幕間:レイダン・ミミットの約束 (2) - 王城の景色と落影


 一行はラモリケに戻り、バウナーがニコロと共に街の酒屋に姿を消すと、ラドリックが口を開いた。


「レイダン、君はこのまま<金の黎明>にいるつもりなのか?」


 不可解な話題だったが、どうもラドリックには辞める意向があるらしい。バウナーとそりの合わないラドリックなら分からない話ではない。

 バウナー関連の話題であるのを予期しつつ、レイダンは「どういう意味だ?」とラドリックを振り返った。


「私は……バウナー様の地位は危ういと考えている」


 だが、ラドリックは深刻な顔でそんな“ありふれた”話を切り出した。


 やはりバウナー関連ではあるようだが、バウナーの地位の不安定さなど、王城、いや、王都にいる者なら誰でも一度は聞いたことのある話題だろう。

 ラドリックがなにか革新的な解決策を持ち出せる類の人物であるのなら別として、改まって「バウナーの地位について」などと何もいまさら深刻めかして話す話題ではないし、だいたいその内訳を副党首のレイダンが知らないわけもない。


「俺はバウナー様が古竜将軍として頭角を現した頃から、今のような鼻白む状況になることは1つの未来図として予測していた。次代の党首になること含めてな。筆頭騎士の方は驚いたが……。程度の差はあるだろうが、みんなそうじゃないのか?」


 レイダンは肩をすくめながらそう自分の所感を述べ、党員たちの顔ぶれを眺める。


「古竜将軍は色んな意味で各方面に影響が強すぎるからな」とクバが同調し、フベルトも「まあな」と同意した。


 バッシュとパヴェルも頷いて同調の意を示し、他の者も同意の意を示したり、無言でレイダンやクバに視線をやってきたりした。


 いつでも表情に乏しいホムンクルス兵のエミルは別として、反応としては特別変わったことはない。

 バウナー派と、中立ないし白竜教派の反応だ。


 レイダンが言うように、バウナーが党首に推薦されること自体は誰もが想像の範疇だった。

 国が侵攻を止めるほどの武力の持ち主を一介の党員にしておくわけもない。もちろん前党首も敵わなかった。


 一方で、バウナーが党首になると信徒たちからの侮蔑感情が目立つようになった。古竜の血と貧民街育ちへの拒否感情だ。バウナーほどではないにしろ、党員も対象になった。

 そんななかでもバウナーを嫌い、職務を怠る者が出なかったのは大陸に轟く武勇をその目でしかと見たかったからだし、みなバウナーのことを頼りにし、憧れてもいたからだった。信徒のなかには白竜の御使いだと神聖視した者もいたものだ。もちろんラドリックも今よりも信頼を置いていたとレイダンは考える。


 だが、今となっては誰もが英雄の姿に見慣れ、誰もが昔ほど憧れはしない。

 バウナー自身が変わってしまったこともある。


 勇猛果敢さはあれど覇気はなくなり、カリスマ的な獰猛さは潮が引くようにすっかり引いた。貧民区の酒場や賭場に入り浸るようになり、見慣れた孤高の背中はただ孤独なだけになり、酒気を帯びるようになった。

 他国を震え上がらせる武勇によって帳消しになっていた貧民街育ちというバウナーの出生問題は、ぶりかえすようにみなから問題視されている。何度かレイダンと党員は、バウナーを説得しようとしたがその成果は結局出ず、諦め、戦いだけに集中しているのが現状だ。


 バウナーと党員たちが一緒に酒を飲んで歓談したのはいつのことだろうか。

 バッシュは覚えているかもしれないが、レイダンはもう覚えていなかった。


「……<金の黎明>は変わらなければならない。神聖国家アマリアが誇る、気高い黎明の七騎士の一党として。準備はもうできている」


 ラドリックは党員たちのいつも通りの反応をよそにそんなことをつぶやいた。とても冗談を言っている風ではなかった。

 ラドリックの思いつめた様子に、レイダンはようやく機が到来したかと胸が湧きたつ思いがした。だが、表情には出さすまいとし、眉をピクリと動かすだけに留めた。


 “準備がもうできている”。

 レイダンはこの言葉を脳内で繰り返した。事実であれば事であるかもしれない。謀反の類だとすれば。


 もっとも。敬虔ではあるがさほど勇ましくはない典型的な信徒党員であるラドリックが率先して謀反の狼煙を上げるとは思えないものだ。

 おおかた、バウナーを目の敵にしている組織がラドリックに接触し、懐柔したと見るべきだろう。一体誰が牽引しているのかという疑問はあるが……狼煙が上がるのが党員からというのは悪くないかもしれない。


