6-22 依頼概要とためになる話
涙が止まった後も、俺は子供のようにインにしばらくしがみついていた。そのうちにノックがあった。
「ダイチ様、アレクサンドラ様がお見えです」
ダンテさんの声だ。
「客のようだぞ」
……アレクサンドラ? 団長さんの依頼の件か。
俺はインにしがみついていた腕を離した。インは膝から降りるかと思ったが、そのままだった。
まあ、いいかと思う。アレクサンドラもダンテさんもまともな人だ。俺は目をぬぐった。
「入っていいですよ」
入ってきたダンテさんは俺たちの様子を見ても特に変化がないように思えたが、アレクサンドラは少し狼狽えたようだった。
「お邪魔でしたか?」
「いえ、大丈夫です。……それで用事とは?」
アレクサンドラが、団長の依頼の件です、と言って部屋に入ってくる。やっぱか。アレクサンドラは昼と同じく鉄の防具を身に着けていた。ベルナートさんは今回はいないようだ。
ダンテさんは俺と目が合ったあと「では、私はこれで」と一礼して、ドアを静かに閉めた。インが俺の膝から身軽に降りる。
「明日の昼に西部駐屯地に向かえるでしょうか?」
明日か……。早いけど、仕方ないか。救援だし。
「出直しましょうか?……」
アレクサンドラは眼差しに不安をにじませてなぜか労わるようにそう聞いてくる。
ん? ……ああ。
「目、腫れてます?」
ええ、少し、とアレクサンドラは苦笑した。
俺はもう一度手で拭った。恥ずかしい。「こやつは泣き虫なところがあっての」とちょっと意地悪にイン。やめなさいよ。
「ちょっと昔話をしていて。気にしないでください」
アレクサンドラは答える代わりに微笑んだ。難しいよな、気にしないでくれって言われても。明日前線に向かうというのに。
にしても、アレクサンドラってこんなに可愛く笑うっけ。
「日程の方は問題ありませんが……話って言うのは、明日の作戦の概略ってことですか?」
「ええ、そうです。西部駐屯地、ノルトン西部駐屯地はご存知ですか?」
ノルトン川は地図に書いてあったな。俺は首を振った。
「ノルトン西部駐屯地はケプラから馬車で小1時間ほど行った、ノルトン川を越えた場所にあります」
アレクサンドラはそう地図に描いてあった通りのルートを俺に告げながら、ベルトから下がった革のウエストバッグを開けて折りたたまれた紙を取り出した。
開くと地図だった。昼に買った俺の地図よりもサイズも縮尺が小さい。相当使い込んでいるようで、パリパリになっている。端の方に黒い染みがいくつかある。血か? 買い替えたらいいのに。
アレクサンドラは部屋のベッドを見た後、周りを見渡した。
地図を広げたいのか? 俺は窓際のテーブルを指さして地図ですよね、そこでいいですよと言うと、彼女は従う。
「ディアラとヘルミラを呼んできます」
「あ、はい」
姉妹の部屋をノックすると、私服姿の二人が出てきた。やはり部屋にいたままだったようだ。
予定ではこのあと風呂に入って食事だったが、インとの長話で姉妹は放置する形になってしまっていた。
姉妹は基本的に俺が言わないと行動に移さない。インに言わせればこれが従者のあるべき形なのかもしれないが……さっきの話の影響でメンタルがすっかり弱くなっているのか、二人がどこにも行ってなかったことにほっとした俺がいた。
軽く概要を伝えて二人を部屋に呼んだ。来客に慣れたもので、二人は椅子を1脚ずつ自分の部屋から持ってきた。
俺はベッドに座ろうかと思ったんだが、アレクサンドラが地図を広げたテーブルの横に立って、“いかにもな感じ”で陣取ってしまったので、俺たちは皆椅子に座った。
いかにもな感じというのは、ファンタジー諸作品でよくある作戦会議のシーンだ。鎧をつけた武将たちがテント内で地図を広げたテーブルに集まって作戦を練るあの場面だ。
いるのはアレクサンドラだけなんだが、いまさらだけど、なんかちょっと感動してしまったのだった。映画の中に自分がいるかのように思えて。駐屯地に行ったら兵士だらけだろうし、もっとそれらしい会議の現場に出くわすのだろうか。
