7-34 幕間:その騎士の姿 (5) - 可能性の子供


 力はヴォーミルの方が明らかにあった。


 力強いバスタード・ソードの一撃の数々は、いくたびもイェネーを切り伏せ、貫こうとした。

 だが、イェネーには一度も当たらなかった。イェネーはかすめそうなぎりぎりのところで避けているようだった。


 イェネーの一撃は新スキルの身体能力向上効果をもってしても、ヴォーミルの攻撃の勢いには敵わないように見えた。

 イェネーの攻撃は何度か入ったのだが、鎧にかすめる程度らしい。ヴォーミルがそれほど愚鈍でないこともある。だが、なんにせよ、目を見張る内容だった。


 ヴォーミルは体格の良さと長身であること、そして名乗りを上げ、決闘を申し出る騎士道精神に溢れる言動のままに力強い戦い方をするようだが、将校らしく、愚直に突撃することはなかった。

 戦場に行きたがる者は若い者を中心にどこにでもいるものだが、しっかり生き残ってきたのなら話は別だ。経験は裏切らない。ワリドは特別戦場に行きたがったことはなかった口だが、ヴォーミルを参戦の経験多き男だろうと察し、自分と同等かそれ以上の実力を秘めた人物でもあるだろうと推察した。


 そのようなヴォーミルと、イェネーは渡り合っている。イェネーは将校ではなく、一兵士だ。

 さきほどの戦いでも何度かそう思ったが、今のイェネーはタラークと互角以上に戦えるかもなとワリドは改めて《逆境覚醒》の効果に驚きつつも思った。タラークとイェネーは体格も同じくらいだ。


「……隊長と張り合えたかもしれませんね」


 どうやらアイクも似たようなことを考えていたらしい。


 イェネーはレベル30程度だろう。ヴォーミルはワリドと同程度であり、おそらく40から45程度。本来なら、レベルが10も離れていれば実力の差は明白だ。ひどい内容だとかすりさえしない。

 つまり、《逆境覚醒》は両者の実力差ないしレベル差を、10以上も引き上げていることになる。そのようなことが容易く出来るのなら、都市警備兵間における副隊長と隊長の力量の差はなくなってしまうも同然だ。


 想像してみたボジェクとイェネーの戦いは正直、厳しそうだとワリドは思った。単純に技術もそうだが、ボジェクはああ見えて“屋根の修理もできる”器用な男だった。

 戦いにおいてもそうで、異種武器戦闘には手慣れているし、寝技までできた。様々なスキルに対する対処も手広く心得ていた男だったし、仮に同程度の力量だとして、イェネーがスキル頼みでどうにかできるようには思えなかった。


 だが、もしワリドたちに未来があるのなら……分からなかっただろう。ボジェクはもう老いるだけだった。維持はできても伸びることはない。

 尊敬すべき1人だったというのもあるが、だからワリドは、彼の近年の放蕩にはあまり強いことが言えなかったものだ。


 そのようにワリドたちを驚かさせた戦局だったが……一向に変化がなかった。

 反撃に転じるイェネーの剣はかすりこそすれ、1つもまともに入らなかったのだ。レアスキルがあると聞いても自信を崩さなかったように、ヴォーミルは戦闘の勘がすこぶるいいものらしい。


「ははっ!! やはり私の身込んだ男だ! 楽しませてくれるっ!!」


 そうしてやがて、ヴォーミルとイェネーの剣がぶつかるようになっていく。ヴォーミルがイェネーの動きに対応してきたようだ。

 イェネーはというと、ヴォーミルの剣を受け続け、ときには流しながら、相変わらずかろうじて免れているといった様子だ。経験の差が出たか、とワリドは悔しい気分になる。


 経験の差と新スキルによるレベル差補完。この劣勢の局面をイェネーはどうするのか?


