幕間:レイダン・ミミットの約束 (10) - 未来へ


(党首格が4人だと!? なぜ? なぜだ?? ……勝てるわけがない……)


「はっ! 分かりやすく青ざめやがって。理解したか? お前が勝てる見込みなんざないんだよ!!」


 そう歯をむきだして狂喜してくるザロモに、レイダンは骨身に染みそうなほどの不快感と屈辱を覚えながらも、眼前に存在している歴然たる事実と強い敗北感のままに何も言い返すことはできない。

 そうして即刻、レイダンの頭の中は今後についてで囚われた。


(敗北……問題は敗北の後だ。死ぬか、捕虜となるか。……婚約はどうなる? ファブリツィウス家がむざむざ敗北を喫した将、それも恋人に会いに行って負けた奴を婿に迎え入れるか? ……残る価値は俺が革職人だということか。それでも俺の革職人の腕は昔ほどではなく一流でもない……)


 レイダンはすべてが終わったかもしれないと絶望した。


 レイダンの様子をじっと見ていたフーゴは、「あんまりいじめんなよ」とザロモをたしなめた。


「は? この場を穏便に済まそうとしてるだけだろ、ドアホ」

「穏便に? 穏便にか……確かに穏便に済むかもしれないな。すまん」


 ザロモは腕を組み、「分かればいい」と、不機嫌そうに鼻を鳴らした。そうしてザロモはそっぽを向いたまま、不意にレイダンに向けて指差す。

 指の先はレイダンの足元であり、間もなく両足に現れる茶色い魔法陣と軽い振動。レイダンはとっさにその場を離れようとしたが、反応したのは超人的な条件反射的な意識だけで、足の方は実際まるで動かなかった。


 まもなく発光とともに、石でできた手がレイダンの両足を掴んでしまった。

 《石腕ストーンアーム》だろう。いまさら動かそうとしても当然のごとく足は動かない。


「俺の《石腕》はその辺の奴が使う《石腕》じゃあない。俺は隊長だからな。強度はメキラ鋼並みだ。剣でぶっ刺してみろ。その瞬間、《石腕》は解いてやるからな」


 メキラ鋼並みとはおよそ信じがたかったが、党首格が使うのなら信ぴょう性はあった。

 レベルの高い魔導士は同時に魔法の質も優れている。とくに初級魔法や中級魔法が該当し、例外はほとんどない。そのために魔導士が初級魔法ばかりを極めるのは間違った道ではない。


 レイダンはザロモに寄せていた視線を、おずおずと再び自分の足に戻した。

 《石腕》などという悠長な魔法をむざむざ使われた経験はないし、比較もしようがない。レイダンは己の迂闊さを憎んだ。


 そしてレイダンはどうあがいてもこの場から逃れられないこと、あがいたところで先で待っているのは己の死であるのを悟った。

 もっとも逃げる勇気は既にすっかり打ち砕かれてしまっていたのだが。


「まだやるか?」


 フーゴが改めて訊ねた。声音のままに穏当な眼差しだ。他を見れば、剣士――アインハードだけが剣を手にしていた。ロイドを上回れるほどの男だし、彼だけが臨戦態勢であってもじゅうぶんだろう。

 そして治療師ヒーラー――ゼリンダがふと魔法を発動した末、現れたものにレイダンは目を丸くした。構えた彼女の手には光り輝く槍があり、頭上には同じく光り輝く小剣が3つ浮かぶ。


 《邪を討つ聖矛アイオレイサル》と《払暁の鋭剣ドーン・レイピア》だ。


 レイダンはときどきマリシアから手合わせの申し出を受けている。聖浄魔導士のマリシアの槍捌きはたとえ<白の黎明>党首といえどもその辺の将校にすら及ばない程度だが、手合わせは一般的な内容ではない。

 というのは、《邪を討つ聖矛》の槍は、霊的な槍であり、防具をすり抜ける代物だからだ。もちろん槍士として優れていれば《邪を討つ聖矛》の脅威度は上がるのだが、低い練度の補佐として《邪を討つ聖矛》の使い手――光剣使いには自身の周囲に漂わせる《払暁の鋭剣》がある。


 突然小剣が飛んでくるうえ、鍔ぜり合いバインドもできない。《邪を討つ聖矛》の使い手は、カウンター剣技を得意とするレイダンにとってやりづらい相手だ。鍛錬自体はレイダンにとっても貴重な経験となってくれていたが……。

