5-2 ミストドラゴンと若さ
ジルを抱えたウググが黒い楕円に消え、ゾフも去っていく。俺はふうと息を一つ吐いた。
「どうした? 疲れたか?」
「いや。いいもの見たなって」
いいもの? インが顔に疑問符を浮かべる。
「大柄のリザードマンに少女が抱えられていくって、なんか絵的によくてさ。ちょっと個性的寄りだろうけど。リザードマンも初めて見たし」
「ほお? よく分からんがよかったのう」
インが言うには、ケプラの南にはリザードマンたちの住まう集落があるらしい。七竜であるインと行ったら丁重にもてなされて、鱗とか触れさせてくれるだろうか?
「まあ、リザードマンを傍に置いとるのはジルくらいだがの」
「そうなんだ?」
「うむ。リザードマンはいざという時に我ら七竜と共闘できるほどの魔物ではないからの」
いざという時とはおそらく魔人との戦いとかだろう。
「ずいぶん昔の頃は、選ばれたリザードマンに力を与え、
「ドラゴニュートか」
「知っておるか? リザードマンに翼が生えた奴らだが」
「ああ、そういう感じか。なんとなくね」
その上はあるんだろうか。インがベッドに座る。
「あのウググというリザードマンは割と昔からおってな。ただ、体はなかなかでかいんだが、特別変わったものは持っておらんでな。ジルの身の回りの世話役といったところらしいが、実力的には適切と言えるの。ジルも特に力を与える気はないようだし、あやつの変わった趣味の一つだな」
ふうん。ジルのことだから単なる気まぐれである可能性も高いのだが、ウググに素直に従っていたし、なんかちょっとしたドラマを二人の間に想像してしまうよ。
「そういや、インの部下は
「他にもおるぞ。でも今はルオやフルの元にやっておる。メイホー村の守護だけなら少々手に余る部下だったからの」
ちなみに他の部下とは、ブライトドラゴンとミストドラゴンらしい。
ブライトドラゴンは初耳だが、ミストドラゴンの名前は聞いたことがあった。銀竜と同時実装された銀竜の部下MOBが、ミストドラゴンだったのだ。
俺自身はノヴァのマイ事件のごたごたや仕事などで忘れたままになり、結局ゲーム内で銀竜と戦うことはなかったのだが、ミストドラゴンは回避率が高すぎ、分身までしてきて、さらにこちらの命中率も下げてくるという雑魚MOBの割にだいぶうざい敵だったと聞いている。
もちろんレベル自体は100もない敵だ。実装時でもLV500からようやく火力の役割をこなせるような世界だったので、うざかろうが大したことがなかったのは目に見えている。
ただまあ、無害な敵の一生懸命っぷりっていうのは見ていてなかなか面白い。多芸であればなおいい。
カメラを寄せて敵MOBのグラフィックやモーションを観察するもよし、SEを聞くもよし、普段使わない弱いスキルや装備や回避率などの諸々の検証をするもよし。
普段から数発で死ぬような場所で狩っていると、彼らはちょっとした癒し要素にもなる。もちろん、用事がなければ退屈な相手だ。ドロップもいいものは落ちない。
「ミストドラゴンって回避率が高かったり、分身したりする?」
一応聞いてみる。
「回避率? 確かに霧を生むし素早くもあるやつだが……」
ああ、ついゲーム的に回避率と言ってしまったが、棒立ちで攻撃が当たらないってのもおかしな話か。
「しかし分身できるのも知ってるのか。よう知っておるな? どこでそんなことを知ったのだ??」
「まあ……ちょっとね」
「ふむ? ま、そのうち会うこともあろうな。紹介してやるぞ! なかなか愛い奴なのだ」
どう答えたものかと思ったが、インはさほど気にしないようだ。
紹介か。話せるのか聞いたら話せないらしい。鱗や体をさわさわするべし、だな。あと分身は見てみたい。
と、そんなことを考えていると、「さて、私も行くとするかの」と立ち上がるイン。
「え、どこに?」
「言ったであろ? フェルニゲスにな」
ああ、そうだった。
「その前に巣に戻って飛竜たちのところにも行くからの。そんなに遅くはならんと思うが、ま、私のことは気にせず三人で農場巡りでも楽しんでこい」
以前参拝者のところに行った時の例によって、遅れるようなことがあれば念話をするとイン。加えて「寂しがらんようなるべく早く帰ってくるからの」と、全く邪気のない顔でニコニコしてくる。
義理の母と上手くいってたらこんな感じなのかなと、ドラマだの小説だのそういうシーンを見て何度思ったか知れないが、ふと思う。
分かったよ、といくらか穏やかな気持ちになりながら言うと、インがうむうむと頷く。
「朝食は食べてく?」
「うむ!!」
「ナプキンつけなよ?」
「う、うむ、分かっておる」
ジルからもらったナプキンをしっかり汚しながら肉串を平らげた後、インは
「では。行くことにするの。ゾフ、頼む」
と、ゾフを呼びだす。え、またゾフ??
