4-5 出立前日 (5) - 晩餐
ディアラたちに水浴びで汗を流させ、稽古で使った服をミュイさんに手渡したあと、俺たちはガンリルさんの家に向かう。
ガンリルさんはメイホーに降りてくる時に会った、この世界で初めて出会った人間だ。
色々あって接する機会はあまり生まれなかったが、彼の温厚かつ親切な人柄が、人里に赴く俺の不安を取り除いてくれたのは言うまでもない。
家の前にくるといつぞやの御者の人が出てきて、ガンリルさんを呼んできてくれる。
「おぉ! ようこそおいで下さいました。ダイチ殿にイン殿、それにディアラ殿にヘルミラ殿」
扉から出てきたガンリルさんは、いくらか肉のついた人好きのする顔を綻ばせながら、両手を挙げたあと、片手を胸に当てて歓迎の意を示してくれる。刺繍の入った茶色いシャツの袖から赤い宝石をはめこんだ細いブレスレッドが覗いた。
「お主も元気そうだの」
ディアラとヘルミラは俺たちの後ろでペコリと軽く頭を下げた。
「すみません、ご招待してくれたのに来るのが遅くなってしまって」
「いえいえ、聞いたところによれば何でも忙しくしていた様子。それもメイホーの人々のお役に立っていたとか。先日の不思議なスープも堪能させていただきましたし、そのような方々と晩餐ができるのなら、このガンリル、順番待ちも苦ではありませんよ」
「うむ。苦しゅうないぞ」
インは心なしか上機嫌だ。スープ作りの時もなんか仲良い感じだったもんな。
「……おや、ディアラ殿とヘルミラ殿は少し逞しくなられましたか?」
「分かりますか? 最近ちょっと訓練をしていたんです」
俺がガンリルさんの気づきに得意然としていたからか、ディアラとヘルミラがちょっと恥ずかしそうにする。
「なるほど、なるほど。分かりますとも。以前よりも顔つきも所作も、毅然としていますからな。これならばダイチ殿やイン殿を襲う輩がきたとていとも簡単に退治できましょう」
なんだか褒めすぎな気もするが、嬉しいことには変わりない。俺はいつも見ているせいで、特にレベルアップに際しての二人の変化には気付けなかったしね。
「私には息子がいましてな……ああ、いや、立ち話もなんですから、どうぞお入りください」
長話になりそうだが、楽しい歓談の場になりそうな予感を抱きつつ、俺たちはガンリル邸に入った。
ガンリル邸は建物の作りこそ変わらないものの、樹木は手入れされ、玄関口にはタイル状にした石を並べてあったりで、外観からでもメイホーの裕福層の建物といった様相があったが、中は壺やら置物やら、ここら辺では見ないペルシャ絨毯っぽい絨毯やら、物が多い。
同じく富裕層であるに違いない村長宅もそこそこ物があったが、村長宅の内装が年齢相応に実用性と質素さを重視していたと形容するのなら、ガンリル宅には間違いなく絢爛さがある。ただちょっと雑然としている感があるのは、骨董商らしさ、収集家らしさといったところだろうか。
「なにか珍しいものがありましたかな?」
周囲に視線をうろつかせる俺に気づいたのか、ガンリルさんがそう声をかけてくる。
細長い長方形の壺がちょっと気にはなったので、話題として触れてみる。
「変わった形だが、随分綺麗な壺だのう」
壺は縦長の長方形で、寸分違わぬ採寸の元作られたことを窺わせる。
また、壺は上半分は白いのだが、下半分は下がるにつれて徐々に青紫がかる。グラデーションだ。色が塗られている陶器こそあれど、グラデーションがかったものは市場でもまだ見たことがない。
さらには、底が2センチほど透けている。透けていなかったら、インテリア雑誌のモダンな部屋の片隅にでも置いてありそうなよくある壺なんだが、透けていることで、かなりアートな一品っぽさが上がる。
「ほう。なかなかお目が高いですな。この壺はその昔にアマリアの商人から買い取った珍しいものでしてな」
「下はガラスか? 透けておるようだが」
「ですな。花を生けると、下が透けているので根が見えて不思議な気持ちにさせられますよ。私は好きな一品なんですが、当の商人は少々持て余していたようでして」