 レイダンの持つ愛剣トワイライトは剣速を高めながらも属性抵抗力も上げてくれる代物だが、魔法武器にしては効果は微小であり、この圧倒的不利・数的不利の状況において根本的な解決になるわけもない。


 レイダンはオルフェでも、上位の聖浄魔導士との戦い方は同じかと諦念を抱いた。剣士と大剣使いと魔導師を相手にしながら治療師もあり、光剣使いも相手にするなど、追い詰められたにもほどがある。

 そうしていまいち呑気なフーゴたちに毒されたのか、レイダンも対峙していながら動作が止まり、集中も途切れ、雑念に囚われた。脳裏に浮かぶのはウィプサニアの顔だ。


 愛しい人の顔は、レイダンにせめてもの戦う者の矜持――七騎士としての誇りを取り戻させた。また会えるにせよ、もう会えないにせよ、みっともない姿は晒せないとして。

 金をせびるばかりですっかり横着が板についた家の者にはたいした情けはない。家も貴族ではなく、家門の名誉などあってないようなもので、家への醜聞など逃げれば終わりだ。どうせ既に裕福に暮らせる一生分の金もやってある。


 だが……レイダン自体の醜聞はアマリアに残る。耳にして悲しむのはウィプサニアだ。


 レイダンはやがてトワイライトを鞘にしまった。


「……降参だ。党首格4人、それも魔導士と光剣使いの治療師がいたのではどうしようもならない」

「当然だな。で? お前は誰だ? 副官をやれるんだからそれなりの奴だろ」


 副官とはおそらく最後に戦ったグラハムと呼ばれた男だろう。

 探してみれば、彼は後方で緊張感をにじませながらレイダンを注視していた。もう治療されたようで胸の傷は塞がり、手は首にはなく、しっかり剣を握っている。


 レイダンはグラハムから目線を戻し、ザロモの質問に潔く答えた。


「レイダン・ミミット。<金の黎明>の党首だ。わけあって俺だけだ。党員はいない」


 レイダンの潔さとは裏腹に、へえ、とザロモは淡泊な反応を示した。

 反応はそれだけであり、他の3人は顔を見合わせただけだ。


 オルフェは現国王が「血を流させない武闘大会」を開くほどの武人肌なためか、騎士道精神に溢れ、義理堅い将が多いという。

 だがザロモという口さがない男は魔導士だし貴族のようだしで、義を貫くか怪しいものだった。


 とはいえ、信じられないのも無理はないとレイダンはいよいよ諦めた心地になった。武装も七騎士のものではなく、剣とホバーク以外はたいした装備ではないし、ここには党員もいない。


「逃げたダークエルフとお前の関係は?」

「……わけあってしばらく俺と行動していた。たいした関わりはない」

「なぜマンダインたちをやった?」


 間を置かずに今度はフーゴが質問した。


「山賊だと思っていた。宿にいたら金目のものと女を探せと叫んでいてな。村人も襲っていたようだから退治したまでだ」


 フーゴがこれみよがしにため息をついた。ザロモが、だから言っただろ、あんな奴ら飼おうとするなと、と嘲笑った。

 山賊の出なら当然だろうが、あまり素行がよくなかったようだ。


「まあ作戦には役立ったがな。半分頓挫したが」


 作戦? レイダンはザロモの言葉の意味を勘ぐったが、勘ぐりはさほど深刻化しない。

 もはや国への忠義よりも、1人の女への想いが道半ばで潰えてしまうかもしれない不安の方が大きかったからだ。


 レイダンは七騎士の党首らしく毅然と受け答えはしたものの、頭の中では不安ばかりが先行し、いまさら考えても仕方のない考えで錯綜していた。

 ようやく結婚にこぎつけた恋人を失いそうになっているうえに自分の先行きまで暗澹としてしまったのだ、仕方のない話でもあった。


 フーゴはしばらく何も答えなかったが、やがて顔を上げて「お前を拘束する。歯食いしばれ」と言ってくる。悪事とはあまり縁のなさそうな男の顔が苦悶に歪んでいた。殴られるようだ。


