4-15 赤竜到来 (1)


 俺たちに気取られることもなく突如として現れた、赤いドレス姿の美女――ジルが俺の前に来て、じろじろと見定めてくる。


 足音はなかった。なぜなら、彼女はふよふよと空中に浮いているからだ。


「……ふうん? 頭の固いあんたが目にかけるホムンクルスだって言うからどんなのかと思えば、ま~んま人族じゃないの? まあ、顔は悪くないけどねえ。にしても田舎竜のあんたにも雄の人間を侍らすような情欲があったのね? 隠棲中の七竜がホムンクルスと運命的な出会いを果たしてやがて……お笑いねえ。こんな喜劇もないわよ。くく、……あははっ! うくくっ」


 ジルが体をくの字にして、お腹を抱えながら高らかに笑う。支点が尻になったのか、そもそもそうだったのか、背中が下側になり、細く白い脚を投げ出すような姿勢になった。


 確実に目の前の女は美女と言えた。完璧だった。CG的な美女と言っていいだろう。


 ちょうどいい間隔を持った、大きすぎないアーモンド形の2つの二重の目。緩やかに孤を描いた眉。綺麗な形で、高すぎない鼻。適度に膨らんだ品の良い赤い唇。角のない卵型の輪郭と、滑らかな顎。

 日本人が欲しがる顔の造形から芽生える可憐さや親しみやすさがないので、表情を緩めていなければ、同性からはすぐに「ちょっと怖い」という言葉をこぼされるあのレベルの顔だ。

 もちろん見かける人の誰もがそうであるように、彼女もまた西欧顔なのだが、亜人たちやインがそうであるように、いくらか薄めの顔ではある。


 体も、人によっては細いと言うかもしれないが、特に変なところはない。

 手足は細く、くびれがしっかりあり、胸もそれなりに膨らんでいた。肌もきっと染み一つないに違いなかった。


 そうして人間の女性としての完璧な容姿を持っているがために、橙色の髪と、コスプレ的な赤い瞳が異様ではあった。


 ただ、彼女はまだこの世界ではろくに見ていない化粧をしていた。上瞼には薄くアイメイクが施され、唇は赤く塗られていた。

 そして髪型だ。7:3ほどで髪を分け、7の右の方ではボリュームを持たせて前に垂らし、3の左の方は後ろにまわすといういわゆる外国人風ヘアスタイルとか言われていそうな髪型をしていた。そんなヘアスタイルはここではまだ一度も見ていない。そもそも、髪は結っているのが多い中、あるのかすら分からない。


 艶やかな髪質にしてもそうだったが、なんにせよ、化粧やヘアスタイルによって彼女がコスプレ的で異質な存在であるという印象を崩すのには成功していた。彼女にも何かしらの劣等感――人間的な美的感覚やたしなみの意識があることがうかがえて。


 橙色の髪だろうが、赤い目だろうが、どこかにこういう魔性の美女がいて、男なら誰だって1回は恋に落ちる、そんなあり得る美しい容貌にも見えた。亜人の類がいない転生前の世界でだって納得ができたかもしれない。


 ただ……性格ブスなようだ。顔自体から受ける印象は特別頑固そうでもなければ、性格が悪そうでもないのに、ダメなようだ。


 花の刺繍をあしらった赤いドレスが泣いている。性格の悪さが女性特有の一過性のものであると判断するには、下衆な台詞が少々堂に入りすぎていた。

 俺は初対面の人間に対して、自分の性格難な部分をあけすけに開示する女に対して、簡単に射落とされるほど変わった女の趣味はしていないし、イタリア男的な性格でもなければ、豊富な女性経験か元来の性格からかで目をつむれる男でもない。


「……お主も相変わらずのようだの。……もう一度聞くぞ。ジル、何しに来た?」


 インが、ジルと呼ばれた女の前に俺の視線を阻むように歩いてきて、そう詰問する。


 嘲笑、警戒、警告。

 そのようなものが含まれるインの言葉につられて俺は警戒と疑惑を、ジルと呼ばれた女への視線に含ませる。

 そこにさほどの躊躇いはなかった。なぜなら、美貌はともかく、彼女の侮蔑のこもった言葉や哄笑は気分を害する物の何物でもなかったからだ。


 そもそも彼女は美女ではないだろう、とすら考えられる余裕も持てるようだ。

 竜だ。人ではない。人化で変化した姿にすぎないのだ。では何をしにきたのか? こんな挑発的な言葉とともに? 七竜という甚大な力を持ち、“人の子ら”からは信仰もされる彼女が。