 レイダンは反応が気になり、改めて党員たちの顔ぶれをさっと眺めた。


 党員たちは一転してみな各々困惑の表情だった。前王の治世ならクバが冗談の1つも返していただろうが、クバは黙って小首を傾げていたし、バッシュも眉をしかめているだけだ。

 妄言だとして一蹴する様子はここにはない。もっとも納得はできる反応ではあったためレイダンは内心で頷く。


 レイダンは結局ラドリックには「変わる? 今でもじゅうぶん誉れ高いと思うが?」と問題発言に取り合わずに無難な返答をした。次いで、「バウナー様がいたらまた睨みをもらうぞ」と諫めておく。

 そうしてレイダンは厩舎へ歩みを進めた。ひとまず酒屋の前で群がった七騎士たちがこのような話題をするのはよくない。誰が耳をそばだてているか分からないからだ。


 党員たちはレイダンに追従したが……ラドリックは結局厩舎に着いても話を再開しなかった。


 レイダンは器の小さい奴めと内心で毒づいて小さく舌打ちをした。

 この分だとたいした準備ではないのかもしれない。ただ、慎重であるのは良いし、ラドリックのような小者が作戦の舵を取らないのは良いことだと改めた。


 貧民あがりがそうさせるのか、いまだにバウナーはそのような権力を一切使ってみせないが、本来筆頭騎士というものは軍務長官は当然として、執政官に近しい権力を有するとも言われる座だ。

 党首にしても、党員に謀反の兆しなどがあれば、無論即刻処分ができる。さきほどのラドリックのように侮辱的な態度を見せる党員がいるなら謹慎させたり、除党処分をしてもなんら問題はない。実際に他の七騎士でも党首が徐党させたケースはある。なんらかの処分をしないのはバウナーの不信心と怠慢からくるものであり、また、彼の傲慢さからくるものでもある。


 英雄には大なり小なり歌や書では語られぬ、助長された己の傲慢さからくる失墜がつきものだ。

 バウナーもまた同じ道を辿っている。残念なことに。


 厩舎でレイダンは馬番に庭を借りる旨を伝え、クバにはバウナーが戻るまで手合わせの相手をしろと言い、エミルに木刀を出すように言った。他の者は補給含め自由にさせた。


(ニコロに、ラドリックか……。バウナー様もあそこまで頑固でなければな。白竜教の支持も今より得られただろうし、堅実王ももう少し動きがあったかもしれない。……昔はもっと柔軟な人だった。今よりも尊敬もできた)


 バウナーがいることで国の戦力は盤石にはなった。しかし前王は山のように動かず、バウナーと動物の狩りに出かけてばかりいた。

 穏やかで平和な光景ではあった。だが、それだけだ。平和というものはいつまでも続かないものだし、単に次の戦いに向けてのゆとりのある準備期間とも言える。怠れば次の戦いに呑まれ、負ける。戦いの歴史はそうして繰り返されていく。


 いずれにせよ、失脚を早めるのであれば、相当の味方をつけた上で慎重さを極めなければならないだろうとレイダンは改まった。

 そう。例えばクリスティアン王や総督司教を味方につける政略レベルでなければ、バウナーを引きずりおろすことはできないだろう。


 副党首に過ぎない自分がそのようなことが出来るのか。レイダンの答えは当然「否」だった。

 だが、嗅ぎまわってネズミの真似事はできそうだった。時期は悪くない。地盤も悪い。問題は“ヒビをどこからつつけばいいのか”という話だ。そのくらいならレイダンにもできる仕事だ。