 剣の打ち合う音はいつまでも続いていた。周囲で刻まれていた地面を叩く音は徐々に音量を増していった。音の乱れもなくなり、熱量は最高潮だ。兵士たちも戦いに魅入っているようだった。


「いいぞ!! そろそろ打ってこい!! お前の一番を!!」


 ヴォーミルが剣を振りながら猛ってそう叫ぶが、イェネーは何も返答せず、たださばき続けていた。


(……いや、出来ないと言う方が正しいか)


 ワリドはヴォーミルにはまだまだ「手」があるに違いないと思う一方で、イェネーの方には手立てがないようなのを察し、イェネーの勝機が薄まっていくのを予感した。


 レベル30ほどになると、誰もが1つはスキルを発現している。多くは攻撃系のスキルだ。

 だが、イェネーが発現したのは、身体能力向上系のスキルだ。攻撃の手段が増えたわけではない。攻撃系スキルの威力は絶大だ。ない者はある者と比較しても、戦力的に大幅に劣ってしまう。


 レアスキルを発現したのだ。いずれ攻撃系スキルも1つや2つ軽く発現しただろうが……。


「……ふむ! ここまでか。仕方なし!! では、さらばだ――」


 ヴォーミルはそのような別れの言葉を唐突に告げると、刀身がぶつかって鍔迫り合いバインドになって間もなく、「うおぉらっ!!」と、渾身の力でイェネーをはじき飛ばした。


 そうして、イェネーの下半身に向けて鋭く薙がれる追撃の剣。イェネーは態勢を崩されながらも、後方に跳躍して避けた。

 だが、それを分かっていたとばかりに、ヴォーミルは既にさらに踏み込んでおり、イェネーの頭上に剣を振り下ろしていた。《十字斬り》だ。それもかなりの練度だ――


 ――イェネーの首は繋がってこそいたものの……イェネーは深く斬りつけられた。肩を裂かれ、大量の血を流しながら倒れ、もう起き上がってはこなかった。


「……ふむ。良い戦いだったな。運はあるようだったが、惜しい男だった」


 戦いを鼓舞する旋律が終わり、兵士たちから歓声があがる。ワリドも、イェネーの亡骸に良い戦いだったと内心で讃えつつ、イェネーの数年先が見れなかったことを嘆いた。


「……次は俺だな。……ワリド様。“あなたが来ないこと”を願っていますよ」


 ワリドは苦笑した。つまりそれは、ヴォーミルやスラウォミールは言うに及ばず、ゾフィアやレイダンすらも倒すということだ。もしくは、逃げ延びるか。


「なかなか無茶な願いだな。俺はそんなに強くない」


 アイクは顔を向けないまま微笑すると前に進んで、無言で剣先をスラウォミールに向けた。


「ほう! 3連戦か。よい、よい!! “スラミール”やってやれ!!」


 ヴォーミルが観戦好きの成金貴族よろしく、間違えながらそう磊落な笑みを浮かべたのに対し、スラウォミールは、「スラウォミールだ」と訂正しながら、ゾフィアに顔を向けた。


「好きにしな。ただし、一度でも奴の剣が入るならお前は降格だ」


 ずいぶんなめられたものだとワリドは思うが、スラウォミールは、分かりましたと落ち着き払って返答した。

 レイダンを見てみると、腕を組みつつ、それほど楽しんでいる風ではなかった。仮に筆頭騎士を排した若い野心家であるなら、占領中の決闘など無駄な行事にも思えるのかもしれない。


「お前の隊長を俺がやったのは見ていたはずだが」


 と、そうアイクに言葉をかけるスラウォミール。


「俺は総隊長より実力がある」

「ほう。なのに総隊長になれてないのか」

「指揮官の才は俺にはないからだ」


 そうか、とスラウォミールはあまり興味がないのか、会話を続けることはなくハンマーを構えた。兵士たちは再び地面を鳴らし始めるが、スラウォミールがしなくていいと言うと、やがて音は鳴りやんだ。


 スラウォミールの巨大なハンマーは少々変わった外見をしていた。

 形状こそ、鍛冶師が使うハンマーに類する形をしているのだが、戦闘用だ。打つ頭部の部分は鍛冶師のものに比べ物にならないほど巨大だし、反対側には釘抜きの類があるわけもないのだが、代わりに筒のようなものがあった。


 残念ながら、槌系武器の知識はワリドにはあまりない。

 だが、仮にも副官が持つ武器だ。しょうもない武器であるはずもない。実際、ネリーミアの氷塊を粉々にし、ボジェクや兵士たちを吹き飛ばしている。


 ハンマーには、見事な金属細工と彫刻が節々に施されていた。ただ、見慣れない意匠だ。ハンマー自体もミスリルを思わす濁りのない銀色の煌めきがあった。幾度となく振り回し、石畳を破壊しているのだから、剣の一撃などそう簡単に通るはずもない。

 明らかに魔法道具マジックアイテムだろう。副官以上の戦闘では、やわなものは扱えない。七星、七影の副官の中には扱う者がいるように、神級法具アーティファクトかもしれない。


