2-22 インとメイホー村 (2) - ファーブル村長
姉妹をミュイさんに任せて村長宅に向かう。イン曰く、村長には既に念話で話は通してあるとのこと。
俺たちは倉庫のような役所の横にある村長宅の裏口の戸をノックした。すると間もなく、ドアはゆっくりと開けられ、老人が顔を出してきた。
おぉ、と彼は顔に喜色を浮かべたあと、胸に手を当てて恭しく頭を下げた。
「お久しぶりで御座います。銀竜様」
「うむ。お前もな」
老人はなかなか眼光鋭く、腰はまだほとんど曲がっていない。貫禄のある人だ。
老人は裾に金色の刺繍の帯と、光沢のある白いローブをまとっていた。刺繍も精緻の極みで美しい代物だし、高価なローブであるのは見ただけで分かる。
首からは小さな石が下がっている。六角形にカットされていて、お馴染みのアクセサリーだが……石はダイヤモンドのような輝きを秘めていた。宝石だ。
ローブも宝石も、明らかにこの村の村長がつけるような代物ではない。村長というよりは、“銀竜に選ばれた者”をあらわす持ち物だろう。
「毎度のことながら……このような場所から申し訳ありませぬ」
「構わん。人掃けはしただろうな?」
「御意に」
老人が胸に手を当てて再度頭を下げる。特に疑いもしていなかったが彼が村長のようだ。
それにしても彼の慇懃な態度には少々驚かされる。お祈りでもその一端は見ているのだが、インという七竜の一柱がこの世界でどのような地位にあるのか、分かる過ぎるくらい分かった。
村長宅は役所に隣接している。もしこんな目立つローブを着ていたのなら覚えているはずだが……ローブに汚れなどは一切ないようだし、インが来るということで着ているにすぎないのだろう。
彼の顔立ちも特に見た覚えはない。若い人と言い合う元気な老人はヴァイン亭内を含め村の中でいくらでも見た。そんな彼らと比べると村長は静かにはしていそうだが存在感はあるので、いくらか印象に残りやすいとは思う。
「こちらの方が連れてくると言っていた?」
彼と視線が合う。シワが刻まれた重そうなまぶたの乗っかったグレーの瞳は俺を捉えて離さない。
「うむ。ダイチと言う。あとで多少話してもよいが、こやつは私よりも強いぞ」
インがしたり顔で説明する。 あまりそういう噂を飛ばさないで欲しいんだが……。物理でしか攻められないし。
なんと! と目を驚愕に見開き、俺の上から下まで険しい表情で眺め始める村長。何もないですよ。
その後、改めて探るように俺の目をじっと見つめてくる。表情に険しさはなくなったが、探るような目つきだ。さしずめ彼の内心は「こんな少年が?」といった心境だろう。規模はもちろん今ほどではなかったが、もう慣れたやり取りだ。
というか、七竜よりも強い、という規模からすれば、老人はだいぶ落ち着いていると言えるかもしれない。
「勇者様や高位の魔導士様ではなさそうに見えますが……」
ではないです。勇者や高位の魔導士とやらを見たことあるのかな?
