2-11 フォークと似たもの母娘
横から「目覚めたか?」という声がかかる。
子供の声なのにこんなに落ち着いている声の持ち主で思い当たるのは一人しかいない。この世界にきてずっと喋っていた相手だからか、寝ぼけ頭でもしっかり誰だか判断できるようだ。
おはようと声をかける。
「うむ。良い天気だぞ」
インの滑らかな銀髪が、明けられた窓から差し込む朝日をまばらに跳ね返している。人間視点だと容姿値のバロメーターが振り切れている少女の顔が、言葉のままにずいぶん大人びた表情を向けてくる。
既に起きていたらしく、ベッドから降りるインは動きが機敏だ。挙動は少女のそれなんだけどなぁ。
俺は両腕を伸ばした。……くぅ~……。
俺の方は覚醒具合は悪くないし良くもない。普通だ。いや、むしろ良い方かな。二度寝したことがすぐに思い出せたし、特に頭も痛くないし。……寝過ぎの頭痛は後からでもくるか。
結局最低でも12時間くらい寝たか? 徹夜狩り後や、オンゲ活動を休止してた頃の連休の日並みに寝てるな俺……。
気付くとマップが開いていた。俺のマークのすぐ近くに緑色の丸いマークが出ている。何かと思ったら、緑色のマークはどうやらインのことを指しているらしい。
緑のマークは身内や味方を指しているのだろう。
何をもってしてインを味方としたのか、判断基準がちょっと気になる。まさか一緒に寝たことだけが要因ではないだろう。集団で雑魚寝とかしたらどうなるのか。MMORPGは公式サイトや攻略サイトが相当しているが、説明書がほしい。
「ちと急な用事で巣の方に戻るからの。早ければ昼頃に戻ると思う」
急な用事? インの用事ってなんだろう。
昨日のミラーさんたちの熱心なお祈りの光景がぼんやりと蘇る。明日参拝に行くとか言ってたな、そういえば。
「祠に顔出しにでも行くの? ふわああ……」
インは何も言わない。見てみればそっぽを向いていた。
なんて分かりやすい。適当に言ったが、どうやらそうらしい。嫌だ嫌だと言いつつもなんだかんだインはインらしいというか、母親願望があるだけあって世話焼きらしい。
「ご飯食べた?」
「いや? まだだの」
じゃあ、仕事に行くお母さんに朝ごはんでもあげましょうかね。
俺は起き上がって、イスに引っかけてあった魔法の鞄を開ける。理解したらしく、インが駆け寄ってくる。
「肉串食べる?」
「うむ!! 2個がよい!!」
相変わらずの食べっぷりの良さを、朝から肉とかヘビーだなと思いつつ微笑ましくぼんやり眺める。
「服に染みつくらないでよ?」
インは「ふぁはっへほふは!」と意味不明な言葉を言って、腕を少し伸ばしながら食べるのを再開した。色々とちょっと笑う。ミュイさんに洗濯方法聞いとかないとなぁ。
食べ終えて出かけるインを部屋で見送った。遅くなりそうなら念話を送るとのこと。
完全に俺、息子だ。……いや、状況的には俺の方が父親か。「学校いってらっしゃい」だしな。
そういやどこで竜になるんだろう。子供のまま顔出し? というか、銀竜の顎からメイホーまで届くってことだろ? 念話の距離すごいな。
スプリングはついていないのだが、マットレスはそれなりに分厚く、無事に快眠できたベッドで引き続きうつらうつらする。
しばらく経って、まどろみもある程度解消されたので、朝食を取るため歯ブラシを魔法の鞄に入れて階下に降りた。鞄の底に直接というのが少し気になったのでインベントリの方に入れた。
「お、ダイチ君おはよう。朝にはちょっと遅いけどな」
「おはよう、ダイチ君」
夫妻から声がかかる。夕べのはぐれゴブリン事件の語らいですっかり気心知れたおかげか、二人は親しげだ。
