8-3 瞬筋とパド家
「……俺たちは近いうちにケプラを発って、オルフェを出ようと思っています」
ラディスラウスさんはさほどの動揺もなく納得したように小さく頷いたが、ホイツフェラー氏の方は不意を突かれた様子があった。
「オルフェの今後についての会合なのに、オルフェを出てしまう俺たちが参加するのはどうかと思っていたんです」
ランハルトが腕を組んで、なるほどなぁ、と言葉をこぼした。横からはインから、そんなことで悩んでいたのか、と言葉が来る。いや、そんなことでもなくないか?
「……私が思うに、だが。君は国から徴兵されることも懸念しているのではないかね?」
ラディスラウスさんの鋭い指摘にギクリとしつつも俺は頷いた。
不埒な者なり魔物なりに襲われている人々を助けることは俺は進んでするだろう。だが、兵士として組織に所属することになれば、様々な仕事が課せられ、今後動きづらくなることは目に見えている。七星や七影に認められていることだし、事が大きくなる速度は速いに決まっている。
氷竜だからじゃない。旅のこともあるし、姉妹のこともあるからだ。それから、俺の気質的にも。
そのうちにそういう出世欲のような意欲や善行欲なんかも出てくるかもしれないが……とても言えたものではないが、俺はもう少しこの世界を何の責任も持たずに気楽に楽しむ旅人でいたいという気持ちもある。いきなり背負う荷物が重すぎる。
まあ、氷竜は重いというレベルではないのだが、……誰にも気づかれないからな。市民にとってはおとぎ話みたいなレベルの話だし。
「やはりか。会合に参加すれば君の実力はいずれ伝わるだろうな。しかし気にすることはないぞ。国が強引にきみを徴兵することはない。……まあ。兵の足りない都市では半ば強引に徴兵することもままあるし、夜警を世帯で定期的にやらせ、義務化している都市もあるが、これらはあくまでも警備兵などの下級兵の話だ。とくに、ただ槍を持って立っていればいい者にすら人手を欠く場合だな。あとは領主の出来が悪い場合などだな」
セティシアではどうなるだろうな。
据えられた人が、兵士たちの横行に頭を悩ませていた以前の市長の方がマシと言われないような人であってほしいものだ。
「それ以上となると、……よほどの理由がない限りは強引な徴兵はしていない。だいたい、やる気のない者を兵士にしても無駄死にするだけだ。最悪、盗みを働いたり、装備を売り飛ばされてしまうこともあるだろう。……セティシアも状況が状況ではあるが、むやみに悪評を立てれば兵も集まらんだろう。兵団の評判もあまりよくなかったし、マイアン公爵様は相応の者を据えると私は見ている」
確かにな。
「……ともかくだ。兵士は稼ぎ口の1つだ。ちょっとでも腕に覚えのある男なら兵役に就くのが常なんだがね。……きみはどうやら金には困ってないように見える。もっとも、私もそれなりに長く生き、シャナク方面にも行ったことがあるが、タナカという家を私は生来聞いたことがない。……きみが兵士になりたくないのは分かる話ではある。金があるのにわざわざ血と泥と死に塗れにいきたい者などおらんからな」
ラディスラウスさんが含みを持たせて探るような視線を寄こしてくる。少し突き放したような言いようだった。
ラディスラウスさんはホイツフェラー家に代々仕えている家の者なのだと聞いている。ホイツフェラー氏への忠誠心は相当に強いのだろう。
本当の忠誠心とは。たとえ主の道が間違っていても付き従うことであるとは伝記物で見た覚えがある。そんな言葉を残した「彼」はもちろん死んでしまい物語に華を添えたのだが、彼の忠誠心は信仰にも近いだろう。
ホイツフェラー氏自らの誘いを断ることはおろか、会合にも参加の意欲を見せない俺に、ラディスラウスさんがあまりいい印象が持てないのも仕方がないことかもしれない。
兵士稼業にしてもそうだ。あんな死体と血と臓物であふれた……地獄のような光景――戦場を見てきたのだ。
国のために。主人のために。あるいは家族のために。血に塗れ、泥に塗れ、一歩間違えば死ぬような戦地でありとあらゆる苦しみを味わってきた。まるで逃げるように国を去るつもりだと名言する俺にいい印象が持てないのも道理だ。
今までは実力を明示することでこの辺の付き合いをだいぶ楽をしてきたが、ラディスラウスさんは少し難しそうだ。というか、これが普通なんだろうな。
