6-2 幕間:退屈 (2) - 思慕
エインヘリアルから帰ってきたジョーラは自分の屋敷の自室に入ると、力なくベッドに伏せった。
そして大きなため息を一つ。
「退屈だよ、ダイチ……」
アンニュイなジョーラの脳裏に浮かぶのは、最近出会ったばかりの黒髪の少年だった。
平民の身なりだが言動は争いを好まぬ温厚な貴族のそれであり、未成年だが非常に落ち着いた性格をしていて、そして、素性が不明の少年でもある。顔立ちこそシルシェン人のものだが、シルシェン語を話すこともなければ、シルシェン人の勇猛さや異国情緒も欠片もない。
金も惜しまぬほどあることから、どこかの名家の出であることは想像がつく。
平民の身なりであることと、旅をしていること、自分の話をあまりしないこと、そして世間をあまり知らないことなどから、望まれて生まれてきた者ではなさそうだが。
インという、防御魔法を三重に貼れるという、七星の
だが、ジョーラに強烈なインパクトを与え、そうした情報をどうでもよくさせているのが、彼が<七星の大剣>である自分よりも数段上手の武術の達人、しかも魔法も使える武術の達人であることだ。
同族以外ではそうそう打破されない《
その実力は七星たちはもちろん、師匠であり、先々代の
昔の英傑たちでも果たして彼レベルの者がいたかどうか。所詮文献ではあるのだが……ジョーラは実際に手合わせをした身として、彼ら英傑たちよりも上手のように思えてしまっていた。
実は魔人と戦っていたと言われる方がまだ納得できただろうが、彼はどこからどう見ても人族だった。体格もその辺の若い男と何一つ変わらない。
いったいダイチの戦闘技術はどこからきているのか。彼は「自国から」としか教えてくれず、どこの国の出身であるかも教えてくれなかった……。
壁に立てかけてある獅子の彫り物が入った豪華なパルチザンがジョーラの目に入る。
「金獅子の槍」は七星の槍闘士を賜った時にもらった宝槍だ。装飾品なので、飾りばかりが凝っていて実用性はない。非常に重たく、盗むのも一苦労だろうということで、ジョーラは自室に置いている。
自室に置くには別の理由もある。
ジョーラはたまにこの金獅子の槍を手に持ってみる。ずっしりとくる重みが、ジョーラは快かった。ルートナデルの王室とオルフェを守る七星の一人としての、あるいはダークエルフの一族代表としての重みがそこにはあったから。驕りを嫌悪する、武人らしい儀式とも言える。
だが、近頃ほど持とうと思わなかった日々もないかもしれない。
この世は広い。などというある種呑気な感情を持つには、ジョーラは自身の腕っぷしに自負を持ち過ぎていた。
驕りは捨てよ。マイヤードはよくその言葉を持ち出し、ジョーラもまた常にそれは意識している部分ではあるが、誇りの方は持たないことはできない。それはマイヤードを始めとした自身に武術や戦術やあるいは魔法を教えてくれた先達たちを蔑ろにするというものだ。
だからジョーラはダイチに幾度となく手合わせはしても技の教えを請うことはできなかったのだが、かといって、教えてもらって物になったかどうかも怪しい。
ハリィのように、人族に本来適性のない《魔力装》のコツを教えてもらうといった、0または1から2にするのならまだしも、ジョーラの技の数々は日々の研鑽の賜物であり、一つの極みに達しているものでもあるからだ。
(あたしの技は何かコツを教えてもらって劇的な変化が訪れるような代物ではない……。魔法を組み合わせたり、新たなスキルを駆使するなら話は別だが……。まさかダイチが禁術の類を使っていないことは誰の目にも明らかだ。あれは単純に基礎的な身体能力の圧倒的な差だ……)
「はぁ……」
ジョーラは今度は艶っぽいため息をついた。
そしてもう一つ、ジョーラがダイチの謎めいた素性をどうでもよくさせているのが、そんな彼をジョーラ自身が好いているということだ。
