6-33 幕間:鴉の仕事 (2) - 崖人と指輪


「しかし叔父上にも困ったものだな。元々お前の部下の仕事だろうに」

「ドラクル公もバウナー様の七騎士の地位を心配なさっているのです」

「ああ、分かってるよ。叔父上の頼みでなければ鴉の仕事などしない。……しかし、俺はそんなに老いぼれに見えるか? いまさら暗躍し、手足がしっかりと動くことを証明しろなどと」

「忠誠心を再確認しているのですよ。もしあなたが老いぼれだというなら、私はボーンナイトの類でしょう」


 バウナーはわざわざ鴉の仕事をせずともと思いつつも、珍しいサロモンの冗談に口元を緩めた。

 お前は剣が振れたかと訊ねると、「大して振れませんよ。本ばかり読んでいたボーンナイトですから」というので、バウナーはさらに口を緩めた。


「お前の冗談はときどき面白いから困る」

「そう言ってくれるのはあなたぐらいのものです」


 サロモンはニコリとした。あまり人の美醜に関しては説得力のないバウナーが見ても、サロモンはなかなかの色男にも思えるが、男趣味も含めてそういった事実はサロモンにはない。噂くらいは耳にするが、おそらく全くの事実無根だろうと簡単に納得ができた。サロモンほどの忠誠心を持った者もなかなかいない。


「まあ、剣を振れないのならボーンナイトではないだろうがな」

「その通りでしょうね」

「“崖人”もボーンナイトになるのか?」

「どうでしょうね。体の仕組みは人族と変わりませんよ。もっとも、骨になったら崖人かどうかは区別がつかないでしょう」


 魔導士にしても同じことが言えるのだろうが、体内構造の仕組みも骨も同じなのに、崖人は魔法とは種類の違う能力を持っているのだから不思議な話だと、バウナーは思う。


 崖人とは、千年以上昔に七竜から直接的に力を授かった人々の末裔だとサロモンは言う。その時には、市井には伝わってはいないが、白竜しかいなかったらしい。

 <七竜神話>でときどき登場する“授けられし者”、あるいは“耕す者”――すなわち、大陸の名前にもなっている「バルフサ」のその末裔が、崖人であるらしい。


 自分たちの力を誇示することをよしとせず、かといって命を絶つことも嫌った白竜に従い、彼らはハイアーの絶壁の底に隠れ住んでいるのだそうだ。絶壁の下には大空洞があり、秘密主義だがそれなりに栄えた都市があるらしい。


 バウナーは応接間のドアの前でサロモンに向き直った。


「俺がこうやって七騎士の隊長でありながら、忠誠心を試す名目で各地で小さな点数を稼いでいることに何か意味があると思うか?」

「と、言いますと?」

「俺が王城に戻ったら、王から七騎士の除隊を命じられないか、ということだ」


 少し待ってみたが、サロモンは考える様子を見せるだけのようだった。新王の動向を見た上での勘だったが。

 まあなんにせよ、先のことは少しくらい考えてみてもいいかもな、と思いつつ、バウナーがドアに手をかけようとしたところ、


「もしそうなったとしても、私の立場は変わりませんよ。私の真の忠義はあなたとハリッシュ家にありますから」


 と、サロモンはこともなげに言った。


 バウナーは忠義に「真」と「そうでないもの」があるのもどうかと思う男だが、ともかく王は新しくなったばかりだ。

 前王からの忠義を貫くにしても、やはり崩れやすいのはこのタイミングだろうし、忠義ではなく利益を求める貴族と商人たちも心境は穏やかではないだろう。


 3ヵ月前に戴冠したアマリア王――クリスティアン・マレク・イル・メイデンは賢く、決断力のある皇太子だった。

 戴冠して間もなく、新王はその秘めた実力を見せた。甘い汁をすすっていたらしい官吏の何人かを降格処分にし、新しい王を騙そうとした一人の愚かな商人を牢獄に入れたあと、法律のいくつかを正した。


 これらの報告を聞いた時、良い王だとバウナーはしみじみ思ったものだ。


 元々クリスティアンは戴冠前から分別のある性格として知られ、勉学もしっかり修め、剣術にも優れと、いい王になるだろうと誰もが囁いていたからだ。練習相手にもなったことのあるバウナーは皇太子の剣からは熱心さしか感じなかったし、呑み込みもなかなか早かった。

 前王は良い王だと語られながらも、少々決断の遅い部分はあった。戦時においては、結構昔のことだが、優勢だったにも関わらず果敢な敵の様子に尻ごみして引いたこともある。グラジナ皇太后が時折見せていた小気味よかった苛烈な気性が継がれたのだろうとは、誰もが噂しているところだ。


 ただ、王というもの、王族というものは多かれ少なかれ新しいものが好きらしいのだが、困ったことに、彼はモノ以外でも新しいもの好きであることが判明した。

 クリスティアンは前父王から続く古い要人を別の有望な者に次々と交代させていったのだ。確かに交代させられた者たちは近年は大した成果を上げていなかったり、信仰と権力を盾に物欲と金と女にどっぷり浸かり堕落しているのが察せられていたところで納得の人選ではあった。


 だが、大々的に内政改革を告知していたわけでもなかったのに、いっぺんに人の首をすげ替えるのはいかがなものか。「堅実王」「伝統王」と呼ばれた前王に長年仕えていた者たちは新王の辣腕に驚き、畏敬を示しながらも、内心では恐れ、おののいたものだ。

 バウナーは政治的な学識はないのだが、相応の理由があったとはいえ、顔馴染みの者が一人また一人と王室を去っていくのは寂しいものがあった。新しい者とは昔話はしづらいだろう。


 まだ目立ったことは起こってはいないが、アマリアの国防精鋭部隊の<黎明の七騎士>に、新王のその新しいモノ好きが及ばないとも限らない。


 七つある部隊のうち、<金の黎明>の隊長であるバウナー・メルデ・ハリッシュは、<黎明の七騎士>の中でも古参の一人だ。

 45歳で、そろそろ第一線を引いても納得される時期だ。とはいえ、レベルも66であり、七騎士の中でも随一の強者でもある。人族でありながら未だにレベルが下がらず、これといった肉体的衰えも見せないことを理由に、「古竜将軍」というあだ名を持つ猛者でもある。


 ただ、さきほどバウナーが漏らしたように、「次代」は既に育っていた。32歳でレベル58の次代である彼――レイダン・ミミットは戦闘経験も豊富で、切れ者でもあり、バウナーよりも処世術にも長けていた。彼が皇太后を交えて新王と親しげに話をしているのもバウナーは見たことがある。

 仮にバウナーが<金の黎明>の隊長を引いても、何も問題はないのは明らかだった。バウナーはいくら腕があろうとも、もう年である上、周囲からも彼ほど好かれてはいない。


 バウナーはじっと見つめてくる忠臣の目と言葉に笑みを浮かべた。サロモンの気質はずっと変わらない。


「父上に聞かせてやりたいものだ」

「聞かせなくともボレは理解していますよ」

「そうだな」


 バウナーは気分がよくなったままにドアを開ける。


 バウナーの父親であるボレスワフ・マコー・ハリッシュ伯爵を愛称で呼ぶのはサロモンだけだ。


 サロモンと弟二人を豪雨と土砂から助けた話は、バウナーは伯爵から幾度となく聞かされたものだが、サロモンの忠誠はいつまで続くのだろうかとふと疑問に思う。

 バウナーの代で終わりか、孫の代か、それとも末代までか。サロモンはその深い知性と知識量でバウナーに様々なタメになる話をしてくれたが、伯爵とハリッシュ家に誓った忠誠の期日だけは教えてくれなかった。彼はいつか崖の下に戻り、また本を読みながら静かに暮らすのだという。


 応接間には、顔がアザと血でたくさんの縄で拘束された男がいた。シルクの服もすっかり血で汚れている。支配人だろう。「何か吐いたか、バッシュ」と、バウナーは金属鎧を着こんだ部下に訊ねた。


「いえ。『あの女が内通者だとは知らなかった』と言うばかりです」


 バッシュの手袋は血に塗れていた。バウナーがどっかで拭いてこいと言うと、バッシュは奥の方に行き、娼婦の一人に話しかけた。

 バウナーは拘束された男の前にしゃがんだ。細い顔の男だったはずだが、顔はだいぶふくれている。


「あの女がオルフェの内通者だと知ってたか?」

「知りませんでした……本当です……」


 結構絞られた様子の支配人に、追及する気は起こらず、バウナーはサロモンに頷いた。

 サロモンも支配人の前にしゃがみ、指にはめていた細い指輪を抜いて手のひらに乗せた。


「この指輪は<真実の指輪>という魔道具です。聖浄魔法の《平和ドープ》の術式が込められています。使い方は教えますが、私たちが行った後、娼婦全員にオルフェの内通者かどうか調べ、諜報長に報告しなさい。今後、新しく雇用する者にもです」