今の俺はインがいないのなら、人も地理も世界情勢も分からない上にインターネットという人類の大百科も失った寄る辺なさすぎる者なので、親しくしてくれるのは本当にありがたい。
階下の食堂はほとんど人がいないようで、隅の方で農夫らしきみすぼらしい格好の男性が黙々と食事をしているのみのようだ。
「今朝は黒パンと豚肉の野菜炒めとコーンスープだけど、食べていく? お代は昨日も言ったけど、ニーアを助けてくれたお礼であと1回までおまけよ」
ステラさんがそう言って、客の一人や二人簡単に射止めそうな軽やかな笑みを浮かべる。
笑みと容姿だけを見たら、昨日シャイアンたちにひるまず発言していった人にはちょっと思えないところだ。ヘイアンさんいい奥さんもらったなと思う。ちょっと羨ましい。
もちろん朝食は食べていく。
リアルの俺は水道水で便が緩くなるほど食に敏感だったが、今のところは何もない。そりゃあそうだろう、心は俺でも体は元の俺のじゃないのだから。
ふふふ。胃も腸も新品に決まってる。なんでもござれ、だ。
考えれば考えるほど漫画じみた状況だけど、これに関しては嬉しいことだ。何も気にしないでご飯を楽しめるのって。
「この辺にフォークって売ってたりします?」
食事にありつく前に、昨日聞けなかったことを訊ねてみた。
箸がないのは踏ん切りがつく。でもフォークがないのは結構辛かった。昨日のシチューの方はスプーンだけでなんとかなったが……料理は汁物だけではない。
隅にいる農夫も、野菜炒めらしきものを手づかみで食べているし。昨日もテーブルに出ているのをちらほら見かけたが、傍には手拭きの藁束がしっかりとある。昨日も思ったが衛生面大丈夫なのかなぁこれ。
「フォーク? メイホーにはそんな高価なのねえぞ」
やっぱりないのか。市場でも特に見かけてなかったしなぁ。というか高いんだな。
「そうですか……」
「ケプラに行けばあるぞ」
「ケプラですか。ここには置いてないんです?」
「うちか? 貴族様や良家の人が使う用に一応あるこたぁ、あるんだが……すまねえが高いもんなんだ。使いたいってんなら300Gで貸出ってことになるが」
ずいぶん高いな……。食事代の3倍じゃないか。
「別にいいじゃないの。ニーアのこと助けてくれたし」
良家の人が使うという時点で、俺の中ではひとまずケプラに行くまで我慢する方向性に決まったのだが、ステラさんが陽気に遮ってしまった。
ヘイアンさんが、ま、そうだなと同じく表情を崩したあと、後ろの酒棚の隅にあった長方形の木箱を取り出してきた。
木箱のフタには立派な彫り物が施されていた。上辺の隅にコスモスっぽい草花があり、堅牢そうな石造りのアーチが中央にある。
「じゃ、今回は特別にな」
ヘイアンさんが箱を開けると中にあったのは、隅に同じくコスモスの刺繍の入った白い布で、布をめくるとスプーンとフォークがあった。
フォークの先が三本ではなく二本だったことに少し驚いたが、あとはそんなに目立ったものはない。
それよりも、底にスプーンとフォークを入れるための型枠があり、周りには針山のような膨らんだ布地、緩衝材がかぶさっていることに驚かされる。
タンスに平置きで入ってた下着と一緒だが……スプーンとフォークに大げさだ。ちょっと使いづらい。
スプーンとフォークや箱を観察しながらテーブルで待っていると、まもなく料理が運ばれてきた。コーンスープの変わらない香りに懐かしい気持ちになる。
「はい、どうぞ。お待ちどうさま」
「ありがとうございます」
「いいえ~」
