5-7 ソラリ農場 (1) - ヤギと暴行


「じゃあ、1時間でいいのか?」

「はい。長くなりそうなら、チップ渡しにきますので」


 俺たちの馬車の騎手をしていたマクワイアさんがこれみよがしに大きく息を吐いた。そして地面を見ながら首を傾げて、タミルの入れ知恵か? と、俺のことを見た。


「ええ、まあ」

「ったく。……俺は子供から金をふんだくるような心の狭い奴じゃないから安心しな。まあ……チップはくれるってんなら有難くいただくけどよ?」


 そう言って、視線をよそにやったが、目だけでちらりと俺を見てくる。

 言葉通り、チップをもらうのはまんざらでもないらしい。これはあげなかったら拗ねるかもしれない。ガルソンさんほどじゃないが、こういう分かりやすい人は好きだ。


「君ら、この辺に来るの初めてだろ?」

「よく分かりましたね」


 マクワイアさんが腕を組んで得意げになる。


「はっ! 顔みりゃ分かるんだよ、この辺の奴かそうでない奴かって。俺も色んな奴乗せてきたしな。馬の代金払えるのか心配になるような貧乏小僧から、びた一文落としそうにねえ顔した貴族のじいさんまでな」

「色んな人乗せてるんですね。何年くらい騎手をやってるんですか?」

「あー……」


 マクワイアさんが上を見て考える素振りを見せる。


「10……17年だな」

「17。もうベテランもベテランですね」


 職業の選択肢がなさそうだとはいえ、ちょっとした英才教育だ。


「はっは! いやぁ、俺もまだまださ」


 情報ウインドウでは、体つきはそこまででもないが磊落に笑う彼の年齢は29歳と開示されている。12歳の頃から手綱を握っていれば、そりゃあ貧乏小僧も老いぼれ貴族も乗せるだろう。

 知り合う人にはよくダークエルフを連れていることを驚かれてきたが、彼は特に驚いた様子もなかった。その辺のキャリアもばっちりだ。

 ちなみに彼は馬顔で、ちょっと老け顔だ。乾燥肌でもあるようで、結構カサカサなので、何か塗って欲しいなと思ったりするところ。


「じゃあ、ソラリ氏によろしくな」


 一端道端に馬車を停めたマクワイアさんと別れる。近くに馬車を置いとくから用事が終わったら呼びに来てくれとのことだ。


「じゃあ、行こうか」

「「はい」」


 二人から爽やかな返事をもらう。降りた直後まではもじもじしていたものだが、今の二人にはそんな気配はない。むしろ、元気になった感さえある。


 一方で、俺に特に変化がないのがなんか空しい……。

 一部分だけ老人化した気がするよ。もう少し、ハッスルしようぜ?


 ・


 ソラリ農場は、ヤギや牛のいる農地を前に、四棟の建物がある場所だった。間には、馬車が二台走れるくらいの広い道が建物まで続いている。


 四棟の建物の二つが石造りの外観で、一つはかなり大きな平屋の建物だ。まだマップ情報や遠目で見る限りなので正確なものではないが、メイホーの村長宅と同等かそれ以上の広さがある。おそらく住居で、中は木造だろう。

 もう一つの石造りの建物はドアがあるだけの飾り気のない家屋だ。納屋とか農具置き場とか、あるいは大規模な農業装置の類があるのか。


 あとの二つはメイホーでもケプラでも見た木造のありふれた建物だが、一つは吹き抜けで奥行きが長いらしく、だいぶでかい。畜舎なり倉庫なりなのだろう。

 マップによれば、建物の後ろにも農地があるようで、ソラリ農場はなかなか大きな農場のように思う。さすが王都に納品するだけあるね。


 農場自体ももちろん広い。

 農場と言うと、俺のイメージは貧困だ。俺は農場や牧場なんかのその手の施設に訪れた経験がまるでないからだ。

 もちろん多少のイメージはある。何かのワードで画像検索した時に出てきた牧場の綺麗な風景の写真だったり、牧場経営系のゲームのイメージ画像だったり。

 ただ、それらの現代施設の様子と比べるとソラリ農場の景観が見劣りしていたのは言うまでもない。


 なぜなら農場は広いは広いんだが……柵で囲って、中ではそこいらでイネ科植物や小さな草花がちょろちょろ生えているだけの、牛やヤギがいなければ最低限整えた更地とも言える、少々こざっぱりすぎる場所だったのだから。