 ドワーフでもハンマーを戦闘に用いる者は多くない。魔法効果も不明だ。ワリドは戦いにくい相手だろうとアイクの身を案じた。


「おそらくそう時間はかからんからな――」


 ワリドのそうした内心をストレートに代弁したスラウォミールは駆け、ハンマーを振りかぶり、アイクに向けて降り下ろした。

 アイクは軽々と避けたが振り下ろされた一撃は地面にぶつかることはなく、次いだ横からの追撃により、攻撃には転じることができない。ボジェクをやったハンマー使いだ、一筋縄でいくわけもない。


 それにしてもワリドはハンマーの速度に違和感を覚えた。重量感を少なく感じたのだ。

 ハンマーそれ自体は相当の重さと威力があるように思えるのだが、振る速さが、剣速とさほども変わらなかった。これは何かあるな、とワリドは思う。武器の重さ、振る速さは、魔法道具であれば外見からの判断はできないし、危険だ。


 2回目。3回目。アイクは3回目の打撃にしてようやく攻撃に転じることが出来たが、――まるで突きのような、ずいぶん速い一撃がアイクを襲った。ハンマーの筒の部分が淡く光っていた。

 アイクは剣を両手で抑えてかろうじて、横殴りの一撃を防いだ。ワリドが思う以上に重たい一撃のようで、アイクは決死の表情でハンマーを止めている。


「“はしれ”――」


 だが、スラウォミールがなにかを呟いたかと思うと、筒が強く光り出した。筒に等間隔で開けられた穴からこぼれる白い光はいよいよ濃くなり――


 ――アイクは猛烈な勢いで吹き飛ばされ、豪快な破壊音を立てながら、家屋の石壁に穴を開けていった。

 スラウォミールはその勢いのままぐるぐるとその場で2回まわったかと思うと、やがて止まった。アイクが飛んでいった家屋を見ながら、おもむろにハンマーを地面に立てる。そうしてしばらく家屋を見ていたが、やがてワリドの方を向いた。


「お前は知っているだろうが、隊長に必要なのは経験だ。指揮能力も必要ではあるがな。……奴の隊長は、俺のダグザヴィアに触れまいと苦心していたんだがな。まあ、その前に実力の差もあったが」


 吹き飛ばされた先からアイクが立ち上がる気配はなかった。ダグザヴィアがハンマーの名前のようだ。


「隊長になる者はその組織に一番必要とされた者がなるべきだ」


 ワリドの言葉に一瞬スラウォミールは自軍の方に戻る足を止めたが、わずかに肩をすくめただけだった。

 ワリドはもう一度アイクが飛ばされた家屋を見た。パラパラと家の石材が落ちる音がするばかりで、人が出てくることはなさそうだった。イェネーと同じように、アイクもまた、先が楽しみな男だった。


「さあ!! ワリドだったか? 残るはお前ひとりになったぞ!」


 ワリドは急かすようにそう言うヴォーミルに軽く息を吐くと、迷うことなく視線を新党首に向ける。


「おお? ご指名らしいですな」


 隣のヴォーミルの部下の兵士と話していたレイダンは、ヴォーミルを見、次にワリドを見て事態を理解すると、あからさまに嫌そうな顔をした。


(仮にも隊長、いや、党首だ。敵うとはみじんも思っていない。決闘は好きでないらしいが……「やり口」はないわけではない――)


「レイダン! <金の黎明>新党首のお手並み拝見といかせてもらおう!!」


 ワリドはわざと大声を張り上げた。周りの兵士たちに聞こえるように。劇などには生来興味はなかったが、役者ぶるのも少し意識した。

 レイダンはいよいよ苦虫を噛みつぶしたような顔になる。


「俺はこういうのは好きじゃ、」

「人類最高峰の剣士と謳われたバウナー・メリデ・ハリッシュ! ……の後代に据えられた者がどれほどの実力か、……俺は気になって仕方がない! まさか、陰謀の類で彼の席を排し、のし上がったわけでもあるま――」


 ワリドはそこで言葉を止めた。左頬のすぐ横を、短剣が突き抜けたからだ。後方から、カラカラと剣が地面を滑る音が聞こえてくる。


「……気が変わった。いいだろう。この俺自らが相手してやる」


 レイダンは隣の兵士の短剣を鞘から抜いて投げたようだ。もっとも、ワリドはその動きはまるで見えなかった。隣の兵士も、腰にある鞘を見て目を丸くしている。


 ワリドは彼の実力の一端に納得しつつ、内心でほくそ笑んだ。やはり若いようだ。そして、彼の出世には何かしらの事件――小さなことかもしれないし、大きなものかもしれない――があったことも察した。

