2-23 インとメイホー村 (3) - 咎を討つ者と魔人


「ではまたの。発つときにまた念話を送る。皆を頼むぞ」


 裏口の前でそうインが言うと、村長が「御意」と、手を胸に置いて恭しく頷く。


「銀竜様もご壮健であらせられますよう」

「うむ。知見を広めてくるでな。面白い土産話を期待しておくとよい」

「是非お待ちしております。……ダイチ殿も銀竜様との旅路に幸があらんことを」 

「村長さんもお元気で。まだ出発するわけではないんですけどね」


 俺の苦笑に、左様ですな、と村長さんが微笑む。


「しかしながら、私めと銀竜様がこのようにしてお会いするのは今年は最後になりましょう」

「そうなんですか?」

「ええ、あまり頻繁に会うと、銀竜様の愛らしい御姿が皆に知られてしまいますからな。メイホーは小さな村ですが、銀竜様のおかげでこうして多くの人の行き来がありますゆえに、どのような輩が潜んでいるやもしれませぬ」


 ふうん……過保護かそれとも。


「心配性だのう。第一人の子では我ら七竜をどうにかしようと思ってもできんよ」


 俺は人の子ではないのかと内心でつっこむ。


 そうですな、と微笑んでいたかと思うと、村長は笑みをすっと消して俺のことを見てくる。

 細められたうかがうような眼差しは、俺にインを頼むぞと言っているように見えるし、よもや変なことを考えておるまいなと忠告しているようにも見える。


 じっと見つめてくるので、何かアクションが必要なのかと思い、


「イン、……銀竜のことは任せてください」


 と頷いてみると、村長は満足そうに口を緩めてくれる。前者だったか?


 俺と村長とのやり取りを見ていたインが肩をすくめる。


「老いぼれるとみな心配性になるな。私も老いたくはないものだ」


 申し訳ありませぬと苦い顔をする村長。1000歳のインが老いる時って何歳の時だよ?


「此度は少女の御姿をしておられましたので、孫の顔が時折浮かんでおりました」

「そうか……。大事にせいよ」


 はい、と頷く村長。


「ま、ダイチもおるしの。そう心配するでない。仮にまた魔人と戦い、何かあってもお主にはすぐに伝えるからの。魔人との戦いのあとには毎回そうしておるし。その時には他の七竜のフォローも入る。私がどうなろうとも、村の心配は何もない」

「め、滅相もございません。我らがこうして在れるのは、銀竜様のおかげ。我らが身を捧げているのは銀竜様のみであります。御身に何かあったときには、我らが死を迎えるも同じ……! そのことを村の者は分かっていないのです! であれば」

「わーーーかった、わーーかった」


 インが言葉に熱のこもった村長の言葉を中断させ、その肩をぽんぽんと叩く。


「ファーブル。村の者が我ら七竜の恵みを芯から理解できぬのは仕方ない。我らも昔からそういうものだと理解している。……ま、村長だからと言ってあまり気を張りすぎるな。長生きせぬぞ? 私が良い物を食わしているのだろう? だったら長生きしてくれ」

「……ははっ」


 インの言葉に村長がまた泣きそうな顔を見せた後、頭を垂らした。

 今回は俺が提案した形にはなったが、村人たちの心情はイン側も察してはいた感じか。まあそうか。生きてる時間が違いすぎる。


「では行くからの。達者でな」


 インが背中を向けて歩き出したので、俺も「お元気で」とだけ言って、それに続く。村長は頭を上げたあと、しばらく俺たちを眺めていた。俺を見てきたとき、何を考えていたんだろうな。



 ◇



「なあ、魔人ってどんな奴なんだ?」


 村長の家から出てしばらく歩いた路地で前から気になっていたことの一つを訊ねてみる。


「なんだ? 藪から棒に。……ああ、そういえばさっき触れたな」


 インが置いてあるのか捨ててあるのか分からないボロいが頑丈そうな木の箱に座る。俺も家の柵が寄りかかるのに具合が良かったので、寄りかかった。


 草きれを一本持った子供が「討伐したり~~」と言って道を駆けていく。その後ろを少女と、ぼろ布をまとった少年がきゃあきゃあ言いながら続いた。


「……一年後か、何十年後かは分からんが、突如として邪なる存在が現れるのだ。規模は小さい時もあるし、人の世に絶望を与えるほど大きな時もある。人の子ではそうそう太刀打ちできぬ魔力を秘めたその存在を、人の子らはいつしか“魔人”と呼ぶようになったのだ」