ステラさんはニコニコしている。ちょっとご機嫌のようだ。
黒パンは何気に初だ。飲み物はシードルにした。朝から酒かと思わなくもなかったが、ここでは基本的にお酒が飲料水代わりのようだし、慣れておきたい。
今回初経験となった黒パンはだいぶ硬く、中はパサパサで、パン好きはまずいと言いそうな、ちょっとストレートすぎる麦感があった。
ただ近年の俺は、弱くなった胃腸のせいでこの手の素材感抜群な味――くるみパンとかブランパンだとかの糖質オフ系パンは好んでいたので、食感はともかく味の方は問題なく美味しく頂いた。全体的には及第点なので溶かしたバターやチーズやドライフルーツとかが欲しかったけどね。
豚肉の野菜炒めは辛くはなかったが真っ赤だったり、パプリカが入っていたりの変わった部分はあったが、大体常識の範疇内で堪能することができた。コーンスープは普通だった。
昨日の真っ赤な狼肉のシチューを食べた時にも思ったが、ヨーロッパ料理というと味の濃い印象があるが、割と素朴めな味だ。
ちなみに豚肉は薄切り肉ではなくポークステーキで、切ってはあったが少し大きかったので、せっかくフォークがあるので短剣で小分けにした。食べる前にちまちま小分けするのは現実世界の俺の癖だ。
「使い方上手ねぇ」
ステラさんがやってきて感心してくる。客も少ないし暇のようだ。
一瞬何のことかと思えば、フォークと短剣の使い方らしい。フォークは先が二本だったが、使う分には支障はない。短剣も違和感はあるがまぁ何とか。
「全然こぼしてないし……前にお貴族様が使っているのを見たことあったけど、正直、あなたほど作法然としていなかったと思うわ」
ナイフが短剣になってはいるが、普通に肉を切って、フォークで口に運んでいるだけなので少し気恥ずかしい。みんな手づかみのレベルなのだから、そりゃあ珍しいだろう。
どこか良家の出なの? と訊ねてきたので、「それほどの家ではないですが、食事の作法については気をつけている家だったので……」と適当な返答をすると、ステラさんは納得してくれたようだった。実際はもちろん良家でもなければ大したことを教わってもいない。
こんなに珍しがられるなら人の少ない時間帯でよかった。それと、ケプラに行くまではスプーンと短剣と手づかみで頑張ろうとも思った。
食事を終えて、水浴び場の水とコップを借りてもいいかヘイアンさんに訊ねた。何するのか聞かれたので、歯みがきをすることを伝える。コップを不思議がっていたので、うがいをすることも。
「どこぞの貴族がいつかそんなことをやってたな。貴族ってのは変人も多いもんだが。ダイチ君もその口かい?」
「その口?」
「ん? 貴族かってことだな」
「ああ。えぇと……別にそういうわけではないんですけどね」
「ふうん? ま、そういうことにしといておこう」
あまり信じられていないようだ。まあ、これは仕方ないか。ヘイアンさんは特別言いふらすような人でもないと思うし、大丈夫だろう。
それにしても歯磨きはともかく、うがいをするのは珍しいらしい。水それなりに貴重っぽいしなぁ。
ちなみにヘイアンさんをはじめとした村の人たちの口臭は、今のところは普通だ。酒臭い人や汗くさい人はいくらでもいるが。
興味深かったのが、なんでも歯ブラシは10年前くらいに変わり者の大貴族が考案したグッズなのだとか。割と最近だ。
それまでは布で歯の表面をゴシゴシこするか、研いだ枝や短剣の先――ようは爪楊枝――で歯垢を取ったりするレベルだったと聞いて、ちょっとぞっとした。歯ブラシの考案者ナイスすぎる。……というか、短剣でって危なくない……?
