1-4 歓迎 (1)


 ――ギャーーーオッッ! 


 遥か遠方からでも獰猛さと敵意が伝わってくる強烈な鳴き声。


 近くに「銀竜の顎」という場所があるという情報を得ているので、確実にドラゴンの鳴き声だろうとは推測できたのだが、どんどん大きくなる黒いシルエットを見ていると、やはりプテラノドンの存在がちらつく。

 プテラノドンとドラゴンの見た目の違いがぱっと思い浮かばなかったのもあるし、ゲームではドラゴンの姿は見飽きるほど見ていても、鳴き声の方はあまり聞かなかったためかもしれない。ギャーオなんて声をドラゴンが発したらちょっとかっこ悪い感じもあるし。


 あっという間に距離を詰めてやってきたのはやっぱりというか、ドラゴンだった。

 翼を生やした、生物学的に爬虫類寄りの生き物であり、ファンタジージャンルならどんなゲームでも1匹はいるあのドラゴンだ。


 ギャーーーーオッッ!!


 ドラゴンが空中で止まり、バッサバッサとでかすぎる羽ばたき音とつむじ風の余波を草原の表面になで付けながら、再度鳴き声を発する。つんざくような鳴き声に耳が痛くて思わず耳をふさいだ。


 でっか……。そうでないと思いたかったけど、ドラゴンの目線は明らかに俺にある。


 全身緑がかった紺色の硬そうな鱗で覆われた表皮。つま先や翼の節についた鋭い爪。ぷらぷらと垂れている尻尾の先端には黒々とした俺の顔くらいの球体がついていて、その鈍器の一撃を喰らえば俺の体なんて虫を蹴散らすように軽々と吹っ飛ばすに違いない。

 ドラゴンが口を開ける。口にびっしりと生えている細めの鋭利な歯が覗いた。その動きにビクっと反応してとっさにまた耳を押さえようと構えるがドラゴンは鳴き声は発しなかった。人情なんて欠片もなさそうな黄色い眼が、俺の様子を面白がっているように見えた。


 リアルドラゴンに会えた喜びは多少はあったけど、ドラゴンの態度に友好的なものがなさそうなことが分かったら、慌てるのは早かった。心臓がバクバクとうるさい。


 逃げるか? どうすればいい?


 名案が何一つ浮かばない。強いて言うならやっぱり逃げることが名案だったけど、“一瞬で「カモメ」だった距離からここまで詰めてきた”ドラゴンの速度にどう逃げろと言うのか。


 何も行動を起こさない俺に飽きたのか、ドラゴンはググっと体と翼を反る。その瞬間、ドラゴンの胸の前辺りの一部の空間が歪みだした。

 ただ空間が歪んでいるというだけで、それが“凝縮された空気の塊のようなもの”だと察した辺り俺はゲーマーなんだろう。


 ドラゴンは間もなく俺に向かって勢いよく翼を羽ばたかせた。体や顔を歪ませている透明なそれを俺に向けて何のためらいもなく発射したのだ。


 体が硬直して動けない俺は夢の中なのに走馬燈を見た。

 見たのはシカイプ会議の様子だ。俺は缶ビールを片手に、ゲーム画面を見て笑っている。

 夢の中なのにゲーム内の、それもシカイプをしながらのクライシスのメンバーとの疑似飲み会の様子とか、器用すぎて笑える。それなら実際に朝まで飲んだオフ会の様子にしとけよ。


 ……別れた彼女と結婚してればよかったかなぁ。結婚は人を変える。俺だって変わったかもしれない――



 ――……何も起きなかった。


 おそるおそる目を開ける。

 目の前にあったのは、風の刃らしきものが今まさにゆっくりと・・・・・・・・・こちらにやってきているところだった。


 ……は? おっそ。


 風の刃だと思ったのは、やってきている横に広がった3本の爪跡のようなものが薄い緑色をしていて、ゲーム知識から緑といえば風魔法的な攻撃と考えたまでで、とくに根拠はない。

 とりあえずあれに体が耐えられる自信も根拠もないので、まだ心臓が爆発寸前で痛いくらいだし、すぐさま射程外に飛びのいて距離を取る。


 安心すると同時に、風の刃が急に速度を取り戻して一瞬のうちに草原と周りの道に直撃する。


 砂塵と飛び散った草が落ち着いた先にあったのは……ごっそり抉られた地面だけだ。その光景に背筋が寒くなる。

 他に植物はないのかちょっと気になって草原に入っていてよかった。戻っていたら、ティアン・メグリンドの家をこなごなにしていたに違いないから。


>スキル「緊急回避」を習得しました

>スキル「攻撃予測」を習得しました


 スキル習得? 待って。あとで!