 それを知ることが出来れば、満足して逝くことができるだろうし、ボジェクやアイク、イェネーたちへの良い手土産になるだろうが……冷酷になった彼を相手に果たして知る暇があるのかどうか。


 ワリドの勘はあまりそうは告げてはいないが、単に彼が、バウナーの信奉者であるという可能性もある。


 レイダンは剣を抜いた。


 柄頭、鍔の先、そして刀身の根元と、施された同様の意匠の彫刻飾りが見事な剣だった。魔法道具の意匠を模したものなどいくらでもあるし、魔法の武器かどうかは分からなかったが、ミスリルは確実に混ざっている剣だろうとワリドは察した。

 ただ、さきほど魔法道具の巨大なハンマーを見たせいか、党首の剣にしてはいささか地味なように見える。彼にはまだ党首が持つべき武器を支給されていないからか、バウナーと同じく彼も武骨な性質なのか。それとも……彼がまだ周囲から“正当に”認知されていないからか。


「<金の黎明>の党首が、たかが都市警備の隊長ごときに舐められたのではな――」


 ――ワリドは息する暇もなく到来してきたこの不意打ちめいた一撃に冷や汗をかいた。レイダンの瞬足の剣は明らかにワリドの首を狙っていたのだが、以前の……そう、たった1ヵ月ほど前のワリドなら、ここで命を終えていただろうと察したからだ。

 だが、ワリドは回避に成功していた。もう1つ遅いなら、自らの剣で軽く流すこともできただろう。この頃自分の動きがいいのは知っていたが、ワリドはさすがに自分にも《逆境覚醒》などの新しいスキルでも発現してしまったのかと少し疑ってみてしまった。


 レイダンが不敵な笑みをこぼした。


「ただの警備兵ではないな。下手な役者ではあったが。まあ、どうでもいいことだ――」


 刺突。斬撃。次ぐ、体重を乗せた重たいたたみかけの一撃。

 ワリドはレイダンの怒涛の連撃に防戦一方だったが、しかし、とにもかくにも、開幕の瞬足の一撃もそうだったが、レイダン――七騎士党首の速さに追いつけるのが意外だった。くわえて、スラウォミールのハンマーのように未知なる魔法道具で手の内が読めないよりはマシだなと思える余裕すらあった。


 レイダンの剣は、剣先を相手に向けた構えが同じこともあり、アンドレアスの剣を彷彿とさせた。

 七世王の懐刀であり、七星や七影も油断できないと評されるアンドレアスに勝てたことがあるわけではない。あるわけではないが……七星や七影の隊長たちのように、全く歯が立たなかったわけではない。


 と、ワリドがいくばくかの余裕を持って防戦に細心を払っていたのもつかの間、レイダンの構えが変わった。

 剣先は地面にあり、頭と上半身ががら空きだった。もちろんレイダンの視線はワリドにある。見たことのない構えだった。


 レイダンは不敵な笑みを消し、顔から表情を消していた。ワリドの動向をうかがうように、警戒する動物がそうするように、地面を擦るようにじりじりと右に左にと動いていた。


 ――やがて、レイダンは再び薄い笑みをこぼし、「打ってきていいぞ。いつでもな」と挑発してくる。


 ワリドは打ってこいと言われて打つような輩ではないが、少し思案した。頭も上半身も空いている。なら、“あえて開けている”のだろう。

 党首の剣にしてはずいぶん分かりやすいというか、姑息な構えのように思ったが、しかし、早々と見切りをつけたようで、レイダンは剣を胸まで上げたかと思うと、再び連撃を見舞ってくる。


 だが、きたのはさきほどのアンドレアスを彷彿とさせた剣技ではなかった。流れるような体さばきが加わっていた。剣技も、そして構えも全く違う代物だった。

 ワリドは一気に動きが読みづらくなり、対応が遅れ、何度か一撃をもらう羽目になった。初撃は負傷を覚悟したが、レイダンの剣は軽かった。


「ぐっ……――」


 その間に、ワリドは打てる隙を見つけた。相打ち覚悟になりそうだったが、もう防戦という好機はなくなった。なら、打つしかない。

 ワリドは神経を研ぎ澄ませて、腹への一撃をかろうじて避けつつ、その瞬間にレイダンに剣を突き出した。――だが、レイダンは分かっていたとばかりに剣先を下げていた。ワリドの剣は軽々と持ち上げられ、ワリドの首は――


