9-36 兵士たちの饗宴 (4) - 2個目のレシピ
「ダイチ様、店主から提案があるそうなんですが……」
俺たちのテーブルにやってきたパウダルさんが言いづらそうにそう申し出てくる。提案?
隣の恰幅のいい壮年の男性に視線を寄せる。
黄色い前掛けは脂やタレで染みが無数にあり、天パ気味の髪の下には眉間の深いシワと、白髪交じりの濃いヒゲがあった。いかめしい風貌なので、黄色い前掛けはちょっと可愛いポイントに見える。
店主の目線はジョーラにあった。ジョーラは俺にもたれて寝息を立てている。
その隣にはちびちびビールを飲んでいるイン。ディアラは腕を組んでテーブルに突っ伏し、ヘルミラも座ったままこくりこくりと舟を漕いでいる。
「魔導士様。わたしからの頼みってのはその冷えたビールのことで」
ビール? 手元の冷えたジョッキに目をやる。
怒られるか? でも許可もらったよな。
「うちでそのビールを出したいと思いましてね……」
ああ。特許?
「特許の申し出ですか?」
「はい。そうなります」
店主は慌てて、ああいや、槍闘士様がダメだって言うんなら無理には言いません、と言葉を続けた。
怒られる心配はまったくなかったが、俺よりジョーラが気になるようだ。
にしても特許か……。俺としては問題ない。金策になるのもそうだし、ケプラに戻ればいつでも冷えたビールを飲めるほど嬉しいこともない。
でもどうせなら、ケプラの店全部で冷えたビールは出してほしいな。オルフェ全土はちょっといきすぎなのであれだが。
「わたしも長いこと料理と酒を振舞っちゃいますが、うちで出したもんで兵士たちにこれほど好評だった酒を他に見たことがありませんで」
ちらりと店主が後ろの店内に視線を寄せ、俺も続く。
店内では腕相撲をしていた頃ほどではないが、兵士たちはまだまだ元気に雑談に華を咲かせている。
若い兵士などの一部の者はテーブルに突っ伏していて、夢の国だ。ゲロを吐いた者がいたのも知っている。ちょっとケプラの警備のことが気になる惨状だが、まあ今日は仕方ないだろう。ちゃんと交代で警備をしてるだけマシだ。
食事会は自然解散のようで、一部の者は仕事に戻っているようだった。兵士でない客の姿もぽつぽつとだがある。
フルドが赤ら顔で突っ伏してもいるカウンター席には大きなタライが置かれ、中には俺がつくったかち割り氷が入っている。
当初はタライに山盛りに入れていたがもう積んであった氷の姿はほとんどない。
ディディとアルマシーとヒーファの3人が俺たちの席にきては飲み、3人の賞賛の様子を見て他の兵士がやってきては飲み。
そうしてすっかり「冷やしビール」は店内に流通した。もちろん店主に話を通して行った販売促進の一環だった。……金の出所はジョーラだけども。
「確かに美味いからの。ダイチは揚げ物や肉料理がすすむといっとったが、まったくその通りだ」
ええ、ええ、と店主が少しぎこちなさがあったが、インに表情をいくらか和らげて、「初級魔法の水魔法ならうちでも魔道士様に頼むことはできそうですし」と続ける。
そうか。魔法使わなきゃ冷やせないもんな。同じ要領で保存魔法とかで稼いでる魔導士とかいそうなもんだけど、ビールに関しては穴だったか?
「特許は構わないのですが、こちらからも提案というか、そういうのがありまして」
「な、何でしょう?」
「この冷えたビールはこの店だけでなく、ケプラの店すべてで流通してほしいなと考えてます。この点については問題ありませんか?」
すべてですか、と店主は言葉を繰り返した。ハリィ君が少し驚いたように見てくる。
店主はやがて「問題ありません」と続けた。声のトーンが少し落ちていた。独占したかったようだ。
んー……。まあ、最初に打診してきた店だしなぁ。
……てか、ビールはみんなの飲み水だし、広まるにつれて貴族や国がなにか言ってくることもあるかもしれない。俺の方は売ればすむことだが……庶民の店である満腹処が独占していたらそうもいかないんじゃないか? せっかくのビールが広まらなくなるのはなぁ……。
七世王に直接言えば、嫌なこともなくなるだろうか。こんなことを頼むのもちょっと気が引けるが、国庫が潤うことにはなるだろうし。潤わないってことはないよな?