 ◇



 衛兵から座れと怒鳴られ、肩を力任せに押されると、両手を縛られた男は膝をついた。すぐに男の眼前には斧槍が交差される。


 男はおずおずと頭を上げた。


 先には玉座に座ったクリスティアン王がいる。隣にはグラジナ皇太后が座し、2人の隣にはバウナーとメイデン親衛隊長タイモン。

 縛られた男の左右には七騎士の党首や、メイデン親衛隊隊員、各官僚、王侯貴族などがずらりと列席している。


 レイダンは男が借金苦により魔法道具マジックアイテムをはじめとする希少な道具の密輸に手を染めた商人だと聞いていたが、《鑑定》により多少実力のある奴だと見抜いた。

 レベルは28だ。《魔力量透視》は彼に魔力がほとんどないことを示し、死霊術の類の危険な気配もない。


 執政官ヴァレリアンにより、男の罪状が露わにされる。


「――リャトー支部所属のゴーシャ・バナハイラ司祭による証言によれば、彼はシャトー支部所属の修道女2人を暴行および強姦し、1人を人身売買組織に売り飛ばしました。そして自分のことも」

「待ってくれ!!」


 男は叫んだ。


「俺は修道女だとは知らなか」


 その時男の眼前にあった斧槍が男の喉に押し付けられ、「王の御前だ! 発言は控えろ!」と怒鳴られたことにより発言は遮られる。やがて男の首からは一筋の血が流れた。


「……そして自分のことも襲おうとしたと。リャトーの装飾具職人が逃げた司祭を保護し、彼は逃げました。とのことです。真実の指輪で確認しましたが、証言に嘘は見られませんでした」


 そんな、嘘だと男が叫び、再び斧槍が男を諫めた。ゴーシャ・バナハイラ司祭は怒った顔で男を睨みつけていた。

 なるほど、男が謁見の間に連れられてきたのは聖職者への強姦と人身売買が理由だったらしい。レイダンは男の最期を予期した。


 真実の指輪は聖浄魔法の《平和ドープ》の術式が込められた指輪だ。

 この指輪の前では戦意と悪意がなくなって軽い洗脳状態になり、嘘は言えなくなる。男には魔力はないし、男が嘘を言っているのだろう。罪人は嘘を言うものだ。


 グラジナ皇太后が「修道女を売るなど罪深さの極みです。ましてや強姦など……」と憤慨の意を露わにした。


「母上、あまりお嘆きにならないよう。すぐに粛清は終わります。……処刑人! 罪人の首を」

「クリスティアン、お待ちなさい」


 皇太后が呼び止める。


「人身売買の組織の名をみなに知らせた方がよいでしょう」


 相変わらずの皇太后のしたたかさにレイダンは内心で感服する。

 若き王は改めて「人身売買の組織の名は?」と執政に訊ねた。


「『至上の喜び』というそうです」


 途端に一転して失笑の雰囲気が謁見の間に到来する。

 とんだ名前があったものだとレイダンも内心でぼやいた。この分だと、売買は他種族も含まれていそうだと察してみた。


「<赤の黎明>党首ヤヌシュ・ジェリンスカ!」

「はっ! ここに」

「党員を率い、この人身売買組織の根絶を命ずる! 関わった者に由緒ある家柄のある者があれば捕縛せよ。公開処刑する。それ以外はその場で処断せよ」


 ヤヌシュは御意と胸に手を当て、王に頭を下げた。

 周囲では一瞬どよめきがあったが、それはすぐに収まっていく。辣腕王の不興を買いかねないからだ。進言をして処分を受けた者はこれまでにも何人かいた。


 クリスティアンが戴冠してからの公開処刑は何度目になるだろうかとレイダンは思った。

 聖職者に手を出したのだから相応しき末路ではあるし、新たな犯罪への釘差しにもなるだろうが……。


(これまで国を仕えてきた由緒ある家柄をあっさりと切り捨てることは王家にリスクもあるのを陛下や皇太后は理解しているのだろうか……)


 この不安は何もレイダンだけが抱くものではない。


 若き王の辣腕をどこまで放任してよいか。王を諫める場合の皇太后以外の適切な時期と適任者は誰か。

 これらは臣下たちがもっとも気にかけている問題の1つだが、父である前王が療養のために王城から姿を消し、政務からも離れている今、一番の適任者は残念ながらいない。


「罪人の首を落とせ」


 そうしてクリスティアンはレイダンの心配をよそに男の処刑を言い渡した。

 堅実王の治世、はじめは目を逸らしていたクリスティアンも、早くも王としての貫禄のついた今や毅然と罪人を見下ろすばかりだ。


「陛下!! お聞きください! 私は!!」


 騒ぐ男は衛兵により抑えつけられ、口にはただちに布が巻かれた。

 反物を手にやってきた処刑人は優雅にも見える動作で絨毯の上に皮と布を丁寧に敷き、その上には木の簡易の断頭台を置いた。


 そして処刑人はクリスティアンに礼をした。謁見の間で行う処刑であるため典礼用にも似た、鎧に刻まれた精緻な模様が輝く。

 目元と口だけに穴がある冑なため表情は見えないが、レイダンは彼女の素顔を見た時、女としては磨けば光る逸材であると見抜くと同時にまさしく処刑人の顔であると納得したものだった。処刑人には国と王室、そして法への頑なな忠義以外、余計な感情は必要はない。ホムンクルスとは種類の違う、接すれば寒気を感じる類の顔の女だった。