 魔人と言っても、色々タイプがあるように思うのだが、魔人というからには弱いわけもない。ファンタジー諸作品と同じように、世に恐怖をもたらす災厄的強者であることには変わりないらしい。


「魔力が膨大だから魔人?」

「そうだろうの。魔力だけに限らぬが」


 クライシスでも魔人と称されるボス級モンスターはいたが、MOBにもよるが、MMORPGなので当然倒せばまた沸く。倒すのに苦労することはするが、初見以降は特に感動もない。もちろん魔人にまつわるテキストを追えばそれなりに思うものはあったが。


「出るタイミングが分からないのは辛いな」


 それにしても突発的なラスボスというのはあまり具合がよくない。戦う準備ができていないのはよくない。

 災厄とは本来そういうものかもしれないが、ラスボスなら四天王的な部下との古城での戦いとか、空を暗雲が覆って預言者が叫ぶとか、もうすぐラスボスと戦うことになることを察せられる要素を少しくらい欲しいものだ。


「そうだのう。そこは私や他の七竜も常々思っとるよ」

「魔人はインたち七竜が倒すの?」

「いいや? 倒すのは人の子らだ。我らは力を貸すだけだの。我らは魔人討伐のための武器ではない。人の子のための防壁だからの。魔人を討つのは人の子、勇者でなければならぬ」


 インは俺のことを見ないままそう告げる。

 七竜の人の世に関与しないポジション的にはそうだけど。そこに特に思うことは何もないのか?


「勇者が魔人を討つわけか」

「うむ。だが、勇者でない時もままある。国と国で協力して魔人を討伐したケースもたくさんあるぞ」


 それはそれでいい話にも聞こえるが……。村長は心配はなさそうだが、七竜への信仰心が薄れやすそうだ。

 なにせ人知を超える力を示しているのに、七竜は戦闘に関与せず、助力しかしないのだから。いや、でも、千年以上前から今まで信仰を保ててるから問題ないのかな? 結界もあるし、動植物への“恵み”もあるしな。


「勇者ってどんなやつなんだ?」

「人の子らの言葉で言うなら、世の救済者だの。救済と言っても奴らは為政者ではないし、人々を安堵させる文言の類も唱えんし、ほとんどが武勇と魔法で魔物や魔人を打倒すという意味だろうが」


 某ゲームの主人公像が浮かぶ。いや、彼らは王族であったりするし、……それよりはアメコミヒーローに近いか?


「人だよね?」

「そうだぞ。時代によって違うが、人族、獣人、竜人族、エルフに、種族も色々いたな。……勇者はな、我ら七竜の間では、“咎を討つ者”と呼ぶこともある」

「咎?」

「うむ。咎だ」


 そう言うと、インは俺を見つめた。商人たちの話を聞いたあとと同じく、やり切れなさ、諦念、怒り、そういったものが、眉間に少しシワを寄せた顔にはまたあった。何か思うことがあるのか?


 インはまた地面に視線を落とした。


「魔人の奴らはいずれも“止まることなき破壊欲”を有していての。突如現れては人里を襲い、家屋や城を防壁ごと壊していくのだ。魔物は動くもの……肉食の動物と同じように人を襲う習性があるもんだが、魔人はむしろ、街の破壊を目的にするかのように動く。理由は分かっとらん」


 人ではなく街を襲うのか。


「……我ら七竜は、人の営みを千の時を超えて見守ってきた存在であるがゆえに、街一つを作るのがいかに大変か知っておる。人を集め、地面をならし、草を抜き、木を伐って家を作り、また人を集め、商売を始め、街を守るための自警団を作り。賊徒どもの住処だった廃墟が百年かかってようやくまともな街になった例もあった。……しかし人の子は寿命でいずれ死ぬ。病気で死ぬ。足を滑らせ、打ちどころが悪くても死ぬほど儚い存在だ。だが、死の悲しみは乗り越えられるし、子孫を残すこともできる。そのことは本に残すこともできよう。ただ……街はそうしたことを何一つできない。壊れたら仕舞いだ。街を見れば……たとえ住人がいなくとも、かつての住人の様子、賑やかな街の様子を想像できるというのにな。……我らはよく街そのものが、人の子らの資産だと考える。だからこそそのような資産を大した目的も持たずに壊すその破壊欲を、我らは最大の咎と考えるのだ」


