5-3 フレンチトーストとバジリスク
薄い植物の模様が入ったイスに白いテーブルクロスを敷いたテーブル。壁際ではテーブルは壁に対して垂直に、壁際にないものは斜めに、つまり菱形に並ぶ。
アーチ状の窓は大きく、採光は十分だが、白く塗装された壁や点在しているランプのおかげもあって、食堂内は夜もきっと明るいことがうかがえる。
金櫛荘の一階に設置されている食堂は、現実世界でも普通にありそうな垢ぬけた洋風レストランの姿なので、一瞬勘違いしそうにもなるが、客の中には肩に金属鎧をつけている客がいて現実に戻される。
茶髪で天然パーマの彼は脚にも防具をつけているようだ。着るものを気にしたものだが、とりこし苦労だったらしい。
さらに彼の傍の椅子には長剣が置かれている。結構な一品なのか、剣には鳥の翼の意匠があり、大きな赤い石が鍔にははめこまれている。姉妹に武器は持ち込まなくていいとは言ったものだけど、普通に武器を持ってきてるようだ。
俺たちの後ろから別の客がパーマの彼のところにやってきて、手を上げた。
やってきた彼も金属の鎧をつけている。今まで外にいたのか、
「ヴァニ! ははっ、相変わらずのいかめしい顔だ」
「お前の金遣いの荒さも変わってないらしいな、シリアコ」
二人は力強く抱擁した。久しぶりの再会のようで、俺も思わず頬が緩んだ。マクイルさんの言うように、マナーなどはさほど気にされないのかもしれない。
「座れ、座れ。今日は俺持ちだし、気にせず食べろ」
「ああ」
マクイルさんの方を見ると、微笑される。二人のことを見ていた俺のことを待っていたようだった。姉妹も俺のことを見ていた。
「ああ、すみません」
「いいえ。特に座りたい席などがございませんでしたら、こちらの席にどうぞ」
マクイルさんの薦めのままに窓際の席に座る俺たち。
朝日が気持ちいい。この席には特に何かあるわけではないが、窓際なので気遣われたのかもしれない。少年少女ご一行だしな。
食堂内は客はそれなりにいるんだが静かなもので、さきほどの抱擁を交わした二人の会話以外の物音は食器の音が聞こえる程度だ。酒の匂いも薄い。俺の世界のホテルの朝食風景とさほど変わらない。
ヴァイン亭だったら「ようダイチ君! 景気はどうだ?」「お前ら酒飲めんのか?」なんて、離れた席から、あるいは近くに寄ってきたりしてよく声をかけられたものだ。
少し寂しいが、この食堂ではそれはなさそうだ。落ち着いて食べられるのはいいんだけどさ。
「今朝はガチョウの卵を使った黄金トーストといちじくを入れたラカースがございます。ラカースにはオリーブかくるみも入れることができますが、いかがされますか?」
俺の顔を出してきた寂寥感に配慮を見せられるわけもなく、マクイルさんがそんなことを訊ねてくる。
支配人に給仕をさせるのは悪い気がするが、……ああ、ジョーラたちが同伴してきたんだからVIPにもなるか。相手が天下の七星なら、金櫛荘としては危うく不祥事になりかけた俺とインの消失事件もあったしな。
それにしても黄金トーストとは何だろう。ラカースは分かる。ルカーチュさんが出してくれたやつで、平らで穴が開いてるパンだ。
トーストで黄金色、卵か? ……フレンチトースト的な?
「黄金トーストとは何でしょう?」
「溶いた卵に乳と蜂蜜を加えたものにパンを浸して焼いた料理にございます」
あっ。やっぱりフレンチトーストだ。
懐かしいな。学生時代、薄切りしたバナナやリンゴを乗せたり、チョコをかけるのに一時期はまったものだ。仕事とゲームの日々で自分で作らなくなってからは、コンビニやパン屋でたまに買って食べるくらいだったけどさ。
「もしかしてトッピングとかもありますか?」
「トッピング、でございますか? 特にそういったものは出しておりませんが……」
むう。さすがにないか。懐かしい料理を楽しめるかと思っていたけど、残念。
「黄金トーストは近頃王都ルートナデルで流行りだした料理の一つにございます。なんでも、とあるお貴族様のお子様がパンを卵に浸して遊んでいたのを見たことから考案されたのだとか。朝食のメニューに是非加えてほしいと仰られる方が多かったので当館でもご用意している次第です」
食パンを卵に浸すって確かになかなか大胆な発想だよね。
「ダイチ様、つかぬ事をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はい?」
「トッピングには何を使っていらしたのですか?」
そこ気になったんだ。もしかしたら作ってくれるのかな?
