5-8 ソラリ農場 (2) - 寡婦と獣人
「あの獣人、フリードっていうんだけど、ここで雇われているのよ。長いことね。私がここにくるずっと前から」
獣人を殴ろうとした女性――エルマが、俺が事実関係を訊ねる前にそう話した。出てきた情報ウインドウによれば、エルマは32歳らしい。
「私、獣人ダメなのよ……。2年前、夫を獣人に殺されたと聞いてからずっと。あの人が亡くなった後しばらくは獣人に会うのが怖くて外を歩けなかったわ」
……なるほどね。それでもちょっと扱いが悪い気もするけどね。
「別に珍しいことじゃないのよ? 夫はアマリアの守護部隊に配属されていたんだけど、その頃は山賊をよく相手にしていたから。たまたま獣人の山賊だったってだけ。……ならず者制圧のプロって言われてたくらいなのよ、うちの人。でも……」
エルマが軽く首を振り、乾いた薄ら笑いを浮かべる。
「ダメな時はダメ。死ぬ時は死ぬわ。戦地にいたら誰だって。……私、知ってるのよ。寡婦になった友達を慰めたこともあるしね。兵士の人たちは生き残るには力だの気合だのが必要だと言うけど、私は……運だと思うわ。うちの人、飛び出してきたグラスラビットに気を取られている間に、子供の兵士の弓で致命傷を負ったというから」
それは運が悪い……。その子供の腕がよかったのかもしれないが……。グラスラビットは草が生えたりしてるウサギか何かだろう。
何を話したものか分からなかったので、そうかもしれません、とだけ返しておく。姉妹も口を挟まずに話を聞いているようだ。
無言の時間が流れる。……運か。
現実世界でも、投石にせよ、矢にせよ、銃にせよ、意図せずに当たって死んだなんて不運は普通にたくさんあっただろう。
魔法にしても、射撃系の魔法は言うまでもないし、範囲討滅型系の魔法だったらたまたま範囲にいて死亡っていうことも起こり得る。実際必要だろう、運は。だいたい、射撃兵だって、皆が皆百発百中の腕を持っているわけではない。
そもそも戦争は人間および、この世界なら知的生命体という不安定な存在で構築されるものだ。
人徳ある優秀な上官。感情論に左右されない優れた参謀。壊れにくくて軽くて殺傷力の高い武器に、頑強で軽い鎧。充実した射撃部隊。豊富な兵站。速くて体力のある馬。
そういった勝利に必要なものとは裏腹に、運、つまり「不確定要素」の懸念材料は常にある。
すぐに頭に血が上る猪突猛進な若い兵、体は大きいけど武器の扱いの下手な兵士、盾で防御ばかりする弱虫な兵士、下手な弓兵。資金援助をしぶられて不足した装備と兵站。数々の裏切りと奇襲。遠征による疲労と病気。
加えてこの世界には魔法もある。ジョーラがかつて苦戦を強いられた魔法を無力化させる類の戦法の対策も必要だろう。
戦況や地形、天候、単純な兵数の差などももちろん勝利の要因になるだろうが、その人間および知的生命体の不安定な部分の介入の余地を出来るだけ省くことで、単純な話、勝率はもちろんだが、兵士たちの生き残る確率は上がる。
士気を上げる、鼓舞をする。兵士たちのやる気をあげる、つまり、「目の前にたちふさがる敵兵を殺す、あるいは国のために戦うという目的意識を強固にさせる」という単純なことは、なるほど、大量の不確定要素の懸念を取り除くことにもなり、その実非常に重要な勝利の要因になってくる。
ファンタジー諸作品でよくある機械兵や、不死系のモンスター――あるいは命令に忠実に従う痛みを感じない兵士の類――で構築された軍勢が恐れられ、勝利を飾りやすいのは理由がある。
彼らは人ではない。体力も精神も消耗しないし、判断が鈍ることもないし、致命傷を負っても動けてしまう。腹が減ることもない。
緊急的な柔軟な対応ができないというデメリットはあるが……つまるところ、運ないし、不確定要素の介入する余地がほとんどないのだ。