 少し変わった考え方のようにも思えたが、長命の生物で信仰されている生き物なら、そういう境地に達するのかもなと思う。自分たちを残してあっさり死なれる気分、悲しみは、短命であり、残す側である俺には推し量れない。


「そうは思わぬか?」


 インが表情を緩めて俺に訊ねてくる。そこに暗いものはとくにない。悲しみはあっさりと引っ込んだようだ。そもそも、そういった感覚が麻痺しているという風にも取れなくもない。


「そうかもしれない。……俺の世界には魔人は物語の架空の世界でしかいなかったけど、みんなだいたい人を襲ってたから、少し不思議だよ」


 ほう、とインが関心を示した。


「ここの魔人も攻撃を加えてある程度痛みを与えれば、攻撃者、つまり人の子を狙うがの」

「いや、元からかな。物語を盛り上げるために魔人はいるからね」


 よく分からない顔をしていたので、人を襲った方が物語の悲劇性と主役の英雄性が増す、だから魔人はいるといったことを教える。人の死に泣き、悲しみ、そして再会に抱き合い、勝利に喜ぶ。そういう高ぶった感情がもつれ合う方が物語は盛り上がる。


 なるほどの、とインはこぼした。


「物語学とやらかの」

「物語学?」

「そういう小学問があるのを聞いたことがあってな」


 俺の世界に物語学があったのかと訊ねられたので、詳しくはないけどあったと思うよと答えると、それほど興味はなさそうだったがインは軽く何度か頷いた。


「ま、いずれにせよだ。魔人はお主にとっては大したもんでもないのだろうな。なにせ、魔人の攻撃を跳ね返す私の防御魔法を徒手で殴り壊すくらいだしの」


 インが存分に嫌味を含んだ笑みを浮かべてくる。


「つまり……お主はいつでも咎を討つ者になれるということだ」

「それは、……過大評価だよ」


 過大評価なもんか、とインは愉快に笑った。


 “物語学的に”言ってみるなら、おそらく今後、俺や七竜よりも強い魔人か何かが到来しなければならない。俺の物語が今風ののんびりまったりのゆるい話で完結しないのなら。

 俺としては、というか大多数の人がそうだろうが、スローライフの方が断然いい。嫌な話だ。

 でも物語において、主人公の意思、意向といったものはあまり関係がない。むしろ、乖離している方が盛り上がりが増すというものだ。俺は内心でため息をついた。俺の今の物語は、明らかに「フィクション」だ。


 俺のこの中世の世界観を有していながらゲームのインターフェースや俺のデータを持つ不可思議な世界に転生したという奇妙な物語の後ろに、誰かしらの手がないと考えるのは正直難しい。

 俺はティアン・メグリンドという人物によって、意図的にホムンクルスの体に転生させられたのだから。


「しかしホムンクルスの錬成と転生の儀を掛け合わせるなんぞ聞いたことがないぞ――」


 インの驚きようが思い出される。そしてこの転生は、類を見ないものだった。千年以上生きたインが聞いたことがないというほどの。


 誰かしらの手の「誰かしら」がティアン・メグリンドだというのが一番分かりやすいのだが、……彼女はいない。黒幕であればその場からいなくなるだろうか? 何もかもを残して?