 だが、とっさに体をかがめ、無理やり下げた剣で受け止めたことにより、ワリドは後ろに半ば転がされつつもこの一撃をもらうことはなかった。

 ワリドは溢れてくる冷や汗をぬぐいながら、自分の身体能力とずいぶん大胆な、曲芸師じみた発想の受け身に内心では驚いていた。


 そして、気付いた。


(なるほどな……「規格外な彼」との手合わせが生きているわけだ……)


 近頃妙に反応がいいことも、ダイチとの手合わせによる「衝撃」が大きかったものだと思えば、納得ができそうだった。七竜そのものである疑いのあった彼のほとんど見えなかった動きに比べれば、彼らはみな遅くて当然だ。

 ワリドはいくぶん気が軽くなった。そして、自分の未だあるらしい伸びしろに心が躍った。死にゆく瞬間に、喜びを味わえるとは幸せ者だ。


「……なんだその動きは。少し驚いたぞ。お前、警備隊の隊長などではないな?」


 ワリドはそれには答えてやらず、「俺の方が驚かされている。いったいいくつ流派があるんだ」と、質問した。

 レイダンはひょうきんに眉をあげる。ワリドは呼吸を必死に整えている一方で、レイダンには疲れた様子はみじんもない。


「さあな。少なくとも、3つの流派は完全に俺の物にした。もっとも、これでも俺は前代党首には敵わなかったがな」


 それはそうだろう、亜人をしのぐ身体能力を持つ者を前に、流派をいくつ並べたところでしょせんは人族が放つ技だ。違いは根本的な身体能力の差であって、表面的な技術の差ではない。

 しかし、レイダンがいわゆる「天才剣士」であることは良い情報であるはずもない。レイダンを七星七影の隊長格だと思えば、単に天才的な剣士だというだけだし、これほど楽な相手もないが……。


「……お前を相手にするならじゅうぶんだろうがな。さて。……もう容赦はしないぞ――」


 ただ、レイダンの言葉のままに、ワリドの思惑は易々と裏切られることになった。


 まず、ワリドは、レイダンの《瞬歩》を用いての素早い斬撃と、続けて背後にまわった計二連撃の攻撃スキルに、傷を負わされた。これまでの剣が嘘だったかのように、鉄の鎧は何の意味も持たずに切り裂かれた。


 次いで、息つく暇もない怒涛の刺突。《怒涛突き》のように見えたが、レイダンは間に蹴りを入れ、さらに斬撃も加えてきた。天才剣士なら、スキルに独自性も加えるだろう。

 ワリドの鎧は矢が何本も貫いたかのように軽々と穴が開き、穴からは血が流れだした。もしここにダイチとの手合わせが生きていたとするなら、微妙に体を反らす意志が働き続け、致命傷は避けられていたことだったろう。間もなく消えてしまったが、ネリーミアの《氷結装具アイシーアーマー》が防御していたこともある。


 そして、頭部を狙った円を描くように大振りだが豪速の一撃だ。ワリドはかろうじて剣を持ってくることができ、顔への一撃は避けつつ流すことで威力も多少弱めることができたが、吹き飛ばされた末に石造の家屋に体を強く打った。