「そうなのですか?」
「ええ。他の家財や物と相性がよくないようでしてな。せめて赤や青や緑だったらよかったのにと、よく残念がられていたそうで。そうして売れ残ってたんですが、作りは素晴らしいので傷一つつけたら台無しになるだろうということで、なかなか店に置くのも憚られていたとか」
まあ、分かるような気もする。この辺で紫色のものはなかなか見ないし。
「この土地の人々のセンス的に合わなかった、ということですか」
「そうでしょうな。お貴族様のオークションに出ていたら買われていたかもしれませんが、その商人はそのような大商人でもありませんゆえに」
「下に白いハンカチでも置いたら、また違ってきそうですが」
男性向けインテリア雑誌の壺が置いてある様子を思い出しつつ、壺はダークウッドの棚に敷き布もなしにそのまま置かれていたので、なんとなく言った言葉だったが、ガンリルさんが気に留める。
「白いハンカチですか? ……おぉ?? 確かに、確かに。少々お待ちくだされ」
ガンリルさんが慌てたように、家の奥に行く。しばらく経って、まさかなとは思っていたが、ガンリルさんは白いハンカチを持って現れた。
「こうですかな? おぉ!! よく合いますな……」
俺も壺とハンカチが存外合って、自分の提案やら記憶やらに驚いたが、驚きついでに、それっぽく、ハンカチを菱形に向きを変えて、棚からハンカチの先を垂らしてみる。
「おぉ~!! 素晴らしい!!」
ちょっとやりすぎたかと思っていたが、ガンリルさんには満点だったようだ。
気をよくして、ハンカチが例えば、四隅にもっと豪華な、でも質素でもある刺繍の入ったものとかだとより合いそうだなどと提案する。ガンリルさんは「まさに、まさに。この壺の静謐な美しさが一層映えましょうな」と、俺の言葉にご満悦だ。
「こやつと同じく骨董商にでもなるつもりか、お主?」
インが呆れたように俺たちを見てきていたが、結構悪くない提案だと思ってしまった。だって、のんびり暮らせそうだもの。
◇
「となると、宿は『コレットミレット』か『金櫛荘』がいいでしょうな」
「コレットミレット? 不思議な名前の宿ですね」
「そうかもしれませんな。コレットミレットは、とあるお話に出てくる妖精の名前ですよ」
妖精か。この世界にいるんだろうか? 話の内容を訊ねてみる。
「コレットミレットは悪戯好きな妖精でして。悪戯に加えて、嘘をついてばかりいたんですが、そのうち誰も口を聞いてくれなくなりましてな。ある日、インプの群れが森を襲おうとしているのを知り、コレットミレットは森の仲間にここは危険であると伝えるのですが、誰にも信じてもらえないのです。それで最終的に自分の妖精の力を全部解放することでインプの群れを追い払うという、まぁ、嘘は良くないと子供に教える教訓話ですな」
確かに、嘘つき狼を彷彿とさせる物語だ。
「なんでも、コレットミレットの主人の祖父にあたる人が、コレットミレットの登場する本の出版に携わっていたとかで。古い宿ですが、食事は美味く、ベッドも清潔で、ケプラに住んでいる者なら誰でも知っている宿ですよ」
まあ悪くなさそうな宿だ。
「金櫛荘は、ケプラ一の宿です。高級宿でその分高価にはなりますが、食事のレベルは言うまでもなく、トイレも部屋にあり、公爵様やお貴族様もよく泊まられる宿ですな」
おぉ! トイレがあるとは! これは金櫛荘で決定だな。風呂が部屋にないのが残念だが、仕方ない。
ちなみにコレットミレットは一人につき一泊1,000G、金櫛荘は一泊8,000G、厩舎を使うなら8,500Gらしい。ヴァイン亭の700Gに比べると爆上がりするが、問題はない。5兆とか馬鹿みたいな金額あるし。なくす不安しかないので、出来る範囲でさっさと経験を増やしておきたい。
そんな話をしていると、使用人の男性により料理が運ばれてくる。匂い的には焼き肉だが……牛か?
