4-14 ウルナイの偉業


 ユディットの金髪は長い。筆頭使用人のルカーチュさんとは違って降ろしているが、編んだ側部の髪をいくらか後ろに回している。

 会社の受付の子が似たような髪型をしていたが、ユディットはくせ毛なのか巻いているのか、毛先は緩くウェーブがかっている。


 見慣れないのもあるだろうが、金髪なので存在感がすごい。ハリィ君よりも色味が明るい金髪で、日々手入れもしているんだろうけど、綺麗な色だ。

 見ていると、頭頂部でまとめて下ろした、ジョーラの雲のようなくりんくりんとした赤い長髪が思い出された。


 ――どちらかと言えば初心な子は苦手だったんだけど、悪くないなって。恥ずかしかったよ。


『ジョーラか?』


 ――うん。変貌っぷりにはちょっと驚いたというか、困ったというか。


『ふふ。人の子らの雄とはそういうものらしいからの。なんだかんだ言いつつも、殊勝にして、尽くされ、愛嬌を振りまかれれば陥落するものだとな』


 ――どこの世界でも同じだねぇ。


『そのようだのう。……昔な、仲良うなった兵士の男がおったのだ。そやつは、アマリアのある名家の令嬢といい仲でな』


 ――うん。


 インが仲良くなったというくらいなのだから、その男は相当の手練れなのだろうか。


『まぁ、二人は愛し合っておった。二人ともお互いのことしか目にないようでの。段々と話を聞くのが嫌になるくらいだった』


 ちょっと吹きそうになったが、続けさせる。


『ある日な。女の家が没落しての。女は行方知れずになった後、死んだようだった』


 あー……。階級社会の常というか。


 階段の途中、飾られている絵画の中の男女が目に入る。女は位が高いのか法衣をまとい、手に持った剣を、傅いている鎧の肩に乗せている。


『ま、よくある話だ。でもな、男の方は亡霊のようになってしまっての。私が叱ってもダメだった。「レイアがいないと生きていけない」といつも言っての。そして一月も経った頃、奴はあっさり死によった。いつもなら苦戦もせんワームに食われたらしくての』


 ワームか。人を食うならでかいんだろうな。


『ダイチならそうそう死ぬとは思ってはおらんが。人は動物や魔物と違って自殺ができるからの。恋で自殺した奴もよう知っておる』


 ――まあ……いるだろうな。


『ま、あまり一人の女に入れ込みすぎるでない。そのような腑抜けの男になっては女も喜ばんしの』


 そうは言われてもなぁ……。腑抜けにならない自信はあまりないんだよな……。


 ――入れ込みすぎるなと言われても惹かれ合って時間を忘れるのが男と女だけどね。


 いくらか皮肉を込めてしまうが、インはふっと頬を緩ませる。


『分かっておるではないか。ま、お主は私の息子だからな。そこだけは忘れんように。息子を失った哀れな母親なんぞになりたくはないからの』


 ――分かったよ。


 息子設定忘れそうになるよ。母呼ばわりさせたいなら、せめてルカーチュさんくらいの年齢でいてほしい。


「ここが客間に続く廊下ですわ。ダイチ様のお部屋は奥から1番目と2番目のお部屋になります」


 そんな話を内々でしながら階段を登り終えると、廊下には、白いドアと金色の灯りが等間隔で続いていた。

 壁はドアと同じで白いが、絵画やキャビネットが配置され、床は長々と赤い絨毯が敷かれている。1階とは違って床の木目が覗いているが、継ぎ目の凹凸はほとんどなく、フローリングに近い仕立てがされているようで、十分豪華な印象を与えている。

 壁の灯りはロビーにあったものと同じで、ねじれたり、石を埋め込まれるなど細かい細工を施された金の縁飾りで球状に覆った中に蝋燭が灯っている。


「ほう。なかなか豪勢だのう」

「だね」


 うん、ほんとヨーロピアンなホテルだ。景観を損ねる消火器とか避難用はしごとかあったら、普通に現代でもありそうだよ。

 ヴァイン亭は廊下に絨毯も灯りもなく、塗装のとの字も見当たらなかったのを考えると、世界の違いを感じる。


「凄い……」

「こんなところ来た事ないです……」


 いまいち感動の薄い俺たちとは違い、姉妹の素直な感嘆に、ユディットは満足げのようだ。

 姉妹は名家の育ちだが、先祖は遊牧民的な生活をしていた上にダークエルフたちは今も森に居を構えているそうなので、この手の贅をこらした豪華さ――人工的な豪華さと縁は薄いのだろう。


 期待通りというか想像通りというか、部屋の中もホテルだった。


 開けられた窓からはケプラの街並みと高い石壁、緑色の光景が覗き、周りを薄茶色のカーテンが覆っている。この世界では初めてカーテンを見たが、しっかりレース+ヒダありのカーテンだ。