あのような卓越した武術の腕を持ち、あれほどの若さにして、野心もなければ一切驕ったところがないというのはいささか不可解さは残るが……それが異性として、不思議な魅力を持つ男性としてジョーラには映った。年齢差や種族の壁というものはそれほど障害にはならないようだった。
ダイチの温情はいつもとにかく親身だった。ジョーラが武人であることを忘れてしまうほどの。そして彼自身が、武術の達人であることすらを忘れさせてしまうほどの。
野心を持たず、プライドを持たず、人に情けをかけてばかりいる男をジョーラはいくらでも見たことはあるが、彼らに特に惹かれたことはない。
酒場で大の男どもと酒をかっくらい合う自分は、酒場に来ても静かにしてしまう彼らのような人々とは縁のない側、大きな運河を挟んで反対側に住んでいる人々だと思っていたくらいだ。
だからダイチとのやり取りは反対側に住む住人として新鮮な気分になりもしたんだが、同様にジョーラはいつもどこかくすぐったくもあった。
まるでどこかに隠れている幼い少女の自分を発見され、彼はそんな自分と話をしようとしているかのようにも感じたから。
始めはそのよく分からない気分を侮辱にも思ってしまったが、ダイチが特に侮辱していないことはすぐにも分かった。あれが彼の“地”なのだ。
(ガルソンはもちろん、ハムラはちょっとあれだが……、メイホーに同行した部隊の奴らは気のいい奴らだ。気のいい奴らは気のいい奴とすぐに仲良くなる)
実際、彼らとダイチは短期間でずいぶん仲良くなった。そうなると、ダイチもまた「気のいい奴ら」ということになるわけだが、ダイチは“そういうやり方でしか他人と接することができない”らしいのをジョーラは察した。つまり、できるだけ人を不愉快にさせたくないという気性の持ち主だ。
それは個としては強いと言えるのかはジョーラは分からなかったが、七世王のように人々を結びつけるものでもあり、決して弱いものではない。だが、非常に脆いものでもある……。
ジョーラはそのようなダイチと接するにあたり、外界を知らないため穢れを知らぬ、里のダークエルフの子供たちを彷彿とさせたことがある。
あれほどの強さを持ちながら血を見るのが苦手というくらいなのだから、いっそダークエルフの子供たちよりも穢れを知らないかもしれない。
また、穢れがないということで、彼は童貞なのだろうとジョーラはすぐに踏んだ。自分を女として見ていることもだ。
ジョーラは寝転がりながら、ガルソンの武具屋の裏で自分に抱きつかれてドギマギしていたダイチを思い出して、“大人の少女”の笑みをこぼした。
ジョーラだって45年生きているのだ。
性行為の知識はあるし、女として意識されたことはいくらでもあった。だが、七星の名を出せばそんな感情はたちどころに引っ込み、敬服されるのが常だった。
あとは卑しい算段を持った男や野心家の貴族たちだが、彼らのことをジョーラは男として意識したことはない。殴り飛ばすなり、蹴り飛ばすなりしたら一瞬で静かになるか謝るかする奴らを男として見ることはなかった。それは七星になる以前からだ。
ジョーラはサイドボードに置いた、瓶立てに入った二本の空のエーテル瓶を目に入れた。ダイチが作った甘い夜露草の汁が入っていたものだ。
もう体は完治した。アインハードが言っていたように調子もいい。だが、あの瓶は捨てるに捨てれなかった。さすがに中身は綺麗にしたが、……何かもらえばよかったなとジョーラは思う。
ジョーラは抱きしめた時の華奢ではあるが、無駄な贅肉のない、それなりに引き締まったダイチの体を思い出した。
それから、膝に乗っかった頭の重みや腰にしがみついてきた感触。そして。
温厚な性格に似合わず表情の方は少々不愛想気味ではあるが、その一方では、安らかで、可愛らしくもあった寝顔も。
「早く王都に来いよな。でないと会いに行っちゃうぞ」
ジョーラはそうつぶやき、やがて近頃よく味わっている、長年味わったことのないほどの幸せな眠りについた。
