8-19 ヘラフルの憩い所にて (10) - 転生した魔族の王


 フェタイディガーさんも、「俺たち寄りの」俺たちと王の関係には眉をひそめたものの、何かする様子はない。


 ディーター伯爵はとくに二の句を告げず、説明を求めるようにジョーラを見上げる。


「あたしも素性は知らないよ。助けてくれたし、悪い奴らでないことは保証しておくが……」


 と、ジョーラが言葉を添えた。それから、


「それにしてもダイチたちは王とそんなに親しかったのか? 王都には行ったことないと言ってなかったか?」


 やば、と思ったが、「王は城に引きこもっているばかりではなかろう?」というインの発言に、それはそうだが、とジョーラは微妙に納得した。


「我が王の機嫌を損ねることは私の本意ではない。君たちの発言が真実であるという保証もないのだが……ひとまず素性の件はあまり掘らないままに了解しておこう。我々には君たちのジョーラ・ガンメルタへの恩もあるからな。貴殿らの機嫌を損ねることもまた私の本意ではないし、それこそ王の本意ではないだろう」


 伯爵は具体的なセティシアの今後にまつわる話し合いでは、良くも悪くも弁が立っていたものだが、腐ろうが腐るまいが王の代理人、きちんと王寄りの人で良かった。


 だが、


「……ところでフェタイディガー。貴殿はこのダイチという者をどう見る? 本当に強いか? 私に武人の如何は分からないにしても、単に裕福な少年にしか見えないのだが……」


 という今度はお馴染みの伯爵の問いかけに、フェタイディガーさんが改めて俺のことを見てくる。

 相変わらず吊り上がった眉と1本シワの寄った眉間によって半ば睨むような視線だ。王の代理人もいるし。国に忠実である限りは何もないと思うけど。


 唐突に、なぜか会社の面接官だった佐藤人事課長を思い出した。当時「圧迫面接の達人」と社内で皮肉の元、噂されていた人だ。

 もちろん彼は外国人ではなかったし、顔つきにフェタイディガーさんと似ている部分もさほどなかった。表情があまり豊かでないのは似ているが……。


 強いてなにか類似点を言うなら、家が剣道の道場で、若い頃には県のだったか全国だったかは分からないが剣道の大会で優勝したことがあるほどの剣の達人ということくらいだが……。


 なぜ佐藤課長を思い出したのかは分からないが、ともかく、あまり長くはさらされたくない眼差しなのは違いない。


 だが、割とすぐに目は伏せられ、「私は王城務めですし、鑑定の類のスキルは持っていませんので詳しいことはなんとも」とフェタイディガーさんは首を振った。俺は内心で安堵した。


「ただ……私の戦士的な勘にはなりますが。ただ者でないのは分かります。ガンメルタの自分よりも強いという発言も嘘ではないのでしょう。この者と対峙してからというものの、私は常に身を正されている思いがします」


 何もしてないよ?


「身を正される? 貴殿がか?」

「はい。もし彼と私が手合わせをした時、私は剣を抜く所作1つにしても油断しないでしょう」


 そこまで警戒されてんの??


「ふっ。油断なんてできるわけないだろうさ。飛び掛かれるほどの距離から私が槍を突いてもダイチは受け止めてみせたんだからな」


 そう言って、ジョーラがしたり顔で俺のことを見てくる。出会った頃のことか。懐かしい。

 ディーター伯爵は首をかしげて怪訝な顔をしただけだが、フェタイディガーさんの方は顔を歪め、口を半ば開けていた。信じられないんだろう。やがて口は閉じられる。


「……なら、私が彼をどうにかするには全力でかからねばならないな。私は奇襲の類は得意ではないからな」


 そう言ってフェタイディガーさんは薄い笑みを浮かべ、挑戦的な表情をジョーラに向ける。


「あたしだってそんなに得意じゃないよ」

「ああ。知っている。だが、お前の方が速い」


 もう驚かないけど、根本の方は同類か?


 ディーター伯爵は護衛たちの全く弱気ではないのだが、言葉は弱気な言動に不安がよぎったようで、フェタイディガーさんに頼りなさげに視線を寄せた。まあ、武人じゃないしね。


 と、そんなやり取りの最中、インがため息をついたかと思うと、手をあげ、魔法陣を3つ作ってみせた。え?


