第6章 氷竜着任と金櫛荘の使用人たち
6-1 幕間:退屈 (1) - 七星の三人
バルフサの列強国であるオルフェは、武闘大会を開催する国としても名をはせている。知らぬ者はこのバルフサ大陸に住む者ならいないというのも過言ではない大会だ。
とはいえこの武闘大会は、一部の勇ましい男たちや獣人たちにはあまり評判がよくない。彼らはいつもオルフェの武闘大会を取るに足らない大会だと評しては、自分の武勇の話のダシにする。だいたい笑い話だ。
「俺の爪の垢でも飲ませてやりたいもんだ。参加者どもは、敵の血と首の数で築かれた俺の武勇伝を聞いたらしょんべんちびって逃げちまうだろうよ!」
と、ここで笑いが起きる。
この時、彼が本当に勇猛果敢で誉れ高い武勇伝を持っている男かどうかはさほど問題ではない。
あくまでも“対人”の話になるが――戦う者にとって、敵の血を浴びないことは可笑しなことでしかない。
なぜなら戦う者とはそのほとんどが、剣を手に戦う者を意味するし、すなわち、人を斬っていることをも意味しているからだ。剣を手に戦っていながら未だに人を斬ったことがないのは、男たちの間ではまだ女を知らないのと同じ意味がある。何も守れた試しがないだろうと察するからだ。
また、その敵の屍を越えた先にこそ莫大な報奨金があり、出世がある。あるいは生還後、酒と女にありつくためだけかもしれないが――敵の屍を越えた先でこそ国の繁栄がもたらされ、盤石さも築くことができる。
仮にぱっと土魔法かなにかで城を数日足らずで築けるのだとしても、周囲に賊徒の類は現れるだろう。城内に入れなくても、ある日に道中の馬車を襲い、情報を得て、城内へと侵入してくるかもしれない。彼ら賊徒から城と住人を守るために、剣を手に戦う者たちが配備される。
金のためにせよ、女のためにせよ、出世のためにせよ、国のためにせよ。
配備される彼らの人殺しの理由は様々だ。殺戮を快楽とし、狂気のために人殺しをする者はいつの世も煙たがれられるものだし、それは彼ら剣を手に戦い、時には下劣に笑う者の間でもそうだ。
で、そんな男たちが嫌うオルフェの武闘大会というものはどんなものかというと、要するに、重傷者と死人の出ないように配慮されたクリーンな大会になっているのだった。
これは大陸中でも極めて稀なことだった。というのも、武闘大会というものは元来重傷者と死人はつきものである行事だったから。歴史をさかのぼらずとも、権力者は剣の届かない高い場所から、繰り広げられる死線を観戦するのが好きだ。
戦いの場なのに、血と死の瀬戸際を渡ることによる熱狂と人生の隆盛が見られないのは、男たちと獣人たちにとって眉をひそめるものの何者でもなかった。
稽古なら兵士たちの鍛錬場でいくらでも繰り広げられているし、殴り合いなら、場末の酒場でいくらでも起こっている。オルフェの王――アンスバッハ七世王はいったい何をしたいのか。彼らに限らず、世の男たちは武闘大会に懐疑的だった。
そのような男たちの心境、懸念材料は、「格闘王」やら「武帝」やらのあだ名もある七世王は手に取るように分かっていた。
だから王は、時折うるさくも感じる周りの執政たちにいつもよりも数倍耳を傾けた。そうして、国を挙げての一大行事にした。つまり、武闘大会のメインイベントは戦いだけではなく、「戦いと商売と催し物」にしたのだった。
大会中はオルフェに訪れる者が増えるため、物が飛ぶように売れた。
あらゆる商人は懐が潤沢になる笑みがひきつるほど大忙しだし、料理屋もこれ以上もないほど繁盛した。あらゆる武具が売れるのはもちろん、売れ残りの異国の商品だって高値で買う者がいたし、どこの誰が描いたのか分からないらくがきのような絵ですらも売れた。もちろん、娼婦たちは腰砕けになり、警備の兵も“動かす目”が疲れるくらいだ。