地図に関して思い出されるのは、学生時代、ファミレス勤務時にデリバリーの際に控室で町内地図を広げたことだ。俺に限った話ではないように思うけど、他はまあ、ナビで済む。パンフレットなら開くんだけど。
今でもデリバリーでは紙の地図って見るのか? 日本は分からないが他の先進国はナビ端末がバイクについてそうだ。
「では、改めて。……我々は明日にケプラを出た後、道なりに進み、ノルトン川を渡り、ノルトン西部駐屯地に行きます。そこでオランドル隊長に指示を仰いだ後は北上し、ノルトン北部駐屯地に」
アレクサンドラは一変して凛々しく眉を寄せ、よく通る声で説明しながら、指先で行路を示し、辿る。戦法が泥臭かったのを見るに納得もできるあまり細くはなく、少しごつごつしている人差し指は、テントマーク――ノルトン北部駐屯地で止まる。
「北部駐屯地では、団長、ピオンテーク子爵、そしてダイチ殿のように我々騎士団が助勢を頼んだ方々と落ちあい、セティシアの警戒地と北部駐屯地の警戒地に分かれる予定です。警戒地はこの辺りの2か所です」
北部駐屯地から北上すると警戒地、そこから北西に進むとセティシアに近い警戒地だ。
また馬車か? バイクなら速いだろうに。
北部警戒地の先にはセルトハーレスという大きな山があり、ゲラルト山脈に続いている。セルトハーレスの西にはセティシアという都市があり、北部駐屯地の東にはフィッタという都市がある。
フィッタは村などの小規模都市だろう。東の外れにあるルートナデルは城のマーク、ケプラとセティシアが三角屋根の一軒家のマーク、フィッタはメイホーと同じで、屋根が丸太になっているログハウスと思しき一軒家のマークになっているからだ。
警戒地は地図には記載はない。アレクサンドラが示したのは、セティシアと北部駐屯地からそれぞれセルトハーレス山に向かった地点だ。山のふもとということらしい。
「このセルトハーレスというのが、プルシストたちが下山してきているという?」
アレクサンドラは頷く。
「プルシストは牛系の魔物として分類されていますが、見た目はほとんど水牛と変わりません。多少獰猛になったくらいですね。魔物としては対処は楽ですが、群れで動くので単独で対処するのは危険です」
クエスト限定MOBだったが、クライシスと一緒な感じだな。……そういえばレベル聞きそびれてたな。
「プルシストのレベルっていくつくらいですか?」
「だいたい12から15ですね。今回は数が多いので山に追い返す手段も考えています。殺せるのなら殺して数を減らしますが、武器を痛めるだけなので、場合によっては必要最低限の対処に留める予定です」
「弱点とかは?」
一瞬アレクサンドラが怪訝な顔つきをして俺を見てきたが、ちらりとインの方に目がいき、間もなく消える。インの実力は知らないんだっけ。まあ、余裕な相手であっても弱点は知っておいて損はないよ。
「顔、特に鼻ですね、プルシストは顔を射ればすぐに逃げるので弓での牽制が有効です。今回は数が多いので、弓は多く使用するでしょう」
弓か。なら、ヘルミラだな。騎士団からはベルナートさんだろう。
ヘルミラに視線を寄せると、頑張りますというアイドルポーズ。うむ。
あとは子牛と猿だったか。
「カーフ・プルシストとグラスエイプでしたっけ」
「カーフ・プルシストはプルシストの子供です。レベルも同じくらいで、行動パターンも同じです。なので対処方法も同じですが、親よりも体が小さく、突進も速いので弓では少し狙いづらくなりますね」
ふむ。魔物って交尾するのかな。
「矢をかいくぐって入ってきたのを適宜応戦って感じかな」
「そうですね。……グラスエイプはサル型の魔物で、背中や腕などに草が生えています。グリーンエイプなどに比べると弱い魔物で、こちらもプルシスト同様さほど脅威ではありませんが、逃がしてしまうとテントの中を荒らされたりするので早めに仕留めてください」
猿だなぁ。
「グリーンエイプは火を怖がるので《
「これもヘルミラの出番だね」
「頑張ります!」
ディアラもね、と言うと、こちらもはいという元気な返事。牛や子牛たちは、槍突きのいい練習になるだろう。
「私もおるのだが??」
