2-21 インとメイホー村 (1) - 携帯スープと夢が叶った男


 そんなに長話をしていたつもりはないんだが、階下は騒がしいことになっていた。あと煮えた野菜の良い匂いもする。どこかで嗅いだような懐かしい匂いだ。


「いい匂いだのう」

「だねえ」


 食堂にはちょっとした人だかりができていた。ヘイアンさんと数人の男性がカウンターに群がっている。周りも賑やかだ。

 ニーアちゃんは楽しそうに客とお喋りしている。この子は相変わらずだ。まだ解決したわけではないが、一歩進んだためだろう、彼らを見るインの表情も明るい。


 それにしても皆お椀ばかりを手にしている。匂いの正体だろうか? ヘイアンさんのところをちょっと覗く。


「ほほう……これは面白いですな! お湯をかけるとスープになり、具材も元の大きさに戻る。野菜や肉は干物にするとかなり味が落ちてしまうものですが、これは落ちているようには思えませんな」

「そうでしょう? 俺はもうここに居付いて10年以上になりますが、こんなすぐに美味いスープが飲めるなら、また外に出てもいいかもなってちっとばかし考えちまいましたよ」


 ああ、二人が作ると言っていたスープか。忘れてた。

 残念ながら中身は見えないが、やっぱりインスタントスープの類だったか。って、ヘイアンさんと喋ってるのガンリルさんじゃないか。


「おや、ダイチ殿にイン殿。お久しぶりです。といっても、3日振りほどですか」

「元気にしとったか?」

「ええ、ちょっと体を悪くして痩せてしまっていたのですが、この通り」


 そう言ってガンリルさんは自分の腹を軽く叩いた。プルンと揺れる腹。


「その腹は元々出ていたであろう?」


 インがため息混じりに苦言を呈すると、笑うガンリルさん。結構冗談を言う人だったのか。


「すまんね、二人をこき使っちゃって」


 ヘイアンさんが厨房の方をちらりと見る。厨房ではディアラとヘルミラとステラさんがいた。二人とはディアラとヘルミラのことだろう。


「気にしないでいいですよ。二人がすすんでやったんでしょう?」

「まあな。人が集まっちまったんで頼んだ形になったが、二人とも気にしないでくれってな」


 あの元気な返事を思い出して適当に言ったのだが当たっていたようだ。

 ステラさんと一緒に、ディアラとヘルミラがお椀とやかんを持って奥からやってくる。


「あ、ご主人様。お話はもうよろしいのですか?」

「うんだいたいはね。これは何?」


 お椀の中には固形の塊があった。フリーズドライだ。色的にニンジンやキャベツや肉だと思うが、圧縮されている。材料を少し分けてもらったようだ。


「里でつくる携帯スープです。是非召し上がってみてください」


 現実世界のものほど綺麗な形をしてはいないが、よく馴染みのある見た目だ。仕事が忙しいときなんかにはほんとによくお世話になりました。


「では、お湯を注ぎますね」


 俺とインが中を見ていると、ディアラがやかんを持ってゆっくりとお湯を注ぐ。圧縮されたスープの塊はお湯によって少しずつほぐされていき、スープになっていく。

 ほのかな野菜の香りが鼻腔を優しく刺激する。玉ねぎも入っているようだ。懐かしいと思ったが、あれだ、コンソメの匂いだ。


 手渡されたので飲んでみる。うん、見た目通りの優しい味だ。薄いコンソメ。普通においしい。胃腸が悪かった時に飲んでいたファイトケミカルスープを思い出した。


「美味しい。ほっこりするね。これどうやって作ったの??」

「作ったスープに《凍結フリーズ》、《酸欠アノクシア》、《微風ソフトブリーズ》の魔法を使ったんです」


 ああ、魔法か。

 冷凍に、そよ風……乾燥か。アノクシアって何だ?


