7-33 幕間:その騎士の姿 (4) - 決闘
ワリドが戦線を離れている間に、状況がよくなっているはずもなかった。立っているオルフェの兵士はもう10数名ほどか。
ここに着いた頃には数も実力も同じくらいのように見えた。橋の上での戦いだけを見れば、確かにアマリアはセティシア軍――正確にはネリーミアの、だが――の手のひらの上にあった。だが、相手には七騎士の部隊があり、ゾフィアがいて、優れた回復の術がある。
白竜を崇めるアマリアの<黎明の七騎士>の部隊には、必ず優れた
その点ネリーミアの川に落とす足止めと防衛の手段は非常に有効打と言えた。時間を稼がねばならないという状況的にもよかった。
だが、彼女はもういないし、どの道あの射手たちがいたら長くは持たなかっただろう。
団員でなく、静かな隠棲を願っていたネリーミアが倒れてしまうという状況はあまり好ましくなかった。
アルバンの護衛を任せたのは彼女の魔導士としての実力的にも的確な判断だったと、ワリドは自分の判断を信じた。アルバンが生きていることは、ひとまず「最悪の敗北」を逃れることができる。
気付けば、屋根に弓を構えている者がいる。向かいの家にもいた。袋のねずみであり、自分もねずみになりに行っていることをワリドは理解した。
ワリドはただちに気を引き締め、奮起した。すべての矢と剣に対応できるように。
近頃は剣がよく冴えていた。反応もいい。今日もそうだ。もしかすると、一矢報いることもできるかもしれない。
そんな中でもよぎってしまうのは嫁のイデリーナと息子のデニスだ。だが、ワリドはすぐに2人のことは心象からどかした。彼らを思い浮かべるのはまだ……時期尚早だからだ。もっとも、近いうちに浮かべることになるだろうが。
――氷塊を打ち砕いた黒い鎧の兵士が、跳躍して巨大なハンマーで地面を叩いた。
大振りの攻撃は石畳の地面を思いっきり打ち砕く一方で、しっかり回避され、誰一人にも当たらなかったようだが、横に薙がれた思いのほか速かった追撃により2人の兵士が吹き飛ばされる。思わずワリドは立ち止まった。
おそらく奴が副官だろうとワリドは察した。<黒の黎明>の隊長は女で、従者も女であり、部隊の者も女が多いと聞くが、副官は忠実かつ体格のいい男だと聞いている。
得物こそ聞いていなかったが、槌系であるなら、対峙することを想定してもさほどの策も必要なかっただろう。もっとも、ドワーフをはじめとする槌系の得物を選ぶ者には当然他の者よりも優れた腕力がある。力があれば、振り回せる速度も変わる。不用意に近づかない方がいい事実は変わらない。
再び残った自軍の兵士たちに近づいていくと、まもなくめぼしい戦力がアイクだけらしいのをワリドは理解した。騎士団の団員は残念ながらサイモンだけのようだ。
至るところに兵団やアマリア勢問わず死体があった。数は自軍の方が多いように思われる。
アンゼルム、イグナーツ、タラークの死体があった。兵士を辞められなかったなと、ワリドは内心でぼやいた。
切り結んだ者も多くいただろうが、死体のほとんどには矢が刺さっている。
<黒の黎明>が弓が長けているとは、ワリドはとくに耳にしたことのない情報だった。
となれば、援軍の類だろう。あれほどの手練れなら、ワリドの耳に入っていてもおかしくはないものだが……どこからの援軍だろうか? ワリドはあの大言壮語の“大”将軍の手勢には思えなかった。彼が弓を教えられるような性分には到底思えない。
「ワリド様!!」
アイクが叫ぶ。
「よく持ちこたえた。さすが時期総隊長だ」