ヒルデさんやバーバルさんが魔力適正やレベルを見てきたのを俺の方では特別感知してないので分からないが、村長も何か鑑定的なスキルや魔法があるのだろうか。インの忠臣だからね。あっても納得はできる。
「まあ、奥に行こう。ダイチの話はあとだ」
「承知致しました。では」
情報ウインドウが出てきた。
ファーブル。LV12。人族。オス。65歳。村長。状態:健康。らしい。
昆虫好きだったりしてね。にしても、65歳で健康ってすごいな……。
人掃けしたというだけあって、家の中は誰もいないようだ。
ヴァイン亭と同じく豪勢というほどでもないが、暖炉だったり、槍の飾り物だったり、シャンデリアで蝋燭の火が揺れていたり。民家に入るのは初めてだし、現代日本にいたらそうそう見れない内装の数々に色々と注視してしまう。
竈があり、肉や野菜の干物が下がっていたり、現代と同じく食器棚には食器が積んであったりと、ティアン・メグリンドの小屋の台所よりもずっと台所らしい台所を横目に客室らしき狭い部屋を通り、とある部屋に入る。
「汚いところですが」
「毎度のことだ。気にするな」
村長の自室のようだが、ソファーとテーブルがあるので応接間も兼ねていそうだ。
棚には本はなく、鷲と熊の見事な木彫りの置物がある他には、高そうな陶器やヒビの入った石板、水晶などが飾られている。反対側には古い剣と台形の盾が飾ってある。
村長は年の割に手足に骨ばったところはあまりなく、歩き方もしっかりしたものだ。剣と盾には戦場で使い古した感じはないが、ヘイアンさんと同じように昔は腕を鳴らせた口なんだろうか。
「少々お待ちくだされ」
村長がそう言って、イスと絨毯をずらしていく。果たして何をするのか。手伝おうかとも思ったが、動きは結構機敏だ。
絨毯をくるくると巻いて出てきたのは、周辺の床材と同じウォールナットな床だが、よく見ると正方形に切れていて上部に取っ手があった。引っ張り上げるのか? また、四隅には丸い窪みがあり、何か仕掛けがあるのを想像させる。
村長は露出させた仕掛け板はそのままに、棚の隅に置いてある小さな木箱を持ってきた。中から鍵を取り出した。そうして鍵で書斎机の引き出しを開ける。開けて出したのは、鍵束だった。2つ鍵が下がっている。厳重だなぁ。いったいいくつ鍵を使うのか。
その鍵を使って、今度は下の一番大きな引き出しを全開にして、本数冊と藁紐で束ねられた年季の入った手紙の束を丁寧に外に出していく。
本はどれもボロボロだが、錬金術の本のような薄いものはない。一冊の表紙に「七竜教経典」と書かれてあるのが見えた。インのことをちらりと見てしまう。
引き出しから取りだしたのはまた箱だった。今度はさっきよりも大きく、作りもしっかりしていて、宝箱のような箱だ。
鍵束の鍵を使い、宝箱から出てきたのは木の台が一つと金属製の綺麗に磨かれた球が4つ。木の台には受動式魔法陣が描かれてあった。奴隷契約の時に使ったものと同じだろうか。
村長が床板の窪みに球をそれぞれ4つ置いた。すると、一瞬だったが、床に黄色い魔法陣が浮かび上がった。ほうほう。
今度は木の板を床の中心に置き、村長は受動式魔法陣に手をかざした。受動式魔法陣が光り、床の魔法陣も反応して光った。
特に何も起こらなかったが、村長は宝箱に球や木の台を戻した。そして取っ手に手をかけて、床材を持ち上げ始めた。今やったことをしないと床が持ち上がらない系か?