 インが警戒するようにろくなことであるはずがない。


「はぁ? 同じ七竜のよしみで様子を見に来たっていうのにずいぶんな挨拶ね??」


 ジルは自分が持つ外見の良さを全く気にせずに顔に皮肉という皮肉を浮かべ、インはそれに対して鼻で笑う。

 もちろんインの方が表情は穏やかだ。表情は結構豊からしい。悪い意味でだが。


「お主がそんな理由でのこのことご挨拶とやらに来る奴だとは思っておらん。……もしそんな奴だったら、私は今頃メイホー以外の土地の人の子らとも仲良くしておったろうな」

「感謝しなさいよー? 守護するのが辺鄙な村1個で済んでるんだから。周りにも可愛い子犬たちがいるだけだし、さぞ楽な仕事だったでしょう?」


 ジルは、さも会話が退屈だと言わんばかりの口調でそう言ってのけて、眼前に自分の手を広げた。赤く塗られた爪を見ているようだ。


「……まあ、そのおかげで私はこやつと出会うことができたのだが。そういう意味では感謝してやらんでもない」


 ジルの挑発に対抗してインが挑発し返す。どうやらジルには過去に色々と邪魔されたようだし、やり返したい気持ちは痛いほどわかるのだが、……正直、あまり口喧嘩の引き合いに出してほしくはない。

 その辺の人間の女性ならまだいいのだが、彼女は七竜だ。気配もなくここに突然現れたのもそうだし、何をしてくるか分かったものではない。


 案の定、ジルが忌々しげに俺を見てくる。爪を噛もうとしたらしいが、やめたようだ。


「ちっ。ホムンクルスの玩具がなんだってのよ。たかだか玩具でしょ?? 第一あんた、こいつに殺されかけたんでしょ? なんでメイホーを離れて、私のケプラで仲良くこんなとこに泊まってるのよ。そんなことフルやネロが許さないでしょう?」


 下品。悪辣。強欲。高飛車。女狐。

 彼女を体現していそうなそれらの言葉がいよいよ俺の中で形になって、ジルという女を象るに至る。


 ファンタジー界隈では盗賊の頭ってよくこんな性格の女を傍に置いてるよな。そして頭がやられた時には、自分の身を差し出してどうにかしようとするんだ。同情したり、恩赦をかけて隙でも見せればナイフでさくっと一突きされるのがオチだ。さっさと捕縛して突き出すのがアンパイだ。


 そうしてそんな、これっぽっちも無遠慮に思わない感想を抱く。実際は山賊の女の方がマシだろう。山賊の女は、七竜ではないのだから。


 それにしても玩具に、ネロにフルね。フルは白竜だったか?


「別に私らが各地を練り歩き、人の子と寝床を共にすることは禁じられてないはずだがの? むしろお主の得意分野であろう?」

「そういうことは聞いてないわ!!」


 インが言い終わるや否や、ジルが癇癪を起こしたままに腕を横に薙ぎ払う。


 ただ薙ぎ払われただけじゃなかった。彼女の爪が飛竜ワイバーンたちがかつてしたように空気の爪痕を生みだし、轟音とともに、部屋の壁に二閃の傷を作ったからだ。


 振り返ってあった、ごっそり抉られ、砕かれた石材やらモルタルやらを露出させ、廊下が覗けるようになった白壁の有様にぞっとした。


 インは背が足りなかったようだが、額に直撃しそうだった俺は、とっさに頭を下げていた。

 “スキル”も“ステータス補整”も持たない現実の俺だったら、もちろんくらって、今頃額から血を流していて……即死だろう。脳みそドロッかもしれない。


 ジルを見ると、俺のことなど興味がないとでもいうように嘲笑の表情で鼻を鳴らした。こいつ……。


「お主の破壊欲の尻ぬぐいなぞ、御免なのだが」


 インはそう言って、ジルの方を向いたまま、無残になった壁に手を伸ばす。

 崩れた壁や絵画はゆっくりと、だが確実に元の状態に戻っていく。床に落ちていた砕かれた壁材や粉塵も消えていった。


「いいわ。なら、何も破壊できないところに行きましょ。そもそもそのつもりだったし」


 腕を組み、一転して無感情に言い放つジルにインが声を荒げる。


「そんなくだらんことに付き合うつもりはない!! 私がダイチとおるのは私の意思とフルの命によるものだ!!」


 フルの命? ……監視か何かか?


 インがそう叫ぶのと同時に、ドアの後ろから「ご主人様!? イン様!? 大丈夫ですか!?」というディアラの声が届いてくる。来るんじゃない。


 俺の内心も空しく、ディアラはドアを開けてしまう。

 が、顔を出すや否や、ディアラとヘルミラは目を閉じ、脱力して、倒れ込んでしまった。


「二人に何をした!?」


 俺はつい声を荒げてジルを問い質した。


「あら、見た目だけじゃなくて中身も人族なのね。怒ったほうが素敵よぉ?」

「ごまかすなよ」

「……ふん。眠ってもらっただけよ。まさか知らないわけないわよね? 七竜は無闇に人の子を殺さないわ。とおおぉぉっても優しいのよ、私たちは」


 二人に駆け寄ってみると、寝息を立てていた。ジルの言う通り、眠っているだけのようだった。安堵の息が思わず漏れてしまう。


「もっとも、七竜を殺せるようなあんたに慈悲をかけようなんて欠片も思わないけれど。ゾフ! 送ってちょうだい!」


 ジルが叫ぶと、俺の視界は暗転し、間もなく金櫛荘の一室ではない場所――真っ暗な空間に放り出された。

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