7-32 幕間:その騎士の姿 (3) - 水魔導士と黒騎士


「前線下がってこい!! 橋を上げるぞ!!」


 ボジェクの指示が兵士の声によって伝っていくと、まもなく前線にいる兵士たちが下がってくる。ボジェクの言うように、橋を上げて敵の侵攻をせき止めてしまうためだ。

 下がる隙をつくるため魔導士たちは依然として魔法を展開しているが、中にはしっかりネリーミアもいた。


 橋を後退していきながら、1人また1人と魔導士たちが隊の後ろに下がっていく。先頭になってしまってもなおネリーミアは、アマリアの兵士たちに果敢に杖を向ける。

 それと同時に杖の渦巻く白い意匠の中にある青い宝石が淡く輝く――


 中級魔法レベルと思われる大きさの青い魔法陣が杖の前に現れると、川から“リバカジキ”でも跳ね飛んできているかのごとく、猛烈な勢いの水撃が橋の左右から兵士目掛けて発射される。

 先頭にいた1人の兵士がその場で横転した。もう1人の端の方にいた兵士は上半身に直撃を受けてよたつき、さらに兵士1人がよたついた兵士から巻き添えをくらった末、計2人の兵士が川に落ちた。


 次いで川から発射される水撃。死ぬほどのダメージはなかっただろうが、鎧を着た兵士を吹き飛ばせるなら一つの技としてじゅうぶん完成されている。

 やはり足止めとしてはじゅうぶん効果的だったようで、後続の兵士は立ち止まってしまう。水の巨矢は相も変わらず、リバカジキの遊びであるかのように止まらずに発射され続けている。


 続いて、先頭の兵士が突然叫びながら目元を痛がりだした。噴射された水が当たった様子はない。


 ネリーミアの前では、水色の魔法陣が出ているのにくわえて、小さめの緑色の魔法陣が出始めた。

 魔法陣のサイズ的に風魔法の方はワリドは初級魔法だと推察した。そうなると、痛がったのは《風刃ウインドカッター》でも当たったからか。ネリーミアは水魔導士だが、風魔法の使い方も多少は心得ているとは聞いていたが。


 ワリドは橋に設置された防壁の上から、半ばネリーミアの独壇場となっている橋の上の様子を見ていて、ネリーミアの技と戦略的な魔法の使い方に感心した。

 初級魔法も燃費がいいのはもちろん、使い方によっては脅威であるとは常々聞いているが、まさにそうだろう。


 《風刃》をバイザーの隙間を縫って目に命中させることは決して容易いことではない。また、少しでも障害物があると《風刃》の威力は著しく落ちるため、よほど接近していない限りはバイザーを下げた兵士の目を狙うのはあまり得策ではないとされている。

 だが、結果として、目つぶしに成功している。隙間を縫えたかどうかは気になるところだし、威力を上げたのかもしれないが、いずれにせよ目つぶしには成功している。


 目をつぶされにいきたい兵士などいるわけがないし、目をつぶされた兵士が戦力として数えられるわけもない。


 兵士たちはいよいよ及び腰になった。《風刃》は複数到来し続けているようで、鎧で受けるため兵士たちは背を向け始め、中には態勢を崩した者もいた。

 川からは相変わらず猛烈な勢いの水の噴射が続いている。致命的な被害こそ出ていないものの、さすがにむやみな突撃は止めたらしく、進軍がピタリと止まる。


 先頭の兵士の左右に《石壁ストーンウォール》による石の壁が出現したが、ネリーミアが杖を壁の“根元”に向けたかと思うと、噴射された水によって石の壁はあえなく倒れた。もちろん、壁魔法がそんなやわなわけもない。

 壁は兵士たちに向けて倒れ込み、兵士たちはやっとのことで壁を押し返して石壁を川に落とした。


 構築反転アンチ・マジックの魔法には魔法陣がなく、魔導士でない者には察知が難しい。


 そのため何をしたのかワリドにはとっさには分からなかったが、妨害したことは察した。

 魔導士同士による「見えない戦い」は騎士団内の魔導士の練度ではなかなか見る機会はないが、ルートナデルにいた頃は身近で見聞きしていたし、戦場でも目にしたことがある。頼もしい限りだと薄い笑みがワリドの口元には浮かぶ。