インがそう割り込んでくる。嫌味っぽい顔をしている。
「確かに。前の討伐依頼の時はいなかったから忘れてたよ。頼むね」
「うむ。こんがり焼いて食ってくれようぞ」
肉好きめ。
「プルシストの牛肉は美味しいですからね」
「ほんとか??」
インが一変してアレクサンドラに顔を寄せて迫った。こらこら。
「は、はい。夜には食べられるかと……」
「おー! やる気が出てくるの!!」
無邪気に喜ぶインに、この場にいる全員が苦笑した。苦笑してくれるだけマシかもしれない。
母ちゃん、……恥ずかしからやめて。
「……そういえば、ミノタウロスも来るかもと団長さんが言っていましたが、ミノタウロスというのはどんな魔物ですか?」
「ミノタウロスは牛の頭を持った人型……いえ、足は牛の足ですし、牛が人型になったというのが正しいでしょうね。巨漢の男より大きいくらいの体を持っていて、斧を振り回す二足歩行型の魔物です」
うん。特にイメージに差異はないな。
「レベルは20から25を確認しています。プルシストよりも数は少ないのですが、プルシストの群れが山を降りて時間が経つとミノタウロスも下山してきますね。直情型で対処はしやすいのですが、力が強いのでタンカーがいると安心です」
「デミオーガみたいな感じですか?」
アレクサンドラが少し表情を緩める。
「デミオーガよりも体力も力もありますが、腹に刃が入らないということもないので、デミオーガより対処はしやすいかもしれませんね」
全体の作戦内容にもよるが、デミオーガ戦での戦い方でいけそうか。
「あと亜種にミノタウロスコマンダーというのがいるのですが、こちらは少し知能が高く、攻撃を避けてきたりします。もっとも、分が悪くなると逃げるので、ある程度時間稼ぎは可能です」
コマンダーね。
「この辺はまだ問題ないのですが……上位種のレッド・ミノタウロス、通称“レッドアイ”がいます。赤い目をして、肘から下が炭化しているミノタウロスです」
おぉ……上位種。
「レベルはいくつくらいですか?」
「LV40以上です。最大で45を確認しています。魔法も使いますし、うちの団長でも単騎ではちょっと手に負えません。そうそう遭遇しませんが、遭遇したときには毎回死傷者を出しています。もし出てきたらすぐに逃げて助けを呼んでください。ダイチ殿は問題ないかもしれませんが……」
レベル高いな。団長さんクラスでも厳しいのか……。
アレクサンドラは俺以外の3人を見た。姉妹は頷いたようだが、
「私も問題ないぞ。魔法の通じん相手ならちと厳しいかもしれんが、別にそういうわけではないんだろう?」
「え? はい。魔法はしっかり通じますが……問題ないんですか?」
インはアレクサンドラに首を傾げた。
「うむ。センティコアクラスになるとさすがに無理だろうがの」
「センティコアって……魔人の……?」
「それ以外になにかおるのか?」
「い、いえ。いないかと思いますが……」
問題ないのは安心できるのだが……ひやひやするやり取りだ。慣れている姉妹は生暖かく見守っている。見守るだけっていうのはやめてほしいよ?
インが俺の視線に気付く。
『ダイチも心配しておるのか? さっきは泣いとったし、愛い奴よのう。私は死なんと言ったではないか。……ああ、センティコアというのはな。レベル70いかんほどのミノタウロス系の魔人だの。さすがにこの半端な人化の状態じゃセンティコアは厳しい。奴は元々魔法に強いし、魔法反転の秘技があるしの。力もある』
いや、そういうことじゃなくて。
俺は軽くため息をついた。
――インは見た目はディアラとヘルミラよりも小さいからね。アレクサンドラはこんなに小さな……可憐な少女がミノタウロスのような凶悪な魔物に単独で太刀打ちできるのかって信じられないんだよ。
インは目を丸くして、うんうん頷き、「おぉ~なるほど」といった風な反応を示した。感心したようだ。何か意図せぬ発想でも聞いたかのような反応だ。
インは分かってるのと分かってないのと半々だろうとこれまで考えていたが、分かってなかったらしい。これまでの処世術は天性のものか……?