そんな彼らと、疲れもあれば空腹もあり、感情というムラっ気のある人間および知的生命体の身で対峙するのはマゾゲーを強いられているようなものだ。
士気をあげてようやく対等になるか、1歩劣るかといったところだ。もっとも、刺しても首をはねても動くような相手に何も感じない人間はいない。ゾンビ相手などは慣れるしかないので、スタートも良くはない。
ホムンクルスは首をはねたら普通に死ぬように思うけど、イン曰く強かったと言うし、似たところは大いにあっただろう。
運が重要だと思えてしまうのは、たった一つの要素――何の努力や事前の準備も必要としない「運の良さ」で、散々考え抜かれて配備されたはずのそれらの最適解をむざむざ潰されてしまうように思えるからだ。
主人公という存在は、メタ的な部分も含めて強運の持ち主とも言える。延々とタイマンで戦うなら実力至上主義でいいのだが、戦争はそうもいかない。
主人公である、つまり強運の持ち主であるからこそ、あらゆる戦いに勝ち抜き、生き残ることが出来て、やがて平和の旗印を立てることができる。
実際の世界で主人公なる者は存在しないが、仮に主人公たちを英雄たちにあてはまるのなら、彼らは多かれ少なかれ色んな運を享受していることも多い。そういう意味では平和とは、幸運の象徴でもあるのだろう。
残念ながらエルマの旦那は主人公ではなく、運もなかった。彼の死は、大局の一つの犠牲でもあるが、その一つにもこうしてしっかりと悲劇はある。彼は、信頼関係を構築できない機械やゾンビ、あるいは、あまりそうだとは思いたくはないが、ホムンクルスではないのだから。……戦争は嫌なものだ。
俺たちはエルマについていっているが、ソラリ邸らしき平屋を横切り、裏手の方に出てきていた。
ヤギが食んでいたが植物が少ないために砂土の地面で黄色が目立っていた表の方とは違い、裏手は農場の二つとも農園が広がっている上、先にも草原が見えるので、緑が鮮やかだ。
「……まだ若いあなたに戦争のこと言っても分からないわよね。ごめんなさいね。あなた、年の割に落ち着いているからつい話しちゃった」
そう言って、エルマが首をかしげて子供っぽく笑ってくる。俺も合わせて苦笑した。そりゃあ落ち着いて見えるだろうな。中身は年齢差さほどないんだから。そういや、ステラさんとほとんど歳の差ないのか。
「そういえばあなたたち、名前何て言うの? 私はエルマよ」
「俺はダイチです」
姉妹にも名乗らせる。
「あまり聞かない感じの名前ね。仲良くしましょ。私、ダークエルフの子と話をするの初めてだけど、何か無礼を働いたりしてない?」
「いえ、特にそんなことは」
エルマの疑問にディアラがにこやかに回答する。エルマが今度はヘルミラを見る。
「私も人族の方と同じように接してくれて構いません」
ヘルミラの態度も穏やかなものだ。……いや、二人ともなんとなく距離を感じる。獣人を殴ろうとしていたあの状況に出くわしていたら仕方ないか。
「そう? なら良かった。……あそこにおじさんがいるの見える?」
そんなヘルミラの態度には特に気に留めた様子もなく、エルマが作物でいっぱいの左の農場を指さす。
右の農場と違い、左の農場は植えられている作物の背がだいぶ高いので、人の姿が見えるのか一瞬疑問に思ったが、柵の近くでしゃがみこんでいる麦わら帽子を被った男性がいるのが見えた。フードのついたオレンジ色の服を着て、袖からは肌着の白いシャツが覗いている。
「麦わら帽子の?」
「そう。あの人がソラリ農場を経営しているアルフォント・ソラリ氏ね。私の伯父、父の兄にあたる人よ。……うちはトウモロコシも美味しいのよ? 良ければ食べていきなさいな。……じゃあ呼んでくるわね」
そう言って、エルマがソラリ氏の元に行く。エルマは実子ではなかったらしい。
待っている間、樹木に背中を預ける。
――あんたに私の気持ちの何が分かるのよ!!