やがて赤竜祭と同程度の規模を誇るようになったこの武闘大会では、栄えある<七星の大剣>を選ぶ一つの理由にもなったが、貴族や商人たちが私兵を雇う場所にもなった。
これは国内で大会のクリーンな内容に懐疑的だった男たちも、批判的な立場を変えずにはいられない。誰が見ているかも分からない戦場で自分が死ぬリスクを背負いながら精一杯敵兵を殺すよりも、簡単に雇い主である貴族たちの目につくからだ。
そして王は、武闘大会にあたり、エインヘリアルという巨大な円形闘技場も設立した。石造りのこの建物は、観衆を収監する用途に大きいばかりで、武骨で懐古的なデザインだったが、装飾の類はほとんどなく、とにかく安上がりでもあった。
七世王が金だけを浪費するとして、城内や自分の服装などに豪勢な装飾をあまり好まないのはよく知られているところだが、エインヘリアルの存在は、影で噂されるにとどまっていた「節約王」というあだ名が広まるきっかけにもなった。
このエインヘリアルは武闘大会の開催日以外だと、演劇の舞台だったり、大きな市場が開かれたりするが、兵士たちの訓練場にもなっている。
もちろん、<七星の大剣>たちが訓練することもあり、今がまさにそうだった。
この三人とその部隊の面々が、今はエインヘリアルで訓練という名の手合わせを行っているのだった。
「――おらっ!!」
フーゴの大剣の振り下ろしの剛撃が、ジョーラを襲う。だが、ジョーラには当たらない。
思いっきり振り下ろしたが避けられた一発を、フーゴは地面に当たるすれすれのところでピタリと止めた。避けられることはフーゴには分かっていた。
「ふっ!!」
フーゴの背後に素早く回っていたジョーラは槍で突いた。こちらも七星の槍使いらしく無駄がなく、そして瞬速の一撃だ。
だが、フーゴはジョーラの突きを軸足だけを残して、大柄の割に最小限の動きで華麗にかわす。そのまま大剣を後ろにいるジョーラに向けて薙いでいくが、ジョーラも七星だ。易々と回避し、下がった。
そしてジョーラの連続突き。まるでレイピアで突かれているかのような神速の槍撃だ。たいていの者はこの攻撃がさばけずに終わる。
が、フーゴはこれを大剣の刀身で上手くさばいていく。少しずつ下がりながら、刀身の左で、今度は刀身の右で、時には刀身の真ん中で。確実に槍撃を自分から逸らし、受け、流していく。
ジョーラの槍撃は始めからさばけたわけではないが、元からフーゴは他の大剣使いに比べて防御が異常に上手かった。
大剣使いというと、力押しの戦法や一撃に特化した戦法で攻める者が多く、防御が疎かになる者も多いのだが、フーゴは違う。
フーゴは目が良かった。反射神経も非常に良かった。
それらはフーゴの天性のものであり、幼馴染であり現剣聖のアインハードとの幼い頃からの訓練の影響もあるのだが、出身のガウスの村の近くにあるアリアス山のてっぺんからの「ソリ滑り」が、目と反射神経を異常なまでに鍛えさせたのだった。
ソリ滑りはよくアインハードと一緒に滑ったのだが、運転はいつもフーゴだった。
アインハードの運転だとソリは最後まで到着できず、二人とも盛大に吹っ飛ぶ。生傷が多ければ、両親から怒られる。打ちどころが悪くて悶絶するのはもちろん気絶したこともある。だからフーゴが運転するのだった。
フーゴが運転すれば、ソリはたちまちスリル満点の森を疾走する玩具だ。あれに勝るスリリングな遊びは、フーゴは大人になった今でもないと考えている。それはアインハードも同じで、二人は今でも仲が良い。
ジョーラは一撃もヒットしなかった槍の連撃を止めた。と、同時に薙ぎ。フーゴが連撃を防いだあとのジョーラの癖の一撃だ。
フーゴはそれが来るのは半ば分かっていたので、ほとんど反射的にジョーラに向けて跳躍した。
「ふっ!!!」
そして、フーゴの全体重をかけて飛び蹴りだ!