 女の子のパッツン前髪のように、短いカーテンで窓の上部まで飾り付けられているのはさすがに初めて見たけれども。


 家具もアンティーク風味だがしっかりある。

 化粧台にイス1脚、窓際にテーブルとイス2脚、そして2つあるベッドの横にはそれぞれサイドボードがあり、上にはランプが置かれてあった。タンスもある。

 ドアの横には何やらキャビネットがあり、金属製の大きなお椀がついている。横にはタオルがかけられているし、洗面台かな? さすがに蛇口はないようだが、洗顔も歯みがきも部屋でできるのは嬉しい。


「トイレはこちらになります」


 トイレは思惑とは少し外れていて、ずいぶん狭い個室だった。

 なぜかトイレの壁だけ、室内では見なかった薄い花柄の壁紙を貼りつけられてある。傍にはカラーボックスくらいの棚があって、中に畳んだ薄紙があった。上には観葉植物っぽい植物が植えられた植木鉢が置いてある。


 問題のトイレは便器に木のフタがしてあるようだが……フタに受動式魔法陣がある!


「使い方を聞いても?」


 承知しました、と言うとユディットは便器のウォールナットな木のフタを閉めた。魔法陣に手を触れる。

 すると、水が流れる音……! ほのかに懐かしいラベンダーの匂いが漂う。芳香剤つきぃ!?


「し、仕組みはどのようになっているのですか?」

「こちらの受動式魔法陣に手を触れることにより、水が流れる仕組みになっております。応用術式とウルナイ・イル・トルミナーテ様が考案された『水式トイレその2』を利用しており、各術式は、水魔法の《水射ウォーター》、《水射》と《浄化ピュリファイ》を組み合わせた応用術式の《トイレ用洗浄》、10回に一度風魔法の《強風ゲイル》が発動する仕組みでございます」

「え? ウルナイ? その2??」


 その2ってなんだ。その1は?


「左様でございます」

「それに《トイレ用洗浄》? 洗剤的な、汚水を綺麗にする?」

「ええ、左様でございますよ」

「ウルナイって英雄のですよね? あの像になっている?」

「左様でございます。ふふ、ウルナイ様がケプラの発展に尽力されていた方だとはご存知でしょうか?」


 いちいちちょっと驚きすぎたのか、質問しすぎたのか、ユディットがこれまでの使用人然とした営業的な作法をよそに無邪気に微笑む。

 インがちょっと面白がって見てきている。姉妹は寛大な微笑みを浮かべている。……うん。クールになろう。いよいよ俺は異国のお大尽だな。


「……ウロボロスを倒したというのは聞いてます」

「ええ、その武勇伝ももちろんございますよ。それに加えてウルナイ様は、ケプラ商会を創設されましたアッティラ・デイクイル様や3代目のシモン・オスカル・イル・マイアン公爵様と手を取り合い、新しい武具や応用術式の開発をはじめ、街を守るケプラ騎士団の設立、浮浪者への職の斡旋、当時蔓延していた商人や貴族たちの汚職の告発など、ケプラを発展させるためにさまざまな方面から都市計画を着手したと伝わっています」


 すごいな、ウルナイ……。単に武勇面での英傑かと思っていたら、あれこれ着手していたとは。でも像になるほどだもんな。


「素晴らしい方だったんですね……。思っていたよりもずっと慧眼の方だったようで驚きました」

「ええ、ええ。『ウルナイなくして今のケプラ語れず』と言われているほどですわ。ケプラにはウルナイ様にまつわる様々な逸話が残っているのですが、この金櫛荘もその一つなのです。というのも、金櫛荘を現在のような、上流のお貴族様の方々が懇意にされるほどの立派な旅館にしたのもウルナイ様の言によるものなのです」

「ここもウルナイが」

「はい。ですので、もしウルナイ様のことで何か気になることがあれば何なりとお訊ねください」


 ユディットがそう言って悠然と微笑んでくる。気づけば、彼女の顔がだいぶ近くにあった。寄ったのは俺の方だろうに、いまさらながら一歩引いてしまった。ウルナイフリークなのかな?


「分かりました。その節にはうかがいますね」

「はい。……ウルナイ様はダークエルフの里にも足を運んだとかで、そちらの逸話も伝わっておりますよ」


 そう言って、ユディットが姉妹の方にも微笑みを向ける。お。

 俺も姉妹を見てみると、二人と目が合う。二人の耳がピクリと動いた。


「暇ができたら話でも聞きにいこうか」

「はい」


 二人から喜びのこもった笑みをもらう。館内で寂しい思いをしないか懸念していたところなのでちょうどよかったね。


 ウルナイ話で話が折れたので、改めてトイレの仕組みについて訊ねてみた。

 応用術式の《トイレ用洗浄》によって綺麗にした汚水は、トイレの下の弁が開いて流され、流れた水は、館外にいくつか点在している集積所に溜まり、日々専門の業者がやってきては空にしていくらしい。10回に一度発動する《強風》は、管の詰まり防止だ。