今までは……周りがいい人たちばかりだった気もする。出来ればこれからもそうであってほしいものだけども。
やがてホイツフェラー氏が、もったいない話だ、とため息交じりにこぼすと、ラディスラウスさんがそうですな、と声音を緩めて同意した。
ホイツフェラー氏はかなりの信頼を寄せてくれているようだが……俺たちは出会ってまだ日も浅い。主人が早くも信頼してしまっているのなら、自分はまだ疑いを持っておこうといったラディスラウスさんの家臣側の考え方も分かる話ではある。
「ラディスラウス様。そんなにダイチは凄腕なんですかい?」
空気を読んでいるのかいないのか分からないが、ややピリっとした雰囲気を断つようにちょっと唐突なイーボックさんの質問に、「なんだ。何も分かっとらんのか」と呆れたようにホイツフェラー氏。
「いや、確かに一緒に戦いはしましたし、山賊程度では彼に敵わないのは分かっていますが……」
俺は分かってましたよ、とランハルトは自慢げに言葉を続けるが、ホイツフェラー氏は片眉をあげただけだった。
ラディスラウスさんも分かりやすくはないが、いくらかの呆れが顔からうかがえる。こっちは付き合い長いだろうけど、あんまり信頼されてないな。
《魔力弾》を木に打った時には一応分かってる感じではあったけど。
伯爵邸では確かにイーボックさんは後ろで補助魔法を主に使っていたようだし、あまり近くにはいなかったが……。
ふむ、とホイツフェラー氏が考え込む様子を見せた。かと思うと、ちょっと来てくれと俺たちに背を向けて歩き始めた。
この辺り周辺は墓地以外何もないので、先は更地だ。更地と言っても、草木はそれなりにある。
インが、「手合わせではないか?」とニヤリとして俺を見てくる。ああ、そうかも。
でも、今回は葬式目的できているので、俺たちの方の得物はとくにないんだよな。ラディスラウスさんやランハルトが片手斧や長剣を持ってはいるが、ホイツフェラー氏の腰には――豪華なマントをつけているので見える範囲でだが――短剣しか見えない。
ホイツフェラー氏がさほども歩かずにやがて立ち止まった。周りにはとくに何もない。
前に立ってくれというので、俺はそうした。やはり手合わせか?
「ダイチ。俺に“触れてみろ”。無論、俺は防ぐがな」
「触れる?」
「うむ。手で俺の体に触ろうとしてくれればいい。たまにうちの兵士にもやらせてるんだが、みな俺に触れることすらできん」
俺も無理だったんだ、とランハルト。ランハルトは掃討戦での戦いっぷりを見る限り、見た目通りに動き回る性質ではなかった。素早いと言えば素早い方だとは思うのだが、ちょこまかと動くような感じだった。
イーボックさんの方を見ると、「俺は魔導士だ。ハンツ様の間合いを破れるわけないだろ?」とくる。
間合いか。
ホイツフェラー氏は190近い長身にくわえて筋肉質と結構な大男だが、インほどの高さの盾を構えていた2人の男を盾ごと両断し、奴らに追い打ちをかけまくっていた時のように、戦闘時の機敏さはおよそ大男のそれじゃなかった。
あの伯爵邸での混戦で怪我1つもしなかったし、察知力の類も相当にずば抜けているのだろう。
「さ、こい!」
ホイツフェラー氏の気配が強まる。強まったのは気配だけで、彼はとくに構えたりはしていない。
触れるだけなら気が楽なものだ。あまり観衆の前で実力は見せたくないのが本心ではあるけれども、疑念をあらわにしたラディスラウスさんもいるし、ここは観念して素直に行くべきだろう。そこまで友達がいのない奴にはなりたくない――
俺は《瞬歩》で移動し、ホイツフェラー氏の首筋に人差し指で触れた。
「…………は??」
イーボックさんの間抜けっぽい発言とは裏腹に、ホイツフェラー氏は目だけで、自分の首に右斜め後ろから突き付けられている俺の指先をちらりと見た。
「…………マジかよ。俺、ダイチの動き何にも見えなかったぜ?」
「あ、ああ。俺もだ」
「信じられねえな……」
「ドルボイとダゴバートの言ってたことはマジだったんだな……」
信じられてなかった口か。
それにしてもアレクサンドラとの手合わせを思い出すが、この遊びのような手合わせが本来なら一体どういう試合運びを見せるのかが分からないので、俺もなにか“ズル”をしたような気分にもなる。勝敗はこういうことでいいんだよな?