 ドラゴンが俺の姿を確認すると、意外そうに観察してきた。抉られた地面には俺の死体が転がっていると思っていたのだろう。

 爬虫類な顔のドラゴンが意外そうな顔をしているように見えたのは、ドラゴンが開けていた口を閉じ、少しだけ首を傾けているように見えたからそう察してみたに過ぎない。


 どっちにしてもさすが知能の高いドラゴンと言うべきなのか、同じ攻撃を二度繰り返すほど愚かではないようだ。

 ドラゴンは風の刃をやめて、今度は滑空しつつ、足の爪を伸ばして突進してきた。俺を捕獲するつもりらしい。


 同時にまた世界がスローモーションになる。今度はさっきよりも少し遅いらしい。というか、だいぶ遅い。


 同じ現象、生き延びる術があることに多少余裕のある心持でいられるせいか、少し冷静になる。

 避けるべく走り出しながら、再表示されたログウインドウをざっと確認する。

 《緊急回避》に《攻撃予測》か……このスローモーションとなにか関係が? でも習得前もスローモーション出てたしな……。避けてばっかりじゃどうしようもないんだよ。

 ひとまず急いで「スキル 緊急回避」と念じる。ぱっと出てくる緊急回避のスキル欄。スキルを実行しようとしたんだけど、この際いい。

 LV1か。スキルウインドウがブレるので立ち止まり、LV10まで上げるべく指で触れる。レベルが上がる1回ごとに軽くエフェクトが入るのが今は鬱陶しい。てか、スキルってこういう風にしか覚えられないの?


 足の爪がそろそろ1メートルを切るところだったので、慌ててさらに家と反対側の草原に走る。崖も森もまだまだ先だ。この草原広すぎる。これじゃどこに逃げても見つかるだろ……。


 音を立ててドラゴンの足がイネ科植物を盛大に踏み潰した。ドラゴンが片足をあげて捕えたと思いながら足を確認する様はちょっと可愛かったけど、顔つきは相変わらず獰猛で無慈悲な爬虫類のそれだ。


 ギャーオッッ!!!


 ドラゴンが今度は威嚇するように俺に向けて吠えた。

 耳が痛い。ビリビリくる。ドラゴンの俺を見てくる顔に怒りの感情が垣間見えるのは間違いではないと思う。


 俺とドラゴンは向かい合う形になった。いまさらながら、ドラゴンは体長20m近くありそうだ。お台場の等身大ガンダムとどっちがでかいだろうか。


 場違いなことを考える俺をよそに、ドラゴンは今度は一歩踏み込んで尻尾の一撃を繰りだしてきた。草原のイネ科植物たちが一斉に刈り取られていこうとするところで、またスローモーションになった。


 よく分からないけど助かる。


 今度は先に回避しておこうと思って、直進してドラゴンの脚と尻尾の付け根の部分をくぐる。この謎な時間制御能力は、別に時を完全に止めるスーパーな能力ではないっぽいし、慣性も働いている気がしたので、一応尻尾の部分は触れないようにした。


 森に逃げられたらどんなにかいいと思うが、あっちには俺の生まれた小屋がある。

 別に愛着も何もないんだけど、とりあえず生き延びられそうなことが分かった安心からか、できるだけ壊さないようにはしたい。


 なんかないか、なんかないか……!


 辺りを見回すけどドラゴンの被害にあった場所以外は何度見ても見事な草原だ。

 もうちょっと人の匂いのするところに隠棲しておいてよティアン・メグリンド! せめて攻撃スキルの一つでもあればいいのに。


 ふとそういえば、と思う。


 スキルはどうやって覚えたんだ?

 《緊急回避》も《攻撃予測》も、実際にドラゴンの攻撃を回避してからだ。それまでは全く音沙汰がなかった。習得のログが出たのは、……回避したあとだ。


 つまり、実際に“経験”したからか?


 スキルの概念はMMORPGや他の据え置き型のRPGゲームのように、職種ごとにあらかじめ設定された剣技や戦闘魔法などの戦闘手段の類ばかりを指すのではなくて、その人の才能的な意味を持たせることがある。

 戦闘を要さない、育成系や錬金系ゲームなんかのスキルがそうだ。そもそも本来のスキルの意味は、仕事に生かせる技術や資格のことを指す。

 今欲しいのは、どちらかといえばドラゴンを退治する戦闘系のスキルだが……ともかく才能は「なによりもまず初体験しないと気付くこともできない」。それがスキル習得のリアル解釈にならないか? 辻褄は合うだろ。

 称号の獲得だって似たようなものだ。体験したり、魔物を一定数狩ることで称号を獲得できた。


 ……つまり。一度でも「攻撃をする」という経験さえすれば、何らかの新しい攻撃スキルが習得でき、スキルポイントが振れるようになる……よな?