「えーと……りんご……薄切りにした果物や、チョコをかけてました。バターを乗せたり、粉チーズをまぶしたりもしてましたよ」
言ってから、砂糖があるのは既に知っているのだが、チョコはあるのかなと思う。
「……なるほど、大変美味しそうです。それにしてもチョコとは……驚きました。そのような食べ方があるのですね」
「何か変でしょうか?」
「いえ、私の方ではチョコとは飲み物と聞いておりましたので」
ああ、チョコレートドリンク。そういう楽しみ方もあるよね。チョコはあるようだ。
「飲んでも美味しいですよね。飲みすぎず、砂糖を入れすぎなければ、血液をサラサラにしてくれて体にも良い飲み物ですし」
「そうなのですか? 体にも良いとは初めて聞きました。勉強になります」
「いえいえ、こちらこそ」
驚かれるのはいいのだが、畏まられて頭を下げられてしまったので、つい俺の方も頭を下げてしまう。
それにしてもチョコか。俺はチョコは大好きだが、この世界ではチョコはまだお目にかかったことがない。
現実のチョコと一緒だよな? この世界の食べ物は今のところ、少なくとも7割くらいは現実世界と一緒だと思ってはいるけれども。
改めて黄金トーストかラカースのどちらがいいか聞かれたので、もちろん黄金トーストにした。姉妹にも聞いたが、まあ普通に黄金トーストだ。ラカースはこの前食べたしね。
「よければ、薄切りにしたエリドンとチーズをお持ちしますが」
マクイルさんが笑みをこぼしながらそう申し出てきたのでもちろん頼んだ。やったぜ。
ちなみに飲料の方は、エリドンティーなどのお茶はなく、例によって水かお酒だった。お茶は品薄な上人気なので、ここで飲みたい場合は早めに来なければ飲めないらしい。
「黄金トーストがお好きなんですか?」
マクイルさんが行ってから、そんな質問をディアラから受ける。
「よく食べてたよ。最悪卵とパンと砂糖で作れるから楽でさ。卵も消化できるし、乗せる果物は割と何でもいいし。甘いもの欲しいときには砂糖とチョコ多めにすればいいしで」
あの頃は色々食べてたなぁ……。胃腸も全然問題なかったし。ま、今の俺も何でも食べれるけどね。魔力の補給がなければ既に死んでたっていうのはあれだが……食べ物に関しては満点だ。
気付けば二人が微笑ましそうに俺を見ていた。ん? 顔に出てただろうか?
「トッピングのやり方教えてくださいね」
ヘルミラがそう言ってくるので、もちろんと快諾する。
あ、と思う。トマトもなかなかいけるんだよなぁ。言ってれば持ってきてくれたかな?
「そういえば二人は黄金トースト食べたことがあるの?」
「実はないんです。美味しいとは聞いてはいたんですけど。だから楽しみで」
ディアラが期待を含ませてそう話す。
「作ろうと思ったこともあるんですが……私たちの里では卵は病気の時に少し食べるくらいで」
「へえぇ……鶏とか、ガチョウとか飼ってなかったの?」
そういや、ガチョウの卵ってなにげに初めてか?
「はい。鶏は飼っていた時期があったそうなんですが、鳴き声がうるさいからと飼育をやめてしまったそうです」
「確かにうるさいよね」
うるさいが、朝早くに鳴いてるのを聞くと、田舎に住んでいた頃を思い出して俺は嫌いじゃない。
鶏は朝5時前、夏とかは下手したら3時半とかに鳴く。だから鳴き声を聞くと、澄んだ朝の空気も一緒に思い出されて気分がいいのだ。というか、鳴き声を聞く時間帯ってのがそもそもそういう時間帯なんだけどね。
「はい。森の動物や魔物たちを刺激してしまって、狩猟への影響が酷かったそうで……仕方ないのですぐに捌いて食べたそうです」
あー……。
「それは致命的だね」
「はい。あ、でも、森イグアナの卵は簡単に取れますよ」
え? イグアナ?
「キジの卵も運がよかったら私たちでも取れるよね」
ディアラの言葉にヘルミラが頷く。キジは鳥類だし、食用にしていることは何かで見たけど……。
「……森イグアナの卵って美味しいの?」
「美味しいですよ。周りの人たちが言うには、鶏の卵と近いそうです」
へえ……。さすが森の狩猟民族。
「逆にバジリスクの卵は美味しくないです……。それに女王バジリスクが怒って里を襲撃しにやってきたりするので、取らないようにしてます」
バジリスクって、ようは蛇だよねぇ……。狩猟民族たくましいなぁ……。
「ご主人様?」
「何でもないよ。バジリスクって蛇型の魔物?」
「はい。私たちを丸のみできるくらいかなり大きな蛇です。知ってましたか?」
「うん、まあね。……美味しいよね、鶏の卵って」
乾いた笑みを浮かべる俺に、二人は無垢な笑顔で同意した。爬虫類は割と好きなんだが、さすがに蛇はちょっと苦手だ。
しかし丸のみか……。
「丸のみされた仲間とかっているの?」
「最近はありませんでしたが……10年ほど前、遊んでいた子供がバジリスクの卵と知らずに持ってこようとした時に、食べられてしまいました」
ああ、子供か。
「そのバジリスクどうしたの? 討伐したの?」
「はい。里の近くまでやってきてしまっていたので……お父さんや里の戦士たちが討伐しました。その後は……腹を開けるとその食べられた子供の死体があったので、埋葬しました」
生々しい話だ。
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