だが、ジョーラは槍を手から離すこともなくひらりとかわしてみせた。
(あれ?? ずいぶん上手く避けたな……。いつもだとジョーラは槍を手放してごろりと転がってかわしたり、避けれたとしてもよろめいたりするのに)
飛び蹴りがあっけなく空を切ってしまったフーゴはすぐに態勢を立て直してジョーラに向き直ると、目の前には分厚い布で覆われた訓練用の槍の穂先があった。
首を動かしてすんでのところで槍撃をかわし、フーゴは再度態勢を整えるために後ろに下がった。
「ほらほらっ!!」
それを許さぬかのように、今度はジョーラが駆けてきて追い打ちの槍撃を連発してくる。
突き。突き。突き。振り下ろしに、右脇に突き。左足に薙ぎ。右胸に突き。左足に薙ぎ。右脇に突き。
さばいていくにつれて態勢も整ったので、フーゴは横に思いっきり薙いだ。後ろに下がるジョーラ。
フーゴはジョーラに再び攻撃に移らせまいと、瞬足の猛牛のように距離を一瞬で詰めてその褐色の体に大剣を突き刺す。
ジョーラは突き刺してきた大剣の刀身に上から軽く体重をかけて攻撃を止めたあと、そのままフーゴに駆け寄って顔面目がけて回し蹴りだ。
拳でないのは、ジョーラが蹴りを得意とすることもあるが、人族でありながらドワーフやオークとも力比べのできるフーゴ相手ではまるでパワーが足りないからだ。補助魔法をもらえば地面を抉ってしまう踵落としなどは、さすがのフーゴでもだいぶきついが。
ダークエルフの十八番である強烈な蹴りを、フーゴは皮の腕当てにつけた掌ほどの小さな木の丸盾で見事に防御した。そして少し流しながら、その脚を掴む。
「おらよっ!!」
フーゴはそのまま一回転して、ジョーラを宙に放った。
ジョーラに再び素早く詰め寄るフーゴだったが、ジョーラが投げてきた槍によってその突進は妨げられた。槍を折ってしまうのもいいのだが、それでは槍闘士との訓練にはならない。ナクル先生から怒られるのもよろしくない。
「おぉっとっと。……やっぱ腕上がってんなぁ! 体も調子よさそうだな!」
フーゴは身軽に着地したジョーラに声をかけた。
「問題ないぞ! いつもより調子いいくらいだ!」
まるで元気なジョーラにほう、とフーゴは笑みを浮かべる。
フーゴはエインヘリアルに敷かれた石畳の隙間にちょうど刺さっている槍にまた笑みを一つ。
(あの態勢からこの隙間を狙うとはねぇ……)
フーゴの槍を見た感心の心境は同七星に対する絶大な信頼をまた一つ積むものだが、わずかな畏怖もある。元々自分とジョーラとでは相性が悪く、1VS1ではそうそう勝てる相手ではないとはいえ、その相手の技量が上がって恐れないわけがない。
フーゴは槍を抜いて、ジョーラに歩み寄った。
「じゃあ、……ちょっとだけ本気出していくかあ??」
「いいぞ! まだまだいけるからな」
槍を受け取ったジョーラの威勢のいい返答に、フーゴは満足した。
勝てる相手ではないが、学ぶことは多い。それは勝てるジョーラも同じだ。だからこうして二人はよく打ち合う。
フーゴは歩いてジョーラから距離を取り、適当な位置で向き直った。
「よし。いくか!」
「来いっ!」
フーゴの戦いの合図の声がかかると……ジョーラは消えた。
「ちょ! ちょーーーっと待て!! おい! ジョーラ!」
慌てて消えたジョーラに呼びかけるフーゴ。
(待て待て! せっかくいい雰囲気だったのに)
「なんだよ??」
姿を現したジョーラはフーゴのちょうど真横で駆け寄ろうとしているところだった。
全く気配を感じ取れていなかったフーゴは慌てて声の方を向いた。ジョーラは槍を肩に乗せて気勢が削がれた様子を見せていた。