 そうしてフーゴはザロモに《鉄腕》の解除を頼んだ。


「こいつは逃げない。……そうだろ?」


 レイダンはそう敵である自分に訊ねてきたフーゴに呆れつつ、馬鹿だと思った。


 オルフェの将の武人肌という部分にはさきほどのフーゴの名乗りをはじめ鼻で笑っていた者も多かったが、まったく理解できるところだった。諜報が育たない理由が国柄であるという話も疑う余地もない。

 だいたいレイダンは余計な慈悲などかけてもらいたくはなかったし、問答もいらなかった。そのためレイダンは投げやりに頷いた。ウィプサニアのことがなかったら潔く殺してほしいところではあった。


 ザロモは肩をすくめながらも、フーゴに言われたままに解除した。


「……いくぞ」


 フーゴが握った拳を見せつけるように持ち上げた。巨漢らしく、大きな拳だった。村の用心棒ならさぞ頼もしい男だろう。

 レイダンはやるせない想いを抱きながら歯を食いしばり、目をつぶった。そして両脚にも力を込めた。


 ふとレイダンの脳裏に自身の殴られた経験の浅さがちらついた。

 最後に殴られたのは誰だったか、敵兵だったか? もはや思い出せない。このような巨漢、しかもレベル60の猛者に殴られたのでは死ぬこともあるのではないか?


 ――一抹の不安の解答が得られるわけもなく、やがてレイダンは思いっきり殴られた。


 口の中に血の味が広がったのを感じた。衝撃は思っていたよりずいぶん強かった。

 たいした踏ん張りでもなかったこともあり、レイダンはあえなく吹っ飛んだ。そうして地面を滑った末、気絶した。子供や戦わぬ者でもなしに、殴られて気絶するなど初めてのことだった。


 レイダンは気絶するまでの最中に自分は死ぬのだなと思った。

 誰かを陥れるなど慣れないことはするべきではなかった、このまますべてがあっさり終わるのもまたいいかと、かすむ意識の中、思った。


 ・


 丸1日。

 レイダンは厩舎の倉庫と思しき場所で縛られていた。


 頬が腫れて痛んだが、目立った外傷はそれだけだった。


 どこぞの短気な副党首が殴って誤って子供を殺した例があり、レベル差による過剰になった暴力が論題に上がっていたのをレイダンは思い出していた。子供と副党首のレベル差に比べたら、フーゴとのレベル差はたいした差ではないだろう。

 であれば、この状況も納得だった。気絶したのは無様ではあったが。


 それにしても捕虜となったとはいえ、拷問の1つや2つあってもおかしくはないものだ。

 だが、事実として今のところは拷問はなく、固いパンと水が運ばれ、昼と寝る前に用を足せと外に出され。それだけだった。


 オルフェの将が無能なのか、噂通りの人畜無害っぷりを発揮しているのか、それとも今頃交渉しているのか、もしくはアマリア軍と戦っているのか。ウィプサニアは無事に逃れただろうか?

 レイダンにはなにも分からない。農具と干し草しかない、懐かしさも覚える薄暗い小屋の中で、人生でもっとも無駄な時間を過ごしているだけだった。先行きが何1つ分からないというのなら、木剣でも振りたいものだった。


 やがて兵士が1人小屋の中に入ってきた。グラハムという副官の男だ。食事をもらってから時間はさほど経っていない。

 グラハムはレイダンの元にやってくると柱の方の縄だけを切った。


「立て。移動する」

「……どこに行くんだ?」


 グラハムは答えなかった。代わりにレイダンの後ろには見張りの兵士が1人ついてきた。

 たった1日閉じ込められていただけだったが、筋肉の強張りが解けたのと合わせていくらかの解放感を味わいながら、グラハムの後をついていく。


 ジアストの2つある村の入り口には兵士が2人ずつ立っていた。

 他には特別兵士の姿はなく、死体も1つもなかった。


 党首格4人がいて小さな村を占拠できないはずはないが、村人たちは普通に出歩いているようだった。穏当な占領らしい。

 レイダンは縛られている間に、彼らがジアストまで来た理由を考えたが、自分たちの不意をつくくらいの目的しか浮かばなかった。確かに不意はつける。だが、王城の近くには七騎士の勢力が待機している。


 不意をつくのが目的であるなら、防壁はもちろん、武器も食料もなさそうなジアストを長らく拠点とする理由はない。また、アマリアの諜報はトルスクを張っている。このぶんだとジアストから情報がいくのは時間の問題だろう。