「ち、近づけません! 構築反転です!! ミハイルさん!」

「あの練度は私にも無理だ!!」

「黎明部隊でも厳しいようです!」

「ちっ。ちょこざいな……ならこっちも攻撃魔法を打ち返せ! レアル! バーレント! 迎撃しろ! でかいのをかましてやれ! 射手もだ! 兵士たちは目を隠してなるべく集まって進め!」

「あああ!  目がああっ!」

「誰かそいつを治療してやれ! うるさくてかなわん! 」


 この場の指揮官らしい男が叫ぶ。矢もくるか。なら。


「こっちも射手準備しろ!! 誰かネリーミアの前で防御しろ!!」


 ワリドの声にさっと3人の盾を持った兵士がネリーミアの前方に行き、盾を構えた。


 2人は団員のオデルマーと兵団のプジョーだろう。もう1人の巨体の者は見知らぬ兵士だった。

 装備はセティシア兵団の装備のようだが、あのような体格の盾持ちはワリドは心当たりがなかった。セティシアの攻略者かなにかかもしれないが、盾の構え具合はオデルマーとプジョーにも増して頼れるものがある。兵団にいたら名前を憶えていただろう。


 4人はじりじりと橋を後退していく。敵の複数の兵士たちは水の勢いに負けぬよう、固まって進行しようとしていたが、渦巻いた水が直撃して彼らは散り散りになり、ドミノ倒しのように倒れた。その隙を狙って再び川に落とされる兵士たち。

 上級魔法の《渦潮ワールプール》か《水撃波スプラッシュ》かは分からないが、対応策もきちんと考えられているようだ。《渦潮》だとしたら、これほど心強い水魔導士もいない。ただ、魔力の問題がある。あまり長くは持たないだろう。


 矢が到来し始めた。

 ワリドは防壁の隙間から矢に当たるという間抜けを起こさぬよう、さっと防壁に身を隠した。横にいる北部駐屯地の兵士が矢を放ち、同じく身を隠す。


「あのような可愛らしい女傑がいたとは俺は知りませんでしたよ」


 と、隣の北部駐屯地兵からの言葉。


「俺も今初めて知ったかもしれん」


 川からは相変わらず水しぶきの音があがり続けていたが、方々では不運にも矢を受けた者のうめき声があがっていた。

 間もなく戦地から「あっつ!! あつい!」という叫び声。ワリドは、兵士がネリーミアから“熱湯”を浴びせられたのだと察した。《熱湯撃ボイル・ブロー》は水魔導士の十八番の戦法だが、多彩だ。水魔導士が戦闘では役に立たないというのは全くの虚言のように思えてくる。