「ただ、打診してきたのはここが初めてでしたし、使用料も他の店の半額にしましょう」
「え、ほんとですか?」
俺は頷く。ついでに、半年は独占販売していいこと、ただ半年後には他の店でも冷えたビールを出せるようにすると告げた。
「ありがとうございます! ……ところで使用料はいくらほどになりますか?」
店主がうかがうように訊ねてくる。
使用料なぁ。聞けば普段はだいたい70Gから100Gでビールは出していて、現在振舞われているのは1杯300Gや500Gの高いビールらしい。
魔法で冷やすだけなんだが……1本1本に使用料をつけるのはちょっとな。使用料はある程度まとめた方がいいだろう。週にいくらとか、タライ内の氷の量で換算とか。ああいや、氷の量じゃ溶けるからダメか。ビールの平均売り上げはどんなもんだろうな。帳簿とか見たいな。
「どう思う? ハリィ君」
「……と言いますと?」
「使用料はいくらくらいがいいだろう?」
ハリィ君は少し考える素振りを見せたが、さすがに有能なハリィ君でも専門外のようで、「私は特許や飲食店経営に関しては詳しくないのでなんとも……」と遠慮がちに辞退した。
まあ、そうだよね。本業は兵士だし。他の人たちよりは断然やれそうだけど。
「店のビールの平均売上とか客単価を見たいところだけど……ギルドに行けば専門の人に相談できるかな?」
「出来るかと思いますよ。相談する人によっては横暴な価格を提示してくることもあるので、銀勲章を見せるとよいかと。ケプラではその心配は比較的薄いかと思いますが」
俺は頷く。出発前にすることが増えたな。
「そういうわけなので、後日……ギルドに相談してから連絡します。帳簿とか見せていただくかもしれません」
店主はすっかりご満悦な顔で、「分かりました。ありがとうございます!」と礼を述べた。
まだ喜ぶには早いんじゃないの? まあ、横暴な貴族の対策案はこっちでも色々と手回しはしようとは思ってるけどさ。
>称号「料理の研究をしてます」を獲得しました。
してないとは言えないな。毎回比較吟味はしてるし。
「さきほどは冷やしたビールをケプラのすべての店で流通してほしいと言ってましたが」
と、2人が去った後ろ姿を見ながらハリィ君。うん。
「なにか考えがあるのですか?」
考えというか……純粋に自分がケプラの店、いや、ケプラならどこでも飲めるようにしておきたいっていうだけなんだが……。
私利私欲の方は控えて、<満腹処>で独占していると貴族からちょっかいを出されるのではないか、それで冷えたビールが貴族に独占されたり、法外な値段で売られるのは嫌であるといったことを告げる。
「なるほど……。確かにその可能性はありそうです。ビールを冷やすだけですが、これほど美味しくなるとは正直驚きました。魔導士が隠れて“冷やし業”を行うようになる一方、農民による一揆や貴族同士の争いも生まれるかもしれません」
えぇ、大げさだなぁ……。ジョッキを傾ける。美味い。
「ビールはエールもそうですが、市民になくてはならない飲料の1つです。それは貴族も変わりません。ビール税の税率が低ければ領民の人口も増えると言われているほどです。そのため都市の人口が少ないうちは低く設定し、人口がある程度増え、領地経営が落ち着くと高くなってしまうのですが。……慧眼ですね、ダイチさん」
ハリィ君がニコリとしてそう評価してくる。
ビール税ね。ハリィ君もたいがい慧眼だと思うんだけどな。
ふう、と息をつく。心地よくなってきた。酔いが回るのが遅いからか際限なくぐびぐび飲んでたがさすがにぼちぼち酔ってきたらしい。
ソーセージも結局4皿も平らげてしまった。2本入りなので8本だ。インは8皿だが。
「……んん……」
ジョーラが起きたようだ。ジョーラは俺にもたれていた体を起こした。
転生前だったら、支えなしの180センチ級女子の寄りかかりはまあまあきつかっただろう。鍛えてあるし、色々とでかいし。