 汲み取ったものをどうしているのかと訊ねると、水は家畜への飲み水や肥料用途に売ったりし、人糞の方も肥料向けに農家に売り、余れば山に捨てているのだとか。

 芳香剤の香りは、鉢植えにあった植物の香りだった。周囲に水を感知すると、馥郁たる香りを放つフーリアハット産の植物であるらしい。


「応用術式に用いられる初級の魔法は、こういった日常的な使い方をされるのが多いの。魔法は基本的に魔物を倒すための攻撃魔法や状態異常を付与する魔法などが多いのだが、内部術式をいじることでこういったことも可能なのだ。――術者の魔力操作の腕によって、《水射》の水を細く出したり、霧状に出したりは可能だが、それは万人が出来ることではない。むしろ、一握りと言った方がいいかもしれんな。それを万人に、さらに術者の腕や健康状態なども問わずいつでも出来るように術式を編んだものが、応用術式というものなのだ」


 というのは、話の合間にされた、ギャラリーがいるせいか得意然としていたインによる応用術式の解説だ。解説を聞くのもそこそこに、俺は魔法文明凄いとただただ感心していた。


 ちなみに、ウルナイは水道の設置も考えていたそうなのだが、すぐに頓挫したらしい。

 理由は水道建設のための膨大な人手と石材が足りなかったことや、計画に賛同する出資者があまりいなかったからなんだが、そもそも水を川から引っ張ってこなければならないほど、市民は水を必要としているわけではなかったらしい。


 ケプラに限らず、魔導士というものは、《水射》による水の提供で金が稼げる。それはバーバルさんの魔力屋と同じくもの凄く稼げる金策ではないし、人手が足りているところもあるが、ひとまずどこに行っても稼ぐことはできる。

 魔導士としての腕をあげれば、当然出せる水の量も増える。《水射》の使える魔導士は多い。ウルナイは風呂が好きだったらしいが、頓挫したのはつまりそういうことらしい。



 ◇



「満足だあぁ……」

「嬉しそうだのう。何にそんなに満足したのだ?」


 インが面白がって聞いてくる。


「家具がある! イスも3脚! トイレもある! 魔法文明凄い!」


 勢いよく天井に向けて伸ばした腕から力を抜いて枕に再度つっぷす。布団もヴァイン亭のより気持ちいい……。


「よかったのう。私も楽しいぞ」


 実に慈愛のこもった眼差しを送ってくるインをよそに起き上がって、それは良かったと俺。


「風呂があったら最高だったけどね」

「風呂なら下にあるではないか」


 風呂はヴァイン亭と同じで1階にあり、木造の室内風呂で、ちゃんと男女別々にしてあった。


 浴場には契約している魔導士が定期的に《水射》で水を入れにくる貯水槽と浴槽がいくつかあり――貯水槽から浴槽に水を貯める時には、ホース用途で牛やヒツジの腸を用いるらしかった。腸便利――奥には蒸し風呂、つまりサウナ室があった。

 トイレのインパクトには負けてしまうが、浴槽にぬるま湯程度だがお湯を沸かすための装置があり、サウナ室にも蒸すための装置があった。どっちも魔道具によるものだ。


 ただ俺は魔道具云々よりも、浴槽のお湯は人が使い終わったらしっかりと流してしまうという衛生観念の点に感動した。もちろんこれも綺麗にして再利用だ。

 これもウルナイの助言らしい。ウルナイ様様だ。もっとも、サウナ室の方が圧倒的に人気らしいけどね。


「いや、部屋にね。部屋に風呂があるなら最高だよ?」


 インが肩をすくめて、贅沢な息子だのう、とこぼす。


 確かに贅沢ではあるのだろう。ヴァイン亭に比べたらここは贅を尽くした宿だし。魔道具を一切使っていないヴァイン亭か、それとも贅を尽くし、魔道具も随所で使っている金櫛荘か、どっちがこの世界の本来の姿なのか、分からなくなりもする。

 実際ウルナイという人物がいなかったら、ここまでの設備にならなかったというし、中間にあたる宿を見てみたいね。


 ――そんなやり取りをしていると、突然不穏な気配が窓辺に現れた。

 それはインも察したようで、俺たちはさっと窓に視線をやった。


「はあい。こんにちは〜。元気にしていらっしゃるかしら?」


 幻影魔法を使用したらしいジョーラを察知できなかったのと同様の状況だったからか、つい立ち上がってしまったが、窓の前にいたのは、赤いドレスを着た橙色の髪の美しい女だった。


 美女はふよふよと浮いていた。……魔法があるし、浮遊が出来てもおかしくはないけど……どうやってきた? 転移かなにかか?


「ジル……。何しに来おった?」


 ジル? 赤竜だったか?

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