歯を磨いたあと、着替えを入れた籠を持って、朝シャンならぬ水浴びをしにいく。
ヘイアンさんから6Gでタオルを2枚借りる。タオルは小さいバスタオルくらいだった。
なんでもう1枚いるのかと聞かれたのでこする用と拭く用にといったら、微笑を浮かべながらなるほどなぁと、少し引っかかる感じで納得された。みんな1枚か? まあ、お金もかかるしね。
水浴び場にやってくるとやはり井戸なことにため息が出てしまう。ちなみに脱衣所はない。
井戸を丸く覆うように置かれているすのこの一部が濡れているので、少し前に誰か浴びたのだろう。石鹸はあるが、シャンプーはない。
髪は石鹸で洗うしかないようだ。ごわつくだろうけど仕方ないか。とりあえず汚れは落ちるだろうし。
地面は怪我をしないようにか、砂利を敷き詰めて軽くモルタルで固められている。縦に数本の窪みがあり、先には排水溝らしき溝があった。一応作りの方は考えられてはいるらしい。
ちなみにここは植木と石壁で一応隠されているが、がっつり隙間を埋めているわけでもなく、普通に隙間から覗ける。混浴という概念すらなさそうだしなぁ。平和な村だからこそだと願いたいね。
細い木材に紐を張った簡易ラックがあったので、服を脱いでひっかけた。タオルを腰に巻く。井戸を使うのは初めてだったので、脱ぐ前に汲んでみればよかったなと思いつつも、特に何の支障もなく、滑車を上げることができた。
桶の水は特に濁ってはいない。綺麗な水だ。指を入れると、そこそこ冷たい。
意を決して頭から水を被った。
「っ! ……つめた……」
冷たさを紛らわすため、忙しなく体と髪を洗う。石鹸は普通に石鹸だ。爪を立てると爪に石鹸カスが入り込んだ。たぶん成分的にも一緒なんだと思うけど、綿のタオルではさすがに泡立ちにくいようだ。
どうせ石鹸で洗うんだしと、石鹸塗れのタオルで髪をごしごし洗うという珍しい体験をしていると、突然ニーアちゃんが大きな声で「背中流しますよー!」と水浴び場にやってきたのでめちゃくちゃ驚いた。漫画やアニメの世界の特権じゃないの??
もちろんニーアちゃんは裸ではなく、スカートの裾を結び、腕まくりをしているだけだ。
彼女は「お兄さん、意外といい体してますねー!」なんて、大して色気のないコメントを残しつつ、何の邪気もなく勤めを果たしていく。
抵抗する間もなく背中をこすられたのだが、正直気持ちよかったし、楽だった。
セフレだったハルカとは一緒に風呂に入ったこともあるが、こうやって背中をこすられたことは確かない。そういう間柄の人たちもいるとは思うが、俺とハルカは旅館とかに一緒に繰り出すような感じの仲でもなく、それらしい関係だった。お互いに寂しくなったり、気が向いたら会う。それだけだ。
この背中流しは特にヴァイン亭の仕事になっているわけではなく、ニーアちゃんが自発的にたまにこうしてお客さんを洗ってあげるらしかった。裕福なら召使の人とかにやってもらうんだろうけど。
「うちの宿は歳をとったお客さんも多いんですよぉ。洗ってあげたら背中はうまく洗えないし、孫ができたみたいだって喜んでくれて。それからやってて」
「なるほどね。確かに気持ちいいよ」
「でしょ?? 他の宿じゃやってないって言うからうちだけのサービスです!」
まあやんないだろう普通は。
当時は性風俗関係は教会とかが色々と管理してたんだっけ。この世界だとどうなんだろうな。この辺はメイホーはあまり参考にならないかもしれない。インを見ていてもあまり参考にならないだろう。
ニーアちゃんでは聞きづらいこともあり、若い男の背中はあまり流さない方がいいよとだけ言うと、「そんなことわかってますよお」と嬉しそうな返答が返ってきた。その辺の事情はしっかりあるようだが、ほんとに分かってるのかなぁ。
ニーアちゃんが仕事に満足して出てったあと、一人で水浴び場を出ると、テーブルを拭いていたステラさんが俺に気付いた。
「ごめんなさいね、ああいう子で。変なことしなかった?」
「いえ、特には。気持ちよかったですよ」
「そう。それは良かったわ。“今度は私がするから”ね」
ステラさんは意味深に微笑んでいた。少々不敵だ。
どうも似た者親子だったらしい(?)。息子いないようだし、俺くらいの年頃の男の子をからかいたくなる気持ちは分からなくもないけど……ステラさん、34歳で本来の俺と年齢的にいい感じなので、距離詰められると結構危ないんですよ? 色々と。
>称号「女難の相」を獲得しました。
ヘイアンさんを敵に回したくはないよ~。今のところはインの次に安心できる人だしね。
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