 それとも俺のバカみたいな力を察知して逃げたか? あの小屋を見ると、彼女が悪い人物という風には少し考えづらい。必ずしも悪人でないといけないわけじゃないが。


 もちろんこういう状況に陥っているのが全くの偶然である可能性もないわけじゃない。けど、俺はそうなる偶然のケースの例を何一つ持っていない。

 夢だというのならどれだけ楽なことか。だがもう、夢にしては複雑怪奇すぎる現象になってしまっている。悪魔が見せている幻、というレベルだ。


 ともかく、ティアン・メグリンド自身であれ、その先にいる人物であれ。

 誰かが裏で手を引いているということは何かしらの目的があるということだ。

 俺を生み出した目的。何だろうな……なんにせよ、それは多かれ少なかれ、その糸を引いている者を喜ばせる要素になるだろう。


 つまり。

 俺がこの世界で安穏と暮らせるというのはかなり非現実的な考え方であることは確かだ。


 俺はため息をついた。インがどうした? と訊ねてきたので、何でもないよ、と返した。


 ・


 ミュイさんの店に二人の様子を見に行くと、店内で服を畳んでいるディアラとヘルミラの二人の姿があった。

 傍にはこんもりとなかなか高い服の山ができている。やっぱり色々と着替えさせられたようだ。一応他の客も来るだろうに。


「あ、ご主人様にイン様。おかえりなさい」

「ただいま」

「うむ」


 二人は白いシャツの上に、袖のない黒のオールインワンのようなものを着ている。オールインワンといっても、腰はきゅっと絞られているのでスリムだ。


「どうでしょうか?」


 二人が顔に不安をにじませながら、俺のことを見てくる。


 ちょっとボーイッシュだが、いい感じだ。使用人感もほどよくあるが、ある程度は楽な気持ちでいてほしいので気にしないことにする。

 襟から垂れているレース飾りがいかにも中世風味で可愛らしくもあるが、そんなに派手にも見えないし、いいんじゃないだろうか。気になったら外せばいいだろうしね。


「うん、いい感じだね。似合ってる」


 俺がニコリとすると、二人が笑みを綻ばせた。耳が少し垂れた。


 聞いてみたらオールインワンではなく、襟付きのベストにズボンという組み合わせだった。どっちも同じ色だったのでそう見えたらしい。

 いずれにせよ、動きやすそうだ。そういえば、動きやすいものってリクエストしたっけね。


「選び終わったものがこちらです。どうでしょうか?」


 店の一隅に、私服などの選んだものが軽くまとめてあった。色は白や茶、紺などで、刺繍があるものもあるが、過剰に派手なものは何一つない。店のラインナップからしてみれば地味なのかもしれないが、ひとまず十分だ。

 もう少し女の子っぽいものを着てほしい願望もないこともないんだが、選んだものにそれっぽいものは俺が選んだ下着くらいしかないようで、特に選ばれなかったらしい。

 可愛らしいドレスの類はない。女の子だし、少し悪いことしただろうか? まあ、気持ちに余裕が出来て、欲しがっているようだったら買ってあげればいいか。


 店の奥のドアからミュイさんが出てきた。


「おや、ダイチ様にイン様、おかえりなさい。用事はもうよろしいのですか?」

「ええ、終わりましたよ」

「そうですか。ちょうどこちらも選ぶのが終わったところですよ。お二人はどうですか?」


 ミュイさんが大仕事を終えましたとばかりのずいぶん晴れやかな顔で、そう訊ねてくる。


「お手並み拝見しました。大満足です」


 実際、よく選んでくれたと思う。最初は普通に派手なものを勧められていたしね。


「私も久し振りの大仕事に、達成感の極みです。ドレスの方も是非着ていただきたかったのですが……動きやすいとは言い難いですからね。……今回誠に至上の経験をさせていただきました。ダークエルフの方に服を選ぶなど、私には一生できなかったことかもしれません。今後の私の仕事に大いに生かそうと思います。ありがとうございました、ダイチ様」


 と、ミュイさんが改めて礼を言ってくる。


「いえいえ。これからも頑張ってください。こちらこそお世話になります。……ダークエルフって服屋にあまり来ないんですか?」

「そういうわけではないと思うのですが……やはりフーリアハットの方から南下してこちらまで来るダークエルフは少なくなってしまうのです。彼らは故郷を大事にしますからね」


 ミュイさんが姉妹を横目で見ながらそう解説する。そうなの? と、姉妹に訊ねてみる。


「そうですね。旅に出る方もいますけど、基本的にはみんな里で暮らしています。里を出る理由は色々だと思いますが、……槍や弓などの新たな境地を目指したり、他の国の料理が気になって出ていったとは聞いたことがあります」


 武芸に料理か。


 ちなみにダークエルフから言わせると、塩のみや酢のもの、あるいは煮たり蒸しただけのものなど、割とあっさりめの味が好みであり、肉料理の多いここオルフェの味付けは少しくどめとのこと。

 ただ姉妹は昔から、他の地方の料理を割と食べていたようで、その辺はあまり気にならないのだとか。母親が元々料理に目がない人で、里に定期的にやってくる商人に頼んでは、いろんな地方の食べ物や料理を購入したり、レシピを教えてもらったりしていたらしい。


 ヴァイン亭に戻った。

 ヘイアンさんがもう少しすると、晩飯で人が増えすぎてしまうので食事をするなら今だぞと言うので、それに倣って俺たちは部屋に買った服を置いた後すぐに食事をすることにした。