「お、きましたね。ケプラでフィッタの良い牛肉を手に入れましてな。是非食べてみてください。このラウニーは店で調理を任されていたこともある者なので、味は保証しますよ」
そう男性使用人を紹介しながら、てっきり雰囲気的にすべて使用人がするのかと思いきや、ガンリルさんも彼とともに俺たちの前に料理やら食器やらを置いていく。手伝おうかと一瞬思ったが、先にディアラたちが立ってしまった。
「どうぞお気になさらず。今日はあなた方にも振る舞いたいのですよ。例のスープのお礼もありますから」
そう言うので、困ってしまったらしいディアラたちを座らせる。
考えてみれば、ガンリルさんは商人だ。貴族には……見えない。
まだ分かりやすいタイプの貴族の人に会ったことがないのでイメージしか持っていないのだけども、使用人を罵倒し、こき使うタイプの人には特に見えない。そういう商人はいくらでもいるだろうが。
料理はシンプルに牛肉のステーキだった。隣には野菜のグラッセも添えてある。
他には、ヴァイン亭で出された狼肉のシチューと似た赤いシチューに、白パン、チーズ、そして赤ワインで、懐かしい感じのホテルナイズなラインナップだ。
「先に食べてもらっても構いませんよ」
配膳途中のガンリルさんがほほ笑んでいるので視線を追ってみれば、インが牛肉をガン見していた。こらこら。
「そ、そうか? ではいただくぞ」
ため息をつきたい気持ちになりつつも、振る舞う側からしてみれば、インの素直な反応は嬉しい反応なのかなとも思う。
「んっ! うまい! うまいぞ、ガンリル!」
普段俺が切り分けて食べる量の倍くらいの切り身を頬張って、そう感想を述べるイン。ガンリルさんが「はっは! いい食べっぷりですな」と今日一番の笑いをもらっていなければ、恥ずかしくてしょうがなかったかもしれない。
とはいえ、インの喜びようほどではないが、確かにステーキは美味かった。
切り分けると肉汁がにじみ、視覚と嗅覚が遠慮なしに食欲を刺激して、実際に口にしてもその期待を裏切らなかった。
味は普通に牛肉のステーキだった。もっとも、今まで食べたこの世界の料理の中で一番俺の身近な料理に近かったかもしれない。ディアラたちも頬を綻ばせていたようだし、大満足だ。
タレは赤ワインベースで、結構酸味が強かったので、少量だけつけるとちょうどよかった。
なにげにこの世界では初めてだったチーズも本場だからなのか、妙に美味く感じた。
ヴァイン亭では残念ながらあまり口に合わなかった赤ワインも美味いしで、上機嫌のまま、チーズを残った牛肉に載せておく。
元彼からは子供っぽいと嫌がれたこともあったけど、これがまた美味いんだ~~。胃腸を壊してからはめっきり食べなくなったんだけど、チーズハンバーガーも大好きだったんだよね。
「おや、ダイチ殿、珍しい食べ方をしますな」
「なかなか美味いですよ。ちょっと子供っぽいかもしれませんが、是非試してみてください」
そう言われ、チーズの一切れをステーキに載せるガンリルさん。インをはじめ、ディアラやヘルミラも載せたので、口に合うかちょっと不安だったが、好評だったので安心した。
食事も一息ついた頃、ガンリルさんから、ケプラの後の予定は決まっているのか訊ねられる。
「実のところ、明確には決まっているわけではありませんが、……フーリアハットにはいつか行ってみたいと思っています。ディアラとヘルミラの故郷ですね」
良い感じに酔っていたからか、ディアラたちのいる場でそう話してしまう。
「ご主人様、フーリアハットは……」
「入国審査が厳しいんだろ? 分かってるさ。でも、俺もダークエルフの里には行ってみたいからね」
フーリアハットはエルフ、ダークエルフ、獣人、ドワーフなどの俺でも知っている亜人種をはじめとして、少ないところではゴブリンやオークなど、様々な亜人種を抱える他種族国家だ。
抱えると言っても、中には国として成立しているところもあり、共同国家とか、同盟国家などと呼ばれるらしい。
フーリアハットで一番の権力を有しているのが神樹の守人であるエルフだ。そのエルフがかつてほどではないが大なり小なり人族嫌いであることも知られ、そのため人族に対して排他的な感情を持っている国でもある。
入国に際しては、貴族は別だが、人族の平民の入国は基本的に拒まれ、商人は一部の人に限られる。
平民以外の何者でもない俺はだからこそ入国が難しいのだが、手はないわけではもちろんない。シャイアンたちの例もあるし、訪問したことのあるヘイアンさんや、ジョーラからも聞いているので正式な入国のやり方は知っている。
特に変なことはない。平民の入国には、爵位持ちなど地位のある者からの証書、あるいはギルドの証書がいるだけだ。俺はギルドの証書をもらうつもりだが、これはギルドに届いている依頼をいくらかこなせばいいらしい。