 「既にスキルポイントがあり、スキルポイントが振れる」のはどう解釈したらいいのか分からないが……なにしろゲーム的な世界だ。このスローモーションな世界がいつまでも続いてくれるかは分からない。何を理由にこうなっているのかわかってもいない。


 まあ夢だし! やってみよう! 遊びだ遊び! どの道逃げられないんだ。相変わらず心臓は痛いほど脈打ってるが、ちょっとやる気が湧いてくる。


 スキル習得に関する考えの可能性に賭けて、ドラゴンの脚元に舞い戻る。


 頼むよーー!


 俺はドラゴンが踏み出した支点と思しき足に向けて思いっきり掌打した。


 ドラゴンの足から「ボギッ」という盛大な嫌な音が鳴って、思わず背筋がゾワッとする。


 うわぁ……。俺の考えではこの一撃目は全くのノーダメージだったんだけど……。


 ちなみになぜ拳ではなく掌打なのかというと、拳は初心者だと指を傷めるので掌打がいいというのをバトル系のマンガか何かで読んで以来、殴る必要があるときは掌打と心に決めているからだ。

 もちろん一度も殴ったことはない。部屋の壁とかガードレール相手に殴ったり蹴ったりしたことならあるけどね。学生時代の多感な時期や、酒と仕事のストレスでだ。


>スキル「掌打」を習得しました。


 ちょっと考えは外れたけどきた!!


 俺はすぐにスキルウインドウを出して《掌打》のスキルレベルを10にする。はやくはやく。エフェクトいらん!

 ドラゴンの脚の骨を折ってしまったことで急に躇いが出てくるが、飛べる相手に足の骨を折っただけでは戦闘不能にできないだろうし、現状打破にはならないだろうと心を鬼にする。


 ひとまず致命傷にはならないだろうけどドラゴンの足首にもう一度思いっきり掌打を打ち込んでみる。「掌打 スキル発動」と念じつつ。

 格闘技の経験は全くなく、柔道の授業もいつも休んでたくらいだが、 さっき掌打をした時と比べて腕の筋肉への負担がまるでないし、込める力にも無駄がない。

 打ち込むとさっきは鳴らなかったズバンッ!というその手のやり手が背中を掌で叩いたかのような小気味よい音が鳴り響き、ふわりと俺の髪を舞い上がらせた。


 と、同時に「ブチブチッ」という太いゴムか何かの切れる音。


 その音マジやめて。絶対腱とか筋肉とかが切れただろ……。

 ドラゴンの足がぐらついたかと思うと、体の方も倒れる様子があったので、慌てて退避する。


 スローモーションが解除される。痛がるような耳にくる強烈な鳴き声をあげてドラゴンの巨体が倒れかける。

 転ぶんだろうと思っていたら、ドラゴンの体がそのまま退避した俺の方にすごい勢いで飛んできた。


 え、なんで??


 今度はなぜかスローモーションには全くならなかった。これまでいい感じの攻防だったのに――


 くっそ! 苦肉の策で、防御的な意味で《掌打 LV10》の恩恵を受けようと、両手をかざす。そして、勢いを殺せず、ドラゴンの巨体を受けて吹っ飛ぶ自分の姿――


 ……は、なくて、飛んできたドラゴンの勢いをやすやすと殺してる自分がここにはいた。

 俺の足は少しばかり地面にめり込んでいる……。


 ドラゴンの巨体が地面に落ちて地響きを立てた。

 腕を下ろすと、首辺りからドラゴンの首が地面に落ちてくるので俺は慌てて飛びのいた。意図せぬ距離――5mほど飛んでしまったので、体勢が崩れかける。


 飛びすぎだろ。


 本来俺はどちらかといえばボケの方だ。ツッコミを入れることで、平静を保とうとしたのだと自分の精神状態を考察してみる。

 ツッコミは偉大だね、とにかく。笑いは大事だって、アメリカかどこかの国の精神科医も言ってる。いや、日本の精神科医だって言うだろ。日本はお笑い文化は発達してるからな。


 落ち着いた。たぶんね。ドラゴンがぶっとんできた状況の意味は分からないけど。


 ドラゴンが横倒しになったまま身動きしないので、顔の方をおそるおそる見に行く。

 映画の特殊メイク顔負けの迫力と、顔そのものの大きさに思わず声を出しそうになったが、ドラゴンの目は瞳孔が消えていた。白目……もとい、黄色目をむいて、口から大きな泡を立てている。伸びているようだった。


 思いっきり安堵のため息をつく。


「ドラゴン討伐しちゃったよ。いや、殺してはないから違うか……。まあいいや……。はあ……。疲れた。我ながらすごいな夢の俺……」


 と、思わずつぶやいて、あのスローモーションが使えるなら何匹きても一応勝てそうだと思ったその時に、またあの全身を逆なでする奇声が空の彼方から聞こえてくる。


 ――空には“カモメ”が3匹いた。


 マジで……? やめてくれよー……。


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