「お、ダークエルフの嬢ちゃんたち、またあのスープ作ってくれよ! 嫁が気に入ってなあ」

「こいつの嫁、今痩せようと肉断ちしてるんだとよ」


 農夫と商人らしき格好の男二人組がディアラとヘルミラに話しかけてくる。姉妹は二人に愛想笑いを返したあと、判断を頼むとばかりに俺を見てくる。

 話しかけてきた農夫も商人もおそらく現実の俺と同じくらいの年齢だ。商人の方はそうでもないが、農夫の方は上腕の筋肉が妙に太い。

 ヘイアンさんなんてもっと逞しいものだが、がりがりだった俺としてはプチマッチョとマッチョの間ぐらいの農夫の筋肉の付き具合はちょっと羨ましくもある。


 農夫の方が俺に顔を寄せてきて、声を潜めてきた。別にこの人に限った話ではないが、土と酒の臭いがつんとにおってきた。


「頼むよ、ダイチ君。君からも言ってくれ。……ロッティお嬢様を見てからは痩せたいとか言って好きな豚肉食ってないせいかな、うちのアンナの奴、この頃怒ってばかりなんだ。それがこの前のスープ飲んだらすっかり機嫌よくなってな」

「ダイエット中はストレス溜まりますよね」


 うんうん、と頷く農夫。ロッティお嬢様って誰だろう。

 好きなもの食べられないのは辛いよなぁ。気持ちはとても分かる。それにしてもダイエットの概念はあるんだな。まあ、婦人たちはコルセットつけてるから痩せたい気持ちはあるか。


「あのスープにも肉入ってたけど、ほんの少しだろ? だからアンナも機嫌よくなったと思うんだよ。俺は少しずつ断った方が絶対いいって言ってるんだが、きかないんだよ……あいつ大して我慢できない性質だってのに」


 農夫がため息をついた。俺も少しずつ推奨派だ。彼は色々と苦労してるらしい。


「まあ、あのスープがアンナの好みだったのが大きな理由だろうけどな」

「美味しいですもんね、あのスープ。……作りたいときに作っていいよ。台所が必要なら、ヴァインさんやステラさんの許可とか得たらね」


 俺の方は特に支障があるわけでもないので、二人にそう言っておくと、姉妹がまた作っておきますね、と農夫に返した。


「よっしゃ! 助かるよ! 今日の分の君たちの飯は驕りにさせてくれ。……ヘイアンの旦那!」

「はいよ。ダイチ君たちの“三日分の飯”あんた持ちだよな」

「え!! それじゃ俺の方まで痩せちまうよ!」


 俺たちや商人や、話を聞いていた客の間で笑いが起こる。


 改めてお礼を言って自分たちの席につくと、近くにいたステラさんが、姉妹にいつでも使っていいわよ、と言ってくる。すっかり仲良くなったもんだね。


 そんな和やかな食事の後、水浴びと歯磨きをすませて、俺はこっそりインにだけ伝えていた外出計画を実行することにした。


「じゃあ行ってくる」

「うむ。念話はいつでもできるようにしてあるが、気をつけてな」

「了解」


 どこに行くのかは別に、出かける事実くらいは姉妹に言ってもよかったんだが、ついてくるかもしれなかったことと、ヘルミラが少し眠そうだったので、早々におやすみと言ってそっとしておいた。

 ちなみにインは来ると言っていたのだが、姉妹を置いておくのは忍びないため残ってもらった。


 例によって、見張りの警備兵にばれないようにこっそりとメイホーを出た。返却物の服の入った麻のリュックを背負いながら、この世界に生まれた日にかつて下った道を上っていく。


 ガンリルさんと出会った三叉路を過ぎ、メイホーが小さくなったのを確認したあと、俺は駆け出した。

 道には轍があったし、人が通る可能性もないわけではないので、かつてケプラまで駆けたほどの速度よりは落としたが、木が何十本もあっという間に過ぎ去ってしまう。小屋にはすぐにつきそうだ。


『ダイチ、黒竜と紺竜が近くにくるぞ』


 ――え、なんで?


 つい立ち止まってしまう。空には特に飛竜たちが飛んでいる様子はない。


『護衛だと思えばよい。お主、以前に倒れたからな、念のためだ』


 ――大げさだなぁ。


『そう思うなら、私を安心させる努力をしてほしいものだの?』


 念話の後ろで、インがため息をつく気配がした。……確かにマラソンでもしたレベルで結構派手に疲れてたけどさ。


 ――努力します。


『うむ。分かればよい。母の前では素直でいるのが肝要だぞ?』


 ――はあい。

 

 いい母親だよ、ほんと。

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