 うめき続ける男。抑えつける衛兵と処刑用の剣を構える処刑人。周囲に居並ぶ貴族婦人の中には扇子で顔をそむける者が出だす。


 ――骨を断った鈍い音、頭が落ちた音、敷いた皮に剣が到来する小さな音が鳴り、男は静かになった。

 彼女は静かに布で血を拭き、剣を鞘に納めたかと思うと、膝をついてクリスティアンに頭を下げた。


「人身売買組織『至上の喜び』にまつわる情報があれば、<赤の黎明>に伝えるように。ヴァレリアン、次の話を頼む――」



 会合を終えて謁見の間を出ると、廊下の端にはヤヌシュ・ジェリンスカが壁に背中を預けていた。誰かを待っている様子だ。

 隣には副党首のプーカ・ドゥーニンもいる。会合にはプーカは呼ばれていない。例によって会合が終わるまでヤヌシュのことを待っていたのだろう。


 プーカはエルフと似て、肌が白く顔が小さい。

 本人曰くエルフとは何の関わりもないようだが、彼女を見るとレイダンはふとウィプサニアに逢いたくなった。次に会えるのはいつだろうかとレイダンは何度考えたか分からない。


「ヤヌシュ、誰か待っているのか?」

「レイダンか。その通りさ」

「誰だ?」


 聞きながら、レイダンはバウナーだろうと確信していた。


 ヤヌシュという色男党首は、今となっては数少ないようにも見えるバウナー信奉者の一人だ。

 ちなみにこの人物はレイダンとも親しい。案外そりが合わない色男同士の組み合わせだが、この2人はそうではない。軍は人を軍人にする。実力を示し部下を持ち始めると、色男も醜女も貴族令嬢も例外ではない。


「バウナー様だよ」


 ともあれ、やはりそうらしい。


「バウナー様なら少し時間がかかるぞ。陛下は要人たちと部屋に引っ込んでいったからな」

「要人たちってのは誰だ?」


 レイダンは執政官の2人の名を挙げた。続けて他の名前を挙げる前にヤヌシュが「他は?」と急かした。彼の長い前髪の一房が揺れた。

 急かされるままにレイダンは親衛隊隊長と軍務大臣と財務大臣の名も上げる。


 ヤヌシュは視線を落としながら何度も頷き、挙げた面々にさも納得した素振りを見せた。


「そろそろ仕掛けるのかもな」

「仕掛ける? 戦争か?」


 確かに仕掛け時には相応しい面子ではあるが、それだけだ。


「ああ。財務大臣のオヤジ殿は賢いが、怠け者だってことは知ってるだろ? あの人が動くのはそう多いことじゃない」


 レイダンは曖昧に頷き、「お年を召しているし、腰を痛めてるのは事実だと思うけどな」と今年69歳になるルチヤン・アニエラクの素行を擁護した。

 この財務大臣は近年は今回のような王が呼ぶような重要な会合でなければ、腰痛や体調不良を理由に直下の部下をやるのだった。例外はない。実際のところはなかなか“元気なオヤジ”なので、ヤヌシュをはじめとして一部の親しい者から怠け者呼ばわりになっているわけだった。


「それにな。知ってるか? ベージリュイの工房で攻城兵器が作られ始めたんだ。新しいやつだぞ? 搬送先はボルコサイン城砦だ」


 ボルコサイン城砦はオルフェを睨む城砦だ。

 財務大臣の方はともかくレイダンはこちらの情報には戦争の予感を強めねばならなかった。


「各商会にもマトゥシャック家から武具の大量作成依頼が来たらしい。フランツォース伯もアルバグロリアに来てるぞ」


 マトゥシャック家はボルコサイン城砦を任されているフランツォース伯旗下の武家だ。


 この情報にはレイダンは思わず腕を組み、難しい顔つきにならざるを得なかった。


「マトゥシャック家にフランツォース伯の訪問か……。単に戦力の補強という意味には取れなさそうだな」

「どうだかな?」


 一方ヤヌシュはひょうきんに眉をあげて意見を求めるようにプーカを見る。

 視線を受け取るとプーカは「ゼロ殿も動いてます。今はオルフェにいるようです」とレイダンに淡々と言葉を続けた。


(ゼロがオルフェに? ゼロは鴉の主戦力だ。確かに近頃は見かけなかったが……。これは本当に始まりそうだな)