それに、ディアラたちを送り届けるということに関しては、ジョーラとハリィが王都に戻った際に親御さんに手紙で伝えるとのことなので、手紙が届かなかった、情報が届いてない、内部紛争が起きた、などの不測の出来事以外では入国の問題はないと言っていい。
その手紙には、俺たちがやって来たら入国を許可するようにしたためるからだ。
「フーリアハットですか。本来なら、ギルドの認定証を持った商人や、貴族以外の方の入国は難しいのですが、まあダイチ殿であれば問題はないのでしょうな。でしょう? ダイチ殿?」
ガンリルさんが柔和な表情はそのままに俺をいくらか探るように見て、それからディアラたちを見た。
ガンリルさん曰く、俺はいいとこの出には見えるとのこと。俺は例によって、他の人たち同様に、具体的な情報を与えないまま、そんなところですと伝えている。
俺についてどう解釈しているのかは分からないが、ガンリルさんは二人にも丁重に接してくれているし、少なくとも二人についてはある程度察しがついているのかもしれない。村にダークエルフはいないようだしね。
「ええ、まあ。……二人はフーリアハットの里の名家の子なんです。ちょっと事情があってこういう関係になっていますが、いずれは送り届ける予定です」
送り届ける。その言葉を発して、いつかは訪れる別れの寂しさがのしかかってきた。
二人が俺たちと一緒に旅を続けたいと打診してくることを少し期待してしまうが、跡継ぎ問題とかもある。今でこそご主人様と呼んでくれるが、家には仕えている主君がいる。二人だけの問題ではないだろう。
なるほど、なるほど。ガンリルさんがなるほどの言葉に乗せて2回頷いてみせた。
「そうでしたか。であれば問題はないでしょうな。……ジョルデさんでしたか。ここだけの話、あの方も何か絡んでいるのではありませんか?」
察しのいい人だ。というより、ジョーラはハリィたちをぞろぞろと引き連れてやってきている上、警備兵たちからは通りがかる度に挨拶されてるんだから、察するも何もないか。
俺の方からはガンリルさんにジョーラのことを紹介したりはしていない。
だがガンリルさんたち村人から見れば、数日の間に一気に三人のダークエルフが村に来たのと同義だろうし、ジョーラはヴァイン亭にもきたし、俺とは詰め所でも会っているし、一緒に村を回ったこともある。どこかしらで親しくしているのを見られていても不思議ではない。
「まあ、そうですね。ああでも姉妹と彼らの事情は別ですよ」
とはいえ、ジョーラのことは“一応”秘匿事項だ。
言わずとも分かりますとも。とでも言いたげに大きく頷くガンリルさん。
「私も昔、商売でフーリアハットに行ったことがありましてな。世間では人族を嫌悪しているという風聞が絶えずありますが、実のところ、そこまででもありません。まあ、旧家の方々となると少々話は違ってきますが……」
そしてガンリルさんは、もうジョーラの事について触れてこなかった。
変な解釈してないよな? と心配しつつ、とはいえ、どう変な解釈をするのかちょっと分からない。まぁ、ジョーラの身元がバレて国元で政治的に変なことになっていなければそれでいいか。
そもそもガンリルさんがその手の者と推測してみるのは、俺の情報網は狭すぎるし、知識も経験も足りなさすぎる。判断材料も何もあったものじゃない。俺は特にバラしていないし、……ああ、ライリにはバラしちゃったか。まぁ……ライリなら大丈夫だろ……。仮に変なことになっても二人を抱えてインと逃げればいい……。
……ん。ちょっと眠くなってきた。そろそろ帰るか。
「……すみません、良い感じに酔ってしまったようで」
「おぉ、いい時間ですからな。申し訳ありませんな、ダイチ殿との話は時間を忘れてしまいまして」
そう言って、ディアラたちにも目配せをするガンリルさん。
「いえいえ。俺も料理を堪能させていただきましたし」
インがうむうむ、と頷く。
インの様子に俺は肩をすくめて、ガンリルさんは俺たちの叔父かなにかのように鷹揚に微笑む。
「私は明日は出払っていて残念ながら見送りができませんが、ケプラにいるのであれば会うこともあるでしょう。もし御用があれば、ギルドでウーリヤンの名前を出してください」
「ウーリヤン、ですか?」
「私と数名の商人が所属している小さな商会ですよ。絵と骨董をみなで見て回っていましてな。珍しいものを持て余していたら是非ご相談ください」
「分かりました。楽しそうな商会ですね」
ガンリルさんがにこりとする。
「息子には馬鹿にされてしまいましたけどね。ダイチ殿とはいつかまた品々のお話をしたいですな」
「ええ、是非。今度は息子さんの話も」
是非とも、とガンリルさんは穏やかに微笑んだ。
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