 一応農場は、柵の中でさらに二分されているようで、ヤギや牛を育てる上でのなにがしかの工夫や理由があるように思うのだが、その手の知識のない俺にはちょっと分からない。


 もしティアン・メグリンドの小屋から真っ先にこの農場を訪れたら、メイホーに対して抱いたキラキラした初見と同じようにいくらか感動するものがあったように思う。

 けど、ケプラで中世的な石造りの都市を経験し、メイホーが田舎であると理解し、さらに人の手のさほど入っていない自然、観光土地として売り出す意欲の伴わない自然というものがさほど感動を呼ばないものであると理解してしまった今、この農場の光景にはもう残念ながら大した感動はない。嫌だね、慣れって。


 とはいえ、農場内では、ところどころに低木や樹木の緑が控えめだが主張はしていて、そこでもし居眠りをしたら誰にも邪魔されずに午睡を楽しめそうなのは簡単に想像がついた。

 農場の周りは風情とは言い難いけど、遠方には山があり、ビルの見えない広大な空があり、大自然が広がっている。東京の人だらけの土地と比べるまでもなく、人の姿ももちろんない。歌を歌えばこの牧場の何もない景色を歌うに違いない。言葉通りの「牧歌」的な光景だ。


 まあ……しばらくはwi-fiがなくてもいっかな。そう思わされるくらいには伸びやかなのどかさが、あることは、ある。


 ふとヤギの声が耳に入る。


 ヤギの鳴き声はうるさいとも言われることがあるようだけど……木の類はだいたい柵のある隅の方に植えられていることが多い。何も寝ている人間の傍で、草食動物であるヤギが複数メエメエ鳴く理由もそうそうないだろう。

 仮に起こされてしまったとしても、ヤギを撫でるなり、一緒に眠るなり、癒されるだけだ。ここで昼に起きてしまっても、俺に焦りも後悔も一つもないだろう。


 メエェェェ。

 ヴエ゛ェェェェェ。


 農場の景色を仰ぎながら建物に向かっている道を歩いていると、複数のヤギの声が向かってくる。


 見てみれば、柵の向こうでヤギがたくさん集まっていた。8匹いた。明らかに俺を見て鳴いている。

 馬に好かれ体質はヤギにも適用されるっぽいが、ヤギの声は結構でかく、一気にこんなに集まられるようでは……俺は午睡を楽しむ自信を一気になくした。少なくとも俺やインは、ここで静かな午睡は無理だろう。


 それにしても結構体でかい。顎髭フッサフサ……。


 この世界のヤギは、角がねじくれて発達したのもいるようだが、普通のヤギとほとんど変わらないように見える。

 触ろうかと思ったが、前にいる黒い毛の混じったヤギの一匹が柵をかじっていて、不良のガンつけのような表情になっているので躊躇ってしまった。

 かじりつきの強さは弱いようで、柵はさほど削られてもいないし無害そうなんだが、歯がむき出しになっているし、ちょっと怖い。


「……ヤギって怖い動物だったりする?」

「いえ、そんなことないですよ?」


 メエェェェ。

 ヴエ゛ェェェェェ。


 ディアラの言葉に賛同するかのように鳴くヤギたち。近寄ったため、だいぶ耳ざわりだが、素晴らしいビブラートだ。


「こいつちょっと怖くない?……」


 俺が不良ヤギを指さすと、「ほんとですね」と、二人からくすくす笑われる。二人にあまり怖がっている様子はない。


 そういえば、どのヤギも下に歯はあるようだが、上の歯はないようだ。歯の代わりにあるのはピンク色の大きな歯茎のようなものだ。触ったらプルプルしてそう。


「ヤギって上の歯ってないんだね」

「え。そうなんですか?」

「うん。そうみたいだよ」


 二人も俺と同じようにしゃがみこんでヤギたちを観察する。


 メエェェェ。

 ヴエ゛ェェェェェ。


「……ほんとですね」

「ずっと上の歯があると思ってました」

「うん俺も。里ではヤギとか飼ってなかったの?」

「はい。ヤギは森にいなかったので……里で飼っていたのはイノシシや鹿でした」


 この世界のイノシシは狼に狩られるほどおとなしいことは知っているが、家畜としても飼われていたようだ。


「鹿は騎乗動物としても使ってたんだっけね」

「はい。ミツマタジカという種類限定ですけど」

「どんな鹿なの?」

「体が大きくて足も速い鹿です。二本の角が三又に分かれているのが特徴です」


 なるほど、それでミツマタジカね。現実世界にも微妙にいそうな鹿だ。


「角に魔力を帯びているのが特徴で、いざとなったら魔力の棘で一緒に攻撃してくれる頼もしい子です」


 いや、いないな。魔力の棘ね。


「魔力を持ってるってことは分類的には魔物になるの?」

「え? どうでしょう……仲良しでしたよ?」


 うーん? まあ、魔物でも温厚なのはいるかもしれないか?


