしてくる。


 ネロや亜空間でのかつてのジルのように、声は辺りに響き渡っている。

 だが、周囲を見てみても誰もいない。俺だけだ。


 ――違うわよ。偉大なる“新しき”我らが統治者。

 ――ははは! 古木は偉大なり。新木は燃やすべし。


 最初の少年少女よりもいくらか歳を重ねた少年の声がさらに加わった。


 ――燃やして古木の接ぎ木にせよ。新木は死ぬことあたわず。

 ――燃やして森の妙薬とせよ。新木は死ぬことあたわず。

 ――神樹ユラ・リデ・メルファと知識の森イナーデルを守り抜け。新木は古木の最良の贄とならん。


 新しき統治者とは俺のことだろうか?

 新木も俺だとしたら、ぞっとする内容だ。接ぎ木にするなら枝を数本伐ればいいだろうになんで燃やすんだ。


 戸惑い、不快な気分を味わわされていると、俺の周りで3つの緑色の光が旋回し始める。旋回はときどき止まったかと思えばすぐに動き出した。

 精霊? 光の旋回は意思を持った動きで、不快な気分を軽減するくらいには神秘的な光景ではあった。緑色だし、木精霊ドリュアドのように見える。


「きみたちは精霊? ここで何を?」


 少し待ったが回答はなく、3つの光は戯れるように俺の周りで無邪気に旋回し続けている。


「俺は今どういう状況なんだ? ここは何なんだ?」


 回答はやはりなかったが、代わりに旋回の速度が上がり、中でも一番光の強い1つが丸いサボテンのような、黄緑色の奇妙な物体になった。

 今度はサボテンを追うように光は旋回し続け、やがて俺の頭上でサボテンと光は消えた。


 なんだったんだ……?


 今度は俺の目の前の地面から木が生えてきた。


 さきほどネロが出していた楽器の木くらいの丈でそれほど大きくはないが、枯れているのか葉は一切なく、枝もねじれかかっていて、不気味な様相を呈した低木だった。

 俺の背後の左右からも同様の低木が2本生えてくる。今の俺は魔法も使えなければ力もないため何も対処ができない。檻があるために逃げることもできない。


 不安が募らされていると、足が地面から現れた木の枝に掴まれる。

 慌てて力を入れて逃れようとするが、コルネリウスの時とは違い、枝はまったく微動だにしなかった。


 両腕も掴まれる。背後の2本の木から伸びた枝により。離そうとするがこっちもまったく動く気配がない。

 木の力はまったくどうすることもできず、俺は両手を伸ばされてしまった。もしや、という不安と恐怖。


「おい! なんだよ……」


 背後の地面が俺に向けて盛り上がり、再び別の木が現れた。木は俺の真後ろで成長を遂げて、俺の腿、胸、肩に枝を這わせた。蹴りつけたが全く微動だにしない。


「やめろ!!」


 予想はしていたが、呼びかけても無駄だった。身をよじっても伸びてくる木々の力は俺の抵抗をまったく意に介さずに成長と更なる拘束を続けた。


 やがて俺は体の節々を固定され、実験体のように――磔刑された。


 何だよこれ……何されるんだよ……?


 そうして目の前の木からは1本の枝が伸びてくる。先がねじれていき、針のようになっていく。いよいよ嫌な予感がした。


「やめろ……」


 針の狙いは俺の胸――心臓だった。


「やめろッ!!!」


 身をよじっても一向に体が動かないなか、勢いをつけて向かってきた鋭い枝に俺の身は貫かれた――

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