開けた先にあったのは階段だった。地下のようだ。
「地下室が珍しいですかな?」
「それもありますが……色々やっていたようですが、何をしたのですか?」
「あらかじめ土魔法の《
ほほ~……。
「二つ前の村長が凝り性でのう。この地下室自体は前からあったんだが、老後の趣味だとか言って私に会うために地下室をいじりおったのだ。奴は魔力がほとんどなく、魔法とは縁のない者だったが、まあでもよう勉強しとった。このくらいの魔法鍵を仕上げるくらいにはな。若い頃に細工師をやっとったというから、凝り性なのも分からんでもないのだがな」
老後の趣味か。老後に魔法の勉強だなんて、実に素晴らしい趣味だと思う。
「おかげさまで私も凝り性になりました。ボケ防止にもなっていることでしょう」
そういくらかしたり顔で語る村長にインはふっと薄い笑みをこぼした。ボケ防止にはなるだろうねぇ。
地下に降りてみると、結構広い廊下が続いていた。
地下の廊下は真っ暗だったが、先頭の村長が一歩踏み出した途端に壁の灯りがついたようだった。
灯りからはゆらゆらと光が揺れている。チューリップのような形をしたステンドガラス細工で覆われ、中は見えない。
廊下の壁は、メイホーの家々で使われていた塀の作りと似ているが、石はどれも綺麗な長方形をしているし、一切の乱れなく積み重ねられている。灯りまであるし、凝り性というのも頷ける出来だ。
二代前の村長が作ったのであれば、壁はちょっと綺麗すぎな気もしたが、ここは雨風で削れることがない。あの恭しさを見るに、常日頃から手入れや掃除もしているんだろう。
やがて木の扉が現れた。これもまた彫刻で模様が彫られている代物だ。中心には太陽のようなアイコンの意匠がある。特に何もなく村長は扉を開けたが、部屋の中は暗い。
村長が部屋の中の扉の横の壁から小さな木の札を手に取る。札には受動式魔法陣があったのか、手が淡く光っているまま、村長はそれを天井にかざした。
すると、豪華なシャンデリアの灯り――よく見たら、火ではなく「光」だった――が、ぽっとつき、部屋の全貌を見せてくれる。
8畳程度の小さな部屋は、とても地下の部屋とは思えない威容を放っていた。
床や壁は、木造や灰色一色の石造りの作りなどではなく、淡い色をしたカラフルな石やレンガなどを綺麗に敷き詰めて作られている。
奥の壁には窓のように設置したステンドグラスがあった。さすがに外から光が漏れるわけではないようだが、それでも十分な華やかさだ。村の風景がいかに色味がなかったかを実感した。
天井には、草花の彫り物がされた石が隙間なく埋め込まれている。掘られた草花は同じものもあるようだが、ほとんどが違う種類のようだ。狭い部屋とはいえ、いったいいくつあるのか。
壁際には謎の植物――歪な形をした実をつけたぶどうを逆さまにしたような緑色のオブジェがぽつんとあった。鉢植えに入れられている辺り、植物を模しているのだろうと思うが、どうやらガラス細工らしい。色味によっては不気味かもしれないが、緑色は綺麗なガラス色なため、不思議な味わいがある。
物は、部屋の広さからしたら仕方がないのか、謎の植物のオブジェに加えて、燭台の置かれたリビングテーブル1つとイスが4脚あるだけだ。
が、イスは高そうなアンティーク風味の肘掛け椅子で、背には色とりどりの宝石が散りばめられている。テーブルの中心部にも白い石と黄色い石が市松模様式に敷き詰められていた。
こうした部屋の様相には、なんだかルネサンス期の宗教画の華やかさを彷彿とさせた。
ここはインのため――つまり、崇拝の対象、神聖な存在である銀竜のための部屋であるとそう思うと、内装の金のかけ具合、力の入れ具合、配色具合やセンスなんかが分かる気がした。
「今まで見た中で一番凄い部屋だよ」
「私も感心はしたんだが、パスツール――この部屋を作った二代前の村長だ――はできた後にすぐに寝込んでの。よければ使ってくれと言って、それきりだ」
この部屋は彼の遺作か……。
「ま、座れ。二人とも」
俺は座ったが、村長は座らずに、思いつめた顔のまま棒立ちしていたかと思うと、唐突に土下座した。
「この度の不祥事、申し訳ありませんでした……。子供を生贄に捧げているなど、この老木、村長に就いてからこのかたついぞ存じぬことでした……。そのようなことをしても、結界がどうにかなるなどと……」