「ダイチ……」
「起きた?」
「…………行くなダイチ!!」
ジョーラはしばらくぼうっと俺のことを見ていたが、突然抱き着いてくる。
ええ? 抱き着くといっても横からなのでしがみつくような感じだ。
「なんで行くんだ……せっかくケプラに来れたっていうのに……あたしは……こうして会うのを楽しみにしてたんだぞ?」
ジョーラの両腕は巻きつくように俺の体を締めつけた。抱擁なんて代物ではなく、子供の駄々のようだった。「パパママ、行かないで」というアレだ。
でも心地よくもあった。こんなに切実に誰か――女性に必要とされたことはなかったからだ。
次いで俺は自分が悪人になったような気分に陥った。俺はこの頃アレクサンドラのことばかり考えていた。ジョーラとこの初心で痛切でもある想いのことはすっかり忘れていて。
仕方ないと言えば仕方ない。俺の傍にいたのはアレクサンドラであって、ジョーラではなかった。色々あって呑気に恋愛のことを考える暇なんてなかったし、たまたまその道中にアレクサンドラという女性がいたというだけだ。恋愛事情なんて得てしてそんなものだ……。
「なあダイチ」
やがてジョーラは離れ、懇願するような眼差しを向けてくる。必死さをたぶんに含んだ深刻な表情にいよいよ何も言えなくなった。泣いていないのが不思議なくらいだ。
……ひゃっくりが出た。インが我関せずとばかりにソーセージを口に含ませながらも口元を緩ませているのが目に入る。
「日程はもう少し延ばせないのか?」
「ジョーラさん」
ハリィ君がたしなめてくるが、ジョーラは俺だけを見つめて他を見ない。
眠りこける前にもその質問はされて、悩んだ末に難しいと言ったが……。
実際問題、馬車での旅路は飛行機のチケットほど融通が利かないわけじゃない。グライドウェル家の人たちの態度を見ても、日取りを延ばすことはそこまで難しいことではないだろう。
ただ、もう、色んな人に出発日を言ってしまっている。別れを言い合った人たちもいて、俺なりにケプラを発つ寂しさを清算しかけているし、インはともかく姉妹だってそうだろう。
まあ、姉妹は日程がどうなるにせよ俺に従うだろうけど……傭兵の3人やエリゼオを待たせるのも気が引けた。
「ごめん。難しいよやっぱり……色んな人に別れを言ったりしたし、傭兵たちとかエリゼオを待たせるのも悪いし」
ジョーラは一瞬絶望した顔になり、なにか言おうとしたようだが、口は閉じられた。そうして……ため息をついた。
「意外と頑固なところあるんだね。……まあ……いいさ」
いいのか? やるせなさそうなジョーラはそうしてゆっくりと腕を絡ませてくる。
コルセットに乗っかるように存在を主張していた懐かしの柔らかい感触が到来した。俺はなるべく自然に視線を逸らした。
「今日と明日か……。なにか予定あるのかい?」
同行するつもりらしい。
「とくには……ないかな。ガルソンさんの店で、……ひっく。ガルソンさんの店で頼んだアクセサリーを取りに行ったり、ギルドに特許の話をしに行ったりとか細かいのはあるけど。ひっく」
ひゃっくりが出てくるな。
「特許?? なにか発明でもしたのかい?」
俺はさきほどの冷えたビールの件をジョーラに話した。
次いでハリィ君も、ハリィ君の言うところの暴動にも繋がりかねない俺が抱いた懸念点を簡潔に説明した。
「ダイチは商売もできるんじゃないかい?」
ジョーラは機嫌よくそう言った。ハリィ君が問題なくできるでしょうね、と世辞を言ってくる。商売の勉強だけじゃ商売は上手くいかないのよ?
ディディとヒーファ君がやってきた。
「すっかり出来上がってますね姉さん」
「酒はもう抜けたけどな?」
「寝てましたからね。ぐっすり」
ジョーラは寝ると冷めるたちか。勝手な印象だが、ジョーラは二日酔いとか後に響かなさそうで羨ましい。
ディディは空になっている隣のテーブルについた。ヒーファ君も続く。
聞きましたよ、ダイチ殿、とディディ。ん?