「…………ダイチ。もう一度いいか? 今度は俺もスキルを使う」
え。スキル? ホイツフェラー氏が振り向いたので、手を降ろした。とくに動じてはいないものらしい。
「俺は素早い奴ではないし、おそらく無理だろうがな。多少はマシになるだろう。また前に立ってくれ」
言われたままに前に立つ。スキルって何使うんだ? ちょっと怖いな……。遊びのような手合わせだし、攻撃はしてこない風なんだが……。
インは腕を組んで観戦モードになっていて、姉妹もまたじっと成り行きを見守っている。
「よし。いつでもいいぞ」
威勢がよかったさきほどとは一転して、ホイツフェラー氏は落ち着き払ってそう言い放つ。
俺は数秒間、ホイツフェラー氏の動向を観察していたが、とくに向かってくることもなければ、外見上の変化もなかった。気配もだ。さっきは強まっていたのに。
スキルのことが気になるが……
――俺は1戦目と同様に《瞬歩》で移動し、首に指先をつきつけた。今度は左斜め前方からだ。
「――やはりな」
――俺の人差し指はきちんとホイツフェラー氏の首に触れていたが、彼の左腕は俺の腕目掛けて持ち上がり、半ばで止まっていた。
防ぐというのはこういうことのようだが、俺の速さに反応できないわけでもないことに俺は少なからず驚いた。さすが隊長。
>称号「風の脚」を獲得しました。
>称号「七影の剛腕を防いだ」を獲得しました。
>称号「遊びでも本気」を獲得しました。
「……しゅ、《瞬筋》でも遅れるとは!……」
ラディスラウスさんが驚きを隠さずに半ば叫んでそうコメントする。
「しゅんきん?」
手を降ろして、俺は訊ねる。
「ん? 知らんか? 《瞬筋》とはな、体の一部分の反応速度を一時的に飛躍的に高めるスキルだ。《瞬歩》の有用性には劣るが、こうして防御に転じる分には有効だ。俺のような力で押すタイプの奴は持っていることの多いスキルだな」
《瞬歩》の反応速度バージョンか。ということは「きん」は筋肉の筋? 俺も既に覚えていてよさそうなスキルだ。
「だから腕が上がってたんですね」
「うむ。まあ、掴めなかったが。なんにせよ“触れてしまう”のだからな。ゲームとしては負けだ」
ホイツフェラー氏が眉をあげてちょっと困ったような表情を浮かべながら肩をすくめた。お手上げという感じなんだろうが、これまで手合わせをした人たちに比べるとなかなか落ち着いた反応だ。
ホイツフェラー氏は「君が我が国の軍にいればいいのだが、残念だよ」といつか団長に言われたような感想を漏らしたあと、姉妹に視線をやって「しかしダークエルフとつるんでいるのを見ると多少は納得ができた」とそんな気になる発言する。
「納得できたって、どういうことですか?」
「ダークエルフは旅人だからな。王都にいるダークエルフも1年に1度は店を閉めてどこかにいくし、今代はまだそのようなことは聞いていないが、
ああ、遊牧民やってたからその気質かな?
