6-3 幕間:退屈 (3) - 着付け


 ジョーラは門番兵の一人と一緒に服飾部屋に向かう。

 まだ少しまどろみが残っていたので、城内を通る度に敬礼してくる兵士たちには適当に挨拶をしつつ。


 服飾部屋に入ると、服飾官のデボラが既にいた。

 薄いオレンジ色と光沢のある白い生地で二色展開しているドレスを着て、髪留めで髪をまとめている。


「やあ、デボラ。元気かい?」

「はい。ジョーラ様もご機嫌麗しゅう」


 そう言ってデボラは優美に軽く頭を下げた。髪留めの小さな宝石の群れが控えめに主張した。


 ジョーラはデボラの染めた髪の間に白髪をいくらか見つけた。そういえば栗色の髪も艶がなくなってきている気がした。

 ただ、所作の優美さは磨きがかかっているなともジョーラは感じる。女は歳を取ると、動作が遅くなって洗練されるか、うるさくなって気が違うかどっちかだ。


(あたしもいずれはデボラと違わず顔にはシワが刻まれ、白髪の女になる。その時あたしはどうなっているだろう。デボラの夫は、昔と姿の変わった今のデボラをどう思ってるんだろうか。……デボラと夫はどう距離が縮まったんだ?)


 デボラに発見した忍び寄る老いの姿から、そんな疑問がジョーラの脳裏に浮かぶ。


「七世王に会うんだ。礼服を頼む」

「承知致しました」


 デボラは4段チェストの一つに行き、引き出しから見慣れた礼服の一つを取り出した。もちろんジョーラの体のサイズに合わせたものだ。


「……なあ、ちょっと聞いてもいいか?」

「私の分かる範囲でしたら何なりと」

「デボラは旦那と出会った時どんな感じだった?」

「どんな感じと言いますと?」

「あー。……夫が言い寄ってきたのか? それともお前からか?」


 デボラがテーブルでジョーラの七星用の礼服のシワを伸ばしながら、表情を緩めた。デボラの横顔には目のシワがより目立つようになった。


「夫からでございますよ。私はあまりそういったことは得意ではございませんでしたので。……ジョーラ様、お服をお脱ぎくださいませ」

「ああ」


 デボラは昔を思い出して懐かしんだのだろう。つまり、デボラにとって夫の出会いのエピソードは幸せな思い出なのだろうと、ジョーラは察してみた。


 肌着を脱いでふと、ジョーラは自分の大きな胸が目に留まった。そしてダイチはやけに胸が気になっているのも思い出した。


 大陸社会の中で、女の胸というものが男の気を引くものであるらしいのは、ジョーラはよく理解していた。それは何も男たちに直接聞かずとも、貴婦人たちや娼婦たちの胸元を見せる服装を見ていれば子供だって分かる。

 ジョーラの胸は周囲の女たちと比べてもでかい。重くないか。邪魔じゃないか。そういった質問を受けたことはいくらでもある。もう慣れてしまったことなので、重いとも感じないし、さほど邪魔とも思わないが、だがでかいから、小さい胸の女よりも何か得をしているかと言われると特に何もなかった。


 むしろ、この大きさが下品だと言う者がいたことがあるくらいだ。もし、胸が小さければもっと機敏に動けたことも確かだろう。


 また、胸が大きいことにより男といい仲になりやすかったかといえば、別にそんなことはない。

 そもそもジョーラが大多数の女の行く道を辿って来なかったこともあるが、ジョーラが現在の歳になるまで、どこぞの男といい仲になったらしい話や、結婚した女の話は山ほど聞いてきた。その女のどれもが、ジョーラよりも小さな胸の女だ。


 ダークエルフの男が女を見る時、性格がはっきりとしているかどうかや、狩猟の腕、料理の腕などが気にされる。胸の話は特に出てこない。大きさももちろん。

 ただまあ今回ばかりはジョーラは肯定された気分にもなる。意中の黒髪の坊やは、このジョーラの大きい胸、体の中で最も無駄な部位と考えることもあった柔らかい肉の塊にどうやら執心しているようだからだ。