 にしても三つも魔法を使うのか。


「大変じゃない? そんなに魔法を使って」

「どれも初級の魔法な上に、だいぶ魔力を抑えて使っていますから大丈夫ですよ」


 それでも二人の顔色は多少疲労が窺える。レベル10台といったら、クライシス準拠なら、MPは150から200程度だ。階下に出ているお椀の数は人数からして10人分はある。

 使い道があるかどうか分からなかった初級エーテル(高)の存在を思い出して、飲ませておいた。


「それにしてもよく出来てるね」

「1個1個魔法を使うと上手く固まらないんですけど、必要な調整はご先祖様が酸欠調理法の応用術式魔法として一つにまとめてくださったのが伝わっているので、それほど難しくはないんです」


 酸欠調理法。酸欠……真空状態にしてるってことか? すごいな……。


 ディアラが実演してくれることになった。


 ディアラがキャベツ、ニンジン、タマネギ、鶏肉の入った野菜スープに手をかざす。すると青、紫、緑の小さな魔法陣が重なるように三つ出てきて明滅した。それと連動して、スープが一瞬で固まり、縮こまって体積を小さくしたかと思うと、やがて水分が奪われてカサカサになった。


 小さな感嘆の声があがる。この声にはもちろん俺も含まれていた。魔法すごい。


「《酸欠》はダークエルフの幻影魔法の一種での。相手の呼吸をしづらくさせる魔法の一つなんだが、こういう使い方もあるとはのう」


 呼吸困難。えぐい。


「ほう。そのような状態異常系の魔法を料理に使うとは……ダークエルフの方々も考えたものですな」


 状態異常系……まあ、そうなるのか。確かに面白いといえば面白い。にしてもあまり聞かない状態異常だな。


『やはり、ダイチとの旅は楽しいの?』


 インから念話がくる。


 ――なんだい、急に?


『いや。私も見聞を深めたくなってのう』


 ――もしやこの辺りから出たことないの?


『うむ。ほとんど出たことがないのだ』


 ――なら楽しみだね。


 旅は楽しいよ。本当にね。自分の住んでいる場所と環境と建物の様式が違えば違うほど、より楽しい。


 エプロンの妙に似合う、フミルという男性が出てきて、ヘイアンさんから紹介された。なかなかハンサムな男性だったが、無口とのことらしく、小さく頷かれただけだった。



 ◇



 二人に服を自分で選べるかと聞いたら大丈夫だと言うので、村長と会う前にミュイさんの店に寄ることにした。


「こんな辺境の村でダークエルフの方に服を選べるとは……! ありがとうございますダイチ様!」


 俺の手を握るミュイさんの感動っぷりには驚いた。というか少し引いた。


 ミュイさんが言うには、服の業界――とくにミュイさんの故郷である港町がある東の方では、スタイルの良いダークエルフは素晴らしいモデルであり、彼らの服を選べるのは一種の名誉らしい。

 ちなみにエルフも同様の扱いだが、エルフはあまり里から出てこず、接する機会がまるでないので、人族とも交流の多いダークエルフの方が自然と人気なのだとか。


 その辺は分からなくもない。

 ダークエルフは褐色の肌のせいか、エルフよりもスリムなイメージはあったし、ディアラとヘルミラの二人はゲームやファンタジー諸作品の扱い通りにプロポーションいいからね。俺としてはやっぱりせめてもう3年……という感じがあるんだけれども、この分だと将来は美人だろう。


 名誉という意味なら、王族や貴族の方々などの服選びの方が上なのではと聞いてみたら、ミュイさんは声を潜めて、


「オルフェの上流貴族の方々の好みは私にとっては正直少々華美でして……」


 と、そんなことを言ってきた。


 視線が自然と店の富裕層向けのスペースに向かう。

 腰から裾にかけて異様に膨らんでいるパーティドレス。裾に金色の刺繍飾りが入り、前立てには白いひだ飾りの入った真っ赤なジャケット。俺がかつて断った緑色のベストもある。

 もちろんどの服も高価で、庶民服と桁が一つも二つも違う。メイホーの購買層的に、売れるようにはとても思えない。


「ああいうのって売れるんですか?」

「売れますよ? メイホーに訪れたお貴族様は買っていきますね」


 あ、そう……。


 ミュイさんの出身である港町コルヴァンに住む人々は、ラフな格好と自然な装飾を好むらしい。コルヴァンは温暖な気候で、漁師や海女などが多いらしいので、ラフな格好というのは理解ができた。

 自然な装飾とは、貴金属や宝石などをちりばめたりするのではなく、染色や柄やひだ飾りなどを楽しむことらしい。潮風の影響で錆びやすく、手の込んだ意匠は手入れが面倒になることも理由ではあるのだとか。