「武器を持ち、己の力と体で戦う者は多かれ少なかれ影響はあるが、魔法で戦う者には年齢や体つきはあまり関係ない。知らんか?」
「それは分かりますが……」
「なら、受け入れとった方がよいぞ。納得できんでもひとまずはな。そうした方が自分に有利に働くことが多い」
「はい……」
アレクサンドラは頷いたが、まだ内心では納得できていない様子だ。まあ、こんなところが限界か。
インは見ておれ、とアレクサンドラに言うと、さっき訓練場にしたように赤い魔法陣を3つ展開した。何か出るかと思い、ちょっと警戒したが何も出ない。
「今のは……?? でも3つも?」
「《
「い、いえ……熟練の魔導士でも2つが限界だと」
「うむ……。お主の知っておるのは“熟練の魔導士”と“2つが限界”か。熟練の魔導士というのはどの程度の魔導士を指すのだ?」
アレクサンドラは言い淀んだ。ああ、分かってないのか。インは魔法陣を消した。
「分かっておらん情報はあまり鵜呑みにするでない。お主は噂を元に隊を組むのか?」
「いえ……」
「なら、実際に目の前で起きたことを受け入れておけ。世の中には公表されていないだけの情報と真実が五万とある。……良い魔導士を育てようとするとき、魔導士の師は何を常に弟子に教えるか、知っておるか?」
アレクサンドラがいえ、と小さく首を振る。インは姉妹も見たが、姉妹もまたお互いを見合わせて軽く首を振る。
なんだろうな。流れ的に、提示された情報を鵜呑みにしないとかか。
「自分の限界を作らんことだ。自分の限界というのはな、得てして自分自身で決めつけてしまうものだ。お主は魔導士ではないが、同じ道理であろ。“熟練の魔導士は2つの魔法の展開が限界”。この情報があるがために、多くの魔導士は2つ同時の魔法の展開については勉強しても、3つ同時の展開については勉強もせんし、努力もせんだろうな。これが限界だと勝手に決め、納得してな。……ま、魔導士の素質の問題もあるし、一概には言えんがの。素質がないならないで別のことで努力をし、伸ばそうとするのもまた、限界を作らん良い魔導士という奴だ」
ためになる話だ。別に魔導士に限った話ではないだろう。
「そういえばインバース様も限界は作るな、あらゆることを疑えと仰ってました」
「ほう。良い師匠を持ったの」
インが気のいい笑みを見せた。ヘルミラのはいというにこやかな返事。やっぱり魔導士は知識階級の高い人々のようだ。
アレクサンドラはしばらく考える様子を見せていたが、ためになる話をしてくれたことに対して慇懃にお礼を言うと、あなた方はなぜケプラに? というごく平凡な問いかけをした。
あなた方という辺り、俺も含んでいるようだが、まあ気になるところではあるんだろうな。要職につかずにふらふらしているように見えるだろうし。……実際そうだけど。
インは肩をすくめて、めんどくさい娘だのう、とぼやいた。そしてちらりと俺を見た。めんどくさいかねぇ……。
「私もダイチも世間を知らんのは知っておるだろ? 人づてに聞くのもいいのだが、実際に見て回るのがよいからの。知らんか? こういうのを“カンコウ”というのだ」
インは少し鼻を高くした。知らないんじゃないかな。案の定、アレクサンドラはいえ、と首を振った。
「まあ、この世には色んな人がいるように、色んな旅の仕方があるということだの」
めんどくさくなったのか少々強引にまとめたインに、アレクサンドラはそうですね、と苦笑した。
話は少し脱線してしまったが、聞く部分は聞いたのでアレクサンドラの用事は終わったようだった。
この後俺たちは風呂に入り、食事にするつもりだったが、アレクサンドラは食事に同席してもいいかと言い出した。宿泊客以外でも、金を払えば食事はできるらしい。特に断る理由もなかった。
インの言った「世間を知らない」という部分を気に留めたのか分からないが、食事の席での彼女の話は少し解説的だったように思う。
とはいえ。
騎士団と金櫛荘の使用人で行われる合同訓練のこと。アレクサンドラが訊ねたダークエルフの里のこと。団長さんの家族についてとか、少しだけこぼしたアバンストさんの“嫁にどうか”への愚痴とか。給仕をしていた爽やか系使用人のベヌーノさんが会話に少し入ったり。食事の場がだいぶ賑やかになった。
何を思って同席しようと思ったのかは分からないけれども、インがナプキンをつけながらも服やテーブルクロスを汚した際、アレクサンドラは甲斐甲斐しく世話を焼いていた。軍人っぽいからといって、別に頑固だったり、プライドが高かったり、偏屈な人だとは特別思っていないが、人の世話を焼くのは特に嫌いではないらしい。
インといえば、俺や姉妹に世話をさせる時にはなすがままだが、アレクサンドラにはプライドが許さないのか、それ以上汚さなかったのはちょっとした発見だった。やればできるんじゃないか、今後もそうしてくれと思ったのは言うまでもない。
ちなみに料理は「クラウンキジの煮込みスープ」と「ダンプリ」だった。
クラウンキジというのはようはキジ科の一種で、肉の方も鶏肉だったのだが、王冠に見える針状のトサカを持ったなかなかお高いキジらしい。
煮込みスープは例によってパプリカの煮込みシチューで真っ赤だった。オルフェ人、パプリカ好きすぎる。まあ、入っているのはパプリカだけではないし、美味しかったけども。
ダンプリは“丸くないころっとしたすいとん”だった。スープにつけて食べるようだった。パスタ的な料理だと思うんだが……小麦粉の主張が激しかった。
餃子食べたいなぁと、口に入れたダンプリをもちゃもちゃ食べながら俺はぼんやり思ったものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます