6-32 幕間:鴉の仕事 (1) - タマなし騎士


「サリア、お前はいい踊り子になれるよ。俺が保証しよう」


 ベッドの上で、裸の男が荒い息を吐いているうつ伏せの裸の女に話しかけた。


「あなたも……」


 女の言葉に男は怪訝な顔をした。


 男の胸板は厚く、しっかりと“道”が出来ていた。肩も同様に厚く、腕もまた太かった。そしてまた、そんな鍛えられた上半身には無数の切り傷があった。

 小さい傷もあれば大きな傷もあるが、とくに腹にある切り傷は大きく、痛々しい。傷の大きさから察するに、処置次第ではこの男をこの世に残さなかったかもしれない。


 茶色のヒゲを輪郭に沿って生やした顔には、そんな筋肉質で、傷が無数にある肉体に見あう泰然自若としたもの――戦う者の落ち着きと風格があった。

 この上半身と顔を見て、彼が単なる一兵士だとは誰も考えないだろう。実際その通りだ。


「俺が踊り子に? 笑えない冗談はよせ」

「違うわよ。あなたも……ふう。いい娼館付きの用心棒になれるわ。体力あるし。言ったじゃない、娼館の用心棒になってもいいって」


 サリアがそう言って、仰向けになった。まだ整えきらない荒い呼吸とともに、形の良い乳房があらわになり、ゆっくりと揺れる。

 男は隣の女の裸体を見ていて、情欲がもう沸かないのを悟った。街の連中の一部は七騎士を“タマなし騎士”と言っているが、なるほど確かにその傾向はあるかもしれないと思った。


 もっとも、男の情欲が既に枯れているのはある程度の年齢を境にどんな男にでも訪れるものであり、久しぶりに散々燃えたあとだからだったが。

 再戦するには精のつく食事を取ったあとにひと眠りするか、それなりに激しい戦地に赴いて人を斬って昂ってこなければならない。ただ、昂れるようなそれなりに激しい戦地というのも男にとってはなかなかないし、斬り合う相手にしてもそうだ。そもそも、もう、人を斬って昂るような年齢でもなかった。


 切り傷により分断されている眉を持ち上げてサリアの顔を見た後、男は軽く息をついた。


「<黎明の七騎士>やりながら娼館の用心棒とか、女と楽しむ暇がなくなりそうだ」


 そう言いつつも、男は次に女を抱くのはいつだろうなと軽く考え、また1年後かもなと内心で落胆する。落胆はしたが、現在は横に女がいるので惜しむほどのものにはならない。

 七騎士の言葉じゃないわね、とサリアがくすくすと笑みをこぼした。全くだなと、男はサリアのアクのない感想に人心地ついた気分になる。


 1年前にどこぞの娼婦と寝たときもいくらか味わったはずだが、今は男の心は霧が晴れでもしたかのように、エルフが厳粛な顔つきで守っている清水でも浴びたかのように、ずいぶんさっぱりしていた。

 前回はここまでの充実感はなかった気がした。この気分を1年に1回しか味わわないのはなるほど、タマなし騎士にもなると男は一人で納得した。


(『男にはいつも心に濃い霧がかかっている』とは誰の言葉だったか。ウレーノスだったか? この霧を晴らすのが女だとは書いてなかったよな。もう何年も前に読んだ本なので思い出せないな……)


「七騎士やめるって言ってなかった?」

「言った。……確かに俺は七騎士の立場にはもうそんなにこだわってない。正直、王室への忠誠心も、白竜様への信仰心もあまりなくてな」

「あ~あ。そんなこと言っちゃっていいの?」

「ただの愚痴だよ。王室も教会も、娼館まで規制はしない。愚痴は生理現象と一緒だ。愚痴くらい吐かせてくれ」


 男はやるせなくそうこぼした。


「後釜もいるんだ。俺より若いし、実力も当時の俺と比べたら立派なものだ。切れ者だし、分別もあれば勇気もある」

「ふうん」


 サリアは男の腹にある大きな古い切り傷に指でゆっくりと触れた。


「こんな目にあうのがもう嫌?」


 男はサリアが傷を触っているのをしばらく眺めていたが、やがて視線を逸らし、眉間にシワを寄せて、そういうわけじゃない、と息をついた。


 男は近頃日増しに強めている新王朝と白竜への疑念をさらにこぼしたい気分に襲われたが、さすがにもう言わなかった。

 男にだって、筆頭騎士としてのプライド、前王への忠誠心はまだ存分に残っている。新王だって戴冠してまだ間もない。今後また人が変わる可能性はあるし、しょせん剣しか能がなく、学のない自分の考えは杞憂にすぎないという考えもある。


 代わりに男は、自分が名家の庶子であると知らなかった頃――貧民街でボロい布切れをまといながら物乞いの真似事を始め、人探しや配達をやってた頃の思い出を脳裏に浮かべた。


「その傷は俺がまだ剣も女もろくに知らない頃に作ったものだ」


 この傷をつくったろくでもない門番兵の顔を、男はずっと覚えていた。顔が崩れ、唇のずいぶん腫れた、オークのような男だった。

 だが、門番兵よりも地位が高くなり、からかってやろうかと思った時には彼はいなくなっていた。彼自身が狼藉を働いたこともあるが、彼の顔がさらに貴族の顰蹙を買ったようで、あっさりとその場で殺されたものらしい。男は以来、醜い顔の兵士を見るとときどき声をかけるようになった。


「金もないし治療もろくにできずにいてな。世話してくれたばあさんからはよく死ななかったものだ、治療代の分しっかり働けと言われたよ。……もうそんな目にはあわない。もう10年もしたらまた傷を作るようになるだろうが、その頃にはのんびりと剣を教える立場にでもなりたいもんだ」


 サリアはなれるわよ、と機嫌よく答えたあと、「今日のご予定は?」と訊ねる。


「この後、仕事だよ。……休憩は実に尊い時間だった」


 サリアは微笑んだ男にしなだれかかり、男の肩にやさしく口づけた。


「仕事って何? 殺し?」

「殺しもあるが、話し合いだよ。面倒な奴らとね」

「ふうん。誰と?」


 <山の剣>と名乗る国の王様さ、と男は軽くサリアを押しやって立ち上がった。

 男は<山の剣>について知ってるかと訊ねてみたが、サリアの「知らないわ」には一瞬間があった。男はそうか、と短く相槌だけ打っておいた。


「サリア、お前は人を殺したことあるか?」

「ないわ。一度も」


 男はサリアの表情と言葉に変わったものがないのを察した。無論、真実であるかどうかは分からないが。


「奇妙な感覚なんだってね」

「奇妙な感覚?」

「自分たちが肉と骨と血でできてることが初めて分かったって」


 相手は新米の兵士だろう。そんな話は、男も何度も聞いたことがある。男の初めての殺人は、そんなことを悠長に考えられる戦いでもなかったが。


「そうか。服をくれ」

「あ、信じてないわね? 娼婦は嘘ばっかりつくって思ってない??」


 手渡された自分の肌着を受け取りながら男は肩をすくめた。


「信じてるさ。俺を誰だと思ってるんだ? そんな話は新米の奴からいくらでも聞いてる」

「……確かにそうね。忘れてた。なんて励ますの?」

「励ます? ……とくに励ました覚えはないが、そんな当たり前のことは考えなくていい、剣が鈍り自分が死ぬぞとは言ったことはあるな」


 サリアは唇を突き出しながら数度頷いた。納得したようだ。男はサリアの唇にキスをしたくなったが、やめた。もう蜜時は終わったのだ。

 サリアも立ち上がり、自分の薄い透けたドレスを着た。男はその様子をちらりと見ながら、内心でうんざりした。サリアがつくづくいい女に見えたからだ。


「ねえ。また来る?」


 サリアは手を後ろにまわして訊ねた。その甘えた様子に、男は困ったような微笑を浮かべたまま、また来るさ、と言った。もう会えないだろうと思いつつ、男は短剣を手に持った。


「ただし、お前がオルフェの間者でなかったらな」


 サリアは目を丸くした後、分かりやすく目を泳がせた。その様子に男は半ば安堵した気分になった。気が緩んでしまった男は、襟足を指先でかいた。寝違えたのか知らないが、近頃かゆいのだ。


「あと、お前が優秀な間者なら知っているだろうが、俺には毒の類は効かんぞ。先祖返りらしくてな。先祖が古い竜の血を飲んだことによるものらしい」


 その言葉のあと、一間があり、サリアは急に動き出して持っていないはずの短剣――のようなものを男の首に突き付けてきた。握っている尖ったそれは、黄色い魔力の塊だった。


(使役魔法の《魔力武器化ウェポナイズ》か――)


 ――だがサリアの攻撃は空を切り、代わりにサリアの首には一筋の深い切り傷が出来た。

 男があまりにも速い動作で避けると同時に彼女の首を斬りつけたからだ。男は彼女から3歩ほどの距離を取って離れた。


「あ……あぁ……」


 血が首から流れ出てくるのを、サリアは両手で必死に抑えるが、血の勢いは止まらず、胸から腰にかけて赤い縦筋をつくっていく。サリアはベッドに座り、ひどく懇願するような眼差しを男に向けていたが、やがて怒りのこもった眼差しに変わる。


「こんな出会い方でなければいい関係でいたかもな。サリア。お前は間者に向いてない。……<竜の去った地>で会おう。そこでは殺しはできんそうだが……もし出会ったら何度も殴ってきていいぞ」


 男が人好きのする笑みを浮かべる。いくらかのやるせなさを含みつつも非常に落ち着いた物言いは、嘘を言うようには思えないだろう。

 実際、男は嘘を言っているわけではなかった。もちろん七竜教の信者なら誰もが知っている<竜の去った地>の逸話が真実かどうかは別として。


 サリアは男の言葉を聞くと、口を半ば開けて何かを言いかけ、悲しげな表情になった。男は内心では、もし自分が七騎士でなければ、と言い換えていた。

 男はしばらく黙って死にゆくサリアを眺めていたが、やがて着替えを再開し始めた。今回の任務用に着用している鋼の胸当てを着始めた頃にはベッドに体が投げ出される音があり、サリアはもう動かなくなっていた。


(さて……間者はあと何人見つかるんだかな。優秀すぎるのも困りものだ)


 ノックがあった。


「終わったぞ、サロモン」


 革の鎧の上に、白と黒の二対の翼が縫われた白いマントをまとった小柄な男が現れた。

 二対の翼の刺繍の意味は誰もが知っているわけではないが、よく見ると革には白い筋が波のように入っている。<マーレ>クラスの狼系の魔獣、リコポリスの革だ。誰もが討伐できるわけではなく、だから地位のある者が多く着ている革だ。


 サロモンと呼ばれた彼は、ベッドの上をちらりと見た。


「最期に喜ばせようというあなたの慈悲深さには感銘も受けるところですが……間者と繋がっていると思われても仕方のない現場ですね」

「その時にはお前が弁護してくれるんじゃないのか?」

「私がハリッシュ家に忠誠を誓っているのは周知の事実です。大した弁護にはならないでしょう」


 サロモンがいくぶん冷ややかな表情を男に向けた。男は何かを言いかけてサロモンから視線を外し、再びサロモンの大きな深い藍色の目を見た。


「得物はなかったが、《魔力武器化》を使ってきた。首を貫けるか微妙なやつだ。結局大した情報は引き出せなかったよ」


 男の報告を聞くと、サロモンは息をついた。指輪によって既に彼女がオルフェの間者であることは割れています、と返答してくる。


「まあな。でも他に何か分かることもあるかもしれないだろ?」

「そうですね。……それで何か分かりましたか? バウナー様?」

「サリアは間者に向いていない。無邪気すぎるし、緊張感もなさすぎる。娼婦の方が向いていた」

「妙齢の女の間者は多かれ少なかれそういう風に見えるものです。男は秘密を持つ女と緊張感のない女を好みますから。どちらも本能的に」


 男――バウナーは、オルフェの間者の質のことを言いたかったのだが、真面目に答えるのはやめようと思った。サロモンに口で勝てた試しはあまりない。


「妻を迎えるなと言われたら、多かれ少なかれこういうことも起きる。禁欲生活というのは思ってたより人格にダメージがある。敵対関係にある国の女がどうなのかと気になるくらいにはな。まあ、できるなら若い女は殺したくはないがね」


 バウナーは半分本心で、半分どうでもいい気持でそう答える。

 サリアに昔好きだった女を重ねてしまった気持ちに任せてしまったのは事実だし、若い女を殺したくないのは本心だが、他国の女の具合がどうかというのはあまり興味はなかった。興味を持つには、禁欲の言葉を失笑してくる同僚に比べて、女との経験がなさすぎるという自覚もある。


 サロモンは一瞬考える素振りを見せたあと、頷いた。


「確かにそれはあるでしょうね。禁欲生活を余儀なくされ、賄賂を払って娼婦と密会しなければならないのは、我が国切っての精鋭<黎明の七騎士>の悪いところでもあり、良いところでもあるでしょう」

「良いところあるか?」

「ありますよ。堅固な忠誠心は国や組織体制を盤石にし、厚い信仰心は剣を鋭くさせます。情欲はそのいずれも瓦解させ、鈍らせるものです」


 うんざりするほど聞いた聖文句だな、とバウナーは毒づいた。


「人間を辞めろって言うのか?」


 サロモンは首を傾げ、眉をあげてバウナーを見た。


「ご存知でしょうが……あなただけですよ、七騎士の禁欲主義を真に受けているのは。皆、娼婦には多かれ少なかれ会っていますし、隠してはいますが妻を持ってる人もいます。王ですらも容認していますよ」


 バウナーは知ってるよ、と肩をすくめた。同性愛者もいる。


 七騎士の禁欲主義に対するバウナーの意見はいつも葛藤がつきものだった。なぜこそこそと教義を破らなければならないのか、若い頃は理解ができなかった。

 そうこうするうちに<金の黎明>の長になり、<黎明の七騎士>の筆頭騎士になった。その頃にはもう、バウナーの生活の中には女を抱くことや、自分の血を分けた家族、自分の子供のことを考える貴族としての義務はすっかり抜け落ちてしまっていた。


「1年に1回女を抱くか抱かないかのタマなし騎士は俺だけらしいな。あの黒騎士のゾフィーだって双子の男娼を抱えてる」


 サロモンはそれには答えずに、再びベッドの上を見た。


「栄えある<黎明の七騎士>がする仕事ではありませんね」


 サリアはベッドに仰向けになっているままだ。バウナーは息をついた。


「栄えもなにも戦場でもすることは兵士と一緒だがな。俺はその辺の兵士や将校より殺しが数倍上手い。だから筆頭騎士に据え置かれてる。ただそれだけのことだ」


 サロモンがこの乱暴な言い草を好かないことは知っていたし、きっと嫌がっているとは思ったが、バウナーはこの考えを無視した。


「誰もがこんな綺麗な死に方はしない。女なら捕縛され、強姦されたあとに殺される。死体は髪が乱れ、目からは涙が流れ、服は引き裂かれ、泥まみれだ。すぐに焼いてやらないと死体好きの変態が集まってくるかもしれん。……拷問官も女だと分かれば見境のない奴らしいからな。マシな末路だろう」


 サロモンはサリアの死体を見ながら、バウナーが想像した通り、眉をひそめて聞いていた。だがバウナーが拷問官の部分でいくらか語気を強めると、表情を緩めて彼のことを見だした。


 バウナーはサロモンが何を考えているのかは付き合いを始めて以来分かったことはあまりないが、彼が怒らず、静かにしているのだけはいつも気分がよかった。

 王室関係者の大概はこの手の話をすると冷笑するか激昂するが、サロモンは違う。サロモンは戦う身ではないながらも戦場のひどさと世の不条理さを知っている。信仰心を厚くしようとも、この二つの現実は変わらないのだが、理解を寄せる人はあまりいない。


「昔と比べて変わりましたね。あなたは」


 考えていたのはそんなことかとバウナーは少々残念に思った。


「規則は破るものだと知ったな」

「……それでいかがでした、バウナー様?」

「何がだ?」

「彼女の技です」


 技? とバウナーが聞き返した。バウナーは特に分かっていて聞き返したわけではなかった。


「彼女、サリアという名の娼婦は、1ヵ月前に七宝館に入ってきたようです。支配人曰く、ヴァーヴェルにいた頃も娼婦をやっていたと聞いたそうです」


 サロモンの説明でようやくバウナーは、性技かと理解した。


(まあ、よかった。ただ、どうにもできないつっかえはあった。……土台、本心からそんな気分にはなれるわけもないのは分かっていたことだ。幸いなのは、演技かもしれないが、サリアもまた俺の奉仕に喜んでいたらしいことだ。俺もまたそんな彼女を見てひどく充実感を覚えた……)


 バウナーはサリアがサラバルロンドの踊り子になりたい、ジータという踊り子が憧れだと語っていたのを思い出した。冗談に取っていたものだが、案外今でもそうだったのかもな、とバウナーは思う。


 バウナーは剣帯を留めながら、「誰の鴉だったか」とサロモンに訊ねる。


「グラシャウスという軍務卿ですね」

「名前は聞いたかもしれんが……」

「近頃諜報活動を始めたそうですから。元々戦地にもあまり出てこなかった人のようですし。個人的に育て始めた段階だったのでしょう」


 バウナーはため息をつき、頭を振った。


「育てるには遅すぎる。時期も悪いし、人選もそれほど良いようには見えない。娼館で働いていた方が幸福だっただろう」


 いくぶん言葉にやりきれなさをにじませたバウナーに、そうかもしれませんね、とサロモンは数回頷いた。サロモンはゴブレットにワインを注ぎ、バウナーに薦めた。薦められるままにバウナーはワインに口をつける。


「オルフェは諜報が上手くないとは聞いてたが」

「七影の手の者は悪くありませんよ」

「ふむ。お前のようにタマを切除した者もいるのか?」


 サロモンはしばらくこれといった感情を含ませずにバウナーを見つめていたが、どうでしょうね、そういう者がいるとは特に聞いていませんが、と口をへの字にする。


「いたら脅威になるでしょう。古来より、性欲のない男は優秀なものです」

「お前のようにか? ああ、俺は性欲がないわけじゃないからな」

「優秀な男になるために切除したいとお思いで?」


 バウナーは、いや、と短く答えた。大して使っていないからといって、切りたいとは露ほども思わない。


 サリアが目に入る。サリアはもちろんベッドから微動だにしていない。


 治療魔法による迅速な処置の例を除き、致命傷を与え、死の淵に立っても起き上がってくる例は少なからずある。魔女や死霊術師が、裏で手を引いている場合だ。

 しかし、魔女や死霊術師は俗世に関わることを嫌うという。彼らが関わった事例もそう多くない。くわえてサリアは暗殺者としても魔導士としても腕はそこまででもない様子で、魔女や死霊術師が関わるような重要な任務を任せるほどの者でもなければ、利用価値もない女だろうとバウナーは思った。平穏に生き、幸福になるべき女だ。


 バウナーはゴブレットをサイドボードに置き、サリアの元に行って、まぶたをおろしてやった。それから、シーツをベッドから引っ張りだして端を短剣で切った後、サリアの首の傷口に巻いた。シーツはすぐに血で赤くなる。

 王都のアルバグロリアでは、娼婦が客引きをする時、首に白い布を巻かなければならない。それは誤って地位のある女を誘ってしまうことのないようにと男性側の名誉を守る意味もあるし、女性が高級娼婦という意味でもある。貴族の女と高級娼婦は犬猿の仲だ。


「時にバウナー様。さきほどは、規則は破るものだと言いましたが」

「ああ。皮肉だぞ」

「ええ、分かっていますよ。異性に夢中になる時もそのようなことが言えます。障害があるほど燃えます、不思議と」


 バウナーはサロモンの言いぐさを馬鹿にしようと思ったが、いまいちそんな気分にはなれなかった。敵国の間者と燃えることができるだろうかという疑問が沸いたが、どういう状況であれ、タマなし騎士の自分はおそらく燃えないだろうと、バウナーは考えたからだ。


「下で支配人を拘束してありますよ。私の考えでは何も出てこないと思いますが」


 話はもう終わりのようで、バウナーもそうだろうなと内心で思いつつ、部屋を出た。

 別の部屋から女の喘ぎ声、また別の部屋からは男の聞くに堪えない喘ぎ声が聞こえてくる。階下では監査が入ったのに呑気なものだとバウナーは思った。

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