 しばらく柵の前でヤギが鳴くのを聞いていたら、不良顔のヤギのビブラートが一番きれいなことに気づく。


「お前、綺麗な声してるんだなぁ」


 既にかじるのを止めて俺にガンつけているだけの不良ヤギにそう言うと、言葉を理解しているのかは分からないが、不良ヤギが一瞬目を細めてニッコリしてくる。


 おぉう……。ちょっと可愛い。まぁ、一番可愛いのは圧倒的に子ヤギなんだけど……。


>称号「ヤギに好かれる」を獲得しました。


 ヤギや牛と戯れるのはソラリ氏と話をしてからにしようと思い、とりあえず一番立派な住居らしき建物に向けて歩く。

 今のところ人の姿はヤギ農場の遠方でヤギを集めている、というか追い立てている人の姿しか見ていない。これだけ広いし、昼前だから、みんな農場のどこかしかに散り散りなのかもしれない。


 倉庫らしき木造の建物を過ぎようとするところで、女性の声が聞こえた。


「――あんたに私の気持ちの何が分かるのよ!!」


 痴情のもつれか?


 悲痛な女性の叫び声が俺の耳に届いた。少し遠いようだが、倉庫の方らしい。


 俺の聴力は、そんなに単純な仕様ではないが、スキルの《聞き耳》によって通常の人よりも聴力がある。うるさいと感じたり、単純に静かにしてほしいときなど、場合によっては切っているが、情報収集も兼ねているので基本的にオフにはしていない。


 痴情のもつれ含めた罵声ならいくらでも聞いた。メイホーにだっていくらかあったくらいだ。

 インターネットというストレス解放の場所がなく、テレビや電話というものすらもなく、学ぶ場所もさほどない世界なら、人は叫ぶ回数が多くなるのだと俺はほとほと実感している。もちろん、日本という色んな意味で叫ばなさすぎる国にいると、国民性というものも相対的に実感しそうになるが。


 だが、女性の声は明らかに極まった憎悪があった。これから何をするか分からない、そういう種類の叫び声だ。人のいる場所なら周囲がなんとかするので、聞かなかったふりをするんだが……。


 声を追った先の倉庫内で、女性が何か棒のようなものを振り上げた。ここからは見えないが、振り下ろす先に誰かがいるのは間違いないんだろう。

 痴情のもつれというやつかもしれないが、あの極まった金切り声ではさほど力加減も出来ないに違いない。


 体が自然と動いた。

 ここが目的地で周囲に人がいないのもよくなかった。きっと彼女はソラリ氏の身内かなにかなのだから。


 ――凶器はあっさりと俺の手の中に入った。痛みはない。しっかりと角が作られている角材だった。殴られたらさぞ痛いだろう。


「……え? な、何よあなた……」


 角材を振りかざしていたのは鷲鼻が特徴的な茶髪の女性だ。

 麻感の強い白いエプロンを腰に巻いて垂らした群青色のワンピースを着て、白い頭巾をかぶっている。

 今まで行ったやり取りのためか、慣れない得物を振り回したからか。普通にかわいい系の人だと思うが、そう思えないくらいには女性の顔つきは暗い感情で歪んでいた。


 ヒステリックが極まっただけなのか、よほど殴りたかったのかは知らないが、女性は一度力を込めたようだが、角材は動く気配はない。

 俺が言うのもなんだが相手が悪い。七竜をどうにかしようとするようなものだ。自分の腕が動かないことで女性の表情が懐疑的なものになる。

 意味わからないだろうな、唐突に現れて、さらに大して筋骨隆々でもない少年に力で全く歯が立たないのは。


 角材で殴る予定だったのは、獣人の男性だったようだ。男性には頭に犬耳――灰色なので、狼かもしれない――がついている。

 座り込んでいる獣人は、ぱっと見は普通の誠実そうな青年、いって30くらいに見える。だが、誠実そうなだけに犬耳のおかげでかえってふざけている人のようにも見えなくもない。女の子は喜びそうだが。もちろん亜人が架空の存在でしかない現代の。


 屋内には大量の干し草と農具がいくつか置かれてあった。茣蓙と枕もあるが、ここは倉庫のようだ。


 もう一度女性を見た。女性は俺の視線にビクリとした。表情にはもう憎悪の類はなく、ただただ恐怖がある。

 角材を通じて、腕が震え出したのが分かった。やがて彼女は視線を逸らした。後悔しだしたか?