俺の心境をよそに、黒い楕円が唐突に出てきて例によってゾフが顔を出してくる。ゾフは着替えたようで、昨夜見た黒いゴスロリの衣装になっていた。よく見ると微妙に服のあつらえが違うようだ。
「すまんの。重ね重ね」
「い、いえ……行先は、インさんの家ですよね?」
「うむ。準備ができたらまた呼ぶからの」
昨日はジルにゾフを酷使するなと怒ったものだが……。
「君は七竜たちにいつもこんなことを?」
「え? はい……私の仕事ですから……」
ゾフは至って平然とそう答える。目元が隠れているので表情の変化は分かりづらいが、特に嫌がっている素振りはなく、いっそ誇っている節すらあるかもしれない。
確かに、タクシードライバーだって長年やれば誇りも出てくるものだ。
なんだか怒り損だった気がしつつ、そういえばフェルニゲスってどこにあるんだ、と思う。
「そういやフェルニゲスってどこにあるの?」
「グイヴァー平原――アマリアにある広い平原だの――の上辺りかの」
上? 北か?
「上って北?」
「上空だの。皆飛んでいくか、ゾフに送ってもらうのだ」
天空かぁ……ファンタジーだねぇ……。
と、インが俺に《
「ではの、ダイチ」
「ん。いってらっしゃい」
行ってから、マクイルさんはおそらく客のプライバシー的に触れてこないだろうが、インが1階に降りずに去った理由一応考えとかなきゃなと思った。
部屋で寝てるとかでもいっか? でも部屋の掃除とかするしな。窓は無理だし……まあ、出かけたでいいか。
◇
姉妹に用事のため、インの日中の不在を伝える。
不安に思わせないために頼りにしてるよ、と言うとやる気を見せる二人。
俺は土地勘はもちろん、常識もまだまだ全くと言ってほどない。なので、二人の力強い返事と心意気はいつも頼もしい限りなのだが……槍と弓を持っていこうとしたので慌てて置いておくように言う。
「食事しに降りるだけだから」
「え、ですが」
「いいから、いいから」
高級ホテルの食事ででかい武器の携帯はちょっとな……。館内の豪奢な内装やルカーチュさんの作法などに緊張していた様子はどこに行ったのか。俺、一応正装用に一応購入したベスト着てきたのに。
でもそういえば二人には武器の類は槍と弓しか持たせていない。
農場への行きがけに短剣でも買うかと思う。携帯武器があれば、その辺の防衛意識、二人に言わせれば主人を守る的な意識による槍と弓の持ち寄りも、多少は気にならなくなるかもしれない。
階段を降りた先で、マクイルさんがテーブルを拭いていたので話しかける。
「おはようございます、マクイルさん」
「これはダイチ様。おはようございます」
「これから食堂で朝食をとろうと思うのですが、何か決まり事とか、マナーとか、そういったものはありますか?」
多少仕事の付き合いで高級レストランを経験しているとはいえ、国内でのことだ。恥をかきたいわけもないし、そう訊ねてみたが、マクイルさんは「そのようなことはございませんよ」と微笑する。
いや、そういう風には思えないんだけどね?