 そうなれば、ニルナハンに待機している七騎士たちが動き出すはずだ。ニルナハンには七騎士が4党にくわえ、周辺では兵士たちも待機している。たった党首格4人と副官1人が相手なら、アマリアはまず負けることはない。


 見張りのいる、とある家屋についた。先日泊まった宿くらいの大きさだが、他にもっと大きな家屋はある。たいした規模ではない。


「入れ」


 グラハムから言われるままにレイダンは視線を家屋に戻した。


 粗末な戸を開けると――レイダンは目を丸くした。

 家屋の中にはウィプサニアがいたからだ。ガラヤや宿にいた他の3人兵士の姿もある。みな、“耳を出していた”。


「レイダン!!」

「……ウィア……?」


 レイダンはウィプサニアから抱き着かれながら、「俺は……夢を見てるのか?」と思わずひとりごちた。

 ウィプサニアは「夢じゃないわよ」と微笑みかけてくる。泣きそうな顔だ。もちろんウィプサニアの言う通り、抱擁を通してもたらされた感覚はウィプサニアそのものだった。


「頬、大丈夫?」


 ウィプサニアがふとレイダンの腫れた頬を撫でるように触ってくる。


「あ、ああ。殴られただけだよ」

「一発で伸びた奴がよく言うよ」


 見ればザロモだった。他にフーゴ、アインハード、ゼリンダの姿もある。


 いまさらながら家屋が村民の所持物であり、土とレンガ石と藁葺き屋根でつくり、囲炉裏を設け、仕切りで仕切っただけの粗末な一軒家であるのをレイダンは認識した。

 一時期逗留した親戚の家がこのような様式であり、懐かしい風貌だったが、豪勢な装備を有した彼らの姿はこの場にはどうにも違和感があった。


「……ウィア。君はなぜここに?」

「あなたを助けに来たのよ」


 助けにという言葉の意味がよく分からず、レイダンはいぶかしんだ。敵兵が陣取っている村の中に助けに来たとはいったいどういうことなのか。エルフであることは明かしているようなので、家のことを知らせていそうだが……。

 ついガラヤを見ると、「この村から出たあと、私たちは一度近くまで戻ったのです」と事情を話した。


 出たあとということは、レイダンがウィプサニアたちを逃がした後だ。

 思わずレイダンはなぜ、と眉をしかめた。


「お嬢様はうちの兵士からあなたが殴られて囚われたのを聞くと、家に文を出すと」

「文……」


 村の近くにのこのこときていればバレただろう。

 身を隠すという意味ではダークエルフに分があるが、目に関してはエルフの方が優れている。《千里眼》というスキルはエルフに特有のスキルだ。


「レイダン・ミミット。貴公のことはファブリツィウス家がその身を預かることになった。この文によって」


 アインハードが文を見せてきた。木彫りの筒には紐があり、ファブリツィウス家の家紋が垂れさがっていた。

 アインハードが縄を切ってやれといい、レイダンの腕の縄はグラハムによって切られる。レイダンの腰に剣はない。


 レイダンは自由になった手でおそるおそる筒を開け、中の文を読んだ。


 ――確かに文にはアインハードが言った内容が丁重な言葉遣いで書かれてあった。

 レイダンはウィプサニアの婚約者であり、既にファブリツィウス家の者であるという頼もしいが後のことを考えると恐ろしくも感じる言葉の他、ファブリツィウス家はオルフェ軍に加勢はしないが、もし引き渡してくれた場合、礼金ふくめこの礼は近日中にするとあり、互いの友好関係を進めるのもやぶさかではないとあった。