やっぱ“このスキル”を相手にするのは無理だとフーゴはつくづく思う。
「《
「あー……すまん。忘れてた」
ジョーラは目線を上にやったかと思うと、フーゴを見て苦笑した。
本当に忘れていたようだ。フーゴは盛大に息を一つ吐いた。
「《
「まあ、少しだけど。第一この二つはセットで使うもんだからな」
(少し、ね)
フーゴはジョーラとは長年七星の席を一緒にしているが、《陽炎》や《隠滅》に加減があるとは今初めて知ったことだ。
もし昔から加減が出来ていたのなら、今頃《陽炎》と《隠滅》を使うジョーラ相手にフーゴはもっと戦えていただろうか。いや、そんな自信はフーゴにはない。
二人とも戦闘スタイルこそ真逆だが、金に頓着しない、酒飲み、磊落、そして色々と無精と、人柄は非常に似ている部分がある。また、戦闘バカだ。スキルを駆使して戦うよりも己の肉体を駆使して使う派でもある。
なので自身のスキルの把握も適当なところがあり、たびたびお互いの“副官殿”から非難を浴び、作戦の立案という名のお叱りを受けるところではあるのだが……。
加減ができるようになったのはレベルが上がったおかげか? とフーゴは考えてみる。そのくらいしか思い当たるものはない。
「《陽炎》と《隠滅》はさすがに俺一人じゃなぁ……対処ができねえよ。わりいな。あいつらと戦ってたんならともかく」
そう言ってフーゴは離れた場所で座っている観客をちらりと見た。
視線の先にはフーゴとジョーラの副官や部隊の者、それからアインハードと部隊の者がいるが、アインハードはこちらに歩いてきていた。
「いや、あたしもつい夢中になった。すまない」
「まあ、元気そうでなによりだ」
フーゴはうんうん頷く。
先日の酒を飲みながら昔話ばかりをしていた様子からすると、あまりの元気の良さに少し面食らう節はあるが……ともかく。生きていることは何にも勝る幸だ。
「なんだかちょっと見違えたね。驚いたよ。動きも軽やかだ」
やってきたアインハードがジョーラにそうコメントする。
「そうか? なんかな。調子がいいんだよ。うずうずしてるんだ」
アインハードが訓練用の軽装姿のジョーラを上から下までさっと眺めた。
フーゴもそれに追従していたが、「世話になった」という言葉と、あまりにも似合わない儚げな笑みを残した別れ時から変わったところは見つからない。
《陽炎》と《隠滅》の方は分からないが、やはり調子がいいのは、帰還して《鑑定》で毒の有無を調べた時、レベルが2個上がっていたのでそれの影響だろうとフーゴは思う。
フーゴは同じレベルだったジョーラが70の大台に乗ってしまったことに関して多少の焦りはあるものの、納得はしている。
ダークエルフは人族よりもレベルが高くなる傾向があるからだ。惜しくも戦死してしまった先代はともかく、二代前の槍闘士のダークエルフも七星で一番レベルが高くなっていた。なにより同じ場所に立って戦う身として頼もしくないはずもない。
「フーゴと組もうか? それなら《陽炎》と《隠滅》に対処できるし、思う存分やっていいよ」
フーゴはアインハードの唐突な提案にちょっと眉をしかめたが、目をつむって息を吐き……決意した。
ジョーラはというと、考える仕草を見せていた。
共闘は嫌ではない。別に嫌ではないんだが、《陽炎》と《隠滅》を使うジョーラを相手にするのは共闘でも辛いのがフーゴの正直な意見だ。
ジョーラでないダークエルフなら、多少は対処できる。七星の中でも一番素早く、小技も多く、その各技も熟達しているジョーラだからこそ辛いのだ。彼女ほど器用ではない槍闘士次席と目されているヒーファでも対処できてないというのに。