「娘が魔法の才能があるらしいんですよ。彼女の魔法道具屋に行こうかと思ってます」

「ふっ。それがいい」


 ――突然自陣から爆発音があがり、再び何人かの兵士が火に包まれた。敵の魔道士による《業火魔弾レイジングフレア》だ。

 そう連発できる代物ではないし、してもこないはずだが、こればかり食らうのはよくない。あとには<黒の黎明>党首との戦いも控えているのだ。


 ワリドの考えを察するように、突然周囲の湿気が強まった。

 《隠者の霧ディターブ》だろう。魔法行使が非常に難しくなり、強行すると魔力の消耗が増える妨害魔法だ。これで少しは静かになるだろう。ワリドは急いで防壁を降りた。


 門から先を見てみれば、橋の上には巨大な氷の塊が積み上げられてあり、その上に水がかぶせられたところだった。場所はしっかり掛け橋の範囲外だ。


 ボジェクが「今のうちだ! 橋を上げろ!」と声を張り上げる。


「やるじゃねえか、嬢ちゃん! あんな戦術的な戦い方をする水魔導士なんざ俺は見たことねえぜ!」


 見知らぬ長身の兵士が豪快な声でネリーミアを鼓舞した。オデルマーも俺もですよ、と同意する。

 よくよく見ると、長身の兵士の腰の長剣の鞘が見覚えのある意匠だった。名のある剣士のようだが、どこで見たんだったかワリドは思い出せない。


「それはどうも……」


 さすがに魔力の消耗が激しかったようで、ネリーミアの声は疲労が色濃かった。彼女は腰からエーテルを取り出して飲み干した。顔色がよくなっていく。


「ふう……。そういえばあなたはどなたですか? 兵士ではないようですが」

「ん? アンゼルム・レパードットっていうんだが、知らねえか? 昔は腕を鳴らした攻略者なんだが」

「かつて大剣闘士ウォーリアーの隊員入りを推挙されていた御仁ですよ」


 プジョーの補足にネリーミアが感心した様子を見せる。


 アンゼルム氏だったか。ワリドも会ったことはないが、セティシアで隠棲しているとは聞いたことがある。

 なるほど、ではあの剣の意匠はカラツクヤ氏の一品だろう。鍛冶師カラツクヤは一昔前、オルフェ切っての名鍛冶師の1人として知られていたが、アンゼルム氏は彼と親しかったと聞く。


 ネリーミアたちが後ろ歩きで橋を渡り終える。その時だ――


 何かを豪快に砕いた鈍い轟音がしたかと思うと、1本の矢が名攻略者の肩を鎧ごと貫いた。


「――ぐっ……!」


 瞬く暇もなく、次いで飛んできた矢は、盾から顔を出していたオデルマーの額を打ち抜いた。2人ともろくに声を発さぬまま倒れる。


「《壊鎧の一撃アーマーブレイク》か!」


 しかもかなりの練度だ。


 橋を見れば、黒い鎧を身にまとった兵士が巨大なハンマーを振って、地面に残った氷塊をさらに減らしたところだった。

 さっきの砕かれた音は氷塊を打ち砕いた音だったようだ。傍には弓を構えている兵士が数名いるが、……オデルマーをさっと視界に入れる。


 オデルマーは額から血を流しながら、物理防御魔法とバシネットのバイザーを易々と貫いた矢を立てたまま、微動だにしない。


(……これまでよくやった。眠れよ)


 なんにせよ、この射手たちの練度はまずい。


「下がれ!! 急げ!!」


 ワリドのとっさの呼びかけも空しく、矢は立て続けにやってきた。ネリーミアは《水撃波》を横から発射させて当てることで自分のものは防いだようだが……。

 矢はプジョーの肩を貫き、後ろにいたタラーク、ベンツェ、他の兵士数名をも射抜いたようだった。ワリドが避けた矢も、後ろの兵士の誰かに当たったらしい。いったい何人この練度の射手がいるのか!


「何してる!! 早く橋を上げろ!! 対処できないなら下がれ!! 貫通するぞ!!」


 ボジェクの焦った怒鳴り声が飛ぶ。アイクがボジェクの前にきて矢を盾で流しつつ防いだ。

 確実に戦力を削られている矢による被害を出しながら兵たちは引いていくが……


 ――耳をつんざく破壊音とともに、防壁は飛来してきた「何か」によって無残にも破壊され、防壁にいた射手が2人吹き飛ばされた。


 粉塵が消えていき、視界が晴れたそこにあったのは……崩れた石の防壁のなれの果てと穂先を覆う円形の刃を持った槍なのか剣なのか一目では判断のつかない黒い得物だった。これは……。


 ――黒い鎧を身にまとった兵士が得物の元に軽やかに着地した。


 着地した黒い鎧の兵士が立ち上がる。

 金色の線が入った黒い鎧、黒い翼を両翼に飾り付けた冑に、腰から下がった黒い羽飾り……ゾフィア・ヴイチック……!


 ワリドは彼女の正体が分かるやいなや悪寒がし、鳥肌がたった。


 場の緊張度も一気に上がる。


 爆音は誰もが聞き、彼女のことは誰もが認識しているはずなのに、多くの兵士がろくに身動きを取れずにいた。彼女が<黒の黎明>の隊長だと気付いたのか、それとも石壁を一瞬でぶち壊した離れ業に完全に気勢を削がれてしまったか、いや、どちらもあっただろう。

 しかし苛烈な女傑と知られている彼女は悠然と槍を手にしただけであり、仕掛けてはこない。隊長たる豪気な果敢さと決してただの兵士が持つことは叶わないたっぷりの余裕を、敵勢に一方的に示したにすぎない。