 レイダンはいよいよ肝が冷やされる思いがした。


「俺たちはフリドランとの国交のために戦ってるわけじゃないんだがな」


 ザロモがそうぼやいたあと、ため息をついて、「ま、せいぜい婿入り先でいびられないように頑張るんだな。お前さんの異種族結婚は汚名から始まるんだからな」と毒づいた。

 レイダンはつい視線を落として、ウィプサニアとの再会から一転、ザロモの言う通りに自分に到来する汚名を注ぐ日々を憂えた。


「レイダンはよくやってたわ。もし国の精鋭隊長4人を相手にしたら、あなただって負けるでしょ!?」

「あーはいはい。すみませんね、お嬢様」

「レイダンのことを悪く言うのなら、イェーガー家のことを悪く伝えるから」


 ザロモはたじろいだ様子を見せて、「やめてくれよ」と慌てた様子を見せた。


「レイダン・ミミット。ウィプサニア・ファブリツィウス。私たちから1つ提案がある」


 2人の言い合いから間を置かず、アインハードが改めてそう打診した。


「レイダン・ミミットを開放し、君たちをここから無事に出すことは了解した。ただし私たちがジアストにいることは誰にも伝えないことが条件だ。レイダン、とくに貴公だ。我々は貴公がこのままアマリアの騎士であるのを辞め、ファブリツィウス家の者としてフリドランに行く以外のことは望まない。元々そうした段取りだったようだが」


 レイダンはアインハードの実に泰然とした眼差しと言葉を目にしながら、了解しなかったらどうするのか、このことはオルフェの王は知っているのかなどと訊ねてみたい気になった。

 ウィプサニアの不安げな眼差しが目に入る。だが、ここにはウィプサニアたちもいるため実際の友好関係の進展の内情ふくめ余計な質問はしないことにした。この分だとなさそうだが、自分たちが敵地のど真ん中にいることは変わらない。


 レイダンはアインハードに目線を戻す。


「……分かった。確かに俺は、準備を終えてからだったが……結婚が認められればアマリアを出るつもりだった。俺はウィプサニアがいれぱそれでいい」

「レイダン……」


 レイダンは穏やかな眼差しでウィプサニアを見つめ、ウィプサニアもまた、再び泣きそうな顔でレイダンを見つめ返した。


 ザロモが「観劇でもしてる気分だ」とぼやいた。次いで、親戚がダークエルフと結婚してなかったか、とザロモはたいして興味がなさそうにゼリンダに訊ねた。

 レイダンはいくらか驚いてゼリンダを見る。


「ええ。しています。駆け落ちでしたけど」


 駆け落ちか、とレイダンは自分たちが恵まれている方なのだと改めて実感した。

 もっとも先のこと――フリドランの五大名家に手間を取らせた報恩の日々がどれほどの苦難を要する日々なのかは分からない。


 一間あり、「ガラヤ殿。道中では兵士を1人つけるが、いいか?」とフーゴ。ガラヤは承諾した。案内役であるわけはないので、監視役だろう。

 ガラヤにどういった経緯でフリドランに渡るのかと訊ねると、ラスタにいる行商人によりヴァーヴェルに向かうことを伝えてくる。ラスタはジアストの西にある村で、ヴァーヴェルはフリドランに近い西端の都市だ。ヴァーヴェルにはかつてレイダンもいた。亜人種の滞在者も多いため動きやすいだろう。


 アインハードがグラハムにレイダンの装備を返すように言った。グラハムが家から出ていく。


 そんなところでフーゴが、バウナーは七騎士を辞めたのか、と訊ねてきた。

 フーゴにそのような意図があるのかは分からなかったが、この情報は戦局を変えるかもしれないとしてレイダンは答えるか迷った。


 だがレイダンは、彼らから受けた恩義の方を優先することにした。もっとも自身の内心――バウナーの失脚を望んでいた想いはウィプサニアがいる手前、ひた隠しにしたが。


「ああ。色々あってな。……七騎士の上に立つにはあまり向いてない人だった」

「向いてないか……。古竜の血は関係ないのか?」


 ある程度は知っているようだ。警戒心もさほどなく質問をしてくるフーゴに、レイダンは「それもある」と頷いた。

 そして、「バウナー様は……この頃とりわけ窮屈そうだった」と続けた。言ってから、この窮屈さがすべての元凶であるのだろうとレイダンは悟ってみた。


「窮屈?」

「ああ。貴族の出なのだが、お育ちになったのが貧民街でな。近頃は貧民街によく繰り出していた。周囲がよく思わなくとも、やめなかった。自分は剣以外平凡で、田舎に引っ込んで剣を教えたいとこぼしていたこともある」

「……そうか。いないのならニクソンの仇が討てないな」


 フーゴがそうこぼして、アインハードに同意を求めるように見た。アインハードはそうだね、と静かに同意する。


 レイダンは彼らの仲間がバウナーにやられたのを察したが、記憶にはなかった。バウナーが討った将の数は枚挙にいとまがない。

 だが、そういえば、8年前のトルスクでの戦いに大剣闘士と剣聖の名があったのを思い出した。レイダンは別動隊にいたので結果を聞いただけだが、バウナーたちはオルフェの軍を見事撤退させ、勝利に導いた。