草原で逃げ回るゴキブリを捕まえるようなものだ。いや、《陽炎》と《隠滅》を使うなら、緑色のゴキブリだろう。ジョーラをゴキブリに例えるのもあれなんだが……。
フーゴは繊細な魔力操作の類はもちろん、戦闘面でも相手の気配を探ったり、相手の挙動の先の先を呼んで動くような戦法が苦手だ。
七星の部隊に配属されると、みんなある程度は自分の弱点を克服しているのが常だが、フーゴはてんでダメだった。勘で動くことはできるのだが……。
さきほどは二人を戦闘バカと称してみたが、戦闘の巧みさという点では、フーゴはジョーラに大幅に後れを取ってしまう。
ジョーラはダークエルフが得意とする槍と弓以外でもある程度まんべんなく武器を扱えるが、フーゴが使えるのは大剣と剣くらいものだ。ぶんぶん振り回すだけでいいのなら、槍や斧も一応扱える。
そんなフーゴがアインハードと共闘して、《陽炎》と《隠滅》を使って姿を消しながら、自身は相手の気配を察知する達人でもあるジョーラと戦うとなると、役割は自ずと決まってくる。
《戦気察知》を持つアインハードの指示を受けて、フーゴはジョーラの攻撃を避けるなり防御する他ない。必ずしもお荷物と言えないのは、囮にはなれることと、フーゴの剛撃はジョーラは一発でも食らえないため存在が牽制にはなるという点か。
傍から見たら、無様なのは目に見えている。副官や部下は無様なフーゴのことを決して笑うことはないが、フーゴ自身の気分はあまりよくない。
こういった戦法を取るしかないのはフーゴにとって屈辱の極みでもある。元々長所を徹底的に伸ばしてきた身なので、出来ることならやりたくない戦いであることは間違いない。確かに学ぶ点は多いかもしれない。だが、フーゴは気分のよくない状況で学ぶのはあまり上手くない。
もちろんジョーラのような素早い相手とはいくらでも戦ってきた。が、戦場は1vs1ではない。助勢はいくらでも入る。それまで辛抱すればいい。防御は得意だ。そうして最終的には力でねじ伏せてきたのがフーゴ・デュパロンナという頼もしい男だ。
もっとも、今回ばかりはフーゴは自分のプライドが脅かされるのを我慢できそうだった。フーゴには、ジョーラから説得されたとはいえ、仲間を助けるために何もできなかった負い目があった。それをこのタッグ戦で一つ解消できるなら容易いことだとフーゴは思ったのだった。
フーゴは確かにプライドが高いところはあるが、プライドを捨てられない者ではない。捨てるのが戦友のためならなおさらだ。そこが平民から七星にまで成りあがった戦士の一つの強み、フーゴという七星の強みの一つでもある。
「ん……いいや、今回は。訓練もそろそろ終わるよ」
「そうかい?」
とはいえ、どうやらフーゴの決意は空回ってしまったらしい。
フーゴは胸を撫でおろしながらも、おいおいと言いたくもなったが、ジョーラが本当に戦う気がなくなってしまったのは、目線を落としてさきほどまでの威勢がなくなってしまったことからすぐに分かった。
ジョーラは女だからというべきか、少しムラっ気がある。
でもそれにしては少し気がかりにも思える唐突な変化だった。フーゴとジョーラは長い付き合いだが、あまり見たことのない種類の急激な変容だったからだ。
「じゃ、またな」
「あ、ああ」
ジョーラはそう短く言って、エインヘリアルを後にしていく。フーゴは去り際に見えたジョーラの表情が少しだけ寂しそうに見えた。だから何も言えなかった。副官のハリィが去っていくジョーラに駆け寄っていく。