「お主は本当になにかと勘繰られる性質だな、ダイチ。あまりよいことではない。周りも心配するからの」

「お、おい。イン、なにを、」


 狼狽えるジョーラとはよそに、フェタイディガーさんは驚くほど素早く剣に手を添えた。かつてのハリィ君のように。

 インが彼に視線を寄せた。フェタイディガーさんがいよいよ怖い顔になるが、手の方はピタリと止まったままだ。


「ジョーラ。私は別にこの場をどうこうしようというわけではない。……ディーター伯爵よ。魔導士のお主なら、この展開した陣容の凄さが分からない者ではあるまい?」


 インの声音は低く、いくばくかの冷淡さがある。竜時の声を少し思わす威厳ある声音だ。

 今までは普通に食事をしていて、そんな素振りはなかったが……インは俺があれこれ言われていることに対して我慢ができなかったようだ。インとしては八竜としてみんなを平伏させたい母親的な気持ちがあるようなので、分からなくはないが……。


 それにしても確かにディーター伯爵は意外にも32とレベルは高いが、魔導士だったか。

 見ればディーター伯爵はインの作っただけのトリプル魔法陣に目が釘付けになっていた。


「《火炎槍フレイムランス》の魔法陣……3つも……?? ……簡易術式でもないな……」

「“私の状態がよければ”、《業火魔弾レイジングフレア》も3発展開できるんだがの。2つならまだしも、3つも構築出来る者はそうおらんだろう?」

「い、いませんよそんな者は! ウルスラだって2つがやっとです……。《火炎槍》はともかく《業火魔弾》を3発とか……我々の魔導学は……。初代魔導賢人隊長のマクベス様ができたとは伝わってはいるが……ただの都市伝説ではなかったのか……」


 だんだんと声が小さくなった伯爵がぶつぶつと言っている合間に、懐かしい名前だ、とインがぼそりとつぶやいた。知り合いか?


 にしても、そこまですごいのか、同時に3つの展開って。ウルスラさんは2つが限界らしいが……。

 いくらか見せてきたけど知識の差とやらか? ディーター伯爵ほど驚いた人はいなかった。


 と、インは目の前の魔法陣に向けて指先を振った。すると、魔法陣間に横長の赤い帯が現れ、魔法陣同士が繋がった。


「連鎖術式……? いや、結合術式か……。……即行で?」

「これでこの3つの陣は1つになった。放てば、従来の《火炎槍》の3倍の威力になるな」


 さ、3倍に?? と、伯爵が席を勢いよく立って半ば叫んだ。お、落ち着け? しかしイン、そんなことできたんだな。


 そうして伯爵は驚愕の顔でインを見だした。インは黙って伯爵を見ていた。

 伯爵の顔も段々と落ち着いていく。口も閉じられたが、唾が飲み込まれる。


「…………あなたは、……だ、大魔導士様……ですか?」


 言葉が震え、一転して大魔導士呼びした伯爵に、インは「力量的には大魔導士に相当するだろうな。大魔導士がどのような区分でそう呼ばれるのかは知らんがな」と、こちらは落ち着いて返答した。


 大魔導士か。中身は銀竜だしなぁ……。

 かつて俺に向けて撃ってきた大量の誘導矢の魔法のことを思い出した。あれもかなりやばい魔法なんだろう。


 インが魔法陣を消す。


「もしくは…………マクベス様が転生……」


 転生?? うろたえにうろたえているディーター伯爵が妄言の類を吐いているようには見えない。


 と、インが笑い出した。


「ははは! ……ふはっ。面白いことを言うのう! この私が大魔導士の転生者か。面白いのう、ダイチ? くく」


 俺は笑いをこらずに見てくるインに、唐突な高笑いに驚きつつも、俺には面白さが分からないので肩をすくめた。


 それにしても……この世界内でも転生ができるのか。

 魔法もあるし、俺の実例もある。出来てもおかしくはないけども。


「……ふぅ。しかしなぁ。ディーターよ。転生などそうそう起こり得るもんではない。お主は転生したという者を確認しておるのか?」

「……ぶ、文献でですが……」

「ほう。記されているのか。どのような者だ?」


 伯爵は言いにくそうにしていたが、インが小首を傾げて「ん?」と先を促すと、やがて口を開いた。“大魔導士様”が相手なら断りにくいだろう。


「……今からおよそ120年ほど前、オフルマズド・アフリマンと名乗る魔導士が自身は魔族の王であり、転生したのだと、そのような記述を残しています。彼は……魔族と鳥人族ハーピィとの混血だそうです。事実確認はできていませんが……」


 魔族と鳥人族の混血か。姿があまり想像できない。


「魔族と鳥人族か。あまり聞かん組み合わせだのう」

「はい。魚人族マーマンと獣人族ほどではないでしょうが……」

「……ま、おおかた、自分たちを率いる新たな傑物でも輩出しようと目論んだのだろうの。魔族は常に強き君主を求めておるし、鳥人族にしても血筋を残すためなら……ん。120年前か。確かもう少し前ではなかったか? 鳥人族が魔族の支配から逃れたのは」