「なあ、デボラ。人族の男は胸がでかいのが好きとかあるのか?」


 デボラは少し目を大きくして意外そうな顔をした。変なことを聞いただろうか、とこれといった恋愛経験のないジョーラは少し不安になる。


「……そうでございますね、好みによるかと思います。産婆の方はあまり胸が小さいとお乳が出ないと仰っていますので、その辺を気にされる方は多いかと存じます」


 デボラは考える様子を見せたあと、真摯にそう答えた。


「乳……」


 ジョーラの脳裏に、赤子に乳をあげている自分が浮かんだ。赤子の父親は少し顔つきが大人っぽくなったダイチだ。

 そのイメージはどこか神聖さを持っていて、ジョーラは母親が自分の姿でありながら他人の気がする現実味のないふわふわした心境に陥ったが、すぐに恥ずかしさの方が勝った。


「かといって、胸が大きいからお乳がたくさん出るとも聞きませんが」

「そ、そうか」


(なんか恥ずかしいぞ。顔が熱くなってきたな……)


 肌着を渡されたので着て、ストッキングも履いたが、ジョーラの頬はどうも熱くてたまらない。


 デボラによりコルセットの紐が締められていき、胸が下から押し上げられる。

 ジョーラの胸の鼓動は速くなるばかりだ。デボラに悟られまいと、ジョーラは深呼吸をする。


「痛くありませんか?」

「ああ」


 渡されたドレスを履いていると、火照っていたジョーラの気分はようやく落ち着いてきた。


 七星の礼服の女性用のドレスは、貴婦人たちが着るような裾が長く広がっているタイプではなく、短めで細身のタイプになっている。一応広がっているタイプを選ぶこともできたのだが、ジョーラはああいった女性らしい服装は苦手なのでこちらにした。

 もっとも、ジョーラはドレス自体が苦手だ。理由は機動性を大きく損なうし、蹴りの邪魔になるからだ。数少ない話の合う貴族の女性で、武術を嗜んでいるドレーヌ伯爵夫人によれば、ドレスの中には公然と色々と隠せるのでなかなか面白いらしかったが。


 ジョーラは今度は自分の尻に目がいった。


(そういえばダイチは尻がでかいとも言ってたか……。尻の大きさはあまり気にしたことがないし、男たちが胸ほど気にしているようには思えない)


「なあ。尻が大きい小さいは、人族の男の好みであるのか?」

「……お尻の好みの方はちょっと存じ上げていませんが、……出産時に難産になりにくいというお話がございます。生まれても亡くなられてしまうのは悲しいですから、そういうところで男性は安心は出来るかと思います」


(出産か。人族は1,2年に1回出産するんだったな。良家だと6人とか生むんだったか)


 ジョーラは胸の話の時とは違い、今度は冷静に考えることができた。


 出産とは。

 日を追うごとに腹がでかくなり、味覚も変わり、出産時には甚大な痛みが伴い、みんな泣き叫ぶ。男には体験できない、生き死にを伴う女の決死の戦いであり、貴族や王族の家名の命運を決定づける重要な戦いでもある。


「デボラは出産は怖くなかったのか? 結構死ぬんだろ?」


 ダークエルフ同士の夫婦だと、1,2人産んで終わりというケースが多い。しかも、5年に一度のレベルも珍しくない。このことを話すと、夫婦仲でも悪いのか? と聞く者もいるが、別にそんなことはない。


 ジョーラは訊ねた覚えがないので想像するしかなかったが、理由を強いて言うなら、ダークエルフはあまり金と食料に余裕がある一族ではないからかもしれない。子供は金と食料の出費が増える。

 ただ、なかなか子宝に恵まれないということはあっても、人族の出産のように、子供や妻が出産で死ぬといったことはジョーラは聞いたことがなかった。14,5歳を超えるまで育って初めて死ぬ不安がなくなる、といったこともない。


 出産時には、体内の魔力の流れが乱れていれば、魔導士により整える。体内魔力があまりに乱れていると、陣痛の痛みがより激しくなり、子供が生まれにくくもなるのだそうだ。

 ダークエルフの魔力の流れは人族と違う。ダークエルフの魔導士によれば、人族の体内魔力は極端なものであり、整っているか乱れているかのどちらからしい。ダークエルフの魔力は乱れが少ない。これはエルフも同様のことが言える。


 後ろでドレスの紐を縛っていたデボラが戻ってくる。


「そうですね。怖くなかったと言えば嘘になります。ですがそれよりも子供の顔が見たく思いましたから」


 そう言って、デボラは和やかに微笑んだ。そんなものか、とジョーラは思う。


 ジョーラは大陸で幾度となく見てきた人族の子供たちを思い出し、ずいぶん見ていない里のダークエルフの子供たちのことも思い出した。


 そして……自分とダイチの子供を想像した。


 果たして子供は男の子なのか、女の子なのか。ダークエルフ寄りなのか、人族寄りなのか。髪の色は? 目の色は? 肌の色はどうなる? 果たして自分はデボラのように幸せだろうか?