エルマの発言が脳内で蘇る。
獣人のフリードは至って真面目そうな青年だった。もっと言えば、第一印象だが、純朴な性格なようにも感じた。
エルマの暴力を半ば受け入れていた節もあったが、単にフリードの性格からきているのか、エルマは農場主の身内だからということで強いことが言えないのか。
ともかく、彼はエルマの獣人嫌いも日頃から気にかけていたんじゃないかと思う。気にしないでくれとも言ってたしな。
もしそうなら、日頃から気にかけていてもなお、彼は何かしらやらかしてしまったことになる。失言でもしたか? エルマがまさかジルのように、常にヒステリーを起こしているようなタイプにはちょっと見えなかったけども。
「二人はどう思う? エルマとフリードのこと」
言ってからどう思うなんて抽象的すぎるなと思うが、ヘルミラが「フリードさん、可哀想だと思います」と、悲しそうに言った。そうだな。癇癪を起したにしてもあの仕打ちはな。
「フリードさんはエルマさんに何をしてしまったのでしょうか」
同情したヘルミラとは違って、ディアラが核心を突いてくる。
「何だろうね。……自分から言う気配がなかったらあとで訊ねてみるよ。意図せず介入してしまったけど、聞く権利はあるだろうからね。ほっとくのもちょっとアレだし……」
「はい……」
エルマがソラリ氏の元に到着したようだ。何かを話している。
「獣人を嫌う人族って多いの? 人種差別的な意味でさ」
訊ねながら、メイホーやケプラで、人族と特に軋轢もなさそうに厩舎を運営していた獣人たちの顔が浮かぶ。
メイホーのイスル君と警備隊長のバリアンさんは言い合ってたが、あれはボケ間近の老人とその対応にめんどくさくなってる若い子の会話だったからノーカンだろう。
「基本的にはないように思います」
そうだよな。メイホーでも、ケプラでも、表面的にはちゃんと共同で社会を形成している。ただ、知ってるのはメイホーとケプラだけだが。
「……でも、どこの村だったかは覚えていませんが……軋轢が残っているところはあるみたいです」
「残っている?」
「はい。昔、その村と近隣の街では、当時の領主の施策により亜人種、特に獣人族を排斥していたそうです。今はその施策はなくなっているようですが、現在もその影響が少なからず残っているのだとか」
獣人に何をされたのやら。何もされていない可能性もあるけど。
「人族は嫌うとしたら獣人の何を嫌うのかな」
ディアラが考え込む様子を見せる。ヘルミラも同様だ。しばらく待ってみたが、分かりません、という言葉が出てきた。
にしても、獣人って扱いが極端だ。中世を下地にしたファンタジー諸作品では差別の対象になることがやたら多いけど、現代ではケモナーっていう獣人好きの俗称もあるくらいだっていうのに。
「……獣人かわいいのになぁ」
思わずぼやいてしまった俺のつぶやきに、ヘルミラが「獣人がお好きなのですか?」と訊ねてくる。
「今のところは好きだよ。好意的な種族だと思う。そんなに人族と変わらないんでしょ?」
「そうですね。人族と比べて身体能力が長けていたり、毛量が多かったり、種族によっては多少血の気が多いところがあるそうですけど、基本的には似てると思います」
短気なのか。厩舎の子たちはそうは見えなかったけど……動物の野生の本能が色濃いとかそういう類かな。
「あ、魔力の流れはちょっと違いますね」
魔力ね。機会があったら獣人の魔力見てみようかな。
そんな話をしていると、エルマとソラリ氏がやってきた。既に抱えていたのは知っているが、ソラリ氏の右手には大きな編み籠がある。
「ようきなすったな。私がこのソラリ農場主のアルフォント・ソラリだ」
顎髭はなく、白いものが半分以上ある口髭をたくわえたソラリ氏はマクイルさんと近い年頃だろう。農夫というと、貧乏くさい服装と疲れの見える顔がよくセットになっているようだが、彼にはあまりそんなところはない。
シワこそもう深いが、表情はよく動くようで、腹が出ているわけでもなし、若干パツパツになっている衣類を見るにまだまだ元気そうだ。
「初めまして、ダイチ・タナカです」
姉妹の紹介もする。
「何でもフリードのことを助けてくれたとか。すまないね、世話をかけて」
「いえ」
エルマは素直にソラリ氏に事情を話したらしい。が、二人の間にはさほどの険悪さはない。角材で殴ろうとしたことはさすがに自分から言えなかったか? その辺自覚があると願いたい。
「ほら、エルマ! お前もどうせ謝っとらんのだろ。悪い癖だ。この子たちに謝りなさい」
語気を強めて促すソラリ氏に従って、エルマがごめんなさいと謝罪してくる。
「……ふう。さて。折角きたのだから飲み物でも出そう。君たちうちに来なさい。エルマもな」
トウモロコシは嫌いか? と俺たちそれぞれに親切に訊ねてきたソラリ氏の誘いのままに俺たちは招かれることにした。
ソラリ氏の持っている籠の中にはトウモロコシがたくさんあった。あの丈の長い作物はトウモロコシらしい。そのままかじるんだったら何年振りになるだろう。
アルマシーの出身がトウモロコシが主産の村だったか。ジョーラたち今頃何してるんだろうな。
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