姉妹が「どうだろう」「う~ん……」と言い合っているのが耳に入る。2人にはあまり覚えがないようだ。
「ダークエルフの先祖は自分たちが住みやすい場所を探して大陸を歩き回ってたそうですから、その気質でしょうか?」
「うむ。俺もそのように聞いている。……君もそのような性分があるんじゃないか? 旅人の性分か、それともまた別の性分か」
それは姉妹の影響を受けてか、それとも俺自身を指しているのか。
「確かに彼女たちから影響は受けているかもしれませんが……なぜそう思うのです?」
「勘だ。俺の勘は……まあまあ、当たるぞ」
まあまあか。自信なさげな物言いに苦笑する。勘ならどうしようもないな。
否定できませんね、と返答すると、ホイツフェラー氏は「だろう?」と、ふっと一転して得意げな笑みをこぼした。
と、そんな話をしているところに、「面白いことしてるじゃないの」と、声がかかる。見てみればヴィクトルさんと
……そうそう、勘と言えば。
<山の剣>の一味だったエルフ男――コルネリウスの拷問に際してはホイツフェラー氏の勘は外れていた。
「俺が思うに……あれは大した奴じゃない。山賊に身をやつした奴などろくなもんがいないっていうのもあるが……もし俺の勘が当たるっていうなら、残念なことだ。――なんでかって? 友を殺った奴が単なるコソ泥であるよりかは手練れの暗殺者の方がまだマシだろう?」
俺たちがまだフィッタにいた頃、ホイツフェラー氏は拷問中のコルネリウスに関してそんな風に皮肉げにこぼしていたものだが、やがてコルネリウスは口を開き、彼の口からは「パド家」という言葉が出てきた。彼はパドという家の四男らしかった。
パド家は、エルフ国ないしフリドランを支配している「五大統家」と言われる大きな5つの家のうち、ラクシー家という家の筆頭家臣の家なのだそうだ。
あとで知ったが――コルネリウスのことは知らなかったが――武家出身の姉妹もパド家とは付き合いを持ったことがあるらしい。
もっとも憎々しげに自分の素性を語った彼が言うには、彼は「家を捨ててきた」らしい。
エルフ族の武家は、人族の武家の多くもそうであるように、魔導士としての才能や剣や槍などの戦士としての技量如何で子供たちの価値、つまり家の中での地位を決める。
仮に本来なら継承権や相続権の順位の低い四男であっても、才能や技量によってはそれらの権限がひっくり返ることは珍しくないそうだ。五大統家の筆頭家臣の家ならなおさらだ。
だが、コルネリウスは四男で、魔法の才能も戦う才能も他の3人に比べてなかった。家での扱いも当然悪かった。それが彼は気に入らなかった。
彼は魔導士としての訓練を止めて狼藉を働くようになり、やがて家を出、フリドランを発ったらしい。よく聞く話だ。創作でも、現実でも。
自国のフリドランの地にいては連れ戻される可能性もある。そのため、コルネリウスは遠いオルフェの地を転身先に選ぶことにした。
そうして<山の剣>の連中と出会い、つるむようになったらしい。
<山の剣>には彼の欲しかった自分を必要とする者たちがあり、欲しくても得られなかった武家のプライドを満足させる権力があった。
連中の戦士として、人として、あまりにも幼稚な部分に思うところはあったが、どうであれ、山賊一味としての奔放な生活は彼がこれまで生きてきた中で一番楽しめた時間だったらしい。
また、<山の剣>のアジトには、いくらかの武具と金を携えて<金の黎明>元党首、バウナー・メリデ・ハリッシュが来たらしい。これはホイツフェラー氏たちを驚かせた。
バウナーがその後、党首の座を降りていたことは知らなかったと彼は言ったが、党首であり筆頭騎士ほどの地位にある彼がなぜ自ら他国の山賊の根城にやってきたのかもまた、彼の知るところではなかった。
ただ、彼なりに納得できる部分はあったようで、
「……頭のクラウスと仲良くなったくらいだ。アジトにやってきた経緯は知らないが、……元から聖アマリア国の筆頭騎士様の器じゃなかったんじゃないか? いけ好かない“玉なし騎士様”の顔にしては悩みが多そうな間抜けな面をしていたからな」
と、彼はホイツフェラー氏に殴られた際に抜けた歯を見せながら、不敵に笑ったそうだ。
玉なし騎士とはそのままの意味だが、実際にないわけではなく。アマリアの精鋭部隊である<黎明の七騎士>には嫁や愛人を禁じる規律があり、それを揶揄した市井でのあだ名らしい。実際には隠れて逢引をしているものらしいが。
なんにせよ、彼によってフィッタの襲撃はアマリアの一計であったことが判明した。
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