 一瞬意識がかすんだが、追撃の気配を感じてとっさに体をひねった。レイダンの一撃により、ワリドのいた壁には軽々と穴が開いた。


 体の節々で熱と甚大な痛みを感じ、呼吸もしづらくなりながらも、ワリドはレイダンから離れつつよろよろと立ち上がった。


「誇っていいぞ。正直ここまでやるとは思わなかった。……なあ! ゾフィア! ここまでやるとはな!?」


 レイダンの呼びかけに、だがゾフィアは何も返答しなかった。レイダンはゾフィアに向き直り、苛立ったように叫んだ。


「おい!! ゾフィア! どこにいるんだ! そうは思わないか??」


 ……ワリドは朦朧としてくる意識の中で、もう今しかないと考えた。


 《戦気閃》の一撃は地面に撃ち、二撃目はレイダンの体に。


 ワリドは気取られないよう、剣を握る手だけを強めた。そして剣先に集中した。


 ――だが、唐突に訪れた背後の気配と胸を貫いたものの存在に、《戦気閃》の集中が途切れた。

 ワリドの胸からは黒い槍の穂先が飛び出していた。背中には皮膚と肉が裂かれた尋常ならざる痛みもある。


「レイダン。遊びは終わりだ」


 槍が抜かれ、ワリドの体はびくりと小さく跳ねた。そうして間もなく、ワリドは体から力が抜けるように地面に伏した。血溜まりが大きくなっていく……。


「……これは何の真似だ?」

「新党首の動向はただでさえ、みなが気にしている。あまり騒ぐな」

「騒ぐもなにも……別に俺は何もしちゃいないが」

「こいつの不意打ちをくらって傷を負うだなんてことがあってみろ。私は<金の黎明>に厄災を呼び込む者として、晒し上げられる羽目になる」

「……不意打ち? そんなの分かってたに決まってるだろ」

「どうだかな。私はバウナーの後ろにくっついてないお前をよく知らないのでね。こいつも警備兵の隊長にしては動きが変だ――」


 倒れたワリドは抗いきれない死期を悟り、最愛のイデリーナとデニスの顔を思い返していた。もはや、あるのは穏やかな死のみだった。

 だが、レイダンが不意打ちを分かっていたことが耳に入ると、生への憧憬は唐突に終えてしまい、ワリドははからずも口元に笑みを浮かべてしまっていた。


(分かってたか……ふふ。……まだ、もう少し……)


 そうしてもう体はろくに動かない中で浮かんだのは、彼――ダイチだ。

 動くのは……腕……いや、もう、手だけか。彼ならこのような絶望的な状況でどうしただろうか、と妙にはっきりしてきた意識の中、ワリドは考えた。


 ダイチとの手合わせのあと、ワリドは自分の戦い方を根本から見つめ直していた。

 どう動き、どう斬り、どう対処するか。若い頃にさんざん悩みぬき、現在まで戦い抜いてきた自身のスタイルへのその根本的な疑念はやがて、いくつかの案を打ち出すことになり、試したりもしていたのが、その1つには、自身の必殺の一撃である《戦気閃》の可能性を広げられないか、というものがあった。


 《戦気閃》は、達人ともなれば、武器を介さずとも《戦気閃》を出せるという話があった。もちろんワリドは自分が《戦気閃》の達人だとは露ほども思ったことはないし、そのようなことが出来るとも思ったことはなかった。

 だが、そのような大多数の人が滑稽にも思う考えを、近頃のワリドはそうだとは思わなかった。だから少しだけ、練習してみた。だが、出来たわけではない。出来る可能性は確かにあると確信できただけだ。


(ダイチは……《魔力装》が使えるんだったか……彼のことだ、……獣人の兵士の《魔力装》などよりも練度は高いのだろう。……その切っ先は……長く、硬く。……鋭いのだろう。……)


 ワリドは、もう散っていってほとんどない手に溜まった戦気を、2人に向けられている右手の指先に集めていった。

 成功したが、ごくごく微量の量だ。あまりにも微量なので、思わず笑みがこぼれてしまったが、ワリドは純粋に嬉しかった。


 一本取らせてやった時に喜んでいた幼かった頃のデニスの様子が浮かんだ。

 そうだ。いくつ歳を重ねようが、未習得の未知なる技の前にはみな幼子だ。そしてワリドは、これから訪れる自分の死を嘆いた。自分が死期に遭遇するに辺り、嘆き悲しむ性質だとは思っていなかったため、いっそう悲しかった。


 ワリドは出来れば打つのはレイダンがよかったが、そこまでの余裕も時間もなさそうだった。


 指先をゾフィアに向け、ナイフほどの小さくて細い《戦気閃》を、彼女の背中目掛けて放つ。


 ――パシュ。というあまりにも頼りない音が鳴った。ゾフィアは背中にまわした防壁を破壊した槍で、ワリドの最後の一撃を防いだ。


「……ほら見ろ。《戦気閃》を指先から出す者など、私は見たことがない」

「……なるほど。確かに想定外だ。……くく」

「何がおかしい?」

「ヴォーミルの奴が決闘を言い出した時にはうんざりしたものだが、悪くないと思ってね」

「……ふん。どの道、手合わせの類はこれから嫌でも受けることになる。党首としてな」

「楽しみにしとくよ」


 ゾフィアがワリドに向き直った。


 もう何も考えられないぼやけた頭の中で、ワリドはかけられる言葉を待った。

 さしたる間もなく。首への鋭い衝撃と唐突な暗転が訪れ、男の幕は下りた。

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