・
「ジョーラ様! ジョーラ様!」
浅い眠りだったようで、ジョーラはその声ですぐに覚醒した。使用人のカアラの声だ。
ジョーラは寝ぼけ眼をこすりながら、ドアを開けた。
そこにはやはり、腰から裾にリボン飾りを施した鮮やかな赤いチュニックドレスから白い肌着を出した使用人服のカアラがいた。
「……なんだよ?」
「王様からの召集です! 1時間後に来いとのことです」
「また急だなぁ……」
王からの呼び出しなど、そう滅多にあることではない。なんかあったっけ、とジョーラは思う。
そしてすぐに件のことを王には直接報告してないこと、帰還以来王にはまだ会っていないことを思い出した。
「ハリィは?」
「来てませんよ。今さっき兵士の方が伝えに来ましたから」
(ハリィは呼ばれてないのか。ということは、自分単独の呼び出しか、七星の代表のみの呼び出しか)
近頃ハリィは時間があれば、《魔力装》の鍛錬にあてている。
《魔力装》の鍛錬は手に魔力をくっつけて伸ばしたり消したりしているだけなので、本当にどこでもできる。もっとも、真面目にそんなことをしている人族はハリィくらいのものだろうとジョーラもハリィも考えている。
「何の用事か言ってたか?」
「い、いえ。至急来いとだけ」
「まあ、王も忙しいからな。最近はアマリアとの関係がこじれてるし」
この関係のこじれは、
「じゃあ、ちょっくら行ってくるよ」
「はい!」
ジョーラはカアラに軽く身だしなみを整えてもらったあと、数名の使用人に見送られながら、グレーデン城に向かう。
<七星の大剣>に与えられる屋敷はもちろん七つあるのだが、ジョーラの住んでいるホライッツの屋敷は王城のグレーデン城から少し離れたところにある。
ホライッツとは、屋敷の管理人の名だ。代々屋敷の管理をしている一族らしいのだが、一度会って以来ジョーラは顔は見ていない。非常に流暢に喋ったのだが、がめつそうで、歯並びの悪い小男だった。
屋敷は空き部屋がまだ4つもある。屋敷は立派ではあるのだが、未だに自分の家という認識が薄いジョーラは「ホライッツの屋敷に帰る」とこぼすことがある。ジョーラは家は、寝る場所と槍を振るえる庭があれば満足できる性質だ。
歩きなれたグレーデン城までの城下街を歩く。
城下街といってもホライッツの屋敷のあるこの小教区――真紅のサンザシ区は貴族や大商人の家ばかり並んでいる。
馬車がよく通る道でもあるため、石畳でしっかり舗装された道は広く、日々手入れもされていて綺麗ではあるが、今は真昼なので人通りは少ない。
あくびがようやく出なくなった頃、ジョーラは兵士数名が歩き回って何かしているのを見つける。
兵士の一人は隊長格のようで、赤い服の下はメキラ鋼製の鎧をまとっている。彼が兵士たちに何かを教えているようだ。一人の立ち止まった兵士が屋敷や路地を覗き見ながら、手元の地図か何かと見比べているようだ。
(立地の確認か? この辺は特に変化はないぞ。……ああ、若い兵に教えてやってるのか)
「敵だ! 剣を抜け!!」
唐突に、隊長格の兵士が叫んだ。ジョーラは咄嗟に彼らの方をちらりと見、周囲を確認する。
……が、通りは特に変化はない。若い兵の二人ほどが遅れて鞘から剣を抜き、手にした。
ジョーラは耳をすましていると、
「はっは!! 遅かったな。今頃剣で首を刎ねられてるかもしれんな?」
と、磊落な笑い声が聞こえてくる。なんだよ、咄嗟の訓練かよ、とジョーラは苦笑しつつ警戒を解いた。歩みを再開する。
そういえばジョーラはふと思う。兵士たちが察知できて、自分が察知できていないわけがないと。
ジョーラは肩をすくめて息を吐いた。兵士がダイチや、またはインだったらこういう状況にもなるだろう。
しばらくして今度は見回りの兵士二人組を見つける。こちらは特に変わった点はなく、雑談をしながら歩いている。持ち場の入れ替えか?