改めて見るまでもなく、戦況は明らかにもう多勢に無勢だった。さきほどの副官の男はハンマーを肩にかつぎ、もはや余裕すらある。
ゾフィアは相変わらず腕を組み、こちらを見ているだけだ。いったい何をたくらんでいるのか……。
名乗りをあげていたヴォーミルとかいう将軍も健在のようだが、彼はハンマー男と何か話し始めたかと思うと、剣から力を抜いた。
「お前たち攻撃を止めろ!」
と、ヴォーミル将軍がそう叫ぶと、兵士たちもまた緊張を緩めていく。黒い盾や黒い鎧を身に着けた黎明の兵士たちも同様だ。攻撃をやめるようだ。
(いったい何を考えてるんだかな。俺たちを捕虜にでもするのか? 何のために? アルバンは逃がしたし、金になるような貴族は1人もいないぞ)
「ボジェクはもう勇敢に逝ったか?」
「はい……そこの家屋に」
無念さをはらみながらも依然厳戒態勢を維持しているアイクの厳しい眼差しにつられてちらりと見れば、家屋に背を預けて少し変な恰好で動かなくなっているボジェクがいた。
鎧の腹にはまざまざと大きな打撃の跡があり、家の石壁にはヒビが入っている。察するにハンマー男と戦ったのではないか。
再度、傍の家屋の屋根で弓を構えている兵士が目に入る。鎧はヴォーミル将軍のものや黎明のものとも違うようだが、装飾の類もなければ、それほど目立った意匠もない。
生き残りの中にはイェネーもいた。アイクもそうだったが、彼にもまた負傷した形跡はない。
「お前も生き残ったか。やるな、イェネー」
「負傷知らずのイェネーから“不死身のイェネー”に格上げですかね」
ワリドはふっと笑みを浮かべた。ここで死ぬには惜しい逸材だ。誰もがそうだが。
サイモンに目が行く。
病気の妹のために騎士団に入団したことが思い出される。彼女の病気は無事に完治し、どこぞの商人の男と結婚した。
「すまないな、サイモン。付き合わせることになった」
「覚悟はしています。……剣を振れればと思わずにはいられません」
サイモンの左手には短剣が握られている。だが、治療魔法を得意とする彼の剣の腕はアルバンにも劣るだろう。
「気にするな。お前はいつもよくやっていた。ここに連れてきてしまったのを少し後悔しているよ」
と、残された短い時間をいくらか穏やかな心持で使っていると、橋からさらなる足音がやってきた。
やってきた兵士たちは……白い鎧を着ていた。中心にいる豪華な鎧と羽飾りをつけた白馬に乗った人物は、黄色の混じった翼の生えた冑をかぶっている。聞いている通りなら、ミスリル魔鉱の類だろう。
(……<金の黎明>か。筆頭騎士はなぶり殺しを好まない類の好漢だと聞いてはいるがどうだかな)
「もう終わっちまったよ。新党首さんよ」
「さすがだなヴォーミル。噂に違わぬ剛将っぷりだ」
ヴォーミルが鼻を鳴らした。新党首の彼は馬から降りた。……新党首だと??
そういえばアマリアでは隊長ではなく「党首」だったことをワリドは思い出しつつ、彼の声が若い気がした。ワリドはやってきた新党首に注意深く視線をやった。
白い冑に覆われていたのは、濃い茶髪で、ひょっとすると“少し遊んでいそうな”青年の顔立ちだった。落ち着き、不敵な笑みをたたえ、ヒゲは綺麗に剃られていた。ワリドは少なくとも自分よりは明らかに若いのを察した。
ハンサムな彼は、どこぞの貴族の息子だと言われても信じられそうだった。
<金の黎明>党首であり、筆頭騎士でもあったバウナーは貴族だが、庶子だった。バウナーは何かそういう陰湿な計画や貴族たちの目論見によって地位を落とされたのかとワリドは一瞬考えた。もちろん、レイダンの関与が疑われる。
だが、《戦気察知》は、彼の体から発せられている赤い戦気をしっかりとワリドに教えていた。