「ご案内しましょうか?」
「是非お願いします。あまり経験がないもので」
気にかけてもらえるように、苦笑しておく。
インがいなくなった不安もあったかもしれない。
インは食事のマナーに関しては俺よりも信頼度は低いが、なにはともあれパンチのある存在だったからね。インがいることで場が和んだり、事がスムーズに運んだことはよくあったし、俺たち一行の精神的支柱であることは間違いがない。
少々お待ちくださいと言って、マクイルさんは共鳴石を鳴らす。やがてまだ見たことのない男性使用人がやってきた。
長身の男性は浅黒い肌をしていて、こげ茶の入った黒髪を短く切り揃えている。瞳は褐色で、顔立ち的に黒人ではない。
「こちらダンテです。昨日にご紹介させていただいたルカーチュと共に当館の筆頭使用人をさせております。お見知りおきください」
ああ、ルカーチュさんが言ってたな。
「よろしくお願い致します。ダイチ様」
ダンテは微笑して、頭を下げた。美声だ。ルカーチュと同じ立場なら、彼もまたそれなりの年齢いってると思うのだが……驚くほど若々しい。
そしてルカーチュやユディットが美女ならこの人も美男である。同性愛者と言われても納得のレベル。
ホテルマンらしく清潔感に溢れ、髪も服もビシっと決めてはいるのだが、肌の色の影響も手伝ってか漂う色気が抑えきれてない。輪郭に沿った薄いヒゲがセクシーだ。
そんなことを特に思ったことはないのだが、彼と同じように浅黒いジョーラの色気は体の方から主に出ていると理解してしまった。……いや、美人ではあるよ? もちろん。
ダンテが俺の視線にわずかだが首をかしげた。
「こちらこそよろしくお願いします。すみません、じろじろと。若々しい方だなと」
マクイルさんが柔和な表情を見せながら「私も時折、ダンテの若さには羨ましく思っております。これでもルカーチュと3つしか変わらないのです」とコメント。
マジか……。ルカーチュさん40くらいだったよな。ルカーチュさんはその辺は年相応な人だが、ダンテはシワなんてないしどう見ても20代だぞ。詐称レベルはジョーラといい勝負だ。
ダンテは狼狽えた俺にも特別表情は崩さなかったが、マクイルさんのコメントには苦笑した様子を見せる。
「ダンテはドワーフの血が入っているのです。人間より老け込むのが遅いのはそのためなのです」
ドワーフって寿命長いのか。ガルソンさんはいくつだったかな。にしても。
「……ダンテさんは背が高いですが……」
ついこぼしてしまったが、ダンテは特に気にしたところは見せずに「それは純血のドワーフでしょうね」と答えてくれる。
「他種族との血の混じりがないドワーフは仰られる通りに背が低いのですが、私のように人族やエルフ族などの背が高い種族との混血になると、多く背が高くなります。そうでない場合ももちろんございますが」
その辺はすぐに察したんだが、丁寧に説明されてしまった。
「そうだったんですね。あまりドワーフを見たことがないので驚きました」
素直にそう言うと、そうでしたかと微笑むダンテ。如月君やニル辺りが騒ぎそうな蠱惑的な微笑だなと思う。外国人だとどうなるんだろうな。
< ダンテ LV30 >
種族:人族・ドワーフ 性別:オス
年齢:41歳 職業:宿の使用人
状態:健康
情報ウインドウが表示され、混血であることが証明される。レベル30という高レベルには、ルカーチュさんの「戦闘訓練を時々行っている」という言葉を思い出して納得する。確か槍が得意だったんだっけ。
でも30はそれにしては高い気もするが、亜人は人族よりも身体能力が高いというハリィ君の話を思い出した。姉妹もそうだ。
>称号「混血と出会った」を獲得しました。
混血の人と知り合うの初めてか。
それにしてもダンテさんを改めて見ても、人間にしか見えない。おそらくガルソンさんは純血だと思うのだが……ガルソンさんのホームレスな顔立ちと照らし合わせてみても、ダンテさんの端正な顔にはドワーフ的な要素は一つも見当たらない。
「ではダンテ。私はダイチ様たちを食堂にご案内するので帳場や玄関は任せます」
「畏まりました」
色々と考えが及んでいる俺とは裏腹に二人の間で言葉が交わされる。どうやら気を使ってもらったらしい。
「すみません、わざわざ」
「いえいえ。気になさらないでください。では参りましょう」
ダンテさんの軽い礼を後ろに、マクイルさんについていく。
ダンテさんはとても40代には見えない若さがあったが、なかなかどうして54歳のマクイルさんも姿勢は綺麗なものだし、足取りもきびきびしたものに見えてくる。
ここから老いは早いとは、取引先の上役との愚痴でよく聞いていたが、いいね、若々しいって。まあ、よぼよぼになって身内や介護師に嫌がられるまで生きたいとは思わないけど。元気なうちにサクっと死にたいものだ。
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