最近は通りに兵士の数が多い気がするとジョーラは思った。そろそろアマリアと都市や領地の取り合い合戦が始まるからだろう。
まあ、現在のオルフェの状況は悪くはない。
アマリアとの国境にあるセティシアは相変わらず気力が有り余っているのかあまりいい噂は聞かないが、兵士たちが精強であるのは変わりないようだし、本来ならジョーラの死亡により欠けるはずだった七星も健在だ。七影や将校たちの欠員も特に聞いてはいない。
だが、問題はアマリア側だ。
アマリアは三か月前に王が代わった。皇太子のクリスティアンにだ。
執政たちによれば、皇太子は「堅実王」の父王がかつてそうしたように、舞踏会や白竜の祠や領地の巡回、“ペンを走らせること”などにかなりの時間を割き、戦いの方は少なくとも半年は動きはないだろうという目算を立てていたものだが、この予想は外れた。
アマリアの新王は戴冠後、もちろん盛大な舞踏会を開きはしたし、白竜の祠へも行ったが、領地への巡回はすることはない一方で積極的に政務には取り組み、そして、これまでアマリアを支えていた前王の政権を握る人物の何人かを入れ替えたのだった。
玉座は人を変える。戴冠後に人が変わる王はどこの国でもいた。期間は様々だが、戴冠前と本当に人が違うので、だいたい狂ったように見られるが、クリスティアンも多かれ少なかれそうだったということだ。
もっともこの入れ替え劇では、臣下たちの汚職のいくつかも見つかったらしい。つまり若き王は狂った愚かな王ではなかったということにはなる。実際、既に新王は「辣腕王」などというあだ名があるくらいだ。
このことを知ると、七星王や長く仕えている執政たちは口を並べてグラジナ王妃のことを口に出した。グラジナは明朗で、明敏な人だった。そして、時には周囲を驚かせるほどの苛烈さも持ち合わせた人でもあった。
なんにせよ、これから戦争という時においてはあまりいい情報ではない。新しくなった王朝に勢いがあるということは、初陣もまた勢いがあるものだから。
一将軍であるジョーラの懸念は相手の兵の数がいくつであり、どのような戦法で攻めてくるかだが、正直に言って分からなかった。
もちろん、アマリア軍の特徴は分かる。だが、“王妃の采配具合”までは分からない。
クリスティアンは皇太后に政権を握らせるほど若くはないが、彼女が助言をし、その影響が戦法に現れないとも限らない。いつの時代も新王朝において、王の母の影響は強いものだ。
サンザシの植木が見えてきた。そういえばもうすぐサンザシは開花だ。
時期になったら王妃が子供たちと実を取るのは恒例行事だが、まだ蕾はほとんどない。<サンザシ祭>は規模は小さいが和やかな催しだし、戦いの時期に被らなければいいが、とジョーラは思う。
物見の兵士が目ざとく気付いたようで、敬礼をしてくる。手を上げておいた。遠いので顔は分からないが目がいい。
《遠見》のスキルでもあるのか、この分だと彼はエルフ並みかもしれない。ダークエルフの目は人族並みだ。
石橋の下では堀に沿って植えられた並木を植木職人が整えていた。
脚立が少しぐらついている。そろそろ替え時だろう。
門番の二人の兵も気付いたようで、胸に手を当てて待っていた。
「ガンメルタ様!」
「よっ。七世王と会うんだ。服を見繕ってくれ」
「はっ! では服飾官殿に知らせてまいります!」
「頼む」
待機していた門番兵の一人がすぐ入ったところにある待機小屋に入って「ガンメルタ様だ! 交代を頼む!」と呼びかけたかと思うと、城内に駆けていく。別の門番兵二人がさっと出てきて番を交代になった。
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