さすがにというか、ゾフィアほどの濃さは持たないようだが、彼の戦気は平常でもヴォーミルやハンマー男よりも大きさがあった。この戦気は、貴族のお遊び感覚で獲得できる代物ではない……。
ここにはひとまず、党首のバウナーがいなくなってしまったために、どうやら順当に彼が党首になったらしい事実しかないようにワリドには思われた。
「一番活躍したのは貴殿のエル……貴殿が応援を申請した弓兵の部隊です。彼らは素晴らしい腕前でした。なぁ、アントニ?」
「え、はい。……確かに、レイダン様の連れてきた弓兵部隊のおかげで戦闘がかなり優位に進められました」
そう言って、アントニと呼ばれた剣士が軽く頭を下げた。レイダンと呼ばれた彼は、ヴォーミルを軽く睨んでいたが、やがて息を吐いた。
あの弓兵部隊はエルフだったのか、とワリドはやけに練度の高い技術に納得しつつ、少し驚いた。フリドランがアマリアと共闘しているという情報はとくに聞いていない。いったいいくつの新情報が発見されるのか。
「それで? ヴォーミル。残った奴らをどうする気だ。なぜ攻撃を止めたんだ」
そう言って、レイダンはワリドたちを視界に入れる。ワリドと目が合うと、彼は意味ありげに薄い笑みをこぼした。少々高慢な笑みにも見え、あまりもらいたくない種類の笑みだとワリドは思った。若さや野心、くわえて地位は、邪心につけ込まれやすいものだ。
やがて、<金の黎明>の金色の飾りをつけた兵士たちがレイダンの前に来て武器をワリドたちに向ける。ワリドの周りでは緊張が走るが、今のところ彼らに攻撃を仕掛ける気配がないことはワリドには分かっていた。
「いや、それが……。スラ……スラ……<黒の黎明>の副官殿が」
ヴォーミルに、「スラウォミールだ。いい加減覚えてくれ」とハンマー男。
「スラウォミール殿が止めてくれと言いましてね」
「ヴイチック様がそう仰ったのです」
スラウォミールの説明によって、レイダンたちの視線がゾフィア・ヴイチックに行く。ワリドも見たが、党首の彼女はとくに言葉を発さなかった。
「理由は?」
「いえ、とくになにも。その辺でやめておけ、とだけ」
レイダンはスラウォミールの解答に少し考える素振りを見せていたが、やがて息を吐くと、「なら、この場は私に任せるということだな」と言い始める。
自分たちは今狩られている側とはいえ、少々呑気なやり取りだとワリドは思う。とはいえ、切りかかるには相手が強者すぎた。もし生き延びる手段があるのなら、情報を持っていて損はないが。背後の門の方にはアマリア兵はいない……。
レイダンが再びちらりとゾフィアに視線を寄せると、彼女は肩をすくめただけだった。
レイダンはまだ党首になり立ての様子だ。他の党首との意思疎通がうまく図れないこともあるだろうとワリドはそう思うが、レイダンはそんなワリドの内心をよそに、
「では再開だ」
と、突拍子もなく腕を上げた。
腕をワリドたちの方に振りながら、仕留めろ、と冷淡にそう言葉を言い放った。
間もなく、前後左右から到来する数本の矢。サイモンと数名が負傷した。ワリドにも飛んできたが、とっさに剣ではじいた。やはり冴えている。だが……
(ここが死に場所か……!)
矢を皮切りにワリドたちの前方にいた兵士たちも駆けてくる。ワリドも改めて構えた。
死に場所が分かったとはいえ、むざむざ死ぬわけにはいかない。
ワリドはゾフィアは言うに及ばず、レイダンやヴォーミル、スラウォミールですら攻撃に転じないのを察し、切りかかってくる兵士たちと切り結ぶことに全神経を注ぐことにした――
――何人斬っただろうか?