「ええ、仰る通り、彼らの解放条約が結ばれたのは150年ほど前です。鳥人族は色々と差し出したようですが、そのなかには彼らの英雄コロンナードの血脈の色濃い翼人が1人いたそうです。……転生と魔族の王であることが事実だとすれば、」

「奴の器になったか」


 伯爵がはい、と神妙に頷いた。人族と魔族の戦争は200年前だったか。

 ……それにしても伯爵、すっかり殊勝になったな。


「この差し出された翼人と魔族との間に生まれた子供が、転生した彼の器になり、受肉したのではないかとオルフェの学匠たちは推測しました。年月の辻褄も合います」

「ふむ。魔族は鳥人族を嫌悪し、鳥人族は魔族を憎んでおる。交配するなど考えも及ばなかったであろうな。……しかし魔族と鳥人族、それも翼人か……」


 インは腕を組んで、口元に指を当ててしばらく発言しなかった。

 伯爵は固唾をのんで反応を待っている。ちらりと見てみれば、護衛の2人もインの反応を見守っていた。すっかりインのペースだ。


「……魔族と翼人の子は、転生の器として具合がよかったのやもしれんな」

「具合がよい、とは……?」


 インが顔をあげた。


「転生の術はな、術自体が非常に高度であり、莫大な魔力を必要とするのはもちろんだが、それとは別に、魂つまり宿主と器の相性が悪ければ術は完成せん繊細な術なのだ。私もさほど詳しいわけではないのだが、……この相性の問題もなかなか難儀らしくてな」

「難儀、ですか」

「うむ。例えば、純血の人族の魂を同じく純血の人族の肉体へ容れる転生術は問題ないとされる。しかしこれだけでは完全ではない。性別の違い、種族の違い、潜在魔力の質の違い、器の方が魂の方の魔力をあまりにも収容できないなど、こうした両者の持つ違いは転生術が失敗する確率を上げるのだ。まあ、これは転生術における基本的な事柄らしいがの。……知っておったか?」


 ディーター伯爵は「い、いえ! 似たような話は聞いたことはありますが、おとぎ話の類だと……」と、うろたえながらも答える。

 インが、おとぎ話か、と微笑する。そうして俺のことをちらりと横目で見てきた。


『おとぎ話だそうだぞ?』


 なんとも返しにくい言葉だ。

 転生直後なら笑って流せたかもしれないが、いまさらそういう風に受け取ることはできない。俺は決して、おとぎ話の主人公として生きているわけではないからだ。


 それにしても……転生についてペラペラ喋っているが、大丈夫か?? 興味深い話題ではあるんだけども。


 今までいくら態度を大きくしようと大丈夫だったし銀竜だとバレることはないかもしれないが……相手は王の代理人だ。

 あの王が七竜を相手に悪だくみを企むようには思えないが……人間モードのインの顔が知れるのは姉妹にも絡んでくる問題なので、少し不安だ。誘拐とか、何が起こってもインはどうとでもできるかもしれないが、姉妹はそうもいかない。


 インが伯爵に視線を戻す。


「種族間でも相性というものはもちろん存在している。一番良いのは同じ種族の組み合わせだが、転生術の成功率が上がること以外大したことは起きんだろう。魔族の王ともあろう者が、わざわざ転生術をしてまで選ぶ肉体ではなかろうな」

「確かに……」

「となれば、魔族と翼人の肉体は、”何か起こり得る”肉体であったと考えた方が筋が通る。実際のところどうなのかは知らんが、まあ、より強い力、より多くの魔力を持てる肉体だったのは確かであろ。奴らは交配実験などいくらでもしているしの。……その魔族の王はなんという名だったのだ?」

「……タランティード・ワヒシュタ――200年前の戦いで最も我々人族を蹂躙したとされ、その後魔族の王となった魔族です」

「奴か。……転生後、そやつはどうなった? 奴のその後についてなにか書かれてあったのか?」


 魔族の王か……。

 インは奴か、というところはぼそりとつぶやいていた。初代魔導賢人と同じく知ってるらしい。


「その記述――日誌のようなものですが、「復讐の書」と名付けられた大層な書です――によれば、彼はとある村に落ち延びたそうです。……なんでも、転生後、しばらくは王城で歓待を受けていましたが、彼が子供として日々成長している最中、王座が空位であるのをいいことに別の勢力が力を増していったそうです」

「ふむ」

「青年になった頃にはワヒシュタ王は即位した新王によって立場を追われました。ワヒシュタ王はかつての部下アポストルとともに反逆を企てましたが失敗、監獄で幾多にも及ぶ交配をさせられた後、仲間の助けを受けて王城を抜け出たそうです」