「わ、私が殴られた意味は……」


 バウナーは息を一つ吐くと、支配人を殴った。支配人は殴られた勢いで床を滑った。バウナーは首元を掴んで乱暴に支配人を起き上がらせる。


「もしあの女の内通のせいで、オルフェとの戦に負け、王が殺されでもしたらお前はどう責任を取るんだ? お前の首くらいじゃ足らんぞ。違うか?」


 支配人は殴らせたせいで少しうつろな目をしていたが、弱々しく頷いた。


「この魔道具はそんな事態を未然に防ぐためのものだ。お前を殴らないようにするためのものじゃない。お前を痛めつけたのは、お前が内通者かどうかを吐かせるのもあるが、娼館に内通者を入れてしまったお前の罪を償う意味もある。不運だろうが何だろうがな。分かるな??」


 支配人は目線を下げて、頷いた。


「もし、魔道具がなかったらお前はここで腕を一つ失ったり、首を切られていたかもしれん。これくらいの拷問で終わるのは王室の恩赦だと思え。いいな?」


 支配人は震え始めた。首を振ったあと、何度も頷いた。バウナーもまた「分かればいい」と、支配人に頷いたあと、バッシュに支配人の縄を解かせた。


「サロモン、こいつを調べてくれ」


 サロモンは支配人に手を出させると、その手を軽く握り、真実の指輪の黄色い宝石の上に指先を乗せた。サロモンが『従えオベー』と言うと、支配人の表情が再びうつろになる。今度は生まれたばかりのホムンクルスがするような、何の感情もない、うつろな表情だ。


「あなたはオルフェの内通者ですか?」

「……いいえ」

「あなたはクリスティアン王朝を好ましく思いますか?」

「……分かりません」

「あなたは<金の黎明>のバウナー・メルデ・ハリッシュをどう思いますか?」


 おい、とバウナーはサロモンに言うが、支配人が「……信用できる人だと思います」と告げるのを聞いて、顔をしかめた。サロモンが得意げな顔でバウナーを見た。バッシュも面白がっている。


「前々から思っていましたが、あなたには人を惹きつける天性のものがありますよ。もし公の場で冑を脱いでいたら肖像画が流行っていたことでしょう」

「そいつが娼館を営んでる癖にアホなだけだ。いいからさっさと起こせ」


 はいはい、とサロモンが支配人の手から離れた。途端に不安げな表情を見せる支配人。この指輪で行った質疑応答の時間と内容は、本人が覚えていることはない。


「安心なさい。あなたが内通者ではないと分かりました。ではこの指輪の使い方を教えます」


 バウナーはバッシュに死体処理の兵士と見張りの兵士を呼んでくるように言った後、イスに座り、黒髪の娼婦の一人に酒を頼んだ。頼んでから、バウナーは彼女が自分の好みの顔をしていることに気付いた。

 娼婦はワインとゴブレットを持ってきて、「この娼館どうなるの?」と不安げに訊ねてくる。


「別にどうにもならんよ。まあ、しばらくは人の出入りがあるかもしれんがね」

「そう」

「ここに勤めて長いのか?」

「3年になるわ。こんな事件は初めてよ」


 昨日も商人に変装していた間者を殺したが、そう毎回毎回間者が見つかってたまるかと、バウナーは内心で毒づいた。

 支配人がサロモンを従えてこちらにやってくる。


「支配人に手を出してやれ。魔道具でオルフェの間者かどうか調べる。すぐ終わる」


 黒髪の娼婦がおずおずと支配人に手を差し出し、――やがて彼女の無実が判明した。


「では支配人。この魔道具を使って、間者かどうか、娼館に勤める全ての人を調べなさい。この魔道具は高いものなので、なくさないよう厳重に保管するように」


 ちょうどバッシュが兵士を連れて戻ってきたので、しばらくしたら処理班が来ることを兵士に伝え、バウナーとサロモンとバッシュは七宝館を後にした。

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