「死にますよ? こんなものでも思いっきり殴ったら」


 俺は女性からさらに殺意をなくそうとにあえて「死にますよ」とそう言った。通じるよな? ちゃんと聞いたことなかったが、無闇な人殺しは罪だろ?

 実際のところは角材で死に至らしめるには何度か殴らないといけないだろう。見たところ普通の女性だし、相手だって抵抗するだろうしで、それでも殺せるのか少々疑問なところはあるが。


 ややあって、女性が震えながら俺のことを再度見た。目が合うとまたビクつき、視線を逸らした。

 女性のその挙動でさすがに俺は自分の表情や圧力の類を疑った。当初ガンリルさんに使ってしまったものだが、久しぶりに《威圧感プレッシャー》の影響が出てしまったか? 努めて表情を緩ませた。上手くいっただろうか?


「……べ、別に大丈夫よ。獣人は、人族よりも頑丈だもの。……」


 そうなのか。まぁ、確かに獣人は体が頑丈そうではあるけど。でも怪我をしないわけではないだろう。


 獣人の男性を見てみる。獣人は女性と同様に目を丸くして俺を見ていたようだが、俺と目が合うと、「そ、そうです。頑丈ですから……」と視線を頼りなく落としながら小さな声で言った。同時に耳がペタンと垂れる。

 タミル君ほど多くはないが、彼の腕や手には白い毛があった。彼の髪の毛は栗色だ。


 それにしても獣人はこの殴られかかった状況を半ば受け入れている節があるらしい。


 果たして俺の介入は人助けになったのか。飛び出したのは、間違いなく30歳の俺自身の意思もあったからなのだが……内心でため息をついた。

 別に感謝されたいとかは思っていないが……。

 スーパーマンはなぜ事件を呼ぶのか? 化け物じみた能力を持ちながら人間で、化け物じみた能力を持ちながら人間社会に溶け込もうとし、化け物じみた能力を化け物じみた能力を持たない人間のために使おうとするから、だ。


「ご主人様!!」


 遅れて姉妹がやってきた。二人は槍と弓を手に持っていた。槍は穂先の革袋が取られ、ヘルミラは矢を手に持っている。臨戦態勢だ。

 姉妹のやってきた先を見れば俺たちが歩いていたのは結構遠い。少し駆け足がすぎたかもしれない。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫。だから武器をしまって」


 女性がぱっと角材から手を離した。


「ごめん、急に飛び出して。体が動いちゃってね」


 大丈夫なことを示すために両手を挙げてみせた。片手には角材があったので、女性・獣人ともに多少びくついたようだが、姉妹の方は胸を撫でおろしたようだ。


「この方たちは……?」


 ヘルミラが二人を訝しんだあと、俺を見てくる。


「ちょっと喧嘩してたみたいだよ」

「あなたたちなんなの??」


 俺の言葉にかぶせて女性が訊ねてくる。また少々ヒステリック気味だ。姉妹が武器を構えてやって来たので、色々と恐怖感が出てきたのかもしれない。俺が貴族で、お縄にかけられる場合とかな。


「ディアラは槍に革袋被せて。ヘルミラも弓をしまって」


 二人が従う。


「チーズを買いにきたんですよ。そしたら、見過ごせなさそうな状況を見てしまって。……あまりそういう状況にも見えなかったけど、余計なお世話だったら申し訳ない」


 旅先で暴力沙汰なんて見たくないぞ。


「……そう。……別に……余計なお世話ではないわよ。……さすがに私も頭に血が上ってた。こんなもので殴りつけるだなんて」


 目線をそらしつつもそうこぼす女性の言葉に、内心で安堵する。顔つきからもいくらか憑き物が取れたようだ。


「最近うちのチーズは王都にばかり回しているの。たまに買いにくる人がいるんだけど、上客のためになるべく売らないようにしてるの。でも口添えしてあげる。……一か月分とかだったりしないわよね?」

「ええ、一食……いや、一人の方に……あ、いや二人の方にお礼として贈る程度の量です」


 ここの人たちのチーズを食べる量が分からなかったので、言葉を濁した。嬉しそうにしていたので、ガルソンさんの分もだ。


「なら問題ないわね。じゃあおじさんのところに行きましょ。案内するわ」


 案内してくれるようだったが、女性は獣人のことは放っておくようだ。放っておいていいものか、判断を迷っていると、獣人が立ち上がる。


「私のことは気にしないでください。あの。……もしよかったら、帰り際に顔を出してくれませんか」


 顔を出してほしい理由は分からないが、女性がすたすたと行ってしまっているので、とりあえず承諾しておいた。

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