 ワリドは誰よりも早く反射的に剣を抜いていたが、次いで構えた他の兵士と同じくその場から動けずじまいだった。

 ワリドは仕掛けられるとは到底思えなかった。仕掛けてもやられるのが、何も《戦気察知》で彼女から真っ赤な戦気を感じなくとも本能的に分かったからだ。


 彼女が手にしている強力な魔法武器のおかげもあるだろうが、防壁を一撃で破壊してしまうような相手に正攻法でどうにかできるわけがない。

 自分の必殺の一撃である《戦気閃》を考えた。しかし軽々と避けられるイメージしか湧かなかった。《戦気閃》は少々隙がある。隙を見せたあとにあるのは自身の死だ。


 やがて彼女の視線がゆっくりとワリドに到来してくる。視線は他の誰にも行くことはなく、迷わずワリドの元にやってきた。まるで他の兵士では相手にならないと、既に理解しているかのように。

 彼女の表情はバイザーによって隠されている。だが、ワリドにはじゅうぶんだった。自分では手に負えない巨獣の類と対峙しているかのごとく、ワリドは剣を抜いたのを最後に指1つ動かせなかった。動かず、態勢を変えず、呼吸だけは整えてこの距離を維持することが、唯一かつ最善の防御方法であり生存方法だった。


 ……維持するだけでどうにかなるか? いや、なるはずもない。

 ワリドは本気になった七星や七影と何度か打ち合ったことはあるが、一矢報いたことはただの一度もない。彼らとの戦いは防戦にするのすら難しい。


 誰もが彼女を注視しつつも動けずにいた。完全に彼女によって場を掌握されていた。

 彼女が動かない限りは場もいつまでも動かなかっただろうが、前方からは「我はエルトハル男爵家の将、ヴォーミル!」という雄々しいだみ声と、兵士たちが橋を駆けてくる音。


 ワリドは多少不安もあったが彼女から視線を外した。ヴォーミルなる男の後ろにはさきほど氷塊を粉砕したハンマーの男がいた。そのさらに後ろには射手と兵士たち。


(まずい。突破されたか!!)


 理由は分からないが、ゾフィア・ヴイチックは棒立ちだ。ならと、ワリドは自陣を振り返り、改めて素早く状況を確認した。

 オデルマーは死に、アンゼルムとプジョーは肩を負傷している。ベンツェの肩の矢は脇に近い。タラークは腹を抑えている……この激戦区では誰も彼も厳しいだろう。ネリーミアやイグナーツなどの魔導士たちはもう1人ではきつい。


 めぼしい戦力はボジェク、アイク、イェネー、そして自分自身。ネリーミアも場合によっては……。


 ワリドは防衛の手立てが一気に乏しくなったことを察した。敵はまだいる。数はアマリアが多少上回り、だがこちらの主力は半分以上が負傷している。状況は絶望的と言っていい。

 ゾフィア・ヴイチックが本当に何もしてこないなら話は別だが、そんなことはあり得ない。防戦の要であった防壁を破壊したように、何かしらで手伝ってくるだろう。完全に想定外だったおそらく副官並みに腕の立つ射手たちもある。


 ならば……ネリーミアとユラにアルバンを託す。最悪、ユラの足で伝令だ。

 黒騎士がおめおめと逃がすわけもないだろう。その時は自分が盾にならなければならない。


「ボジェク、アイク!! 前線を頼む!! アルバンを逃がす!!」


 ボジェクとアイクから頷かれる。

 通りがかりにボジェクから「お前と死ねないのは残念だ」という言葉が聞こえた。ワリドは心の中で同意しつつ、自分だって逃げるつもりはないがなと内心で応答した。


「ネリーミア、来い!! ユラもだ!!」


 矢がワリドに飛来してくる。振り向きざまに剣ではじいた。思いのほか速く反応できたことに内心で驚きこそすれ、気にしている暇はない。

 前線ではタラークが倒れ、他の兵たちの何人かが倒れた。ワリドの後ろを素早くベンツェとイェネーと兵団の盾持ち兵士たちが塞ぐ。愚直に受け止めるなよ、できるだけ流せと、ワリドは彼らに叫んだ。


 ネリーミアは後ろを見ながらついてきたが、ユラはワリドに向けて首を横に振った。なんだ?