地下室への感動で忘れていたけどそういや事件判明後だった。
「よい。もう言い聞かせたしな。その場にいたゴブリンのミラーという者に、調査を任せた。協力してこのようなことがないように努めろ。犯人を見つけても拷問などはせんようにな。人の多い都ではともかく、小さな村だ。ろくなことにならんだろうからな」
「ははっ!!」
天命でも受諾したが如く老人とは思えない威勢の良い声を発して、頭を床にこすりつける村長。まあ、事が事だしね……。
それにしても今ほどインが七竜の一柱だと実感したこともないかもしれない。インは微妙にズレたところはあるし、肉串の執着っぷりは笑えるくらいだが、村長の態度は、確かにこの世界の人々から敬服される人物であるのをまざまざと示していた。
「で、だ。私はしばらく見聞を深めるため旅に出ようかと思う。このダイチとな」
もう言っちゃうか。
村長が驚きと一片の悲愴を、さっきの懺悔でしわの濃くなった顔に露わにさせる。
だが、続く言葉は出さなかった。すぐに自分たちの過ちの重さを、村を束ねる村長として背負ったからだろう。
「結界のことは心配せずともよい。きちんと管理をしておくのでな。私の魔力による動植物への影響も三ヶ月ほどは持つとのことだ。なのでまあ、三ヶ月に一回くらいをめどに帰還する予定だ」
植物とか動物が育ちいいの知ってたのか。
「それと私は正直大して欲しいものなどないんだが……ダイチの持っている猪肉がことのほか美味くての。ちと、肉の研究でもしようかと思っていての。その……」
言葉に詰まったインにちょっと笑みをこぼしてしまった。インが睨んでくる。
「素直じゃないねぇ」
「ダイチの肉が美味すぎるのが悪いのだ! おかげでこんなに腹の減る体になってしもうた……」
「腹の減る体にって、まさか食べなくても生きていけるの?」
「まあ、そうだの。大地から
マジか……。便利な体……なんだよな?
そうなると神猪の肉串すごいな……。というか、労働力回復系の食べ物アイテムが凄いと言うべきだろう。
インの植物や動物への影響を一種の生産力として換算してみたら、減った労働力を回復するとして一応辻褄が合うか?
小さな地下室に泣き声が響き始めた。
「別にいなくなるわけではないぞ? 一年に一度、いや、そうじゃない年もあったが……まあ……しっかり会っておっただろ?」
「いえ……」
まあ寂しいからではないだろうな。
「私たちは自分の事ばかりで……銀竜様はこんなにも私達のことを考えてくださっているのに……自分が情けなくて……」
インがふっと表情を緩めて、肩に手を置いた。
「気にするな。お主らはお主らのできることをしてくれればよい。私はそういうお主らが好きだからの」
「はい……」
俺の提案は言ってみれば、人対人のビジネス的な案だったが、信仰対象と信仰者の間に持ち込むとこうなるんだなと思った。それもそうだよな。でも良い話だ。
しばらく経って、村長が落ち着く。
それから彼の興味は俺に移ったようだが、残念ながら俺には転生ネタないし現実世界での話以外、話題の持ち合わせはほとんどない。申し訳ないとは思ったが「とある異国の出で、とある家の者である」といった曖昧な解答の類しかできず、あまり話を盛り上げることはできなかった。
どう解釈したかは分からないが、村長は何かしら察してくれたようで、いつか武術を披露してほしいということで話を締められた。
木に丸く穴でも開ければいいかな……? 今度会う時までには《片手剣術》も使い込んでおこう。もしかしたらスキルを駆使したらマンガみたいに空中で野菜のみじん切りとかできるかもしれないしね。
「そういえば銀竜様は肉に興味がおありとのこと」
「ん。……まあの。色んな肉を食べておる最中だの」
「では。次にここでお会いする時には絶品の肉料理をお持ちしましょう。近頃、メイホーの豚や兎や鶏の肉はケプラでも評判で、是非手を加えてみたいという料理人の方が時々顔を出してきているほどなのです」
「おお、それは楽しみだの! 楽しみにしておるよ」
インが破顔する。多少驚いたようだったが、村長の笑みが孫を見る老人のそれに見えたのは間違いではないと思う。
インのことだからひどいお咎めなんて考えてなかったけど、ひとまずよかったよかった。
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