 グラハムが戻ってくる。レイダンが返還された装備を着終えると、一行は厩舎に向かった。


「せっかく助けてやったんだからちゃんとフリドランにたどり着けよ」


 ザロモの言葉にレイダンはもちろんだ、と力強く頷く。ウィプサニアも、レイダンがいれば賊になんてやられないわ、と全幅の信頼を寄せ、ザロモは賊にはやられないだろうけどよ、と肩をすくめた。


「魔物だろうが問題はない。アマリアの魔物の生態は知り尽くしているつもりだ」

「そうかい」


 なにか懸念点があるとするならレイダンの顔を知る者が、レイダンの所在を国に知らせることだ。

 だがそれも、ニルナハン周辺を通らなければ済むことだし、エルフの詐称魔法でレイダンの顔を変えれば事足りる。


 レイダンの視線が落ちる。

 懸念点ということで、事の顛末を知る人物、逃げたロイド――<白い眼の鳶>の面々と諜報員のシモンのことが浮かんだ。


 ロイドは間違いなく報告するだろう。グロヴァッツとニコデムがどう動くのか。グロヴァッツはこれまでのやり取りや彼の言動から、余計なことをしない賢い男だとレイダンは察してみる。そらならみすみすフリドランとの関係を悪くする行動は取らないはずだが……。

 シモンにはバウナーの執行の後、レイダンに殺されるか、情報を漏らさないと誓って田舎に引っ込むかの二拓を迫った。選んだのは後者でレイダンは安堵したものだった。


「返せるかは分からないが……この借りはいつか返す」


 やがてレイダンは視線を持ち上げ、そう宣言した。


「その時はあんたはフリドランの将になってるのか?」


 レイダンはフーゴの問いかけに、それは分からない、と正直に言った。


「できるならファブリツィウス家の剣になるつもりだが」

「そうか。まあ、うまくやれよ。せっかく望んでいた結婚ができるんだからな」

「ああ」


 ウィプサニアを見ると、微笑まれる。レイダンは和やかな心境になりながらも今後の自分の生活を不安に思った。


(ウィプサニアの文に応じたほどだ、会いにいくこともできないような事態にはならないとは思いたいが)


 アインハードが一緒に見送りにきていたリュックを背負った軽装の男に「じゃあ頼んだよ」と声をかけた。彼ははいと頷き、レイダンの元にやってきた。


「《水射ウォーター》持ちはいるそうだから、食事が入っている。ここで呑気に食べるよりは道中の方が気が楽だろう」


 レイダンはアインハードに「すまない」と、礼を言った。


 リュックの男は眉をひそめてじっとレイダンを見ていたが、やがて視線を逸らした。

 敵国なので仕方ないが、しばらくの間、旅を共にする相手としてはいささか不安の残る第一印象と言わざるをえない。もっともウィプサニアたちが無事にフリドランに行けなくなってはまずいので、諸々の協力はするだろう。


 男は《鑑定》で情報が出ない程度には実力があるようだが、党首の覇気があるわけでもなく、瞳にも色がない。

 腰にある長剣も特別業物のようには見えない。レイダンはレベル40はいかない程度だと推測した。返礼のこともある。旅の間に鍛えてやるのも一興かもしれない。


 伝令もとい監視役の男を連れて、一行はジアストを出た。


「――レイダン!」


 出発してまもなく、ウィプサニアが呼びかけてくる。合わせられる馬の速度。


「なんだ??」

「無事でよかったわ。ほんとに」


 レイダンは正直に「俺はきみが村に戻ってきたことがいまだに信じられないよ」と返した。


 ウィプサニアはくすりと笑みを浮かべたあと、「宿では一緒の部屋にするから」と期待を込めた眼差しとともに声をひそめると、馬の速度を元に戻していった。耳が少し垂れていた。


(俺の人生はウィアとともに――)


 レイダンはかつてないほどに満たされた心地と夜への期待を胸に、フリドランまでの長い道のりを楽しむことを決意した。フリドランまでの道のりがもっとも憂いなく2人の時間を楽しめるかもしれないとして。

 それと、ニールスレイ――ファブリツィウス家からどのようなことを強いられようとも我慢することも決意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る