 また頬が火照ってきたので、ジョーラは想像するのを止めて、深呼吸をした。デボラが怪訝な顔をしてみてきていたが無視した。


 シャツを渡されたので頭から着る。ドレス同様、ラポントン家の上等なシルクワームを使ったものなので、肌触りがとてもいい。ジョーラは気分が軽やかになるので、この着心地は好みだ。

 肩や腕などのズレを直された後、ベストに腕を通していく。


「ジョーラ様は、気になる男性でも出来ましたか?」


 デボラの問いにジョーラは心臓が跳ねた気がした。


「い、いや? 別に……」


 ジョーラはいつもデボラがやるのに、自分でボタンを留めようとした。とはいえ、手が震え、ボタンがうまく留められなかった。


(ええい、止まれ!!)


「そうでございますか。もし仮に気になる男性が出来てもそれは恥ずかしいことではありませんからね」


 そう助言をするデボラはいくらか若返ったかのような、意地悪な笑みを浮かべていたが、ジョーラは気のせいかどうか思案した。


(実際あたしとデボラでは年齢は近くとも男性経験は天と地ほどの差があるだろう。格下の奴と手合わせしている時はときどき妙に楽しい時がある。仕方ないか……)


 と、ちょっとズレたことをジョーラは思う。


「ジョーラ様ほどの方でしたら、男性の方々は喜んでお近づきになってくれるでしょう」


 ジョーラ様ほどの方でしたら。

 ジョーラは七星の地位についてからというもののお決まりになっていた文句を言われたため、するすると懐疑的な心境になった。


 ジョーラの脳裏に浮かぶのは、一発軽く殴って目を回す男や、名を名乗っただけで恐怖に顔を歪ませるしょうもない男たちだ。

 だいたいこの手の男たちは酒場近辺にしかいないのだが、ジョーラが浮かぶ“男性とお近づきになれる場所”は酒場しか浮かばなかった。ジョーラは舞踏会は苦手だった。一応、貴族たちは方々でジョーラに礼節を尽くしてくれているのは分かっていたのだが、ジョーラは武人でない男にはあまり興味が持てなかったのもある。


 貴族のいくらかは当然ジョーラのピュアそうな部分を察してはいた。つけ込むこと自体はそう難しくないことだろうとは誰もが考えていた。

 だが、家柄が良いわけでもなければ女性的な性格をしているわけでもなく、ドレスで着飾ったりもしてくれない女を愛することのできる男はそうそういなかったものらしかった。


 そもそも七星の一人という、オルフェを代表し、守り、象徴もし、そして異種族であり、時には蛮族とも揶揄されることもあるダークエルフのジョーラをどうにかしようとするには、扱い方がてんで分からなかった。

 将校たちや兵士たちと仲良く酒を飲み交わすような女を貴族たちは女として見ることは難しかった。七星の地位やダークエルフという種族を無視するなら、さしずめジョーラという女は、酒場の女店主といった種類の女かもしれない。


 酒場の女店主程度なら、貴族たちはちょっとつまんでみることができる。酔っ払っていたという理由で、平民と寝たことを一夜の過ちにできる。ただし、ジョーラは平民ではないし、七星相手に酔っ払っていたという理由でうやむやにできるわけもない。

 貴族の平民との庶子は星の数ほどいるが、ジョーラの子供を隠すことができるわけもない。


 もし、七星の剣聖アインハードのように、良家の養子に入り、上品な振る舞いもでき、貴族の着るような服も着てくれるのなら。ジョーラの地位と功績に敬服しつつ、されど次元の違う存在として遠くから眺めながら、貴族たちはよくそう思った。貴族は基本的に、貴族しか愛せない。

 ジョーラにも性的な知識がないわけではないんだが……良家でもなし、ダークエルフも根本的には女に結婚を強いない一族でもあるので、どうにもこうにも婚期は一向に近づかないのだった。


 ジョーラはデボラの「ジョーラ様ほどの方でしたら」の言葉に完全に元の性的なことには縁のない姉御肌で武人肌の自身を取り戻しながら、礼服のジャケットを羽織った。

 白いシルクワームの生地のところどころに鮮やかな金の刺繍飾りや緻密な模様が入ったものだ。肩口には王家の紋章である獅子――ラオリオンが大きく刻まれている。


 どれも刺繍家のペクチェ・バラジュ自らが縫ったものだ。

 オルフェ切っての刺繍家とも名高い彼女は、本来なら弟子の方にやらせ、自分では縫わないのだが、一部の大きな仕事のみこうして請け負う。ジョーラは縁があって彼女の仕事ぶりを見たことがあるが、非常に細かく、手つきはそして迅速だった。