「俺よりも……トストンがいいです。足の速さは一緒ですが、あいつの方が知恵が回ります」


 後ろにいたトストンが怪訝な顔をしてユラを見ていた。ユラは緊張も多分に含んだ難しい顔をしていたが、語調は落ち着いていた。

 ワリドは聞いてやろうと思った。かつて見たことがないほど騎士然とした顔つきだ。ワリドは団員の1人としてユラを誇った。


「……分かった。トストン行くぞ!」


 トストンはしばらくユラの後ろ姿を見ていたが、振り切るようにワリドについてくる。


 ゾフィア・ヴイチックは動いていないようだ。何を考えているのか分からないが……後方にいたアルバンの腕を取って無理やり走らせる。背後には最大限警戒を払いつつ。


「逃げるぞ!」

「ち、父上は??」

「分からん! だが、先のことを考えろ。お前が死ねば子爵も夫人も悲しむ。公爵はピオンテーク家にセティシアを任せているんだ! 今後もだ!」


 ワリドはピオンテーク家という部分を強調した。アルバンの返答はなかった。それでいい。


「お前の統治は悪くないものになると俺は考えている。……何の説得力もないだろうがな」


 一度振り返るが、懸念材料であるゾフィア・ヴイチックの追撃はない。なぜ追ってこないんだ? 余裕の現われか?


 遠くなっていく剣の打ち合う音と兵士たちの叫び声を聞きながら、ワリドたちは無事に厩舎にたどり着いた。

 厩舎にはなぜかしっかりと厩舎番がいた。伝令などもあるのでいてもおかしくはないのだが……鍛冶師や勇敢な者以外の市民は家にいるか、教会に避難するかしているはずだ。


 厩舎番は温厚そうな青年だった。無謀か勇敢なのか。

 「アルバンを逃がす。馬を2匹もらうぞ」とワリドが言うと、厩舎番は気さくな表情でもちろんです、と頷いてすぐさま馬を2匹取り出した。どの馬も鞍がついていた。予知でもしていたような素振りだ。


「感謝する」

「ただれた兵団を叱ってくれるワリド様は我々セティシア市民の誇りです」


 ワリドは改まってそう言葉をつむいだ厩舎番に肩をすくめた。勇敢側だったようだ。


「お前は兵士じゃない。遺言めいたことを軽々しく言うな」


 厩舎番が笑みをこぼした。柔らかい笑みだった。ここで死んでほしくはないものだが、同時にここでしっかり死にそうな人物でもある。

 馬に乗せる間際に厩舎番が「アルバン様、お達者で」と頭を下げた。


「……ああ。お前も生きろ。生きて会えたらうちの厩舎番にしてやる」

「ネリーミア、トストン、任せたぞ」


 ネリーミアが頷いたあと、ワリドの胸に《氷結装具アイシーアーマー》を装着した。


「ないよりはマシですから」


 ネリーミアの言葉にワリドは頷く。


 そうして手を出してくださいというので、ワリドは左手を出しだすと両手で握られた。それだけだった。それだけだったが、……彼女の手はなかなか離れない。

 見れば、ネリーミアはずいぶん不安をたたえた顔つきをしていた。一瞬、不機嫌な時の表情かとも思ったが、違うんだろうなとワリドはすぐに悟った。


(今生の別れになりそうだからな)


 戦いはもういいと常日頃から言っていた彼女は、いつの間にか率先してついてくるようになっていた。

 それがどういう心境の変化だったのか、彼女が語ってくれたことはない。


 手が離される。もう一度目線を合わせるが、彼女は相変わらず不安そうな表情をワリドに向けていた。

 結局彼女はこれまでと同様に何も語らないようだ。もし、彼女ともう少し長く関わりを持てていたら、語られる日がきていただろうか。


「団長……」


 なんだ、と声をかけると、トストンは俯いたまま、「生きて戻ってください」と震えた声で言ってきた。

 再び戦場を振り返る。追撃はないようだ。


「当然だ。……行け」


 ネリーミアを見る。ワリドは彼女の肩に手をやった。頼んだぞと、いつになく優しい目つきと語調で青い目に言葉を添えた。意図して和らげたわけではなかった。ネリーミアは小さく頷いた。


 門から3人が出ていくのを見送ったあと、ワリドは勇敢な厩舎番に別れを告げて駆けてきた道を戻った。

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