「ヒルヘッケン団長に勝ったそうで」
「ああ。うん」
そのことか。ヒーファ君も聞いたのか、とくに驚いた感じはない。
「へえぇ。ま、あたしに勝てるならそうだろうねえ」
ジョーラがうんうんと頷く。まあねえ。
「しかも一度も剣が入らなかったそうですよ。アバンスト殿も何度自分の目を疑ったか分からないって言ってましてね」
「一度もか……。ジョーラさんはともかく、ヒーファも難しいんじゃないか? 将校や副官クラスの剣士から一度も剣を受けずに勝つのは」
ハリィ君の質問にヒーファ君は「一度もとなるとそうかも。ヒルヘッケン団長のことはあまり知らないけどさ」と、考えを述べた。
「七世王の親衛隊をやってた奴さ。頭は固かったけど、動きも剣も冴えてたね」
頭が固いの言葉に思わず口元を緩めてしまう。だが、棺桶の中で眠っていた団長と、次いで生首の団長も浮かんでしまい、微妙な気分になる。
「あの時の戦いはなかなか見物だったな。《戦気閃》の使い手でな。うまく使っておった。昨日のクヴァルツとの戦いも面白かったがの」
と、イン。野次を飛ばしてただけのインが思い浮かぶ。
ヒーファ君が《戦気閃》か、なかなか厄介だよねあの技、とコメント。
「クヴァルツってのは、死の手のトロンボーンと一緒に戦った奴だったね。あたしは戦斧名士隊はあまり詳しくなくてね。どれほどの奴だい?」
死の手のトロンボーンのことは酒の席で話した話題だ。
「若い隊員だの。ホイツフェラーの次にやる奴じゃないか? 年のいった……ラディスラウスとかいうのもなかなかのようだったが」
「はは。インみたいなのに言われたら、ラディスラウスはヘソを曲げるだろうね」
槍闘士側で小さな笑いが起こる。
「ホイツフェラーの次か……。まあハンツが負けることはそうないだろうけどねぇ」
「あの方はまだまだ現役でしょう。お若いですし」
「クヴァルツの奴はミージュリアを復興すると言っとったぞ」
ミージュリアを? と、みんなの怪訝な顔がインに向けられる。
「奴はかの消失事件の生き残りらしくてな。養子に迎えられた家に感謝しておることも言っておったな。……ハリィ。ソーセージと酒の追加を頼めんか」
「はい」
ハリィ君が席から立ちあがってインのジョッキを手に取った。
何皿目だいというジョーラに、「分からん。10はいっとるな」とインは答えた。え、10皿いってんの? 肩をすくめたジョーラの動きが右腕から伝わってくる。
「ミージュリアの復興は正直……非現実的ではないですか? 残念ながらあそこはもうアマリアの領域でミージュリア市民もいませんし、第一城もありません」
と、ヒーファ君。俺もそう思うけど。
「私もそう思う。だが、王女は生きとるらしいぞ。奴はせめて騎士になると言っておった」
「ほんとかい??」
「うむ」
周りの驚きとは裏腹にインの言葉は穏やかだった。好感を覚える目標ではあるようだ。
ハリィ君が戻ってくる。
「……てか、王女の生存は秘匿事項じゃないのかい?」
「かもしれん。でも訓練場でも酒の席でもみなに言っとったぞ。ガスパルンが修道院で保護しとったらしい。どこの修道院かは伝えられておらんかったようだが」
すまんの。ソーセージは? とインがハリィ君からジョッキを受け取った。
ソーセージは少ししたら店員が持ってくるとのこと。
ジョーラがハリィ君にインとの会話内容を伝えた。結構深刻な雰囲気だ。
「ガスパルン卿はミージュリアの生存者を今でも探してはいますが……そうですか。王女が……。王女の名前は?」
「ユリアだったかの」
「ユリア……サーンス王家の末の子ですね。彼女が生まれたのは堕落していた前王朝の官吏たちの入れ替えが落ち着いてフレデリカ王朝が権力を高めていた頃だったこともあり、周りからは可愛がられていたと聞いていますが、……最後の子だけが生き残ったわけですか……」
……ん、結構酔いがきてるな。あんまり会話が頭に入らない。
しばらく間があって、
「ダイチさん。大丈夫ですかい?」
と、ディディ。
「なにが?」
「顔が赤いし、目も虚ろですよ」
ディディが気さくにそう告げてくる。
顔を上げる。大丈夫大丈夫、とディディに言うが、頭が少し傾いた。あんまり大丈夫じゃなさそうだなと思う。
さすがに飲み過ぎたか……。
「あんまり大丈夫じゃなさそうだねぇ」
ジョーラがいくらか不安げな面持ちで覗き込んでくる。綺麗な紫色の瞳だ。
「上の階にベッドがあるそうですから。借りられるように言ってきましょう」
ハリィ君が立ち上がる。ハリィ君ゾフポジ……。
「私らはまだ下にいるからの。ま、適当なところで引き上げるが、ダイチが復活せんかったらその時は誰かディアラを金櫛荘までおぶってくれんか」
「構いませんよ。姉さんはダイチ殿を見てあげてください」
「ん、ああ……」
ジョーラの絡めた腕が少し締まった。心地よい感触だ……。
水を少し飲んでしばらくしたあと、俺とジョーラとディディは上の階に上がった。
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