時々到来してくる矢を避け、あるいは弾き。黎明の部隊でも、副官クラスでないなら、ワリドでも相手をすることができる。
ボジェクの言っていた3本の剣の紋章は、どうやらヴォーミルが所属している隊のようだが、1人1人の実力は騎士団の面々と大差がなかった。数の差はあるが、うかつなのか、治療師もいるし余裕からなのか……背後は空いているので、下がりながら戦えばよかった。下がりすぎると、進路を阻むように矢が飛んでくるのだったが。
これといった戦闘用の魔法がこなかったことも大きい。
こういう公開戦闘になると魔法は卑怯な戦法になりがちだ。とくに指示は出していないようだったが、そういった“作法”をレイダンは持っているだろうか? 騎士道精神的な作法を重んじる若い新党首なのか、結果を重んじる野心家の若い新党首なのか。ワリドにはまだ判断がつかない。
――もっとも魔法のないことがあまり「油断」に繋がらないのが辛いところだと、肩で息をつきながらワリドは思った。
個々の実力はあっても、数が足りなさ過ぎた。割と早いうちから3人になっていた。アイクとイェネーとワリドの3人だけになってしまった。
3人とも幸い致命傷はないが――イェネーが負傷しなかったのはワリドはちょっと驚いた――何度か危なかった。アイクの目が広かったのが命拾いだった。ワリドはもうこれ以上は《戦気閃》の温存は難しそうだと思った。
「なかなかやるのう! お前たち名前と所属を名乗れ!」
ワリドは残った2人と目くばせしたあと、名乗った。余計な火の粉が飛ばないよう、アングラットンの騎士であることは伏せた。
「……身軽なのが北部駐屯地のイェネー、よく声を飛ばしていたのがセティシア兵団の副隊長アイクだ。覚えておけ」
「うむ。覚えておこう!」
ヴォーミルは力強くそう頷いたかと思うと、「さあて」と前に出てくる。ついにヴォーミルもくるか。ワリドは剣を握る力を強めた。
「イェネー。前に出てこい。私とやりあおうではないか」
(……は? 決闘か?)
イェネーと目が合い、首を傾げられる。どうやらヴォーミルはいよいよ戦いが好きな男のようだが……。
「新党首殿」
伺いを立てるように見てくるヴォーミルにレイダンがこれみよがしにため息をついた。
「たとえ死んでも俺はお前の名誉をフォローしないぞ。エルトハル男爵には、大事な戦いの最中に決闘を挑んでおいて負けたど間抜けだと伝えるだけだ」
ヴォーミルが豪快に笑った。
「どうだ、イェネー?」
しばらく間があったが、イェネーは大きく息を吐き、
「……アイク殿。ワリド様。実は私は近頃スキルの発現があったのです」
そうしてそんな言葉を投げかけた。
「何のスキルだ」
「《逆境覚醒》という非常に珍しいスキルです」
ワリドは聞いたことがなかったが、アイクは聞いたことがあったようで、驚いた様子を見せた。レイダンも知っているものらしく、関心を示した。
「言葉のままなら劣勢時に強くなりそうなスキルだが……」
「その通りです。追い詰められている時に、身体能力が向上するスキルです。人づてに聞いただけですが、効果はかなりのものだと聞いています」
つまり……。
「お前がこれまで生き残っていたカラクリというわけか」と、ワリドがこぼすと、「その通りです」とイェネーは同意した。ワリドは、イェネーが駐屯地の隊長でもない兵士にしては大した傷を負わず、動きがやたらよかった理由に納得がいった。
「まあ、ミノタウロス戦の負傷は完全に私の油断ですが」
「油断するなよ?」
「はい。もちろんです」
ワリドとアイクがイェネーから離れると、ヴォーミルからも兵士たちが距離を取り始めた。
ワリドは決闘中に逃げられないものかとふと考え、周囲をちらりと見まわしてみたが、時間を稼ぐならこのままがいいかと踏んだ。
もっとも、長引くようにはあまり思えなかったし、決闘中に逃げるなど、したくもない相談だったが。
「ヴォーミル、奴はレアスキル持ちだぞ。せいぜいやられないようにするんだな」
「ふっ、スキルごとき。私を誰だとお思いか?」
ヴォーミルが、音頭を鳴らせ、とそう叫ぶと、ヴォーミルの部下らしき兵士たちが、槍の石突や剣鞘など、地面を各々の得物で突き始めた。黎明の者は油断なく武器をワリドたちに向けたままに。
――周囲で一定のリズムが刻まれながら、間もなく、2人の戦いが始まった。
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