「何の用向きで?」

「内容までは知りませんが、このタイミングであの方が国を離れるくらいです。先の戦いのために敵の喉元に見えない剣先を突き付けることはしているものと思います。将校たちの暗殺くらいは目途に入れているかと」

「七星か七影の隊長の1人や2人、亡き者にしてくれたら楽なんだけどな。ま、機先の戦いで俺たち<赤の黎明>は出兵するか分からないがね」


 プーカは肩をすくめたヤヌシュを見ていたが、やがてやるせなく息をついた。さも、あなたが仕留めてくれたらいいのにと言わんばかりに。


 ゼロが情報の少ない敵国の党首格の将を仕留めるというやや非現実的な話はともかく、<赤の黎明>の話はヤヌシュの言う通りではある。<赤の黎明>は黎明の七騎士の中でも最弱とされている。

 主にそれは党首であるヤヌシュがレベル60に届かずにいることが理由だが、党員たちのレベルもプーカを含めた2名を除き他の七騎士と比べて一歩及ばない。専属の治療師ヒーラーも定数の半分に満たず、オルフェ侵攻の重要な戦いに投下させるには赤の黎明は七騎士の中で一番優先度が低いと言われている。


「出兵の可能性はなくはないわよ?」

「お前の風魔法でか?」

「茶化さないで。私たちだって後ろなら守れるし、占領中の都市を維持することくらいできるでしょ」


 レイダンはプーカの言葉に、内心でそれは七騎士の仕事にしてはちょっと不名誉かもなと考えた。


「別に黎明の七騎士じゃなくても出来るだろ。軍部もわざわざ七騎士の威信を落とすようなことはしないだろう。出兵があるとすれば占領後だな。あとは各個撃破の時に投入だろう、いつも通り」


 ヤヌシュもレイダンと同じ考えだったようだが、そんなところで謁見の間から出てくる数名があり、彼らはやがてこちらに向かってきた。

 官僚たちのようで、先頭の1人はマルク財務官だった。他は同じく濃緑の装いのため1人は財務官であり、もう1人はブロンズ色で法務官。


「これは御三方。内緒話ですかな? だとすれば私がお邪魔してもよかったでしょうか」


 内緒話と思うなら割り込んでこなくてもいいだろうにとレイダンは内心でツッコんでしまうが、口には出さない。

 彼の後ろにはどこかで見たような2つの顔があり、ずる賢そうな法務官の方がバラリスとかいう名前だったような気がした。


「私は構わないが、マルク卿は何か面白いネタをお持ちで? 私たちの集まりでは楽しい話がないと出禁でね」


 ヤヌシュの陽気な牽制に、マルクは柔和な表情を崩さないままに口元をゆがめ、たるんだアゴと頬にシワをつくった。

 近頃ある貴族令嬢が付きまとうマルクに対して頬を引っぱたいたらしいが、さぞ叩きがいがあったろう。城に来る前はごく普通の体型だったものだ。いつの間にか、「金を数えられる豚」とかいう類の悪口を聞くようになった。


「あなたもそのようにお考えですか? ミミット卿」

「私は彼ほど“取り締まり”が厳しいわけではないですが、楽しい話を持ち込まれるのだろうとは考えていました。あなたとの会話は他の人とできない趣向も織り交ざっていますからね。いつも興味深く拝聴していますよ」