 コルヴァンの人たちによれば、ミュイさん曰く、内陸に位置するオルフェ貴族の服装は「暑苦しい」「重い」「派手すぎる」とのこと。察せられるところでもあるが、土地土地で服屋の内心もいろいろとあるらしい。


 それはさておき、お金は気にしなくていいのだが、いくら服選びが不得意とはいえ、お金をぽんと渡して「さあ買ってきていいよ」だとまた二人が申し訳なく感じてしまうかもしれないので、具体的に教えることにした。


「服は、旅路でも着れるような身動きのとりやすいものをなるべく選んで。奴隷らしいものっていう考えは省いてね。一般的なもの……いっても商人たちが着るくらいのレベルのもので。派手なものはできるだけ控えて、洗濯がしやすいものだとなおいいかな」


 真面目な顔をして聞いていた二人から頷かれる。ミュイさんにも改めて伝える。


「ここの貴族たちが着ているような華美なものはいりません。地味すぎるのもあれなんですけど、俺やインが着ているものに近いもので大丈夫です」

「さすが分かってらっしゃる! もちろんですとも。自然の中で生きてきたダークエルフに、彼らの権力を誇示する用途の豪華絢爛さは似合いません。必要なのはにじみ出る質素な気品としなやかな体の線を強調した佇まいの美しさでしょう」


 言葉は頼もしい限りなのだが……輝くばかりの笑顔が気になる。大丈夫かな?

 俺もミュイさんには世話になっているし、着せ替えするのはいいけど、二人が疲れない範囲で楽しんでほしい。


 まずは寝間着と靴。次に、二種類しかなかったのでほとんど決まったようなものだが、リュックと小さなショルダーバッグ。そして最後に私服と下着を3日分ほど買うように伝えた。

 姉妹は大量購入に少々面食らっていたが、微笑と、必要だからという言葉で納得させた。金は使いきれないほどある。

 ミュイ氏は慣れたもので(?)、特に口を挟むことなくニコニコしている。商売人としては俺はほんといい金づるだろう。羨ましい限りです。


 下着はインと同じように着たことないので選んでほしいと言われてしまったのだが、以前と同じく寒さ対策用の若干カボチャパンツというかおむつ感のある分厚くて色気なんてものはない安いものと、白でサラっとした生地で軽く枝葉の刺繍が入っているインのものと同じ高いものの二択だったのですぐに決まった。もちろん後者だ。


 姉妹から何の用途に着るのですかと訊ねられて少し困った。

 インはともかく、服の下に着て恥部を隠すという貞操観念が二人にはないようだ。恥ずかしくないのがおかしいって教えるのは、ちょっとはばかれる……。

 この世界で異端なのは紛れもなく俺だし。なんかこう、この世界の住人らしく、そのままでいてほしいという妙な気持ちを抱いたのもありで。


「まあなんというか……服を汚さないためとか、衣類をしっかり着ている方がきちんとした人に見られやすいというか」

「おぉ。さすが商家の息子さんですね。心構えがしっかりしていらっしゃる」


 否定しようとしたが、ミュイさんと姉妹の賛辞と尊敬を含んだ表情に言葉が出なかった。俺商家の息子なの? まあ……いっか。お金がある理由も特に思い浮かばないし。


 あと、財布や、必要であれば髪留めとかを選ぶように二人に伝える。近くに厚手の麻のトートバッグがあったので、それも二つ選んでおいた。エコバッグのようにくるくる巻けるので、場所も取らないし、買い物鞄にできるだろう。


「もしお尻とかを触られたりしたら、指つねっていいからね」


 折を見て、二人にこっそりそんな話をしてみる。ぽかんとされたあと、少し笑われてしまった。下着にまつわる貞操観念はないが、こういうところの常識はあるらしい。

 あまり気負って選んでほしくない意図もあることはあるが、割と本気だ。ミュイさんはちょっと危ない雰囲気があったから。目標の到達を目の前にした男の勢いのあるアレだ。

 現代の西欧なら体に触れても性犯罪になるレベルだけど、ここではそんなものはない気がする。下着を着る意味も分からない二人だ、言っておいて正解だろう。

 ミュイさんにも、選ぶのに気合入れすぎて二人を困らせないでくださいねと釘を刺しておいた。


「もちろんですとも! このミュイ、服屋の意地にかけてお二人にお似合いのものを選んでみせます!」


 ……大丈夫かなぁ。

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