 胸元に白バラのようなレース飾りをつけられ、靴を履き、立ち上がる。デボラが後ろに下がって上から下まで眺めていく。


「きつくはございませんか?」

「ああ、大丈夫だ。……どうだ? 問題ないか?」


 後ろにもまわったデボラに訊ねると、しばらくして、「はい。問題ございません。お似合いでございますよ」と満面の笑みとともにお墨付きの言葉をもらう。


 ジョーラは軽く息をついた。こうやって、着慣れない衣類を着付けされるのはいつまで経っても慣れない。それに鎧の重みがないのは少々不安だ。


「じゃあ、行ってくるよ」

「行ってらっしゃいませ」


 服飾部屋の前で待機していた兵から「お似合いですよ」と声をかけられる。実際には謁見の間の中に入るわけではないと思うのだが、式典用なのだろう、新品同様のミスリルの鎧の輝きが眩しい。

 服飾部屋まで一緒にきたのは門番兵だったが、担当は将校に代わったらしい。額に一閃の古傷のあるこの彼とは何度か顔を合わせたことがあるように思うのだが、ジョーラは名前は思い出せなかった。ただ、将校の地位にあるのだから当然なのだが、かなりの死線を潜り抜けてきた猛者であることはすぐに分かった。


「実を言うと、訓練用の革鎧か戦時の鎧の方が落ち着くよ」

「はは。実は私も薄手の服や礼服の類は苦手でして……」

「武人の性だな」

「全くその通りです」


 二人は苦笑しながら、謁見の間に向かう。


「その鎧はミスリルだろ? 軽いか?」

「ええ、とても。毎回着る度にあまりの軽さに驚き、これで戦うことができたのならと思っております。誤って汚しでも、凹みでもつけないか、別の意味で私の体は重たいですが」

「身が引き締まっていいじゃないか。鎧を気遣いながらの立ち回りはなかなか鍛えられるぞ」

「はは。確かにそうですな」


 ジョーラを見送るデボラは、やはり相手は七星の誰かか将校なのかしらと、そんなことを思っていた。


 ・


 謁見の間の前には全身鎧フルプレートをまとった槍持ちの兵士たちが複数並んで待機していた。

 彼らはゆっくりと槍を交差させて、扉の前でアーチを作った。槍には王家の紋章の旗がある。彼らがこうして立っているということは、既に謁見の間に王がいるのだろう。


「では。ジョーラ様、私はこれにて」

「ああ。ご苦労だった。鎧に傷をつけないようにな」

「はい。“鍛えて”まいります」


 将校とジョーラは既に酒場で飲み交わした友のように静かに笑みを交わし合う。


 謁見の間までの話題は、将校――ブロンソの最も輝かしい武勲とその戦のかいつまんだ話と、ブロンソが現在最も期待しているという若い兵士の話だった。

 彼は戦闘技術は飛びぬけているのだが、少々性格がひねくれているものらしく、ブロンソは叱りつつ、彼にこれといった友人がいないのが気がかりのようだった。


 将校が去り、謁見の間の方を向くと、扉の前の兵士数名が二人を見て満足そうな笑みを薄く浮かべていたようだが、すぐに目線を逸らして正面を向いた。


「あまり緊張しすぎるな。私が敵だったら格好の的にしてるところだぞ」


 ジョーラが手前にいた若そうな兵の一人の肩を軽くこずく。


「はは……ガンメルタ様が相手では敵いません」

「敵わないと分かっている相手にはどう対処した方がいいと思う?」


 時々言われる言葉にジョーラは慣れた返しをする。

 兵士がちょっと考える素振りを見せたが、答えは出てこない。


「隙をうかがうんだ。どんな奴でも隙のない奴はいないからな。し損ねたら最低でも一週間、そいつのことは狙わない。警戒してるからな。そうやっていつもみじめな小姓は自分を嬲ってくる主人に一泡吹かせてたらしいぞ」


 兵士がなるほど、と頷く。


「すまないな、雑談に興じた。……では、行ってくる」


 ジョーラが謁見の間に入るらしいのが分かると、話を聞いていた兵士含めた槍持ち兵たちは居住まいを正し、毅然とした面持ちで正面を向き、槍を持ち直した。

 王家の紋章がよく見えるように。あるいは、謁見の間にいる上官たちから「姿勢がよくない」と怒られぬように。

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