ジョーラの後ろ姿を眺めながら、思い出されるのは「3日間の療養」のことだ。
のどかな田舎の空気と美味い料理を堪能した。銀竜の与える動植物への変化は穏やかだったこと。メイホーの警備兵を鍛えていた。ちょっと里帰りしたくなったこと。
だがフーゴは、ジョーラの話してくれた療養の出来事には肝心なことが抜けていて、何かを隠していることは分かっていた。それはフーゴに限った話ではない。
「メイホーで何があったんだろうなぁ」とフーゴはぼやいた。
「さあ……。夜露草を見つけたこと以外教えてくれないからなぁ。あの様子だと、俺は結構大事だと思うよ」
「そうだよなぁ……」
「まあ、少し思い当たる部分はあるんだけど」
「なんだよ?」
「グスタフがさ、酒に誘いに行った時、ハリィが《魔力装》を使ってるのを見たらしいんだよ」
《魔力装》?? フーゴは意外なスキルの登場に少々面食らった。《魔力装》など、獣人以外に使う者はいないからだ。
刃こぼれは補えるし、武器のない時でも問題がなくなるということで、《魔力装》は確かに色々と便利ではあるスキルだ。
一部の者は使えるものはいるのだが……ただ、刃を出すためには非常に集中しなければならず、形状の維持による肉体的・精神的疲労も結構あり、出るのもせいぜいが鉄の鉤爪レベルなので、実用性はないに等しい。
そもそも《魔力装》は「人族に適性のないスキル」だと考えられている。
魔力というものは基本的に、使われる魔力と、使われない魔力の二種類がある。
使われる魔力は「顕在魔力」と呼ばれ、使われない魔力の方は「潜在魔力」と呼ばれるのだが、人族の場合、潜在魔力の方は、相手に魔力を譲渡したりする場合などの特殊な状況でしか使うことができない。一応魔力操作に長けた者ならある程度引き出せたりはするのだが……。
その点、獣人は潜在魔力を引き出すのに長けている。才能云々の話ではなく、《魔力装》を使う時に一瞬で潜在魔力の流れを引き出しやすいように変えてしまうようなのだ。
体の一部を変化させられる獣人だからこそ先天性的に《魔力装》に適性があるのだと言われているのを、フーゴは聞いたことがある。
「すぐにしまったらしいんだけど、長剣の長さまで出していてかなりの練度だったらしい。なぜできるようになったのかは教えてくれなかったようだけど。……確かにハリィは魔法の腕はボルンウッドさんが勧誘するほどだし、ハイルナートさんも目を見張るところではあるけど、ハリィもまたレベルが上がっているのを見ると」
「……誰かは分からないけど、獣人の達人に会ったってことか」
「じゃないか? 話してくれないのが気になるけど、……その人は俺たち七星よりずいぶん上にいる人かもしれない」
「獣人か。そんな達人の話は聞かないが……正直想像もつかないな」
「ああ。でも、世界は広い。世界はバルフサだけじゃないし、俺たちの知らない世界もまだまだある」
アインハードはシルシェンに長期遠征に出向いてからそんな言葉をこぼすようになった。実際に戦ったわけではないが、アインハード曰く、人族の一武将が自分と同等かそれ以上の力を持っていたかもしれない、という話だ。
「ハリィを問い詰めてみるか?」
「いや……もう少し待とう。せっかく帰還したばかりだし余計な気苦労をかけたくはないよ」
「……確かに。生還した喜びはみんな平等だしなぁ」
「そうだね」
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