 レイダンのおべっかに、いつも通りマルクはニッコリとした。ヤヌシュは明後日の方向を向いて肩をすくめた。


 レイダンも突っぱねたい気持ちはあるのだが、近年バウナーの貧民街育ちがぶり返しているように、レイダンも多忙を極めていた店番育ちにいまさら後ろを向くほどではない。

 実際この気性と処世術は様々な人物の知遇を得ることになり、レイダンの出世をおおいに助けてきた。


 革職人の仕事の傍ら、馬預かりや倉庫番をしていた頃、レイダンは下世話な商人や下流貴族たちから妙に人気だった。

 レイダンは駄賃欲しさに「ご機嫌の取り方」を学び、奮闘していたに過ぎないのだが、天才剣士たる所以の吸収力の高さといくつも商売をしていた家のおかげで育った物事の本質を探る力と応用力の才が発揮された末、この分不相応の背伸びは実に彼らをいい気分にさせていた。逆の場合もいい気分にさせるのは、<金の黎明>に入党して高い身分を持ってから知ったことだ。


 マルクはちらちらと周囲をうかがったあと、一歩前に出て声を落として話し始めた。

 王侯貴族の間で流行っているハーブの香水の香りが強まる。マルクはいつも話したがりだが、例に漏れず今回もそうらしい。


「実はですな、私は近頃内々で“組織”を結成しまして」

「組織?」

「はい。この2名も組織の一員ですよ」


 後ろの2人を見ると思わせぶりに頷かれる。

 どういった組織で、とヤヌシュ。


「とある集まりの監査を目的とする組織です。私含め、この2名はその集まりから少々痛い目にあったことのある面々なんですよ」


 監査。痛い目に遭った? 財務官や法務官が?


 レイダンはすぐにマルクと親しい人物たちならしょうもない事件の1つや2つ起こしてそうだと考え直した。


 離婚騒動、意中の令嬢からけなされる、店でろくでもない品を高く売りつけたのがバレて怒られる、冤罪だったようだが収賄容疑で投獄、怪しいパーティでとある貴族から《平和》を受けて裸踊りをする、などなどマルクの逸話は色々とある。

 ちなみに小心者だからか運がいいのか、財務官としての仕事はまあまあできるらしいからか……どれも婦人たちから話のネタにされ、笑われるほどには大事になっていない。


「とある集まりとは?」


 と、ヤヌシュがそう質問した時、謁見の間への扉が開く音があった。

 マルクは過剰気味にびくりと反応し、扉の方を見たあと、


「し、失礼。ではまた、お話はいずれっ」


 と、そう言って2名とともにそそくさと立ち去ってしまった。


「……ろくでもない組織な気はするが」

「ああ」

「美人局詐欺組織とかな」


 あり得る。薄く笑ったヤヌシュにレイダンも口の端を伸ばした。


 謁見の間から出てきたのはグロヴァッツ伯爵、ビエダ・クロクマル両子爵たちだった。

 これといってマルク財務官らとの関わりは見えない面子だ。グロヴァッツ家は指折りの名家だし、両子爵はグロヴァッツ家旗下の貴族だ。王城勤務の財務官とはいえ、マルクなどでは太刀打ちできないだろう。


 なぜ話を急にやめて逃げたのか、出てきた者たちと関わりはとくに見られない旨をレイダンが話すと、2人から同意される。


「伯爵に怒られたことがあるんじゃないか? 『私の眼前に二度と立つな』とかな」


 プーカがくすりと笑う。レイダンは彼女の愛らしい笑みについ目を奪われた。


「……にしてもレイダン、お前は相談役にでもなるべきだな」


 レイダンは我に返り、気付かれないようヤヌシュにゆっくりと視線を寄せた。


「なんだ急に。俺は剣士だ。出自はちょっと変わってるが」


 ヤヌシュはまあなと鷹揚な表情になる。


「たまにお前が天才剣士だってこと忘れるよ。優れた剣士は社交スキルが低いものだが貴族の出なら話は違う。でもお前は貴族出じゃない。泥臭い性格をしてたならまだ分かるんだがな。……まあ、あいつと縁を結んでもろくな話しか返ってこない気もするが」


 そういうことかとレイダンは納得する。プーカが「あの人が気になる理由がなにかあるのですか?」と訊かれたので、「とくにないよ」と答えた。

 2人に答えながら、天才剣士という呼ばれ慣れた呼称にレイダンの心象に影が落ちる。最近はよく見る影だった。


(天才剣士か……。……それでも俺は“2番手”だ。いつかバウナー様は党首の座を引かれるだろうが、俺は党首になってもバウナー様と比較され続けることだろう。「バウナーほどではない」「そりゃ当然だ」と言われ続けるのだろう。俺にはこれからの生涯を剣に費やしてもバウナー様を超える自信はない。人が竜の力を超えられるわけがない。頂上の景色はどんなものなんだろうな……)

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