 王が不在の間にの部分はよくある話ではあるが、王様業の難しさというか嫌な部分だ。

 しかし交配か。転生後で姿が変わったとはいえ、かつての君主を種馬扱いか……。


「なんという村だ?」

「ライランという村らしいのですが……場所は不明です」


 不明? とインが聞き返した。


「ライランと名のついた都市や村は、オルフェにはないのです」

「他国にある都市か、隠れ里の類か」

「はい。名前のついていない集落もいくつかあるでしょうが、おそらくは隠れ里ではないかと……。魔族は暗黒魔法は元より幻影魔法も扱えます。200年前の戦いで我々が散々苦しめられたとされる《獄楽園ユートピア》の幻術系の魔法は元より、《陽炎ラベス》や《幻想イルシオ》などの隠蔽系の魔法もあります。我々が大規模な何らかの魔法により村の存在を欺かれていることは大いにあり得ます」


 姉妹をちらりと見る。姉妹はなにか重要な講義でも聞いているかのように、真剣な顔をして聞き入っている。

 結局あれから一度も使わせるに至ってはないが、《幻想》の効力は七竜であるインが看破できなかったほどだ。応用ができるというなら、これほど完璧な隠蔽魔法もないだろう。


「ましてや、強力なスキルの数々にくわえ、魔法も魔導賢人の隊長と同等の実力と目されていたワヒシュタ王です」

「うむ。可能性はあるだろうの」

「もちろん彼の記述が全て真実であるなら、ですが……」


 ディーター伯爵はそう言った後、目線を泳がせた。


「あの……」

「なんだ?」

「実は、……私が語った内容、つまり日誌の内容は本来人に語ってはならない内容なのです。国庫に禁書として保管されているものでして……つい、話してしまいましたが……」


 禁書だったか。


「人に喋ってくれるなと言いたいわけか?」

「は、はい。……イン殿が偉大な大魔導士であるのは分かりすぎるほど分かっているのですが、他の者に知られると、」


 しっかり語ったくせにずいぶんしおらしくなってしまった伯爵に、インがふっと笑みを浮かべた。


「誰にも言わんよ。ダイチも姉妹もな」


 インはそう言って姉妹の方を見た。姉妹は真剣な顔つきでコクリと頷いた。俺もしおらしいまま見てくる伯爵に頷く。


「なかなか面白い密談だったぞ。なんならもっと話したいくらいだが、お主にも立場がある。そうであろ?」

「は、はい。私も非常に興味深い話でした! ……我々は魔族たちのことを知るべきなのになぜこの書を禁書にしてしまうのか、サラス司書官の考えは全く……ああ、いえ、何でもありません!」


 ディーター伯爵は慌てた素振りで、両手を振った。


 戦争回避のためって言いたいのか? ……でも世迷言の疑いが強いにしても、かつて自国を蹂躙した国の王の文書など気軽に読まれるわけにはいかないだろう。というか、それなら燃やせばいいような気もするが……。


 その様子にインが再びふっと笑みを浮かべる。


「知的好奇心というのは時に毒物や罠の類にもなり得るからな。それについての語らいも同様だ。子供が美しい鳥を探し出し、追いかけた末、足元に注意を払っていなかったがために崖から落ちてしまうようにな。そもそも美しい鳥がいなかったら子供は死なずにすんだわけだ。ワヒシュタ王が転生に気を取られている隙に玉座を奪われ、立場を追われたようにの」

「さ、左様ですね」


 左様ですなぁ。


「さて。長くなったが……話はもうないか?」

「あ、はい。私の用向きは、たまたまあなた方を見つけたためでして。言うなれば、あなた方の素性の確認でしたので。……ああ、いえ! 素性の方は語らなくて結構ですよ? 我が王も納得してくれるんですよね?」

「うむ。問題ない」


 もはや小心者貴族感を隠さなくなってしまったディーター伯爵が、大きく安堵の息をついた。

 ジョーラを見れば、肩をすくめてくる。フェタイディガー伯爵は相変わらずの鉄面皮だ。


 2人ともろくに発言しないまま立ったままだったが、辛くなかったんだろうかとしょうもない考えがよぎる。


 では、戻るぞ、とインが席を立ったので俺も立ち上がる。結局インばかり喋ってたな。


「あ、……それと、我がシスルーン商会でも構わないのですが、文は受け取れます……」


 インが首を傾げたあと、俺にどういう意味だとでもいう風に見上げてくる。……つまり。


「インと連絡を取り合うことはやぶさかではない、と?」

「ええ、……うむ。その通りだ」


 一瞬なんで言葉を変えたのか分からなかった。すぐに察する。

 やれやれ。あくまでも敬意は“大魔導士”のインにのみあるらしい。


「インとの話が思いのほか楽しかったし、有益でもあったから、また話をする機会が設けられるなら是非お願いします、ということらしいよ」


 ちょっと意地悪く解説をしてみると、ディーター伯爵が、ははと、インに乾いた笑いを浮かべた。

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